| 運命と宿命 〔その1〕臓器は「運命」の一部である ―――――――――――――――――――――――――――――――― 我々の“こころ”はいったい、どこにあるのでしょう。 一定の考察を積み重ねたときに、どうやら“こころ”は、「五臓六腑」に宿っていると考えられるのです。 なぜなら「臓器移植」によって、“その人らしさ” が大きく変ってしまうからです。 それは元の持ち主の“こころ”が、いっしょに移植されるされるからです。 −−−−−−−−−− −−−−−−−−−− −−−−−−− 『 臓器は「運命」の一部である 』 果たして、“こころ”はどこにあるのかというのは、かなり古くからある議論です。突然こう尋ねると、なんとなく胸のあたりを指す人たちがいます。この人たちはどうやら心臓や、肺の辺りに、“こころ”があるように感じているようです。 また医学的な知識で判断しようとする人は、脳の中にあると考えている人が多いようです。人は脳からの指令で行動しますし、思考を司るのも脳だからです。従って“こころ”もまた、その脳の中にあると考えるのは自然の成り行きです。 しかし、どうやらこの考え方は、訂正する必要がありそうなのです。“こころ”はやはり、心臓をはじめとする各臓器にあると考えられるのです。 そもそも何が好きで、何が嫌いかは、人の“こころ”が決めることです。その日の夕食に何が食べたいかは、その人のこころの作用によって決まります。ちょっと贅沢をしたい時に、和食党の人は寿司や天麩羅やすき焼きがごちそうになります。洋食が好みの人はステーキや、フランス料理のフルコースが贅沢なごちそうです。 またビールが好きか日本酒が好きか洋酒が好きかも、その人の好みの問題です。もちろん異性に対する好みのタイプも同様です。その人の“こころ”の働きによって決まります。もし好みのタイプの異性に出会えば、“こころ”がときめきます。そして、その結果、恋愛感情にまで発展します。 要するに何が好きで、何が嫌いかを決めるのは、すべて“こころ”の作用によるものです。それによって、その人の「特質」が形成されます。性格、性質、性癖、傾向、嗜癖、趣味、好みといった言葉で現わされるものです。つまり、一定の偏りのことです。これは各個々人が、それぞれに持っているものです。これが“その人らしさ”として認識されるものです。言うなれば人柄であり、又は、形成された人格のことです。 ところが、そうした“こころ”の働きの基本的な部分が、「臓器移植」によって、かなり変化するのです。実際に他人の「心臓と肺」を移植したら、食べ物の好みが変わったという人たちがいるのです。異性に対する好みのタイプも、以前とは変わったというのです。 このことからして、どうやら“こころ”は、「五臓六腑」に宿っていると考えられるのです。実際に心臓と肺を取り換えたら、それまではほとんど飲んだことがなかったビールや、まったく食べられなかったピーマンが好きになったというのは、その人のこころが入れ替わったためであると考えるのが妥当です。趣味、嗜好の片寄りは、その人のこころが反映された結果であると考えるのが一般的だからです。 しかし、こころが入れ替わるということは、一体どういうことなのでしょう。それまでの本人自身のこころと、どのような関係が成り立つのでしょうか。 ○ ***** ○ ○ ***** ○ 臓器移植は日本国内では、まだ数例しか行われていません。法の整備が遅れたせいもありますが、古来よりの日本人の死生観に由来する影響が大きいようです。「脳死」を、人の死とは考えない人が多いためです。臓器移植法が成立してからも、提供者があまり現れないのは、そのためであろうと考えられます。 しかし海外では、かなり以前から行われてきました。特にアメリカでは、比較的盛んに行われています。どうやら国民性に違いがあるためのようです。 ところで、その臓器移植を受けた人たちに、不思議な現象の起きることが、最近知られるようになりました。そして、その不思議な現象というのは、どうやらドナー(臓器提供者)の“こころ”が引き継がれたためであると考えられるのです。 ただし、この場合の“こころ”というのは、亡くなった本人の記憶ではなくて、むしろ「運命」に関するものであると考えた方が理解しやすいのです。 少々長くなりますが、順を追って説明することにします。 ○ ***** ***** ○ まず、幾つかの事例がありますので、それから紹介することにします。 ((「特命リサーチ 200X」(日本TV) 1998年9月6日(日)7:56〜9:00 放送より )) この番組では、「臓器移植」により、臓器を移植された人の性格や、食べ物の嗜好が、臓器提供者のものに変わってしまう現象のあることが紹介されました。 まず、その内容を紹介することにします。 【具体事例】 ケース、その1。 アメリカのミシガン州郊外に住む、結婚三年目のグレンダとデビットは、近所でも評判の仲の良い夫婦であった。 しかし、それでも時には、口げんか程度のことはした。