警告
この作品は<R-18>です。
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トリスはといえば、人垣に隙間からそっとウィルのほうに視線を送っていた。
両手を後ろに縛られ、声を漏らさぬように口許を布で覆われている。
後ろにいるリサ・サリも同様である。
やろうと思えば縄抜けくらいできる。だが、いまはまだそのときではなかった。
マルク家の女中長は、熱の籠もった視線で主人を見つめていた。
ウィルはどう返事をするのだろうか。
「良いではありませんか。女中なんて奴隷ではありませしょう? 鞭で何度も叩けばすぐに何でも言うことを聞くようになりますよ」
ウィルに向かって語りかけるギュンガスの言葉が耳に響く。
「だいたい、あの女中長はね。ドミトリスの存在をひた隠しにし、あなたがマリエルを見つけられないように、わたしと共謀していたのですよ」
違う。トリスは叫びたかった。
だが、ここでトリスが出しゃばるとギュンガスに負けたことになる。
トリスにとって女中とは主人に忠実な使用人であり、良き道具である。良き道具でなければならない。だが、道具には道具としての誇りがあるのだ。
視線の先では、にやにやと余裕の笑みを浮かべるギュンガス、そして俯いたウィル。
この状況で、ギュンガスの要求を受け入れるしかないのは明らかである。
無茶なことを主人に期待しているのは分かる。
だが、それでもトリスは、主人のウィルの返事を固唾を飲んで見守っていた。
主人のウィルには、生涯離れずにお仕えすることを約束した。その約束を違えるつもりはない。
だが、もし、ウィルがトリスを信じなかったら……。もし、アラベスカにレベッカ、オクタヴィアを手放すことになったら。
トリスにとって屋敷とは、さぞ空虚なものになり果てるだろう。
以前のようにお仕えできなくなるのは間違いない。
表面的には、これまでと全く変わらずに尽くすだろう。だがその実、そのときトリスは廃人同然なのだ。花を咲かすことのできない植物のような余生を送るだけなのだ。
(それでもご主人さまならば……)
絶望的な状況にも関わらず、トリスは主人に対する期待を揺るがせにはしていなかった。
いまでもその当時のことをはっきりと覚えている。
当時のトリスは、芸術の道から弾き出され、力と才能を持てあましていた。
トリスを孕ませたバレエ教師も、芸術の神に仕えていたときは司祭のごとき導き手に思えたものだが、バレエを離れてみると、狭い世界にしか能のないロクデナシにしか思えなかった。
芸術家としては尊敬に値したが、自分を支配するに足る男としては著しく適性に欠いていた。バレエ教師が貴族社会で罪を擦り付けられ、殺されたとき、トリスはなんて愚かな男なのだろうと思った。
トリスは芸術の神に代わる、自らの身も心も支配する支配者を求めていた。自分を従えるに足りるだけの支配者を求めていた。
ただ、王侯貴族の血を引いているというだけで支配されるのでは納得がいかないのである。
マルク家の乳母は決して悪くはない就職口である。だが、当初そこまで誠心誠意仕える気があったわけでもない。
育児室のベッドで寝ているウィルを最初に見かけたとき愛らしい赤子だとは思ったが、正直、最初は特に思い入れがあったわけではない。
乳母の口に応募して、まだ見えぬ瞳を見開いたウィルをひと目みたとき、ある思いつきが頭に思い浮かんだ。
自分を支配するに足る理想の男が存在しないならば、自らの手で作り出してしまえば良いのではないか――?
