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争奪編 第一章 激動
第五十八話「時代を変えようとするもの」
「ははは」
ギュンガスは馬車のなかで嗤っていた。
昨晩は、久しぶりに楽しい時間を過ごした。
あの赤毛の小娘の舌に鋏を入れたときの、あの手に残る感触といったら堪らなかった。
ヘンリー家の血を引いていないと血統を暴いたときの、あの悲哀に充ち満ちた表情は、一枚の絵として飾っておきたいくらいに美しかった。
何よりも、ギュンガスがウィリアムの名を騙っていると種明かしをしてから気絶するまでの、絶望に彩られた表情は、どんな悲劇にも勝る。
ギュンガスが向かっている先は、ドミトリスが姿を見せるという古代の劇場跡であった。
そこで上演されるのは悲劇であろうか、喜劇であろうか。
「まあ、なるようになるしかあるまい」
ギュンガスはそう呟いた。
このあと、ギュンガスはドミトリスと面談をする予定である。
どうやって、ドミトリスとの面会が実現したのか。
なんのことはない。
マルク家のウィリアムの名前で会いたいと、正面から申しこんだのである。
もしそれで警戒されても、どうせ狙われるのはマルク家の令息ウィリアムである。ギュンガスの知ったことではなかった。
一通目の面会の申し出は良い返事がもらえなかった。
二通目、気まぐれで蝋印を変えてみた。現伯爵の使っているものから、ウィリアムの好んでいる双頭の馬の蝋印へと。送り元の住所も変えてある。
すると、ドミトリスから二通の返信が送られてきたのだ。
一通目には、いま向かっている劇場へのチケットだけが手紙なしで同封されていた。
二通目には、劇場とはまた別の、指定の場所に来てもらえるよう、とても丁寧な文章で招待されていた。
ドミトリスがなにを考えているか正確なところまでは分からない。
結局は、出たとこ勝負をするしかないだろう。ギュンガスは己の舌に絶対の自信を持っていた。
到着した先は半円形をした広い劇場である。五千人以上の群衆が集まっているだろうか。
そこは熱気に包まれていた。送られてきたのは来賓のための最前席である。
後部席は、人混みでごった返している。明らかに前と後ろで客の質が違う。
中流階層といえど、収入によって階級のようなものが明確に存在している。
前のあたりに座っている身なりの良い人々の生活水準は、下層貴族なんかよりもずっと上だろう。
最前席に向かう途中、
(ん……。なんだか、よくないぞ)
ギュンガスは何故だかぞわりと背筋が寒くなるのを感じたのだ。
「おっと失礼。席を間違えた」
いきなり反転したので、
「ちょっとあなた!」
後ろに続く、派手な羽根飾りの帽子を被った夫人が抗議の声をあげた。
(なんで中流階層のゴミにそんな視線で見つめられねばならんのだ……!)
夫人の見下すような視線にギュンガスは憤慨した。
階段を下りる夫人の足をひっかけようとして止めた。いま目立つわけにはいかない。軽く一礼して、後部座席へと向かう。
ギュンガスは周囲を見回して、入り口にほど近く、周囲が見渡せる座席に目を付けたのだ。
「おい。席を交換してやる。その席をわたしに譲れ」
ギュンガスは尊大にそう言って、チケットを男の眼前に突きつけた。
男は執念深そうな蛇のような細長い顔をしていた。
そこに、なぜか親近感を覚えたのだ。
「ふざけるな! オレはこの席を取るのに前日から泊まり込んでいたんだぞ!」
蛇顔の男はそう言って、ぎょろりとした細い目で睨み返してきた。
ギュンガスは黙って、チケットを男の眼前に押しつける。
「お、おい。てめえ……」
だが、チケットを一瞥すると、男の表情が変わる。
「お、おい! これ、最前席じゃねえか!」
「ああ。劇場の最前席に座るなんて、おまえの人生には二度とないだろう。さっさと汚いケツを上げて、この幸運を噛みしめろ」
「わ、分かった! ありがとよ! 見知らぬ親切なおかた!」
罵倒されたことなど、まるで気にしていないかのように男はチケットを天にかざし、嬉々として席から立ち上がった。
そこに座ると、ギュンガスは尻の温度に眉を顰めた。おまけに周囲の空気も暑苦しい。
「われわれが、この国の未来を作らねばならない!」
「平等な市民政治を築くのだ!」
「そうだ! そうだ!」
この辺りは、特にドミトリスのシンパの多い一角らしく、男たちが盛んに議論を交わしていた。
(やれやれ。なにをのぼせ上がってやがる。中流階層のゴミどもめ……)
ギュンガスは心のなかでそう嗤う。貴族の血をひかない人間などゴミにすぎない。
男の蔑みは、不思議と、どこの馬の骨とも知れない自分自身には向けられることはないようである。
前方を見やると、さきほどギュンガスはチケットをくれてやった、みすぼらしい身なりの男が、愛想笑いを浮かべながらで裕福そうな身なりグループの座席の一つに、身を割り込ませようとしていたところだった。
(おや……?)
