【2009.12.25】
入院4日目。
入門300日目は病院のベッドの上。
この日は奇しくもクリスマス。
起田さんがわざわざ“白い鯛焼き”を持って来てくれました。
母親が岩手から埼玉の病院まで来てくれました。
こんな事を言われたのを覚えています。
「いつも笑顔でニコニコしている人には気を付けなさいよ」
「ヒゲを生やしてサングラスをしている人は自分に自信がない人なんだからね」と。
当時は笑って聞いていましたが、その意味が今わかってきました。
【2009.12.31】
大晦日もベッドの上です。
歩行も禁止され、胸から腰にかけてガッチリとコルセットをしているため、ずっと寝た状態です。
潰れた骨がある程度くっつくまで動いては行けないのです。
無理に動けば神経に響き、麻痺状態になります。
年が明けて2010年。
その後は宮原さんがお見舞いに来てくださったり、白石さん、起田さんや事務所の方からも、練習生の僕なんかに…みんな気にかけてくれて涙が出る程嬉かったです。
本当は骨がくっつくまでの2~3ヶ月は入院しないといけなかったのですが、2月11日後楽園大会でのデビュー戦が予定されていたので、3週間位で退院させて貰いました。
プロレスにとても理解のある担当医には、とても感謝しています。
白石さんから頂いた寿司!
元旦の病院食。
クリスマスの病院食。
【2010.2.11】
東京・後楽園ホール大会。
怪我した時、すぐ病院に行くことができれば本当は今日がデビュー戦でした。
今だから言いますが、実は第1試合でプロレスリング・ノアの『青木篤志』さんとのシングルマッチが決まっていました。
とても楽しみだったので残念でした。
この日はコルセットを装着して、全試合セコンドに付きました。
【2010.4.9】
この日はプロテスト。
何故か当時のあの人のブログでは、1回目のプロテストは落ちて2回目のプロテストで合格となっています。
プロテストは1度しかしていません。
この日はホームタウンマッチがあって朝から準備で忙しかったのですが、Nにキツイ練習をさせられます。
13時から練習して、プロテスト開始の15時まで休む間もなく続きました。
プロテストどころじゃなかったです。
デビューさせない気か?とも思いました。
練習・プロテストをやった後のホームタウンマッチのセコンドや売店、片付けは心身共にボロボロでした。
生まれて初めて帯状疱疹になったほどです。
記録に残す、伝えることは大事。
今はブログという便利なツールがあるので、時代に沿った伝え方の一つがネットでありブログであると思います。
その昔、あの人にやられてきた選手たちの時代にブログがあったら、今や有名なあの選手やあの選手も書いていたかも知れませんよね。
伝え方、やり方は人それぞれだと思います。
実際の話、やりたいことがあるから真実は喋らず、綺麗な形で辞める先輩。
プロレスで、リング上から伝えていこうとする先輩がいます。
僕は後者を選択しました。
みんな性格が違うように、正しい答えはないと思います。
嘘をあることないこと書いているんじゃないかと言う人もいますが、現場に宮原さんや起田さんもいたので、僕は嘘をつけませんよ。
逆に先輩がやられた場合も僕にこういうことがあったよ、と情報を共有していました。
何よりも、宮原さん起田さんとは“信頼関係”がありますから。
再発防止の為、本当にあったことを記録に残し、後世に伝えていかなければなりません。
このようなプロレスラーになってはダメだと。
僕は頭が良くないので、言葉足らずで伝えたいことを文章にするのが下手なので長くなってしまいましたが、少しでもわかって貰えたらなと思います。
最後に、なぜ今、この時期にこのような事を書き出したのかというのは、後々わかってくると思います。