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争奪編 第一章 激動
第五十七話「銃撃戦」
 灰色のフードを深めにかぶった少年少女が、人通りの多い煉瓦造りの街中を歩いて行く。
 ウィルと、側付き(ウェイティング)女中(メイド)の少女二人である。

「マイヤ、周囲に怪しい人影を見かけたら報告してね」

 ウィルがそう言うと、横を歩く赤毛の少女が、油断なく眼球を左右に動かしながら頷いた。
 きょろきょろと挙動不審気味に周囲を周囲を警戒しているソフィアに、

「ソフィア。もうちょっと自然にしてろ」

そうマイヤが注意を投げかける。

「……森や草原で気配を殺すのは得意なんだが」

 ソフィアは、そう嘆息するように呟いた。
 身を晒しながら怪しまれないようにというのが難しいようだ。
 向かう先は、当初泊まる予定だった上流階層向けの宿である。
 松明に照らされて光る大理石の柱が、いかにも高級そうな雰囲気を醸し出している。
 ウィルが角から、ひょっこりと顔を突き出すと、

「おいっ。あまり前に出すぎんな」

マイヤに首根っこを掴まれた。
 少年は、そっと心臓の辺りを押さえる。
 服の裏地には、一本の小さなナイフが隠されている。
 ウィルは、それほど運動神経が良いほうではないが、素早くナイフを取り出して相手の身体のどこかに突き立てる、その動作一つだけは完全に身体が覚えていた。
 いざというとき身を守れるように、たとえ誘拐されたときでも一瞬の隙を作れるようにと、嫌というほどトリスに仕込まれているのだ。
 今回、目立つ銃は持ち運べない。ソフィアもあの六尺棒(クォーター・スタッフ)を宿に置いてきた。
 もしかしたら、このナイフを使う機会があるかもしれない。少年の心臓の鼓動が高まる。

「よし、あそこに陣取ろう」

 マイヤはそう言って、道路の反対側に歩き出した。そこはちょうど夕日をバックに日影になっている。
 赤毛の少女は、石畳の上に膝をつき背中に担いだ黒い布をごそごそと広げはじめた。

(あ、なんか準備していると思ったら……)

 赤毛の少女は手慣れた手つきで店を広げはじめた。
 何種類かのブラシに、丸い缶に入ったクリーム。そして、目の前に煉瓦を三つほど積み上げた。
 よっこらせとスカートのまま、あぐらをかいて路上に座り、背後の壁に小さな背をもたれかけさせる。
 靴磨きの少女の出来上がりであった。
 ウィルとソフィアもそれに倣って左右に座った。
 そこはちょうど日影になっていて、気に留める人間も少ないだろう。宿屋を見張れる絶好のポジションであった。

「嬢ちゃん、頼む。ピカピカにしてくれや」

 横合いからマイヤのほう向けて、ぬっと黒靴が突き出されて、ウィルはびっくりした。

「おう。任せろ」

 手慣れた手つきで、靴の起伏に合わせ、きゅっきゅと布を左右にこすりつけた。
 流れるような動きで、大まかに靴を拭き終えると、上にクリームを塗り始めた。マイヤが布で押し伸ばすと、靴の表皮がみるみる光沢を取り戻していく。
 男はちゃりんと小銭を投げ落とすと、満足顔で立ち去っていった。

「なるほど街にはこういう仕事もあるのか。マイヤは凄いな」

 ソフィアは感嘆した表情を浮かべている。

「おう。毎日ウィルの靴を磨いているからな。手慣れたもんだぜ」

 赤毛の少女は、クリームで汚れた指で鼻先をこすりかけて、慌てて止めた。

「ホントに、マイヤはどこでも生きていけるな」

 そんな呆れるようなウィルの言葉に、

「馬鹿言ってんじゃねえ。おまえが一緒にいてくれないと意味ねえだろ」

マイヤは腕を振り上げ、

「ぐほっ」

ウィルのみぞおちを、思いっきり裏拳で強打してきたのだ。

          ☆

 約束の時間になっても、ギュンガスは一向に姿を見せなかった。
 じっと観察しているが、宿に一階のラウンジに入る人影も、そこから出て行く人影も見えない。
 それからさらに一時間ほど待った。その間に、マイヤは五人の靴を磨いた。
 ようやく宿から見覚えのある長身の人影が現われたと思ったら、それは濃紺色の学生服に身を包んだイングリッドであった。
 両肩に重い荷物を掲げ、遠目からも項垂れている様子が窺える。
 ああいうズボンを履いた男装姿は、しゃんと背筋を伸ばしているからサマになるというのに、台無しだと思った。
 つい声をかけたくなる。

