そのほか
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ゼニコの部屋

怒濤のような一年

奈良という土地柄があの子の性格にあっていたのか、新しい教室には驚くほどすんなりと馴染みました。約半年が過ぎ、コンクールショックからもようやく立ち直り、また出たい、やっぱり留学もしたい、と言うようになりました。
そこで、今年1年間は好きなだけ出て良いよ、ということにしました。
そして先生にも、実は本人は留学を希望している、親としても例えプロになれなかったとしても留学することは決してムダにはならないだろうから、行かせてやりたい、ということを伝えました。

すると、それからの舞台数といったら…
1月 ニューイヤーコンサート
2月 コンクール
4月 ジュニアフェスティバル
5月 コンクール
7月 発表会 コンクール
8月 コンクール×2
10月 RAD試験
11月 コンクール
12月 ジュニア公演

それまでの教室では、2年に1度の発表会と、年に2回の近場のコンクールだけでしたから、正直かなり驚きました。
さらに、先生から留学の資料もいただきました。
留学の夢と現実
こうなると、こちらもそろそろ具体的に考えなくてはならなくなってきました。

この時はまだ、本当に右も左もわかりませんでした。感覚としては”とりあえず行ってみる”。
とりあえず行くなら”英語圏”かな。1年も行けば、多少はしゃべれるようになるだろうし、英語ならしゃべれて損はない。
英語圏=イギリス?でも、破産するほど高いらしい。
それならオーストラリアはどうだろう。オーストラリアはどうやらイギリスの流れをくんでいるらしいし、今の教室もイギリス式だ。それにオーストラリアは時差もほとんどないし、昔遊びに行ったときは夜行でスキーに行くのと変わらないとか思ったっけ。

とあれこれ思いながら、オーストラリア長期留学の資料を取り寄せてみることにしました。
すると今の学校のオーディションの知らせが。
日本であるなら、どんなものか受けてみようと申し込むことに。
ちなみにこの時に先生がおっしゃったこと、
いいじゃない、行ってらっしゃい、行ってらっしゃい、多分受かると思いますよ~。

その結果がこちら留学オーディション

そして年が明けて1月、舞っこはオーストラリアへと飛び立ったのでした。
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