「運命と宿命」 (2) 双子の兄弟が共有した「運命のプログラム」
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        果たして人には、「運命」や「宿命」といったものがあるのでしょうか。
        あるとしたら、それはどのようのものなのでしょう。
        一定の考察を辿ったときに、どうやらそれは確かに存在すると考えられるのです。


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     『 我々の人生は、確定未来形である 』 ・・・ その二


  前回紹介した「15名の聖歌隊員」の事例によって、どうやらあちらがわの世界には、人の運命を調節する何らかの「機能」が存在すると考えられたわけです。
  それはこころの動きを通じて、その人の行動にまで働きかけることの出来るものです。そして実際に、そうしたものが機能したことによって、彼ら15人の命は救われたのです。

  さて、そのようにして人の運命が調整された結果、どのようなことが生じるかという具体的な事例が、今回紹介する、ジム・スプリンガーさんとジム・ルイスさんという双子の兄弟の体験事例です。
  今回の事例によって、我々の人生がいかようにして定められているのかという、そのメカニズムに迫ることが出来るかもしれません。


  この双子の兄弟は、1998/ 6/13『アンビリバボー』(土曜日、夕、7時〜8時、フジテレビ )というTV番組に出演しましたから、御覧になった方も多いのではないでしょうか。
  この時、59歳ということでしたから、現在は、61歳になっているはずです。まだまだお若い人たちです。
  その二人が体験した事実関係は、およそ次のようなものです。ある本の中から、一部分を抜粋して紹介させていただきます


   『 ふたりは、1939年8月、一卵性双生児として生まれたが、生後間もなく兄はオハイオ州に住むルイス夫妻のもとに、弟は同州デイトンに住むスプリンガー夫妻のもとに養子に出された。そこでふたりは、偶然にもそれぞれの養父母に「ジム」と名づけられた。
  兄のジム・ルイスさんは子供の頃に生き別れの弟のことを知り、1979年、39歳のとき、弟探しに乗り出した。幸い養子縁組の手続きの書類が裁判所に残っていたので、6週間後、ルイスさんは弟の家を訪ねることができた。
  対面したふたりは、そっくりの顔立ちで、生まれてすぐに離れ離れになったというのに、何ともいえないなつかしい気持ちになった。そして、さまざまな共通点があまりにも多いことにも驚いた。
  ふたりはどちらも、爪をかむくせがあった。不眠症気味というところも共通していた。ふたりとも18歳で偏頭痛が始まり、ほぼ同じ頃に治っていた。また、ふたりとも心臓に同じ病気があり、体重も同じだった。
  こういった体質だけのことなら、同じ遺伝子を持つ一卵性双生児ということで、ある程度納得できなくもないが、ふたりの共通点はそれだけではなかった。
  ふたりとも「リンダ」という名前の女性と最初の結婚をし、生まれた息子に「ジエームズ・アラン」と名づけた。そしてふたりとも最初の妻と離婚し、またもや「ベティ」という同じ名前の女性と再婚していた。さらにふたりとも同じ頃に犬を飼い、「トイ」と名づけていた。
  職歴も同じで、ふたりは最初、保安官補となり、次いでガソリンスタンドに勤め、そのあとマクドナルドに勤めていた。
   ふたりとも趣味は日曜大工で、そのために自宅に半地下の仕事場を持ち、いつも夏の休暇は同じフロリダの海岸で過ごしていた。そしてふたりとも愛煙家で、同じ銘柄のタバコを吸っていた。」

    ( 以上、『報道できなかった偶然の一致』 秋山真人監修 竹書房文庫 6章 悲劇の運命&奇妙な偶然の数々 これは神様の悪戯か? 双子たちが体験した不思議な現実 より )


  テレビの『アンビリバボー』のドラマ仕立ての再現映像では、このほかに最近起きた出来事として、二人とも心臓発作で一時、死にかけたというものが付け加えられていました。



   さて、上に紹介した事例から分かることは、どうやら人はあらかじめ定められた「運命のプログラム」というものを持っているらしいということです。
  そして、その決められた人生のコースに沿って生かされているのであり、その確定しているプログラムにもとずいて、自らが行動しているということです。或いは、そのように行動させられているということです。

  こうした観点に立って、上に紹介した「二人のジム」の「人生のプログラム」を細かく分解してみると、次のようになります。


  ○ 双子で生まれる。
  ○ すぐに養子に出される。
  ○ 「ジム」と名づけられる。
  ○ 爪をかむくせをもつ。
  ○ 不眠症気味である。
  ○ 18歳で偏頭痛になる。
  ○ 心臓に病気をもつ。
  ○ 定められた一定の体重。
  ○ 「リンダ」という名前の女性と、最初の結婚をする。
  ○ 息子の名前を「ジエームズ・アラン」と名づける。
  ○ 最初の妻とは離婚する。
  ○ 次に、「ベティ」という名前の女性と再婚する。
  ○ 犬を飼い、「トイ」と名づける。
  ○ 最初の職業は、保安官補。
  ○ 次に、ガソリンスタンドに勤める。
  ○ そのあと、マクドナルドに勤める。
  ○ 趣味は、日曜大工。
  ○ 自宅に半地下の仕事場を持つ。
  ○ 夏の休暇はフロリダの海岸で過ごす。
  ○ 愛煙家になる。
  ○ ある特定の銘柄のタバコを好む。
  ○ 心臓発作で死の恐怖を味わう。