「待て待て。あいつを尾行している人間がいないか確認してからだ」

 マイヤがウィルを制す。

「……いや。おそらく大丈夫だな。こうやって物陰に身を潜めるのにもだいぶん慣れてきた」

 ソフィアそう言った。少し調子が出てきたのかもしれない。

「なら、こっちに呼ぼうよ」

 ウィルはそう言って、通りの物陰から座ったまま、イングリッドのほうに、おーいという感じに腕を大きく振る。
 黒髪の長身の女イングリッドは、一瞬怪訝な表情をして足を止めた。
 少年は、こっちにおいでとばかりに手招きする。イングリッドは、ますます怪訝そうに首を傾げた。
 次の瞬間、ようやくウィルに気がついたようで慌てて走り寄ってきたのだ。
 伯爵家の令息がまさか靴磨きに偽装しているとは夢にも思わなかったらしい。
 長い黒髪のお下げが、バランスを取る尻尾のように頭の左右に跳ねている。
 途中で席を立ったことをとても気にしていたのだろう。イングリッドはとても恐縮していた。

「しっ」

ウィルは静かにするように、唇の前に指で戸を立てた。
 こうして、せっかく身を隠しているのに大声でお詫びの言葉でも口にされたら元も子もない。
 少年は、そのまま口に当てていた指先を、目の前の足置き台のほうに向ける。
 イングリッドは困惑も露わに指示された通りに、長い脚をウィルの前に差し出した。
 狭い馬車の車内で散々、擦り合った足だ。ウィルはイングリッドの形の良い足に愛着を感じ始めていた。

「ウィリアム様。さきほどはすみませんでした。再びお会いできて良かったです」

 小声でそうぼそぼそと語りかけてきた。

「うん。ただ事ではない様子だったから心配してたんだ」

 女は、ウィルが靴を磨きはじめると、ますます居心地悪そうにした。

「それが、あの……。伝言を授かっていました」
「伝言?」

 ウィルは首を傾げる。

「レイシーという黒髪の女からでした。今夜の待ち合わせは中止だそうです。そうウィリアム様に伝えろと言われました」
「中止?! そもそも、なんでイングリッドが?」

 一気に背筋がぞわっとした。

「まだ続きがあります。明日の夕刻六時に、北の断首台の丘で待つ。マリエルの命が惜しければ銃器は持ってくるな、とのことです」
「なんだと!」

 急に妹マリエルの名前が出てきてソフィアが激高した。

「マリエルは――妹は無事なのか?!」

 そう叫んで立ち上がり、ぎゅうっとイングリッドの襟を締め上げる。

「……くっ、苦しい」

 イングリッドはソフィアの腕を振りほどこうとするが、びくともしない。

「落ち着いて! ソフィア」
「おい! 話の流れからいって、イングリッドに非があるわけではないだろ?」

 慌てて、ウィルとマイヤがソフィアを宥める。
 道行く人の視線が一瞬、こちらに集まっていた。

「す、すまん。つい……」
「……ごほっ、ごほっ。……わ、わたしは伝言を任されただけで詳しいことは何も知らないのです。ごほっ」
「とりあえず詳しい話は宿でしよう」
「分かりました。わたしも付き添わせてもらえるのですよね?」

