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争奪編 第一章 激動
第六十三話「決戦(上)」
 水平線に夕日が沈みかけていた。
 断首台の丘は、名前のとおり古代からの処刑場であるとともに、決闘の場としても使われている。
 理由はおそらく、負けたほうの遺骸をそのまま海に捨ててしまえるからだろう。

「久しぶりだね。ギュンガス」

 指定された時刻、絶壁の上、テーブルのようになった岩場で、ついにウィルとギュンガスは対面を果たした。
 初めて会ったときのように、丸いテーブルを挟んで椅子に座っている。
 ウィルの背後には、マイヤにソフィア、そしてイングリッドが控えていた。
 ソフィアがいまにも飛びかかりそうな殺気を放っている。
 そして、その後ろにはウィルたちが不審な行動をしないようにと、見張る傭兵たちがいる。

「ええ。お久しぶりです」

 紅茶のカップを傾けながら、そう言った。
 ギュンガスの背後には、レイシーとイングリッドが佇んでいる。

「バーバラ。無事で良かった……」

 思わずという感じで呟いたイングリッドの言葉にバーバラは、びくっと肩を竦めた。

「……っ。あ……」

 バーバラがなにかを言いかける前に、ウィルとギュンガスが同時に肩の後ろに手を挙げて、お互いの部下を制した。
 このシャルロッテ女学院の生徒二人には悪いが、先に話し合うことがあるのだ。

「ギュンガス。君はマリエルの命が惜しければとイングリッドに言付けたね」

 まず、ウィルが口火を切った。

「ええ」
「マリエルはどこにいるんだい?」
「安全な場所に保管してあります」

 背後から殺気が放たれるのを感じる。ソフィアが怒りに震えているのだ。

「マリエルをソフィアに返してあげてほしい。元々は君もそのためにこの街に来たはずだけど……?」

 ウィルの言葉に、伯爵家の元侍従は、大仰に肩を竦めるのと両手を広げるのを同時にやってみせた。

「おやおや。申し訳ありませんが、元々、マルク家などわたしには踏み台にすぎません。せっかく、マルク家以上にぴったりな踏み台が見つかったのです。申し訳ありませんが、手放すわけには参りませんな」

 その言葉に一切の良心の呵責(かしゃく)のようなものは感じられない。

「マリエルを踏み台だと! ふざけるな! 殺してやる……!」

 ソフィアは、狼のように眉間に皺を寄せて、唸る。
 すると、ギュンガスが顔を横に向け、視線の先にいる人物に、ソフィアの方に向かって顎をしゃくった。
 そこには長身で金色の顎髭の男が立っている。頬に刀傷があって、いかにも歴戦の傭兵といった雰囲気がある。
 その人物が左手をあげると、かちゃりと銃口が音を立てて、一斉に方向を変えた。
 銃口の先には金属製の槍の穂先のようなものが取り付けられており、それがハリネズミのようにこちらに向けられている。
 その視覚的な威圧効果にギュンガスは満足そうに頷いた。

「躾の行き届いていない蛮族の小娘はこれだから困る。ウィリアム様。くれぐれも、その狂犬を暴れさせませんよう。由緒ある名家の血筋が途絶えるのは忍びませんからね……」
「ドミトリスを殺し、ドミトリスの力を乗っ取ったんだね」
「はい。その通りです。ドミトリスが蓄え込んだ力はわたしが使わせてもらいましょう」

 さも当然という感じで、ギュンガスは言った。
 もうよいという感じでギュンガスが手を振ると、ウィルは銃剣の穂先の圧迫感から解放された。
 こうやって威圧するために傭兵を連れてきたのか、それとも実際に武力を使う気があるのか、ギュンガスの意図は少し計りかねた。

「どうです? わたしは優秀でしょう?」
「裏切りさえしなければ、部下として優秀だったね」

 ウィルの返答を、ギュンガスは鼻で嗤った。
 ウィルは、少し離れた位置に立つ長身の金髭のほうを向いて口を開いた。

「ギュンガスは、おまえたちの雇い主を殺したというのに、このままギュンガスに従い続けるの?」
「あっしらは金だけは裏切りませんので。金さえあれば、何でも手に入りますからね。美味い食い物も、女も。ぐへへ」

 髭の傭兵隊長は、ぐへへと両手を広げ、好色そうな笑みを浮かべた。そして、男はギュンガスの背後にいる女たちのほうに視線を向けた。
 ぶるっと赤毛の少女が身体を震わせるのが見えた。