そして、その仲直りのための暗号のような言葉が、『コバスティック ( Everything is copacitic )』であった。 「ごめんよ。僕らは、コバスティックのはずじゃないか。」 これが、二人の仲直りのために交わされる暗号の言葉であった。 この言葉は今日のアメリカでは、ほとんど使われない「スラッグ」であるという。強いて日本語に訳すならば、『 二人はいつも順調 』という意味になる。 しかし、その二人に、突然の不幸が訪れた。 1989年のある日のことであった。 夫婦は、共通の趣味であるドライブを楽しんでいた。デビッドは50年代のロック音楽が好きであった。カーステレオからは、お気に入りのフィフティズの音楽が流れていた。 だが夕食をステーキにするか、或いはシーフードにするかで、おきまりの口げんかが始まった。車内には、沈鬱な空気が漂っていた。 そして、グレンダが先に謝ろうとして、『コバスティック』と言いかけたその時、二人の車は、センターラインを越えてきたトラックと正面衝突した。 グレンダは重傷であったが、なんとか助かった。しかし、デビッドは死んでしまった。 グレンダは、最後の仲直りが出来なかったことを悔やんだ。 その二年後のことである。グレンダは、デビッドの心臓が移植されたある青年と会うことが出来た。 それは心不全に苦しみ、南米から移住してきた青年、カルロスであった。彼は、まだ母国語であるスペイン語しか話せなかった。 そこで彼の母親が、通訳を行った。 カルロスは移植された心臓の上に、グレンダの手を導いた。 するとグレンダの口からは、ふと思い出の言葉が口をついて出た。 『コバスティック』 この言葉に、二人は驚きの表情を示した。理由を聞くとカルロスは、心臓移植を受けて以来、何も意味が分からずに「コバスティック」という言葉を口にするようになったのだという。 つまり、スペイン語しか知らないカルロスが、グレンダとデビットしか知らない暗号の言葉を、突然しゃべるようになったのである。 グレンダは心臓移植と同時に、デビットのこころまでもが移植されたのではないかと思い、それ以外にも何か変わったことが起きていてないかと尋ねてみた。 するとカルロスは、自分が「生まれ変わった」ように感じると言うのであった。 以前のカルロスは、 ○ 菜食主義者で、 ○ 聞く音楽はヘビーメタル、 ○ 内向的で友人も少なく、家の中に閉じこもりがちであった。 ところが、心臓移植をした後は、 * ステーキなどの肉料理が好きになり、 * 音楽の好みも明るい五〇年代ロックに変わり、 * 服装の趣味も変わった。 * そして、よく友人とドライブに出掛けるようになった つまり、カルロスの趣味や好みが、臓器提供者のデビッドと同じものに変わったのである。 さらにカルロスは、明るい光が、自分に突進してくる夢を、手術後、繰り返し見るようになったとも言う。 グレンダもまた大型トラックがヘッドライトを光らせて、自分達の車に突っ込んでくる場面を、繰り返し夢で見ていたのであった。 カルロス本人には、心臓の提供者は事故死した白人男性であることは伝えられたが、それ以外のことは何も伝えられていなかった。従って、デビッドのことは、まったく知らないはずなのであった。 **** ○ ○ **** 【具体事例】 ケース、その2 五十二歳の男性の場合。 ○ その男性は、以前は静かなクラシック音楽が好きだった。 * ところが手術後は、ロック音楽を大ボリュウムで聞くようになった。 * さらに娘の友人の十代の若い女性に、心を奪われることが多くなった。 彼の臓器提供者は、ロック音楽が好きな、十七歳の青年であった。 **** ○ ○ **** 【具体事例】 ケース、その3 三十六歳の女性の場合。 この女性は、心肺同時移植を受けた。 ○ 以前は怒りっぽく、閉じこもりがちな性格であった。 * ところが手術後は、いつもほほえみを絶やさない社交的な性格に変わった。 臓器提供者は結婚を間近に控え、婚約者とデート中に事故死した二十歳の女性であった。 ** ** --------- ** ** 解説によるとこれらの事例以外にも、臓器移植患者の「生まれ変わり体験」は、数多く報告されているという。 1998年4月、臓器移植を受けた患者の生まれ変わり体験を調査した本が出版された。 著書名 『ハートコード』 この本の著者である元ウェイン大学医学部講師 ポール・ビアサル博士の話。 『 デビッドの事件は、私自身がグレンダのカウンセリングを行ったので、よく覚えています。しかし、これはさほど珍しくはありません。 約140人の臓器移植患者にインタビューしたが、そのほとんどが、何らかの変化を体験をしていた。やはり臓器を移植されたことが、不思議な体験の原因だと思う。』 ****** -------- ***** さて、こうした「臓器移植」によって起こるこの不思議な現象に対して、この番組ではいつものごとく、様々な角度からの解釈が試みられました。 その内容も一応、ここに紹介しておくことにします。 ○ アメリカ、サンディエゴ神経科学研究所 ブライアン・バラバン博士の話 ある動物実験 ウズラの卵の一部を、ひよこの卵に移植した。 