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インタビュー:「青空文庫」呼びかけ人 富田倫生氏~日本が誇る「青空文庫」の軌跡~

2013.08.17

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エキスパンドブックとHTMLの頃

――作品を公開するフォーマットはどのように検討されてきたのでしょうか。

 今までにもお話してきましたように、青空文庫のアイデアは空のエキスパンドブック(注)を目にしたことが一つのきっかけでした。最初の頃、基本となるフォーマットはエキスパンドブックと考えていました。それに加えてウェブブラウザーでも読めるようHTML版と、おさえにテキスト版も用意していました。
 というのも、その頃はHTMLのような形式では誰もブラウザーの上で長文を読んでくれるはずがない。ましてや、テキストデータをエディターやワープロソフトで読むようになるとは到底考えられなかったのです。本ならではの縦組みで読むにはエキスパンドブックが最も適切であり、私自身の著作もエキスパンドブックのフォーマットで発表していてどのような形式で読めるか実感していたこともあり、フォーマットとしては必須だと考えていました。
(注)エキスパンドブック:米ボイジャーが開発した電子書籍のフォーマットで、日本語版の開発は日本のボイジャーが行っていた。既存の本のスタイルを踏襲しながら、音楽や映像を加えたリッチコンテンツが制作できるなど、新しい出版の形として当時注目を集めていた。

――それぞれのフォーマットへの変換作業はどのように行っていましたか?

 ベースとなる本の内容はプレーンテキスト形式で入力していただいていました。HTML版への変換はエディタでの手作業。エキスパンドブックについてはボイジャーから提供されている専用のツールを使っていました。エキスパンドブックの変換作業は、主に私と立ち上げ人の一人である野口英司さん、加えて、早い時期から活動の中心になってくれた浜野智さんが行っていました。
 しかし、ツールがあるといっても本一冊分をまるまる変換するための作業ですから、HTMLに加工するだけでもずいぶん手間がかかります。私の場合は体調がそれほど良くないこともあり、慣れない作業というのもあってとにかく時間がかかって仕方なかった。さらにお話しましたように、青空文庫をスタートしたばかりの頃は、校正や編集のルールを決めていなかったので、ルビの表記や旧字体などイレギュラーな問題が出てくるたびに作業が止まってしまうこともありました。もう、この頃は体力的にも精神的にもかなりきつい時期でもありましたし、担当者への負担はかなり大きいものになっていました。このままでは作業を継続するのは難しいというところまで追いつめられ、2002年には一大決心をしてフォーマットの見直しを行いました。この時にエキスパンドブック版の対応を止めたのが、青空文庫にとって大きな転換点でもありました。

フォーマットの転換を決断した時

――エキスパンドブックをやめた背景として当時何があったのでしょうか。

 青空文庫も立ち上げから5年が過ぎ、新しく加わってくれる人たちから、いろいろな意見が出されるようになってきました。その中には、担当者が重圧に耐えながらエキスパンドブックのオーサリング作業をしていることに対し、そこまでしてフォーマットにこだわる必要があるのかという意見もありました。青空文庫は、エキスパンドブックがあって生まれた試みです。初期には、サーバーを使わせてもらったりと、ボイジャーから支援も受けていましたが、青空文庫をスタートしてから数年間で、活動をとりまく状況はずいぶんと変化してしまっていた。たとえば、パソコンのハードウェアやOS、インターネット技術がめまぐるしく変化し、それに合わせてエキスパンドブックも次々と仕様変更を行っていたのですが、そうした状況に対してベンチャー企業のボイジャーが、果たして将来的に開発を継続できるのかと心配される時期でもありました。
 ほかにも大きく状況が変わったこととして、インターネットにアクセスできるデバイスとしてケータイをはじめ、パームパイロットなどの電子手帳やPSPのようなゲーム機など、パソコンとは異なるモバイル市場が急成長したというのもありました。新しいデバイスが次々と登場してきた。そこへ作業の負担など様々な要因が重なって、エキスパンドブック版の作成を中止する方向に話が進んでいったのです。この決断をボイジャーの萩野社長に伝えに行った時は本当に気が重く、それこそ身を切られるような思いでした。仕方ないとはいえ、萩野社長もよく受け入れてくださったと思います。

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