「あの二枚舌はたまらねえ……」

 どうやら、髭の傭兵はギュンガスにお似合いの部下らしい。

「はは。そうだろう、そうだろ。わたしほど気前の良い雇い主はいないからな」

 ギュンガスは悦に入っている。

「それとも坊ちゃんはもっと金を出せるんで? お手持ちの女も自由に抱かせてもらえますかね?」
「無理だね」

 ウィルは即答した。自分の女中を渡せるはずがない。
 状況は、言うまでも無く圧倒的に不利である。
 後ろからソフィアが囁くのが聞こえた。

(わたしの獲物のほうが間合いは長いぞ……)

 ソフィアの手には不釣り合いに長く大きな布袋で包まれた六尺棒(クオーター・スタッフ)が握られている。
 まだ、銃剣には弾が込められていない。

(せめてマリエルの姿だけでも見せてもらえると良かったのだけど)

 この絶望的な状況に、のこのこと姿を見せた理由――。
 それはソフィアの妹を助けること以外にも必然があったからだ。

(きっと、ギュンガスは執念深い……)

 この場に姿を見せなかったら、間違いなくギュンガスから命を狙われるだろう。
 マルク家の内情を良く知り、貴族社会に通じたギュンガスが予言の神巫を手に入れた時点で、ほぼ詰んでいるのである。
 ならば、ギュンガスが表に出てくる、このチャンスを狙うしかない。
 そして、予言の巫女を取り戻せずとも、ソフィアをマリエルに接触させたかった。
 銀狼族の双子姉妹は、言葉を交わさずとも念話で意思の疎通が可能なのである。

「ねえ、ギュンガス。ソフィアにひと目だけでもマリエルを逢わせてあげられないかな? ソフィアが可哀想だよ」

 ウィルがそう言うと、ギュンガスは興味深そうにウィルのほうをじっと見つめてきた。

「可哀想とか、わたしがそういう人並みの感情を持ち合わせているとお思いですか?」
「だよね」

 この男は、元奴隷商人の手先なのだ。

「それに、そっちの銀髪の小娘は、マリエルは念話で通じ合えると言っていた。なにか共謀されると面倒だ」

 ギュンガスはそのことを忘れていなかった。
 ウィルは、心の中で舌打ちをした。

「いまも、どうやってか分からないが生きているという確信があるのだろう? ならば逢わせる必要もない」

 せめてどこに匿っているか糸口だけでも見つけたかったのだが、取りつく島もないといった感じである。

「ねえ。ギュンガス。そろそろ、この場をセッティングした目的を教えてほしい。ずいぶんと兵隊を並べているようだけど」

 海を背にしたウィルたちをぐるりとコの字に取り囲むように傭兵が配置されている。

「ご安心ください。わたしは武力を使うつもりがありません。話合いに来たのです。ウィリアム殿にお願いしたいことがあります」

 ヌケヌケとよく言う。

「言ってごらん」

 ウィルはギュンガスの武力を背景とした脅しに嘆息しながら返答した。

「わたしにレベッカをいただきたい」
「え? レベッカ?」
「おまえ、レベッカ狙っていたのかよ?!」

 思わずといった感じで、後ろに控えていたマイヤが素っ頓狂な声をあげた。

「自分たちの置かれた状況が分からんのか」
「没落した今なら、元奴隷商のおまえでもレベッカと釣り合いが取れるってところか?」

 ギュンガスは、マイヤの言葉に本気で不愉快そうに眉を顰めた。

「おい赤毛猿。もちろん恋人としてではなく、奴隷としてだ。少し言葉を慎め。わたしは元々は王宮にいたのだ。死んだはずの第三王子としてね。レベッカごときとの釣り合いなど考えたこともないわ。馬鹿馬鹿しい!」

 ウィルも含め、この場が唖然とする。増長したギュンガスの立ち振る舞いが、妙に言葉の説得力を増している。
 嘘は大きいほうがバレにくいというが、まさにその典型である。この場で真偽を確認する方法がない。

「ぼく思うんだけど、ギュンガスって意外にそれほど嘘はつかないよね」

 ウィルの言葉に、ギュンガスが、「おや」という表情を見せた。

「王都に関わりが深いのはきっと本当なんだろう。そうでないと、あれほど貴族社会の情報通でいられるはずがないしね。でも本当のことも言ってないと思うんだ」
「さあ、どうでしょうね」

 ギュンガスが、ごほんと一つ咳をした。
 突拍子もない話ではあったが、ウィルは、それを聞いて付け入る隙が出てきたと思った。
 明らかにギュンガスの視線は王都に向かっている。

(一番、怖いのはギュンガスが影にひっこんだ場合なんだよね)