すると見た目には、ウズラとひよこを合体させたような奇妙な生物が誕生した。 そして、ひよこの卵から生まれたこの生物は、ウズラと同じパターンの鳴き声をあげ、またウズラと同じ首の振り方をした。 つまり、ひよこの行動様式が、完全にウズラ型に変わってしまったのである。 ただし、これは神経管(脳の一部)の部分を移植したためだという。 このように「脳」が移植されれば、ひよこがウズラに生まれ変わることは、大いに有り得ることであるという。 ( もちろん臓器の移植は、脳そのものとは無縁のものですから、これは単なる事例紹介にすぎません。) ***** **** ***** しかしながら、カルロスの場合は、「心臓」が移植されたのである。 それにもかかわらず、一体なぜ、カルロスは、デビッドの心が乗り移ったような行動をとったのか??。 この疑問を解くために、このあと様ざまな仮説が紹介されました。 ○ 筑波大学医学部基礎医学系講師 ○○博士 『 性格とか記憶は、脳によるものであるから、心臓を移植したからといって、変わるとは言えない。ただし、体調や、体質の変化によって、気分や、性格が変わることはあり得ると思う。』 では、体質が変化するとはどういうことか??。 『 重傷の心不全の患者の場合、「カーディアックカヘキシア(心臓悪液質)」という現象が起こる。』 * 重症の心不全患者の場合、心臓の血液を送る機能が低下しているため、血液の流れが悪くなり、全身の臓器の働きが悪くなる。 すると体を正常な状態に戻そうと、様々な臓器から血液中にホルモンなどの生理活性物質が異常分泌され、その結果、体に悪影響を与える。 TNFαという物質は、もともと悪くなった臓器を改善する働きがあるという。その物質の働きの悪影響によって、逆に食欲が減退し、それによってカルロスは、ステーキなどの肉類を食うことが出来なかった。つまり菜食主義者であったというよりは、もともと食欲が無いためにサラダなどを食べていたのである。 そして移植手術により、その心臓悪液質という状態が改善され、食欲が正常に機能 するようになって食事の好みが変わり、脂っこいものが食べたくなったのである。 ○ 久留米大学医学部 精神神経科講師 ○○博士 『 臓器移植では、一つの臓器しか変わらない。だが、その人の生命が新たに生まれ変わったという感覚をレシピエントにもたらす。これを「バース・ファンタジー」という。』 患者の痛みや不安、恐怖感が取り除かれることにより、強烈な幸福感を感じる。 また、ドナーに対する過剰な同一化現象が起こる。 それによって、限られた情報の中で、ドナーのことを様々に想像し、自分の生き方まで変えていったと考えられる。 ***** ○ ○ ***** だが、ここに最大の謎が残されている。 スペイン語しか話せないカルロスが、なぜ英語の「コバスティック」という言葉を知っていたのか?。 そこで、新たな仮説が登場する。 ○ アメリカ国立衛生研究所 マーサ・ナイト博士 記憶には、脳の内部にある「神経ペプチド」が重要な働きをしている。ただし最近の研究で、それが心臓などの、様々な臓器の神経細胞で作られるていることが分かった。 従って、記憶は脳だけではなく、全身で保存されている可能性がある。 だからといって、ドナーの記憶が、移植された心臓の中の神経ペプチドによって引き継がれるという根拠は、今のところ見つかっていない。 さらに、驚くべき仮説。 ○ カナダ ダルハウジー大学医学部教授 アンドリュー・アーマー博士 心臓は脳の支配によるものではなく、ICNシステム(心臓内固有神経系)という、心臓にあるネットワークによって動かされている。 これにより、脳からまったく独立して、心臓の活動を調整している。 従って、このICNシステム(心臓内固有神経系)は、小さな脳であるということが出来る。 そして、このICNシステム(心臓内固有神経系)には、独自の記憶が保存されている。移植によって、このICNシステムといっしょに、記憶も移植される可能性は充分にありうる。 ただし、博士は、次のように言う。 『ICNシステム(心臓内固有神経系)が、脳と同じ機能を持つことは解明されていますが、ICNシステムと記憶の関係については、大部分が、仮説の段階にすぎません。今後、さらなる研究が必要です。』 *** ○ ** ○ ○ ** ○ ○ *** 以上は、あるテレビ番組で取り上げられた幾つかの具体事例と、その現象の解釈について紹介したものです。 お断りするまでもなく、ここに紹介された考え方は、いずれも最先端の医学を学んだ人たちによるものです。しかも○○博士という肩書きからも分かるように、この人たちは、国が認める最高レベルの学者でもあるわけです。 しかしその人たちの意見は、以上のようにばらばらであり、且つまちまちであり、結局、現在のところ何も分かっていないということです。つまり最先端の医学、及び現代科学をもってしても、この謎は解かれていないということです。 ○ ***** ○ ○ ***** ○ ―― 次回につづきます ―― 2001. 4. 29. 店主記す |