だが男は、ドミトリスの私兵だろうか、左右から屈強な衛兵に身体を挟まれ、いずこへと引っ立てられていくのが見えた。
「おお。危ない、危ない。くっくく」
今日の自分は、最高に勘が冴えている。ギュンガスはそう確信した。
なんとなく嫌な予感がしていたのだ。
伯爵家の元従者は頭を回転させる。
現在のマルク家の紋章は、盾に星飾りを散りばめた、いかにもオーソドックスなデザインである。
この蝋印を使った手紙は黙殺された。
だが、ギュンガスが気まぐれに送ってみた双頭の馬の家紋を封蝋した手紙のほうには、面会を承諾する二つ返事が返ってきたのだ。
これは何を意味するのか。
今日、この場にウィリアムはいない。ギュンガスはここにいる。
そのまま尊大に頬杖をついて小一時間ほど待つ。
いま自分が座っている場所が一番安全だという確信があった。
「さきほどの男……」
後ろから語りかけてきたのは二股に分かれた舌を持つ女レイシーだ。
「どうなった?」
ギュンガスは前を向いたままそう問いかけながら、さきほどの蛇顔の男の陰気な面を思い出していた。
ああいう手合いには覚えがある。人相が悪くて損をする典型であろう。
それをコンプレックスに感じて善行に励むのか、話をしてみると、意外に親切だったり、気の良い人間であったりするのだ。
つい、背中から蹴りつけたくなるタイプである。
後ろでレイシーが十字を切る気配がした。
「殺されました」
その瞬間、男は、けたけたと足を踏みならす。
ギュンガスは神の見えざる手を感じ取っていた。
「そうか! そうか! やはり敵視されているのはわたしか。顔も知らぬわたしを敵視するか! すると、わたしは殺されたと思われているのだろうな」
運命の流れの一端が見えれば、なんとか対処のしようもある。
命がらがら、死線を紙一重のところで摺り抜けていく感じが、ぞくぞくして堪らない。
(くっくっく。神すらもわたしを殺せないのだ。いや、しょせんは蛮族の神など、こんなものか……。それとも使う側の人間の資質の問題かね。わたしならもっと上手く使役してやるというのに……)
ギュンガスは心のうちで『使役』という言葉を使った。
この男のなかで銀狼族の神は、牛や豚のように使役する存在にまで成り下がっていた。
やがて、ゴンゴンという遠い地響きに似た音が聞こえてきた。
「お、はじまったか」
ギュンガスはその音に聞き覚えがあった。舞台装置の一つであろう。
地下にいる上半身をはだけた逞しい奴隷達が重い十字のプロペラを回しているのだ。
やがて舞台の床下から男がせり上がってきた。古代から繰り返されてきた舞台演出の一つである。
古代劇場の中央にいる男は、ぐるりと取り囲む聴衆の視線を一身に集めていた。
歓声が沸き上がり、会場のボルテージが上がる。
「あいつがドミトリスか……」
遠目から見ても、それほど大柄な体格をしているわけではないことが見て取れた。
見事な黒いカイゼル髭で、右目に眼帯をしている。年齢は四十くらいだろうか。
