警告
この作品は<R-18>です。
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「…………なんだ、このふざけた予言は」
ギュンガスは不快げに眉を顰めた。
具体的なことは、ほとんど何も言われていない。
蛇というのは、間違いなくギュンガスのことだ。
双頭の馬というのは、あの伯爵家の令息のことであろう。
(天敵……? あの小僧が……?)
ギュンガスは鼻で嗤った。
マルク家の令息などいつでも始末できる。ギュンガスはそのように思っていた。
そして、そのためには、まどろっこしいことにウィリアムの女を奪えと言っている。
だがそれ以上に不愉快なのは、
(時代……? あの中流階層のゴミどもが次の時代だと!? わたしを殺すだと!)
時代の車輪に引き裂かれると言われていることだ。
「おい。銀狼族の小娘! 次の予言をよこせ! わたしに逆らうゴミどもを一人残らず鏖にするにはどうすればいい?」
ギュンガスは、マリエルの襟首を掴んで揺さぶった。
「……ん? ごほっ、ごほっ。苦しい……。う、うぷっ」
マリエルは、その言葉の先を続けられず、身体の負担に耐えきれないように、びちゃびちゃと嘔吐しはじめた。
ギュンガスがぱっと手を離すと、銀髪が舞い、マリエルは尻餅をついた。
「いきなり吐くな。馬鹿が。おまえが予言を囀らないのがいけないのだろうが」
マリエルは凄まじい形相で、下からギュンガスの顔を睨みつけてきた。
だが、ソフィアにそうされたときほど恐ろしさは感じない。
しょせんは腕力を持たぬ小娘である。
ギュンガスは鼻で嗤った。
「レイシー。舌を見せてやれ」
後ろから、這い出るように黒髪の女が進み出て、口から長い舌を出した。
二股に分かれている。
「さっさと次の予言を出さないと、おまえの舌もこんなふうにちょん切ってしまうぞ……」
「ひっ」
マリエルは自分の体を抱きしめて、身を震わせた。だが、それでも首を振る。
「無理よ。無理なのよ。いつ神が降りてくるかなんて分からない。神はいつだって気まぐれなのよ!」
マリエルがそう言い募ると、
「ち、全く使えない神だ」
さも苛立たしげに、ギュンガスは首を振ったのだ。
☆
その海にほど近い山間の地は、断頭台と呼ばれている。
海に向けて、ほぼ垂直に立った岩場がある。
海側からの登攀は事実上、不可能。断崖絶壁の自然の要衝である。
ひゅうっと、遥か眼下で音を立てて砕ける白い波飛沫をギュンガスは見下ろしていた。
「ははっ。怖い怖い」
そのギュンガスの周囲を、百を超える完全武装した傭兵が固めている。
かつてはドミトリスの子飼いの傭兵である。
ドミトリスがふんだんに金をかけて武装させたためか、身なりは良い。そして長く雇われていたためか、従順に雇い主の言うことを聞く。
弾と火薬入れのついた黒い上着に、大きな白い羽根のついた黒い帽子。一律の服装をさせていることが忠誠心を高めているようだった。
「ほんとに、あの男は有能だったんだな。まあ、わたしに負ける程度の男だが」
ドミトリスの後を引き継ぐのはギュンガスにとって実に簡単だった。
もともとドミトリスはほとんど人前に姿を見せなかった。腹心の部下がいるわけでもない。
ギュンガスの後ろに仕えているのは、黒い喪服のような女中服を着たレイシーとバーバラ。
そこにマリエルの姿はない。
マリエルは、ひと目ソフィアに逢わせてほしいと縋りついたが、願いを叶えてやる理由などこの男にはなかった。
「くくく。はははっ」
ギュンガスはときおり口をついて出る笑い声を止めることができずにいる。
この男は、ドミトリスを国一番の商人に押し上げた予言の神巫を手に入れたのであった。これが笑わずにいられようか。