 ウィルの手の届かないところで暗躍されたら、手の打ちようがない。
 事実、表舞台に立たず、小麦相場を操縦していたときのドミトリスは全く手が付けられなかった。ムーア家を初めとした、いくつかの貴族家が没落させられている。
 地下に潜ったギュンガスを捉えることはまず不可能であろう。
 ギュンガスが表舞台に立つことを望むならば、やりようがないわけでもないのだ。

「話を続けましょう。レベッカに加え、アラベスカ、そして赤子のオクタヴィアもいただきたい」
「…………オクタヴィアを要求しているのは、オクタビヴィアが女の子だから?」
「当然です。ウィリアム殿はわたしを男色家とお思いか」

 ギュンガスは憤慨するようにそう言ったのだ。

「全員貴族の血を引いているからだよね」

 呆れるようなウィルの言葉に、ギュンガスは「ええ」と頷いた。

「オクタヴィアについては、チルガハン家に対する布石としても使えますが、いまのわたしにはそんなものは必要ありません。赤子を政争の具にするなど野暮な話ですから」

 ギュンガスの言葉に、ウィルは心底げんなりとした。
 まだ政争の具にするほうが身の安全が確保されているという意味において救いがある。

「ムーアの血を引く女の子たちに、どんなことをさせたいの?」

 もうストレートにそう訊いた。

「そうですね……。昔、一人貴族の令嬢を飼っていたことがあるのですが、逃げ出してしまいましてね。もう逃げ出さないように、徹底的に恐怖を与える。抜歯してペットにしたいんですよ。レベッカならさぞかし良い声で泣いてくれるでしょう。ああいうプライドの高い女のほうが楽しいですからな」

 ぞわっとした。

(ムーアの女性には受難が続くなあ……)

 せっかくウィルがムーア家の清算人を引き受けて、サディスティックな貴族の慰み者にならずに済んだというのに、またぞろ危機が迫っている。
 アラベスカもせっかく、マルク家に腰を落ち着けることができたと思いきや、赤子ともども狙われているのである。

「……さあ、さあ! お悩みだとは思いますが、どうしますか?」

 ギュンガスにそう促され、

(どうしますかって……あれ?)

ウィルは、ギュンガスの要求を、かけらも検討もしていなかったことに気がついた。
 試しに考えてみようとしたが、その可能性を考慮するだけで、ウィルは生理的にぶるっと身を震わせた。

「考えてみてくださいよ。わたしはあなたを銃で取り囲んでいる。そしてわたしはドミトリスの財力を継いだ。予言の神巫を掌中に収めています。あなたに何ができますか?」

 ウィルは、俯いて黙す。
 そして、さっと左右に視線を送った。
 断頭台の丘には、ギュンガスの連れてきた傭兵が百人ほど周囲を取り囲んでいる。
 背後は絶壁の崖。下から波飛沫の音が聞こえる。あそこから海に転落して生きていられるかどうか。
 傭兵の背後は岩壁で囲まれ、逃げ場はない。
 左手に見える海岸線を伝う細い道が、唯一、この岩壁にぽっかりとくり抜かれた高台と外界を結ぶ出入り口である。

「ふふふ。お立場がお分かりになられましたか?」

 黙っていると、ギュンガスがほくそ笑んだ。
 ウィルは、俯いたまま、背後のイングリッドのほうに視線を送る。
 すると、イングリッドは目で頷き返してきた。
 そして背中では、ウィルにだけ聞こえる声で、「分かってる」とソフィアが囁いた。

「女の扱いについてはお安心を。歯を抜くのはムーアの女共が言うことを聞かない場合だけです。抜歯をすると、長持ちしなくなりますしね」

 男は楽しそうに言葉を続ける。

「さしあたっては、少し舌に切れ目を入れさせていただくだけですよ。こんなふうにね。レイシー、バーバラ」

 ギュンガスがそう促すと、黒ずくめの女中服に身を纏った二人の女中が、ぬるりと唇から舌を差し出した。

「バ、バーバラ?!」

 イングリッドが悲鳴をあげる。
 バーバラの舌はまだ傷口が塞がらず、ステーキ肉のように赤く断面が腫れあがっている。

「ご、ごめんね。イングリッド、わたし、こんな舌になっちゃった……」

 涙声でつっかえつっかえバーバラはそう口にする。

「あ……あ……バーバラ」

 イングリッドは茫然自失といった感じの体である。
 バーバラの横では、二筋に分かれた舌を別々の生き物のように操るレイシーがいる。
 マイヤが後ろから服の肩のあたりをぎゅっと掴んだ。

(……ギュンガスに感じていた生理的嫌悪感はこういうことだったのか)

 ウィルはそう納得する思いであった。

(最初に屋敷に連れて帰ったときも、ギュンガスを屋敷に入れるのが、なんか嫌だったんだよな……)

 そもそも、あのときトリスがウィルの望みどおりにギュンガスを追放していたら、こんなことにならなかったのだ。
 もっとも、もしそうなると、ソフィアを高値で買った理由を、父親のマルク伯爵にどう説明すれば良いかなど、とても難しい問題を伴うのであるが。

(あっ……! 分かった! トリスは男を見る目がないんだ!)