商人らしく頭にターバンを巻いていて恰幅が良い。海を越え、砂漠を渡る、いかにもタフな商人のイメージである。
この街ではそういった商人が尊敬される。
金をもった成功者であるならば言うことがない。中央で視線を集める男は、この国で一番の大金持ちである。
「わたしの名前はドミトリス! お集まりいただき感謝する!」
角笛のように響く声であった。だれもが舞台の幕開けを感じ取ったであろう。
その期待感に、聴衆は立ち上がって一斉に拍手を送る。
「ほう」
一人ギュンガスだけが座ったまま面白そうに瞳を細める。
カリスマは十分だ。うまく聴衆の心を掴んでいるようであった。
ドミトリスは、静まれと聴衆に向けて手の平を下に押し下げる。
すると、会場の空気が止まったかのように静寂が流れ、なんとも言えないその余韻が、ますます集まった観客の視線に熱を帯びさせる。
「――王都の愚かな政争のせいで、小麦価格は高騰している」
静かな語り口ではじまった。といっても、会場に響き渡るくらい朗々とした声を張り上げているのであるが。
古代より、扇動者に不可欠な資質の一つは声量である。
びりびりと男の声が集まった観衆の鼓膜を震わせていた。
(なるほど。こうやって短期間に大衆の支持を集めたか……)
同じ弁舌の徒であるギュンガスは深く頷いた。ギュンガスに同じ真似は、とてもできないだろう。
(やはりわたしの舌は上流階層向きだな。中流階層のゴミどもに聞かせてやるには上等すぎる)
アダムとイブをそそのかした蛇のように、男女の仲を利用し、相手の心の空隙につけこむような手口こそ、ギュンガスの真骨頂である。
「王都の連中は国境の封鎖までしている。愚かな政策を続けているのみならず、われわれの商売の邪魔をしているのだ」
「そうだ。そうだ!」
「そのとおりだ」
聴衆が一斉に頷く。迎合する声が、あちらこちらから上がる。
(大した面の皮の厚さだな……)
目の前の男こそが小麦相場を操作しているはずだ。ギュンガスは男のことが気に入りかけていた。
(おや……?)
一瞬、ドミトリスは眉をわずかに顰め、ポケットからハンカチを取り出し、額の汗を拭ったのだ。
ギュンガスは極めて人の些細な表情に敏感である。それでいままで生き延びてきたのだから敏感にもなろう。。
「王都の勢力争いはいつ決着する? 一年、二年? それとも五年、十年? そのあいだに我々はやせ衰えるだろう。交易の街レノスは衰退するのだ」
すると、集まった観衆が陰鬱な空気に包まれる。
それをギュンガスはニヤニヤ笑いながら身守っていた。大衆を扇動するには、まず危機を煽ることからだ。
ギュンガスは上流階層好みだが、べつに成り上がりは嫌いではない。
成り上がりの身の程知らずを、どう身のうちに取り込み、慇懃無礼に礼儀作法を叩き込んでやるかこそが、大昔から繰り返されてきた上流階層の在り方であり、処世術なのだ。
(さあ……ここからどう話を持っていく?)