それはただの思いつきだった。ウィルの乳房を差し出し、乳を吸われたときに、トリスの背筋を天啓のようなある直感が駆け抜けた。
やがてこの子は、わたしを支配する男になるだろう――。
必ず、わたしの身も心も焼き尽くすだろう――。
そうでなくてはならないのだ。
それからトリスの半生をかけたウィルのご主人さま教育がはじまった。
そのときから、トリスの心のカードの一番上側には、幼い日よりずっと、ウィルがキングとして君臨している。
女という生き物は、自分が興味を無くした物事に対し、恐ろしいほど冷淡なのだ。
男は自分の抱いた女の記憶をカードのように横に並べていくが、女は上に重ねる。過去を上書きしてしまう。
だからこそ、トリスの屋敷は成立する。女中を従える理想のキングをこの手で生み出すのだ。
いま、絶体絶命の危機にあるウィルを見つめるトリスの視線は熱く潤んでいた。
ギュンガスが、この場をセッティングした目的の一つはトリスを失望させることだ。
だが、トリス自身もこのような状況におかれたとき、ウィルがどういう行動に出るのか知りたかったのだ。
それも喉から手が出るほど。
ある意味において、トリスがウィルにかける期待は、ギュンガス以上に残酷で苛烈なものであった。
さあ、わたしが半生をかけた最高傑作よ。
わたしにお示しください。
わたしは、ご主人さまの器の底にあるものが見たいのです――。
☆
「どんなに優秀であっても女中は女中。屋敷に戻ったら鞭の一つでも打ってあげなさい。主人に服従せざる女中には厳罰を下す必要があります。自分が主人の下なのだと、奴隷にすぎないのだと身体でよく分からせる必要があります」
ギュンガスは、奴隷という言葉を強調した。
この元奴隷商人の手先は、いまにして思えば奴隷商人そのものであったのかもしれない。
「だいたい、あなたはあの女中長の依存しすぎています。女中長の乳を飲み、女中長の教育を授かり、女中長の敷かれたレールを生きていく。それが男子一生の生き方ですか? いまのあなたは女中長の影にすぎない。操り人形にすぎない。あなたは、自分が独り立ちするまえに、敢えてあの女中長を鞭打つ必要があるのです」
ギュンガスの舌はますます滑らかに回る。
「あなたの母親代わりを務めた女中長です。なかなか手をあげづらいものがあるでしょう。母親に立ち向かう幼子の足はいつだって震えているものです」
伯爵家の元従者はそこで、もったいぶるかのように一度言葉を止めた。
「ですが、今回の一件で、さしものあの女中長も自らの非を認めざるをえないはずです。わたしがあなたのもとを去るのは、なにもデメリットばかりではありません。女中長と結託していたことを、あなたに教えてさし上げることによって、あなたは独り立ちした立派な若者になる機会を手にしたのです。女は殴らないとつけ上がる。そのことは今回の一件であなたも学習したのではありませんか?」
ギュンガスはしたり顔で、言葉の毒を染みこませる。
そのとき、ようやくウィルは顔を上げた。
「おっ?」
ウィルの瞳は、ギュンガスの期待したものと違って、意思の光で輝いていた。
「ギュンガス、君は女中は奴隷だと言う。トリスは忠実なる使用人と言う」
「ん? まあ、あの女中長の言い分も全くの間違いではないでしょう。ですが、主が女中を奴隷として売り払いたいと言ったなら、忠実なる使用人としては黙って従うべきです。ムーア家の血を引く女中たちをわたしに引き渡せるかどうかが、女中長が従順かを判断する一つの鍵となるのではありませんか?」
ギュンガスは、やや早口で、さらに言葉を続ける。
「そうだ。高値で引き取ってさしあげましょう。一人当たり百万ドラグマ出しても構いません。金はいくらでもありますからね。そうすれば、あなたのプライドも保たれるし、女中長としても断わる合理的な理由がなくなります」