そのとき、傭兵の垣根が中央から左右に割れた。
「来ましたか……」
浅黒い肌の男二人に連れられ、背の高い女中と背の低い女中二人が姿を見せた。
「ひ、ひいい」
リサ・サリは、堂々と背筋を伸ばして歩く、トリスの背後に隠れ、盛んに左右を見回しながら、時折口笛などを鳴らしながら興味深そうに視線を寄越してくる傭兵たちに怯えている。
バーバラが強い視線をトリスに送っている。
この赤毛の少女は、マルク家の女中長になることを望んでいたのだ。
「スカートを上げてもらえませんか? 銃をもっていないか確認がしたい」
ギュンガスの言葉に、トリスは不快げに舌を鳴らし、スカートの左右の裾を摘まみ上げる。
黒い布地がするすると上がり、黒い靴下に包まれた長い脚が露わになると、左右の人垣が一斉に喝采を送った。
「くくっ」
バーバラの口許から、自然に醜い笑みが零れ落ちた。
それを背後で意識して、ギュンガスも笑みを零す。大分、良い感じに性格がねじくれてきているのであった。
ギュンガスは、不可触民の二人に向けて、犬に餌でもやるように金貨の詰まった袋を放り投げた。
「失せろ。もうおまえたちに用はない」
背の低いほうが眉を顰め、背の高いほうの男が、「へえ」と返事をしながら、へらへらと金貨の袋を拾い上げた。
「姉ちゃん。オレと一発やらしてくれんか」
左右の人垣からはみ出た痘痕面の背の低い男がトリスの腕を掴んだ。
「部下もまともに扱えないのかしら……?」
トリスの言葉に、
「その小男を殺せ」
ギュンガスは、不愉快そうに命令をした。
「へい」
隊長だろうか、金髪髭の一際体格の良い傭兵が銃剣を振り上げると、
「ま、待ってくれ。親分! ほんの出来心だったんだ……」
「ワシもそう思うが、こんな金払いの雇い主はほかにいないんでな。いままで長いつき合いだったな」
そのまま小柄な男の振り下ろしたのだった。
潰された蛙のように、小柄な傭兵は頭をたたき割られ、地面に叩きつけられる。
兵の統制もとれている。
拘束されていないとは言え、この場から逃げ出すことは不可能であろう。トリスには手持ちの銃すらない。
ギュンガスのそばにはテーブルが見える。その上には湯気を立てるティーカップ。
男は木製の椅子に腰を掛け、荒涼たる崖の下の景色を優雅に見下ろしながら、紅茶を啜った。
ギュンガスの背後には、黒髪の長身の女と、顔色の悪い赤毛の少女が佇んでいる。
「どうですか? わたしの力量は?」
「見事なものね。たとえ、それが予言の神巫の力だとしても」
トリスはやれやれという感じで、そう呟いた。
「駒の実力も王の実力ですよ。あなたという駒の実力が、あなたの主人の力量であるのと同様に。もっともここのところ役立たずのようですが――」
「そうね。認めるわ。ギュンガス。あなたの目的が分からないのだけど? それほど強力な駒を手にしたならば、もうマルク家に拘る必要もないのではないかしら?」
「たしかに予言の力を手に入れた今、マルク家の後ろ盾など必要としていない。ご存じのとおり、わたしは筋金入りの上流階層好みでね。マルク家からいただきたいものが三つほどある」
「それはなにかしら……?」
トリスは、ギュンガスの言葉に訝かしげに問い返す。
「まずレベッカ、アラベスカ。この二人は由緒ある貴族の血を引いている。ぜひわたしの玩具にさせていただきたい。おや、あの何とかという赤子もおりましたか。そうそうオクタヴィアだ。あの赤子も女児だ。ぜひ赤子も玩具にしたい。そうなると四つですか」
赤子を玩具にしたいというギュンガスの言葉を聞いて、トリスの傍らのリサ・サリが、トリスのスカートの裾を掴んでぶるっと震えた。
「ご主人さまが首を縦に振るはずがないわ」