そこがギュンガスの関心事である。
ギュンガスならば、まずはこの街の支配権を手に入れるだろう。これほど支持されているならば簡単である。
次に、子爵位あたりを授かるよう上流階層に働きかけるだろう。王都はその流れに決して逆らわない。
上流階層は一見閉鎖的に見えて、懐豊かな側面もある。
どのような成り上がりでも、野蛮な蛮族であろうとも、淫売宿の娼婦のように誰とでも寝るのだ。
アラベスカ――あの元侯爵夫人の嫁いだチルガハン家がその典型である。東方から来た野蛮な騎馬民族は、いつのまにか王都の権力の内側に取り込まれてしまった。
爵位を手にした後、どの貴族家と姻戚関係を結んで繋がるか、本格的な権力のカードゲームがはじまるのだ。
それこそがギュンガスがこよなく愛する貴族社会のありかたである。
男が次に打つ一手とは――。
「王都に国を支える力はない。これからはわれわれ中流階層の時代だ。時代遅れの貴族たちにはご退場願おう。我々が革命を起こすのだ」
ドミトリスは高らかにそう宣言した。
「おおおお!」
怒号のように会場が揺れる。
皆が足を踏みならし立ち上がる。
ギュンガスはゆらりと立ち上がり、
「なん……だと?」
そうぼそりと呟いていた。
もちろん中流階層は、上流階層に取って変わりたいと思っていることだろう。
だが、それが脅威になることは、いままでなかった。
なぜならば、彼らの涙ぐましい努力と言えば金を惜しまず上流階層の真似事をするだけだ。マルク家の内覧会がいかに盛況だったかが、それを示していた。
自分が上流階層入りできるなら、これまで仲間であった中流階層など容易く足蹴にすることだろう。
しかし、このドミトリスは違う。
チェスボードごとひっくり返すように、本気で革命を起こすと言っているのだ。
(ふざけるな……!)
「血筋ではなく入れ札で国の指導者を決めよう。貴族もわれわれ市民も、みなが平等になるのだ。そうすれば、みなで選んだ優秀なリーダーが国を良い方向へと導いてくれるだろう」
それは筋金入りの上流階層好みのギュンガスには受け入れられない選択肢である。
「ドミトリスを指導者に!」
「指導者に!」
思わず、ギュンガスは席から立ち上がり、周囲を睨みつけた。
(この共和主義者どもめが……!)
異様な熱気のなか、ギュンガスの鬼気迫る表情は、だれの視線にも止まらない。
会場のどいつもこいつもが、うんうんと頷いている。
「現実問題、いきなり貴族全てを敵に回すことは難しい。議会を設置し、われわれに協力的な貴族には貴族院で発言する機会をくれてやろうではないか」
それを聞いて、
(小賢しい……!)
ギュンガスは舌打ちをした。
王宮の力は衰えている。いまの情勢なら、そのあたりで話がまとまりかねない。有力な貴族が二つ三つ王家から離反すれば、それで流れが一気に傾くであろう。
しかも厄介なことに、予言の巫女がついているならば、ドミトリスは手順を間違えない。
あとは、ドミトリスと名乗る商人の独演会であった。歓声と拍手の鳴り止まない。
「この男は、せっかく手に入れた予言の力を、自由だとか、平等だとか、そんな下らないママゴトのために使おうとしているのか!」
そう罵った。
ボルテージの上がり続ける会場のなか、誰もギュンガスのことを気に留めるものはいない。
「虐げる支配者がいて、虐げられる奴隷がいるからこそ、世界は面白いのではないか!」
ギュンガスは、虚飾に彩られた上流社会を心から愛している。
権力や伝統、そして血統の非人道的な重みを、心の底から愛している。
「ふん。みなが平等になるなど?」
ドミトリスが言っている『みな』とは、この街の中流階層のことを指す。決して、貧しい暮らしに喘ぐ平民階級や農奴のことではない。
一人以上の女中を雇っていること、それこそが中流階層であることを示す証となる。
「女中を持たざるものは、参加する資格のない政治体制か。実にくだらん!」
ギュンガスは、ドミトリスの理想を強烈に皮肉った。
そして、人の良さそうな元主人の顔を思い出した。
あの伯爵家の令息の愛しているものは、貴族社会の夜会や権謀術数などではなく屋敷の女中なのだ。
もし仮に意気投合でもしようものなら、新しい時代とやらを嬉々として一緒に作りかねない。
だが困ったことに、時代の風はドミトリスとかいう男のほうに吹いている。
決して引き合わせてはならない――。
ギュンガスはそう心に決めたのだ。
ギュンガスターンはもうすぐ終わります。
しばらく連日19:00の更新予定です。
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