  以上のようなものが、「ジム」という人間が歩むべき「人生のプログラム」として、この世に生まれた時にすでに設定されていたということです。より精確には、生まれる以前からすでに決められていたということになります。

  この「運命のプログラム」は、通常は一人の人間に対して一つ配当されるものですが、この双子の「ジム」の場合は、何らかの原因でそれを共有してしまったことになります。もしかしたらこの兄弟の場合は、そうなることまでも事前に定められていたのかも知れません。


  ともかくもこの事例によって、我々は人生のプログラムというものが、極めて細かく設定されているということ知ったことになります。つまり、上に書き出したような幾つかの出来事は、決して「偶然」に生じたものではないということです。
  この双子の兄弟は、それぞれが自分自身の自由意志にもとづいて、その時どきに最善の選択をしながら、これまでの人生を歩んできたはずです。たとえば結婚や離婚などの人生の岐路での選択は、さんざん悩んだ末の結論であったはずです。ところが実はその選択は、すでに定められていたものであったということです。それ故に、これだけの「偶然の一致」が生じたのです。

  しかも、その偶然の一致を生じさせるには、自分の意志だけではどうにもならない部分があります。そもそも男女の恋愛は、相手があって初めて成り立つものです。また家族の賛成が得られて、二人は目出度く結婚にまで至ることが出来るのです。
  まったく別々に暮らしていた二人のジムの許へ、二人の「リンダ」がほぼ同時に現われて、それぞれが互いに恋愛感情を抱き、最終的に結婚にまで至ったのです。それはお互いの両親も賛成しからに違いありません。
  また、これと同じことが、再婚相手の「ベティ」との間でも生じたのです。ベティの両親にしてみれば、バツイチの男に娘を嫁がせることになります。娘の幸せを思えば、あまり好ましいとはいえない結婚です。それでも賛成したからこそ、二人は結婚にまで至ったのです。
  まったく別々のところで生活していた二人のジムに、そうした周囲の人たちも巻き込むような出来事が、ほぼ同時に生じたのです。二人のリンダ、二人のベティが現われただけではなく、恋愛から結婚に至るまでの過程を同時に辿ったのです。つまり、お互いの家族同士の人生にも大きな影響を与える事態が、まったく別々のところでほぼ同時に進行していたことになります。

  これはもはや偶然の一致などで片付けられる事態ではありません。やはりあちら側にある何らかの「機能」が働いた結果であると考えるべきでしょう。それは上に書き出したような各項目(“意味・内容”)を、二人のジムが達成するように周囲の人たちの心にも働きかける機能(“力”)なのです。

  ですから、我々の人生というものは、すべて「運命と宿命」の糸によって導かれており、そこにはわれわれの「自由意志」というものは、入り込む余地が無いということになります。否、一応はあるんだけれども、「実質的には、無い」というべきかもしれません。それによって、我々は、定められたプログラムを歩むように調節されているのです。そう考えるしかないということです。



  この本の中には、もう一つ別の事例が紹介されていますので、参考のために、それもここに紹介させていただくことにします。


  「 女性の場合だと、バーバラ・ハーバートさんとダフニー・グッドマンさんの例がある。
    このふたりは1939年にロンドンで生まれたが、やはり生まれてすぐに別々の家庭に里子に出され、20歳のときにはじめて、バーバラさんが双子の姉妹の存在を知った。
   のちに連絡を取り合って再会を果たしたふたりは、お祝いのパーティを開いたのだが、そのとき申し合わせたわけでもないのに、ふたりとも同じ金褐色に髪を染め、ベージュの服と茶色のベルベットの上着を着ていた。驚いて確かめてみると、下着まで同じスーパーで買った同じ銘柄、同じ色のものを身に付けていた。
   また、ふたりともダンスが縁で夫と知り合い、最初の子供を流産して、そのあと男の子をふたりと、女の子をひとり生んでいた。そして若い頃、階段から落ちて足を痛め、その後、くるぶしが弱くなっていた。
   好みも似ており、紅茶党の多いイギリス人には珍しく、いつもブラック・コーヒーを飲み、コーヒーが熱すぎるときは水で冷ましていた。またお酒はジンを好み、同じ婦人雑誌を購読し、好きな作家もだいたい一致していたという。」

                                   ( 同 上 )


  この事例からも、我々の人生というものが、いかにその見えないプログラムによって支配されているかが分かります。

  従って、人の生死に関しても、同様にして定められているということになるわけですが、それについては、次回に、、、。




                               2001. 3. 27.        店主記す






  



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