 長身の女がそう問いかけてきた。

「……うーん」

 ウィルが悩ましげな返答を返すと、

「どうか、お願いします! 待ち合わせ場所にはバーバラもいると聞きました……」

イングリッドは必死な表情で、そう懇願してきたのだ。

          ☆

 同刻、土煙をあげて、レノスの街へと一路進む馬車があった。
 御者台で、二頭の馬に鞭打つのは女中長トリスである。
 マルク領からレノスに向かうルートは三通り。
 船で内海を渡るか、山脈を迂回するか、一直線に山脈を越えるか。
 ウィルは、安全でそこそこ早い海路を選んだ。
 トリスの選んだルートは、もちろん馬車で山脈をぶち抜く南下ルートであった。
 最短のルートであるが、山賊が出没するという。
 馬車は深い森を切り裂く薄暗い道を、凄まじい速度で駆け抜けていく。
 馬車の後部座席に座る双子姉妹は、森に入ってからというものずっと、互いの両手を握り合っている

「ひいい」「きゃっ!」

 座席の斜め後ろに身体が押しつけられ、木の枝葉がばさばさと馬車をかすめていく。
 ときおり、バキっと枝が折れる音までした。

「もう少し我慢なさい。ここを抜けると開けるわ」

 そう言って、トリスがリサ・サリのほうを振り返った。
 まっすぐ先に、森の出口が見えた。
 光の出口のように、そこが輝いていた。
 リサがほっとしたように表情を緩ませる。

「まさかトリス様、ここから山賊が出たりしないですよね? むぐっ」

 余計なことを言うなとばかりに、サリが同じ顔をした姉の口を押さえつけた。

「馬鹿ね。トリス様の選んだルートなのだから、山賊なんて出るわけが――え?」

 トリスは油断なく周囲を警戒している。
 森を抜けると赤い光が降り注いた。日は暮れ始めていた。

「出るわ。いえ、出たわね」

 草原の先には、五人ほどの人影が見えていた。
 逆光になっていて見えづらいが、シルエットからして、あからさまに武装をしているのが分かる。
 続いて、うおおおっと威嚇する声が聞こえてきた。

「ひいい! トリス様!」

 リサがそう悲鳴をあげる。

「サリ、後ろはどうなってる?!」
「こ、後方からも待ち伏せされています! 三人!」

 八対三。しかもこちらの三人のうち二人は直接的な戦力にならない少女である。
 だがトリスは、

「ここで迎え撃つわ」

そう言い放ち、道を脇に外れて、馬車を草原のなかへと突っ込ませた。
 草地は膝の上あたりまで茂り、ところどころ身を伏せられそうな岩肌が見える。

「きゃっ!」

 ごつごつと車輪が岩肌に当たる硬質な振動に、双子姉妹は身体を浮かせた。
 ごりごりと馬車の底に岩肌が当たる。
 トリスは進ませられるところまで馬車を進ませて。ひらりと馬車から舞い降りた。
 そのとき遠方から、