 突然ウィルは、マルク家の女中長が聞いたら、暴れ出しかねない結論に到達した。。

(トリスを妊娠させたダンス教師もあまり好いていないような口ぶりだったし、ギュンガスのような人でなしを屋敷に引き入れることにも抵抗がなかった。うん、やっぱりトリスは男を見る目がないや)

 その評価が、即座に自身に跳ね返りかねないことを全く想定に入れないのがウィルらしい。
 権力者は、傲慢で自分のことを棚に上げられないと務まらない。

「ふうん。男性器を舐めさせるには随分と使い勝手の良さそうな舌だね。バーバラにレイシーといったね。どうだい二人とも。ギュンガスなんか見捨てて、ぼくのところに来ない?」

 ウィルの言葉にギュンガスが目を剥く。
 バーバラが、レイシーが目を丸くした。

「うーむ。機能的なのか。どうにも理解しかねていたのだが、羊の断尾のようなものと見なせばよいのか」

 怪訝そうにソフィアがそう言うと、一瞬、ギュンガスは何か悪いものでも食わされたような表情を浮かべた。
 おそらく、ギュンガスは女の舌を二つに裂くという行為を、なにか高尚な貴族的趣味の一環として捉えている。
 ちなみに羊の断尾というのは、飼われている羊は尻尾が退化して、うまく動かすことができない。
 糞便がついて不衛生なので尻尾を切ってしまうのだ。
 突然、黒髪のレイシーが身体をくの字に折り曲げ、身体を小刻みに痙攣させた。

「……ぷ。くくく……」

 ギュンガスの横で、レイシーがお腹を抱えて笑っているのだ。目の端に涙まで浮かべている。
 二十代前半であろうか。無表情で佇んでいるこの女を見たとき、どこか気持ち悪さを感じたものだが、こうして屈託のなく笑っているのを見ると、どこか茶目っ気のようなものまで感じられる。

「この子たち、面白いわ……」

 ギュンガスは、舌打ちをし、レイシーを不快げに横目で睨んだ。

「ふん。まあ。いい。で、どうなんです? 三人をわたしにくれますか?」

 ギュンガスは、答えの決まった回答を訊ねるように尊大に言った。
 なにせ、槍衾(やりぶすま)のように尖った刃の付けられた銃口をいつでもこちらに向けられるのだ。
 考えるフリをして、俯くウィル。
 いまの陣形は、ウィルたちを逃がさないよう周囲を取り囲んでおり、四角い方陣に近い。
 銃殺するつもりなのか、取り押さえるつもりなのか、ひどく曖昧な配置である。
 間違いなく、ギュンガスは軍隊の素人である。数だけ並べて優位を確保した気になっているのだ。
 方陣の火線は、外側を向いている分には絶大な威力を発揮するが、内側に向けるには味方を傷つけてしまう恐れがあるのだ。
 このような配置で発砲したら、味方に銃弾が当たってしまう危険性がある。
 辺境領の伯爵家の令息として教育を授かったウィルにはそれが分かる。イングリッドも間違いなく理解している。

「ウィル……」

 後ろからぼそぼそとソフィアが話しかけてきた。
 ウィルは黙って首を振る。まだ、そのときには早いのである。
 マリエルの居場所もまだ聞きだしていない。
 この場の勝利条件は、ギュンガスを殺すか、マリエルを保護するかのどちらかである。
 だが、引き分けとなる条件も存在する――。
 短い時間だけでも、ソフィアとマリエルを引き合わせる。
 どうすればギュンガスに殺されずに済むか、ウィルのことを占ってもらうこともできるのだ。
 俯き続けるウィルに、

「良いではありませんか。たかが女中ごとき」

交渉の余地あたりと見たのか、ギュンガスがするりと言葉を忍ばせてきた。
 ウィルは、ギュンガスの本質を弁舌の徒だと見なしていた。
 ときには暴力も使うようだが、この男の本質は毒である。武器は言葉に忍ばせた毒である。


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