ツィッターで初のブロックを受けました。理由は私の持論「デマのすすめ」が原因でした。
世の中に先生と呼ばれる人間やプロと呼ばれる人間達には、染み付いた悪癖があるようです。
その悪癖とは、自身に問われるべき責任を果たそうとせずにして、民衆や生徒に問うべきできない責任を無理やり押し付けることを正当化させることです。
子供の頃からの親の教育が悪かったのでしょう。本質主義ではなく、建前主義の人間に育てられる人々ほど先生と呼ばれたがる未熟性が人間にはあるものです。
その様な目的で先生と呼ばれることは、臆病者の道をきわめて行くことになります。
自己正当こそが自身の存在意義となってしまっている輩が先生となり、生徒を持てば、自身が用意してあること以外の質問を恐れるようになり、回答不能な内容を素直に知らなかったと認めることなくして、生徒の質問をどのように封じ込めたら良いかと言うとような思考しか機能しない未熟児のような先生が出来上がる。
本当の先生やプロと言われる先達は、勇者なのである。
如何なる質問にも堂々と立ち向かう勇者こそが先生であり、プロと呼ばれる人々です。
勇者は、民衆や生徒に質問や批判、疑惑の声を積極的に歓迎できる度量がある人々のことを意味しています。
他人の批判に怯えるような人間が政治家になったり、先生になったりプロとしてお金を得るようなことを許さない社会風土を育てることこそが民主主義の健全性の命です。
多くの人々が似非の先生方の洗脳に冒されていて、生徒や患者や民衆に批判や疑惑を声にすることが悪だと信じ込まされています。
そのような思考が必然化され教室で学ぶ今日の本質とはいったいどのような物になるのでしょう。
必然的に調教教育であり、真の教育不在の教室が出来上がってきます。
自由闊達にあらゆる疑惑を声にして、未熟であろうが、根拠がなかろうが信憑に疑惑があろうとも声があがる教室に勇気をもって包容できる度量の先達の姿を率先垂範することこそ教育の場の絶対条件です。
会社経営でも同じことです。経営者が社員達の批判を上司に言わせない暗黙のルールの風土を餌にしてポスト堅持の階段を堅牢にすることが自身の身の保全という輩は、社長になってはならないのです。
社内を自由闊達に批判や発言を行える風土と、それらの環境から切磋琢磨する学びを喜びに出来る人間が組織に必然的なポストが社員達から支持されていく企業でなくては、企業悪の根本は完治していくことはないのです。
今の社会は、心の病、心の未熟性が解決できていない先生方の自己正当と怯え隠しが蔓延しているがゆえに以上に「デマ」という言葉に過敏になるのです。
成熟したあらゆる可能性を生き生きとさせている社会になっていくためには、どうしても学校教育の本質が根本的に変わらなくてはなりません。
その命こそが、あらゆる発言への可能性を徹底的に堅持する勇者の志に尽きるのです。
「デマのすすめ」とは、耳障りが悪い言葉なのかもしれません。しかし、そのような言葉が先生と生徒の中で自由闊達に議論できている教室になれば、社会も必然的に健全性を育むようにようになるのでしょう。
その意味で社会の悪癖にとても大きな影響を与えているのが学校教育です。
そして、その学校教育の方向性に誘導しているのが大手マスコミであり、その大手マスコミを操る支配者達こそがまさに異常なほどに怯えきった心の未熟性を解決できない批判者恐怖症の輩達でもあると考えられます。
もし、世界の支配者現在の世界の本質に心砕ける勇者であれば、起こりえないのです。今の世界のあまりにも悲惨なシナリオのアイデアの原点には、心の未熟という最大の問題が横たわっています。
学校教育、親子教育の未熟性が発端にある社会では、あらゆる場所で批判や疑惑、質問をさえぎるメカニックが蝕んでおり、その心の未熟さの蔓延がゆえに「デマを嫌悪する感情の植え付け」に同調する輩があらゆる層に蔓延化するのです。
あなた自身、あなたの周囲にデマを異常に怖がる方がいませんか?
勇者の知恵とは何か?
そのことを根本的に考えない限り、社会は変わらないのです。
日本は、映画監督オリバー氏が広島で公演したように深刻な言論封鎖の土壌を形成し、再び言論制圧、軍国の国家になろうとしています。(https://www.facebook.com/notes/%E6%A1%90%E6%B2%A2-%E5%87%9B%E3%80%85%E5%AD%90/%E6%98%AF%E9%9D%9E%E3%81%A8%E3%82%82%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E5%85%A8%E5%93%A1%E3%81%AB%E6%8B%A1%E6%95%A3%E3%81%97%E3%81%A6%E6%AC%B2%E3%81%97%E3%81%84%E6%98%A0%E7%94%BB%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B3%E6%B0%8F%E3%81%AE%E8%AC%9B%E6%BC%94%E5%86%85%E5%AE%B9%E3%81%A7%E3%81%99%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%82%A2%E3%82%92%E5%BF%83%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%8A%E9%A1%98%E3%81%84%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99/408062259297610)
日本の戦後洗脳の問題の本質は、言論の支配によるものです。
辛うじて強烈な洗脳下においても日本語という底力が今までは、望みをつないで来ましたがTPPによって日本人の魂を堅持した日本語が略奪され英語が公用化され英語が母国語のようにすり替えられる植民地時代のマッカサーの願望社会がいよいよ実現することになります。
耳障りで感情が動くようでは、本質は見ることが出来ません。
耳に心が行くような未熟は人間の「恥」と日本語は教えています。
心を真ん中に保つためには、あらゆる情報の交流社会が不可欠です。
そして、情報の本質とは、ソソノカシであるという本質を知らなければなりません。
あらゆる情報には、ソソノカシの意思が存在します。
その意味で「情報」とは、デマが本質なのです。
大切なことは、どのようなソソノカシであろうともひとつの方向に誘導されたときに恐怖が生み出されていくという本質です。
多面的な、多視覚的ソソノカシが自由に往来する社会の中で、一人一人が偏りなく思考できる環境を育むことが必要なのです。
そのためには、方向性を束ねやすいマスコミや御用学者、政治家などからのデマと対応できるほどの民衆からのデマが不可欠なのです。