ギュンガスは、それで話は決まったとばかりに両手を打ち鳴らす。
「あなたをこんな危険な場所に放り出す、あんな薄情な女中長のことなど、もう忘れておしまいなさい」
そう結論づけるように言ったのだ。
「ぼくにとってね――」
そこでウィルは言葉を切り、背後に控える女中たちに目配せをした。
「女中は、ギュンガス――決して君が言うような奴隷などではない。そしてトリスが言うように、ただの忠実な使用人だと割り切るつもりもない。だいたい、トリスもギュンガスも間違っているんだ」
そして、いつでも動けるように、ほんの少し椅子から尻を浮かせ、
「ぼくのトリスに対する信頼は微塵も揺るがない」
そうはっきりと口にした。
「な、……んだと?」
「肉親の愛情を知らないぼくにとって、女中とは家族も同然なんだ。ぼくはぼくの女中を疑わない。もし、トリスがなんらかのミスを犯したならば、その埋め合わせを一緒に考えてもらうだけだ。もちろん家族としてね」
「家族だとか、くだらない。女中長を切り捨てないなら、おまえの舌を一寸刻みに切り落としてやるぞ!」
ついにギュンガスは、本性を剥き出しにして、ギュンガスはウィルを睨みつける。
女の舌を、実際に切り刻んだ男が言うと説得力が違う。冷たい目には人の体温を感じさせなかった。
「ギュンガス、君は蛇だね」
ずばりと予言にも喩えられた本質を言い当てられて、蛇は、意外そうに少しだけ首を傾げた。
ウィルにとって、目の前の男は、とぐろを巻き、いまにも襲いかかろうとする大蛇も同然である。
ギュンガスに比べれば、ウィルなど生まれたばかりの子馬も同然だ。
実際、軽く中腰になって油断なく周囲に気を張っているその仕草は、どこか生まれたばかりの野生の草食動物を連想させた。
だが、生まれ落ちたばかりの子馬も、弱く儚く、がくがくと震える細い足で必死に大地に踏ん張り続ける。
生まれ落ちて数時間も経たないうちに大地を走りはじめるのだ。
ウィルにとって昔過ごした寄宿舎生活は、安全の確保された箱庭であった。今回の旅がウィルのとって、はじめて走り出す草原である。
夕日の暮れかけた断首台の丘からは、どこまでも続く地平線が映っている。
綺麗な澄んだ瞳には、どこまでも駆けてゆけそうな世界が続いている。少年の世界はどこまでも広がっていた。
「ぼくが畏れるものは、偉大な獣だけだ。誇り高く、ぼくのまえから去ってしまう偉大な獣だけが恐ろしい。絡みつくだけのおまえなど、だれが恐れるものか!」
ばんとテーブルを叩き、立ち上がった。
たまらずギュンガスも立ち上がり、テーブルを叩き返す。
「女中長を捨てろ! ムーアの女どもをわたしに寄越せ!」
ウィルが、天地の狭間で証を立てるのは己の身ひとつしかない。
「ぼくはぼくの女中を裏切らない! ぼくはぼくの女中を捨てたりはしない! たった一人だって、ぼくの女中たちを、ぼくの家族を、おまえに渡すもんか!」
この断首台の丘で、ウィルはなにかを断ち切ったのだ。
☆
「こ、このクソ餓鬼ゃあ……」
ギュンガスの見開いた目は毛細血管が充血し、眉の上には、ぴくぴくと動く太い青筋が走っていた。
ギュンガスの血管はぴくぴくと破裂しそうに膨れあがり、ぶち切れんばかりとなっていた。
(なにかが、おかしい……)
ギュンガスは奥歯を強く噛みつけながら、必死に冷静さを保とうとしていた。
(無力な餓鬼だと思って、少々侮りすぎていたか。状況は、圧倒的にわたしが優位だ……。それは依然として変わらない)
それなのにまるでギュンガスとウィリアムが対等であるかのように気押されたのがどうしても気にくわなかった。
(わたしが第三王子をやっていたときは、どんな貴族だって恐怖で簡単に転がしてきたんだぞ!)
