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インタビュー:「青空文庫」呼びかけ人 富田倫生氏~日本が誇る「青空文庫」の軌跡~

2013.08.17

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賛同者が増え、マニュアル作りに追われた

――97年にいよいよ青空文庫を公開されたわけですが、その時の状況についてもう少しくわしく教えてください。

 青空文庫は最初の5タイトルを公開してから、呼びかけ人である私を含めた4人で少しずつ入力や校正、編集作業を進めていこうと考えていました。当時の思いは「青空文庫の提案」(http://www.aozora.gr.jp/teian.html)としてまとめてあり、今もサイトに置いてありますが、賛同者が徐々に増え、公開した年には3~4人だったのが、年が明けると10人に、数年後にはのべ人数が300人を超えるほどになりました。ちょうど97~98年にかけてのインターネットブームの時期と重なったことも影響していたと思います。
 こうした状況は本当ならば喜ぶべきなのでしょうが、当初は新たに手伝ってくれるという人達に対してまだ何も決めておらず、正直なところ個人としては困ったことになったと思っていました。もちろん、テキストの入力を手伝っていただけるのはありがたいのですが、芥川作品をものすごい勢いで入力してくださる人がいたり、源氏物語をテキストで持っていますという方に声をかけられていきなり文庫3冊ぐらいの分量のテキストを提示された時は、「いったいどうやって校正すればいいのか?」と目の前が真っ暗になりました。

――入力にしても単純に本をテキストに置き換えるだけの作業ではないということですね。

 前述したように、テキストをコンピューターでハンドリングするには、外字をはじめ、レイアウトや組版といったテキストの構造化をどう扱っていくのか、たとえば、ルビの扱い一つにしてもイレギュラーな問題があって、それに対してどう判断するかという基準を決めておく必要があるわけです。ほかに漢字コードという問題もありました。当時はまだ第一水準や第二水準の文字コードが広く使われていて、画面で見たフォントで表示されているものと、自分たちの入力する字体の微妙な差を違うと見るのか同じと見るのか、そうした基準をどこに求めたらよいのかさえわからない状態でした。
 数人の知り合い同士なら話し合いですむことも、大勢の協力者たちと共同作業するには、ルールを明確にしなければ何も進められません。結局、知人で文字コードに詳しい方に話を聞いたり、構造情報に関しては当時はほとんど先行例がなかったので、視覚障害者のための読書支援をやっておられる方々の方法を参考にさせていただいて、自分自身の作業としては98~99年にかけてはルールとマニュアル作りに追われる状況が続きました。

校正者の不足

――ルールが決まってからは作業効率は上がったのでしょうか。

 実は入力作業については今も作業課題が残っています。青空文庫では精度を上げるために必ず入力した人ではない人が校正してファイルを作成するようにしているのですが、そのため入力は10年前に終わっているけどまだ校正に取りかかっていない作品もあるのです。世話役グループに対するお叱りはごもっともなのですが、入力してくださる人数に対して校正者の数が圧倒的に少なくて作業が全然追いつかない。また、中には10年間入力作業中という作品もあります。それに対しては引き継ぎを呼びかけたりもしていますが、いずれにしてもボランティアベースでの活動なので、継続するのが難しいケースもあります。
 もっと組織的に作業を進めるべきかもしれませんが、青空文庫は一人一人の思いで育てるものだという思いが強くあります。もっと率直に言えば、私が舵を切って組織を変革したり、企業との連携を進めても、今まで手伝ってくれた人たちに対する裏切りになるんではないかという気持ちがかなり強い。ですからマネタイズやビジネスモデルを新たに作るというよりも、青空文庫は文化の常識になって、どこかの企業や組織がまとめて校正してくれたり、構造化についてはツールを使ってうまく変換できるようにするなど、共有財産というスタンスで作業を進められるようにするのが理想です。

自由な利用に至るまでの激論

――苦労して入力された作品に対して青空文庫はまったく自由に利用できるわけですが、それに対する反発はなかったのでしょうか。

 公開作品の利用については「青空文庫の使い方」に書いてありますが、初期にまとめたものに対し『何が自由なのかが全く定義されてない』という批判を受けて、99年頃ファイルの使い方については再定義を行いました。結局、著作権が切れているものに関しては有償無償を問わず、青空文庫への連絡一切なしにやっていいと決めたのですが、やはり黙って作品を使われるのは嫌だという気持ちは半分ぐらいの人は持っていたようで、半年ぐらい激論が続く大騒動になりました。最終的には「我々の活動は著作権を失った人がいるからこそ電子化して公開できるのに、それによって保証された活動で作ったものをもう一回自分たちで囲い込むのか?」という方向に話が進み、納得する方向に流れが傾いていきました。
 そうしてファイルの使い方が明確になった途端に、ケータイやモバイルデバイス、インターネットなど、様々な場所での利用が一気に広がっていきました。企業での利用も増えて、任天堂のゲームソフト『DS文学全集』やカシオの電子辞書に採用されたりしています。今後はもっと利用するケースが増えて、たとえばAndroidデバイスや電子書籍リーダーが付加価値を持つために、最初から端末で読める形で青空文庫を全作品収録するといったケースも出てくるかもしれません。
 こうした青空文庫のやり方が次の世代の意識変化につながり、新しい発想を持つ人が育つ土壌なり、既存の著作権ビジネスの考え方などにも影響を与えられればいいと思っています。ですが、そうなるにはもっといろんな方向で努力しなければならないとも感じています。

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