現場近くでも進む風化 大韓航空機撃墜事件
1983年の大韓航空機撃墜事件で、当時のソ連政府が海で回収した機体の残骸の保管拠点となったロシア極東サハリン南西部のネベリスクでは、事件から30年の1日も慰霊行事などはなく、当時を知る地元住民も2007年の大規模地震に伴う人口流出で減少し、事件の風化が進んでいる。撃墜地点のモネロン島沖まで約50キロの、日本海に面するネベリスク港。地元紙記者によると、事件発生の数日後、同港には軍人が大挙して集結。トロール漁船など70隻や軍の艦艇が多数動員され、約2カ月間、海上での回収作業が続き、同港にいったん引き揚げられた残骸は軍用機で首都モスクワなどロシア西部に輸送された。現在のネベリスクでは、歴史郷土史博物館に機体の残骸3点のほか、事件で長男夫婦を亡くした陶芸家岡井仁子さん(77)=宮崎県国富町=の作品「悲しみの十字架」が展示されている。撃墜現場を見渡す丘には、事件10年後の93年に全犠牲者の名前を刻んだ慰霊碑が設けられた。(共同) <サハリン州ネベリスクの歴史郷土史博物館に展示されている、大韓航空機撃墜事件で長男夫婦を亡くした岡井仁子さんの陶芸作品「悲しみの十字架」=7月>