王宮にいたときのギュンガスは、いつだって自分の思い通りに周囲を動かしてきた。
少なくとも、恐怖の匙加減を間違えて、一時的に発狂したレイシーを除いて。
いまや神の力と言える予言の神巫まで手に入れたというのに、どういうわけか自分の思い通りに運ばない。
(いっそ、兵に命令してこいつらを鏖にしてしまおうか……。いやいや、それだとわたしが舌で負けたことになる)
ギュンガスは相手の表情に敏感な男だ。
ウィルがなにかを狙っていることくらい、すぐに分かる。
だが、それがどうだというのだ――。
望みを叶えたければ王都に征けと、銀狼族の神巫は言っていた。
マルク家など無視して、素直に王都に向かうのも選択肢の一つだった。
だが、ギュンガスはこうも思ったのだ。
予言の続きがあるということは、何が起きようとも、いまこの場でギュンガスが死ぬことはないということだ――。
マルク家のお坊ちゃんから玩具をいくつか取り上げ、少し屋敷の中を掻き回して、遊んでみるのも面白いのではないか。
ギュンガスは予言の神巫を手に入れ、驕り高ぶっていた。
そして、まだウィルのことを侮っていることには変わりがない。気圧された悔しさのようなものもあるのかもしれない。
傍らの赤毛の小娘の手を引き寄せ、乱暴に耳を引っ張った。
「きゃっ。い、痛い……」
「おいバーバラ、あの女……イングリッドと言ったか、こちら側に来させろ。できるって言ったよな。殺す前にせめて、いま、あのお坊ちゃんから一人くらい女を取り上げてやらないと気が済まない」
バーバラは耳の端が切れそうな痛みに赤い眉を顰めながら、真剣な表情でこくりと頷いたのだ。
☆
「なんて、なんて……思い通りにならないお方……」
後ろ手に縛られたまま地に伏せたトリスは、悔しげに唇を噛み、ぞくぞくと身を震わせ、ますます艶めいた視線でウィルを見つめていた。
強欲にして強情。
少しずつ角を撓めるよう、自分の思い通りの道に進むよう育てたにも関わらず、三つ子の魂、百まで変わらず――。
羊の背に乗って行方不明になり、ひと飲みしかねないような危険な狼の瞳が綺麗だったと弾んだ声で語る、あのときと何ら変わっていない。
改めて自分の無力さを思い知らされるような気分である。
「女中を家族として扱えなどとお教えした覚えはございません! 不本意ですわ。お悔しい」
ウィルは、明らかにトリスが敷いたレールから逸脱しようとしている。
だが、それにも関わらず、トリスの望むような自身を従えるに足る力量をもつ支配者へと近づいているのだ。
トリスの従うものは、地位や名誉でもない。金でも家柄でもない。腕力でも武力でもない。
ひれ伏すのは、ただただ偉大な精神性のみである。
その意味で、この血の繋がりのない母子は似たもの同士であった。
(やはり、ギュンガスごときではご主人さまを従えることは叶わないようね……くくく。もし、ご主人さまを完璧に躾けることが可能だとしたら、それは、このわたしだけだわ)
それこそが、この女中長が胸に抱くほの暗い渇望である。
奇妙な主従であった――。
この主従はお互いを深く愛し合い、お互いのことを心の底から信頼しあいながら、決して己の主張を取り下げることがない
自分の理念を徹底して押しつけ合うこと、それこそがこの主従の究極的な求愛行動であった。
つま先から髪の毛の一本に至るまで、ひれ伏すか、ひれ伏されるか。支配するか、支配されるか。ただそれだけしかない。
その意味において、トリスにとっては、ひれ伏すもひれ伏されるも、犯すも犯されるも、なんら違いがない。
ただ、それは徹底的なものでなければならない。
徹底的に主人を犯し切るか、徹底的に主人に犯されるか、どちらかでないと気が済まないのだ。
トリスの淡褐色の瞳に、強い意志の力が漲る。
(わたしの至宝を奪われて堪るものですか――わたしのご主人さまを殺されて堪るものですか!)