「極上じゃねえか! たまんねええ」

涎をたらさんばかりの声が聞こえてきた。

「ちっこいほうも、そこそこ可愛いぞ!」
「嬢ちゃんども。犯してやるから、そこを動くな!」

 草原の左右から、野蛮な声が押し寄せてきた。

「リサには馬車を任せるわ。くれぐれも流れ弾が馬に当たらないように。馬車が馬の盾になるよう配置すること。サリはわたしの援護をなさい」

 そう言って、馬車の積み荷の蓋を開ける。
 だが、双子姉妹はお互い抱き合って、ぶるぶると震えていた。

「リサ・サリ! わたしの言葉が聞こえないのかしら!」

 トリスがそう一喝すると、姉妹の止まっていた時間が動き始めた。

「はい! ただちに!」「すぐに準備いたします!」

 道の前後から山賊が押し寄せてくる。
 脇の草原に突っ込んだのは良い判断であった。あのままだと鋏打ちに遭っているところである。

「サリ。準備なさい」
「は、はい!」

 やがて、道の前後から押し寄せてきた山賊達が合流する。
 女中長は、膝丈くらい草原に女中服をはためかせ、仁王立ちしていた。

「ひゃっはあああっ! オレが一番乗りだぜ!」

 草原を横切って近道をした山賊が、岩を乗り越えるようにして身を躍らせたとき、その頭が後ろに仰け反った。
 トリスの構えた施条銃の銃口が、男の顔面を捉えたのである。

「銃をもっていやがるぞ……!」
「あの距離で届いたぞ!」
「しかも一発で仕留めやがった!」

 どうせ山賊風情である。最新式の施条銃など見たこともなかったのであろう。

「サリ。弾を込めなさい」

 トリスはそう言って、背後の地面を銃把の部分でどんと叩いた。
 すると、地面から生えているかのように銃が突き立った。
 銃把の後ろが杭のように尖っている。
 サリは、震える指で薬包をちぎり、火薬を銃口に流し込む。
 銃身に長い槊杖(ラムロッド)を差し込もうとするが、がちがちと手が震えてうまく入らない。
 目の前に涎を垂らさんばかりの山賊たちが襲いかかってきているのだ。冷静でいるのは難しいだろう。

「あ、あ、あ……」
「落ち着きなさい」

 トリスはそう言うが、サリの指は震えたままであった。
 女中長の傍らには、もう一本の施条銃が銃口を天に向けて突き立っている。

「ふん。この人数だ。どうせ多勢に無勢だ」
「死んだやつの運が悪い」

 仲間が一人死んだくらいで、襲いかかる山賊の勢いは衰えることはなかった。

「犯せ! あの女を犯せ!」
「三日三晩犯し続けても、飽きることの無さそうな上物だぜ!」
「こりゃすげえや! なんなんだ、あのおっぱいは!」
「あの細い腰とお尻を見てみろよ」
「早く、あの女のなかに突っ込みてええ!」
「はやく俺の精液をどろどろに汚してやりてえ」

 トリスは自身を半円状に取り囲む山賊の群れに冷笑を浮かべる。

「お生憎様、わたしの身体はご主人さま専用ですので。ですが、せめて一曲踊ってさし上げましょう」

 女中長は、つま先を左右に振った。
 すると黒い靴が左の岩肌へとぶつかって跳ね、右側にも黒靴がてんてんと転がった。
 そのとき、膝の高さくらいの草原を一陣の風が吹き抜け、トリスの女中服のスカートの黒い布地が、風を巻き込んでお椀のように膨らんだ。
 トリスは、緑の絨毯の上でスカートの左右を摘まみ、優雅に軽く膝を折った。
 客人を出迎えるカーテシーのお辞儀である。

「な、なめやがってえ!」
「あのクソ生意気な顔を苦痛で歪ませてやりてえ」
「髪の毛を掴んで、ガンガン口の中に突っ込んでやる」
「殺すなよ。上物だ。お楽しみが減るからな」

 そう言って、男は重そうな獲物を放り出し、ハイエナのように涎を垂らしながら駆け寄ってくる。

「ケツの穴のほう一番乗りしてやるぜ! ぎゃはははは!」

 すると、トリスは傍らの地面に突き刺さった銃を引き抜き、流れるような動きで構え、撃鉄を引き起こす。

「わたしの尻の穴を捧げる殿方がいるとしたら、それはご主人さまだけですわ」

 引き金を絞ると、撃鉄が振り下ろされ、火打ち石が火皿へと当たり小さく爆発する。爆発力は、即座に鉛玉の推進力へと変わる。
 トリスの殺意は螺旋を描き、吹き出物だらけの男の顔面に鉛玉を叩き込んだ。