「振らせてみせるのですよ。だれがいまのわたしに逆らえますか」
そう言って、ギュンガスは紅茶のカップを傾けた。
「残り一つを聞いていないのだけど……?」
トリスが、そう話の先を促した。
「あなただ。女中長。あなたをわたしの子飼いにしたい。あなたがわたしに心服してくれれば、とても役に立つだろう」
そう言われたとき、トリスは腹を押さえ、びくっと身体を震わせた。
「……くくく。ははは」
「うん?」
ギュンガスの困惑をよそにトリスは肩を震わせる。
「……はははははは! こんな面白い冗談を聞いたのははじめてだわ。無理よ。おまえにはわたしは御せない」
それを聞いてギュンガスは心底不快げに眉を寄せた。
「わたしはわたしを完璧に支配できる可能性をもった男にしか仕えない」
トリスはそう言い切ったのだ。
「――やれやれ。それがあのお坊ちゃんということですか。わたしには、さっぱり理解できませんが」
ギュンガスは鼻白んでそう言った。
「男には理解できなくても仕方がないわ」
「ふん、それはますます不愉快な話だ。わたしも女を操る手腕には自信がありましてね。僭越ながら、この国で一番だと思っています。女の心などわたしが思うとおり、どうにでも操ってみせる」
ギュンガスはそう言って、後ろに控えていたレイシーとバーバラの腕を乱暴に引き寄せる。
そして二人の女の顎を掴んだ。
「女中長、賭をしましょう。あなたは、ここのところ随分と無能を晒した。この状況下で、あの坊ちゃんが、あなたのことを変わらず信じてくれたならば、わたしはウィル坊ちゃんとあなたたちを無傷で解放しましょう。二度とマルク家には手を出さない。どうです? 破格の条件でしょう? あの坊ちゃんがわたしの言葉に丸め込まれ、あまつさえムーアの血を引いた女中を手放すことを了承したならば、あなたはわれわれ蛇の一味になる」
シンシアとバーバラは、ギュンガスの意を察し、唇から二股に分かれた舌をだらりと伸ばしたのだ。
「ひ、ひいい」「きゃっ」
トリスの後ろのリサ・サリが、生理的嫌悪感で背筋をぶるぶると振るわせ、しきりに肩の下あたりをさすりながら、左右からトリスのほうにぐいぐいと身を寄せてくる。
「愛らしい小動物を虐待するのもわたしの楽しみでしてね。うしろの二人も舌をちょん切ってさし上げましょう」
リサ・サリは、ぶるぶるともの凄い速度で首を左右に振る。
ますます必死になってしがみつく左右から二人の女中の頭に、
「身動きが取れません。お離しなさい」
女中長は容赦なく肘を振り下ろした。
「いっ! 痛ったた……」「……痛ッ! トリス様! 本気で痛いです……」
リサ・サリは涙目になって、両手で頭を押さえている。
「二人とも、これからどんなに怖いことが起きても決してご主人さまの足を引っ張らないこと。いいですね」
そう言ってトリスは、前に一歩進み出る。
「ギュンガス。ご主人さまがわたしのことを信じてくださったのなら無傷で解放する。その言葉に嘘偽りはありませんね」
そう念を押したのであった。
「ない」
ギュンガスは賭けに乗ったというよりも、自身が賭けに負ける可能性がないと口にしたのだ。
「楽しみですね。くくっ! ははははは! そのとき、あなたは蛇になる。わたしは中流階層の出身者には興味は無いが、あなただけは特別に抱いてさし上げましょう」
伯爵家の元上級使用人はそう口にすると、ギュンガスの後ろにいたバーバラが、もの凄い形相でトリスのほうを睨みつけていた。
「楽しみですわ」
伯爵家の女中長は、ただ、ねっとりとした笑みを浮かべたのであった。
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