トリスの右肩がぐぐっと張り詰め、やがてゴキっと音がした。
外したのはどこの関節であっただろうか。
「ト、トリス様……」「ひ、ひえええ」
あまりにおっかない音に、リサ・サリが悲鳴をあげる。
生じた激痛に、トリスは顔を顰め、水平線に沈みゆく太陽を眩しそうに見る。
(右腕はしばらく使い物にならないわね……。お屋敷の仕事に支障が出ないとよいけど)
主人が死ぬなど、自分がお世話できなくなるなど塵ほども考えてもいないのだ。
女中と主人との物語がこれからも続いていくことを微塵も疑っていないのだ。
女中が主人のお側にお仕えし、お世話をする――太陽が東から昇り西に沈むくらい当たり前のことである。
するりと背後に縛られた縄が解けた。
「しっ。リサ・サリ。こちらに腕を向けなさい。静かにね。騒いではダメよ」
☆
どこかからか、ねっとりとした女の怨念のような感情の篭もった視線をぶつけられた気がして、思わずウィルはぶるっと身を震わせた。
振り返ったが、そこには取り囲んだ傭兵の姿しか見えない。
「どうした? ウィル?」
マイヤが怪訝そうにそう問いかける。
「いや急に怖気がして。なんでもない」
ウィルはぶんぶんと首を振った。そうしつつも、油断なくギュンガスとの距離を測る。
(もう少し近づいてくれればいいんだけどな……)
そうすれば、ソフィアという駒がその真価を発揮する。成算も出てくる。
そのためには、もう少し指揮系統が乱れてもらわねばならないだろう。
いまは、ギュンガスという男の慢心に、そして余興に乗っかっているだけである。
結局のところ、この場において、ギュンガスは命令の発火点に過ぎない。そうウィルは見当をつけていた。
傭兵たちを統括するのは、ギュンガスから少し離れた場所に立つ長身の顎髭の男――。
そのとき、赤い巻き毛の少女が口を開いた。
「ねえ。イングリッド、逢えなくて寂しかったわ」
イングリッドは、ようやく話をできることに、少し安心して溜息をついた。
「バーバラ。無事で良かった。バーバラは、マルク家に仕えることを願っていたのに、どうしてそちら側に……?」
「仕方がないのよ! 仕方がないのよ! こんな舌になっちゃったもの!」
赤毛の少女は涙目でそう言って、だらりと二股に分かれた舌を垂らした。
「バーバラ。君が望むなら、マルク家は君を受け入れよう」
今度こそ、本気の誘いである。
バーバラはぎくりと肩を震わせると、油のさしていないゼンマイ仕掛けの人形のように、ぎぎぎっとウィルのほうを向いた。
「どうして! どうしてもっと早くそれを言ってくれなかったのよ……!」
赤毛の少女は自分の体を抱きしめて、震えながら逡巡している。
「バーバラ。おまえはもう陽の当たる場所を歩くことはできない。わたしのもとに来て、おまえは何人の男と肌を合わせた? その穢れた身でどこに行く? だいたい、おまえごときではマルク家の女中長には成り代われないぞ」
ギュンガスが、少し慌てた早口でそう捲し立てた。
「ぼくは全く気にしない。陽の当たる場所に連れて行ってあげる。おいで」
ウィルは、強い口調でそう促す。
「あ……あ……」
バーバラはぶるぶると身を震わせている。
「一緒に来てほしい。わたしはこれからマルク家で活躍しなければならない。バーバラが来てくれるなら心強い。女王蜂候補生だしな」
イングリッドが、優しさと慈しみの混じった声でそう語りかけた瞬間、バーバラの身体の震えが止まった。
バーバラの表情がはっと引き締まったのだ。
「ダメ。イングリッド。わたしはそちらに行けない」
完全に拒絶する口調で、そう言い切ったのだ。
少女の気高いプライドが少女を不幸にする――。
「だけどイングリッド――。わたしはそっちに行けないけど、あなたがこっちに来ることはできる」
「バーバラ。それは……」
「わたしは輝かしい未来を失った。どうしてあなたまで失わなければいけないの……? お願いこっちに来てイングリッド。一生のお願いよォ!」
イングリッドはバーバラのことを誇り高い少女と言っていた。その誇り高い少女が、涙でぐしょぐしょになりながら一番の親友に懇願しているのだ。
ギュンガスは、バーバラの歪みようを楽しむように、ニタニタと笑いながら成り行きを身守っている。
そこでウィルが動いた。
「ダメだ。イングリッド。そちらに行かせるわけにはいかない」
そう言って、イングリッドの固く縛ったお下げの長い後ろ髪を、ぱしっと掴んだのであった。
「バーバラ。君は親友を不幸にしようとした。君にイングリッドを返してあげるわけにはいかない。もうイングリッドは一生ぼくのものだ」
「な……! イングリッド。来てくれるわよね? わたしにはもうあなたしかいないの! わたしの人生の希望はあなただけなのォ……」
ウィルは確固たる自分の意思を伝えようと、長いお下げの黒髪をぎゅっと握りしめた。
「向こう側に行ったら駄目だよ。あの先は闇だからね」
イングリッドの返答は――。
「大丈夫ですよ。ご主人さま。もしかしたらお種が根付いているやもしれませんから」
そう言って、イングリッドは優しい瞳で自身の下腹のあたりを擦ったのであった。
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