「わたしに触れて良い殿方の肌はご主人さまのものだけです」

 銃口から棚引く硝煙に、ふうっと息を吹きかける。

「な、なんだ、このアマ……」
「こんなお上品な顔して、虫でも踏みつぶすかのように躊躇なくアニキを殺しやがった」
「サリ。弾を込めなさい」

 トリスが背後に銃を渡す。

「ト、トリス様! まだ銃の装填が……」

 サリはできるだけ早く手を動かそうとするが、初めて体験する血生臭い戦場に指先が震えて仕方がないようだ。

「本番では練習どおりにいかないものね」
「す、すみません!」
「わ、わたしも手伝います!」

 前の二人よりまだ安全な馬車の後ろから、ひょこっと頭だけ出してリサが叫ぶ。

「あなたはそこで馬の番をなさい!」

 だが、トリスはそう叫び返した。

「弾切れか!」

 取り巻く男の一人がトリスを指差した。
 男の言うとおり、屋敷から持ち出すことができた施条銃はこの二本きりである。
 後は屋敷の防衛のために残して置いたのだ。

「いまだ。いまのうちだ!」
「もたついている間に、女を押さえつけろ!」

 山賊たちは一気に距離を詰めてきた。

「へっへ、オレに任せろ。抑えつけてやるぜ」

 小柄な山賊の一人が、猿のような素早い身のこなしで、一人群から離れ、トリスに急接近してきた。
 その距離は十メートルもない。ナイフを振り上げて、襲いかかってきた。
 そのとき、トリスのスカートの裾から、黒い靴下の足の指に挟まれた銃口がぬっと姿を現わす。

「なっ!」

 旧式のマスケット銃である。

「マルク家の女中長は少々足癖が悪うございますよ……」

 流れるように素早く肩に担ぐと、渇いた大きな音が鳴り響いた。
 線条されていない銃なので精度は期待できないが、これほど近ければ外しはしない。
 硝煙とともに、男の胸の中央が赤く染まる。小柄な山賊は草原を転がり、そのまま動かなくなった。
 一人減って、山賊は残り五人。

「ちくしょう。まだ、銃を持っていやがったのか」
「数で押し込め!」
「仲間の分まで犯してやるからな!」

 山賊たちが群れになって一斉に近づいてくる。
 後ろのサリは、トリスが渡した銃の弾込めに手間取っている。
 実戦を経験していないのだ。死の恐怖を目の前にして、訓練したとおり指が動かなくても仕方がない。
 じりじりとトリスを囲む円が狭められる。
 まだトリスが銃を隠し持っていて、たとえ一人くらい撃たれても、その間に押さえる。そういう覚悟が感じられた。
 十分に円の半径が短くなったとき、トリスがスカートを翻した。

「今日は晴れていて本当に良かったわ」

 足の付け根の近くまで黒い布地が持ち上がり、艶めかしい白い太ももが露わになる。
 だが、男たちの視線が集中したのは、トリスの長く綺麗な足ではなかった。

「なっ!」

 そこには大地に突き刺さるマスケット銃の針山があった。
 十本以上はある。
 それらがみな、空に銃口を向けて突き立っていた。

「この距離ならば、旧式のマスケット銃でも十分に狙えます」

 トリスは、山賊たちを無防備にこの間合いに引きつけるのを狙っていたのだ。
 さきほど打ち終わったマスケット銃を地面に突き立てると、その銃口の上にふくらはぎを寝かせた。
 バレエのダンスのように、足を大きく上げた色気のあるポーズであるが、山賊たちに鼻の下を伸ばす余裕などない。 
 女は剣山から二本を引き抜くと、ふくらはぎの上に銃身を二つ並び、両肩に銃を担ぐ。
 慌てて、山賊の何人かは反射的に薬包の端を口でちぎり、発砲準備を整えようとするがすでに遅し。
 まだ距離は少し遠かったが、トリスは撃鉄を引き上げ、引き金を絞る。左右の銃を同時に発火した。

「いてええ?!」
「ぎゃ! あぶねえ!」

 銃弾の一発が男の腕にあたり、もう一発が頭の横をかすめた。
 致命傷は負わせられなかったが、それで十分である。
 トリスの殺意が山賊の心を削る。
 銃の射程圏内に身を晒して、誰が悠長に火薬を詰められよう。
 使用済みの二丁の銃を左右に倒す。
 さらに二丁の銃を引き抜く。
 もはや、破れかぶれで山刀(マチェット)を振り上げて突撃してくる山賊たちに、トリスは眉一つ動かさない。
 標的が近づけば近づくほど、射撃精度が上がる。
 屋敷を防衛するために、何度も何度も訓練した動作である。操作を誤るはずもなかった。
 トリスが左右の引き金を同時に引く。
 今度は一発が男の脳天を捉えた。もう一発が男の胸の中央を捉えた。
 風に黒いスカートがなびき、白い足の付け根に白い布で包まれたトリスのめしべが時折姿を覗かせる。
 綺麗な花には毒がある。女中長の下着を正視する代償は死であった。
 トリスを中心に、使用済みの銃身が花冠のように放射状に倒されていく。

「……な、なんなんだ、このアマあ……」

 まだ生き残っている髭面の男があんぐりと口を落として、そう呟いた。
 あっという間に八人いた山賊を二人にまで減らされたのだ。

「なにが楽な仕事だ。とんでもねえ。化け物じゃねえか」
「あら。失礼ね。銃を二丁同時に扱えさえすれば、誰でもこれくらいのことはできますわ」

 トリス並の胆力と冷徹さが備わればという条件つきかもしれないが――。
 冗談じゃないという感じで、もう一人の頬傷の男が、左右を見回した。
 そして生憎、逃げ場になるような遮蔽物は見当たらない。トリスが誘いこんだ場所だ。そんなものがあろうはずがない。
 日が暮れはじめ、二人の男の足下には、どこまでも追ってきそうな女中長の長い影法師が伸びていた。
 死神の鎌のように片足を上げ、黒地のスカートをはためかせながら、トリスは女王然と顎を上げて山賊を見下ろしていた。

「トリス様。銃の装填が完了しました」
「わたしも……」

 ようやく左右の肩越しに二丁の銃が差し出された。どちらも命中精度の高い施条銃である。

「……リサ。馬の番をしてなさいって言ったのに……」
「ご、ごめんなさい。わたしも何か手伝わなきゃと思いまして……」

 だが、これで万が一にも外す可能性がなくなった。
 それらを両肩に担ぎ、トリスは唇の左右を吊り上げる。

「ひっ、降参だ! 降参する!」

 そう言って、髭面の男は両手を上げた。
 その眉間に穴が空く。銃声が鳴ったのだ。
 むさ苦しい髭面の男は、そのまま両手を上げて、引き攣った愛想笑いを浮かべたまま、書き割りの絵のように、ばたんと後ろに倒れた。

「こ、降参した奴まで撃つのかよ!」

 最後に残った男が悲鳴をあげた。

「バックにいるのは誰? おおよそ見当はつくけど、喋ってもよいわよ?」

 喋れではなく、喋ってもよいである――。
 女の長い指先が、ぱちんと撃鉄を引き起こす。

「ギュンガス! ギュンガスだ! おまえんところの屋敷にいたギュンガスだ! 喋ったんだ。見逃してくれても――」
「あなた。わたしの髪の毛を掴んでガンガン口の中に突っ込んでやりたいとか言っていたわね」

 トリスはあの状況で、どの男がどんな暴言を吐いたか全て記憶していた。

「ひ、ひいいい!?」

 女は容赦なく引き金を引き絞ったのだ。

「わたしにそのような真似が許されるのはご主人さまだけです」

 渇いた轟音とともに、もう一輪の血の花が咲いていた。

「トリス様、容赦がない……」

 後ろのサリがそう言い、

「でも、カッコイイ……!」

リサはきらきらを瞳を輝かせて、女中長の背中を身守る。
 だが、そう思えるのは夕日が血の赤を覆い隠してくれているからだろう。

「見逃す余裕がないだけよ……」

 トリスはそう正直に答えた。

(早くご主人さまの元に向かわないと……)

 夜闇のなか、馬車を走らせる度胸はトリスにもない。
 ここから先、レノスへの道は断崖絶壁に沿うように続いている。
 日が沈まないうちに走れるだけ馬車を走らせれば、明日の昼過ぎにはレノスの港街に到着するだろう。
 この馬車で主人を連れ帰るのだ。かなりの強行軍になる。馭者長が手塩をかけた馬も乗り潰してしまうだろうが仕方がない。
 トリスが一瞬気を緩めたとき、背後から渇いた銃声が二つ鳴った。

「きゃあ!」「ひいっ!」

 同時に悲痛な馬の(いなな)きが聞こえた。

「リサ・サリ!」

 トリスは、足下の銃を二つ抜き取り、振り向いた。
 双子姉妹はぎゅっと固く身を寄せ合っていた。傷を負っている様子はない。
 だが、代わりに二頭の馬が倒れ、どくどくと血を流しているのが見えた。

(やられた……)

 そこには、背の高い男と低い男がいた。

「最初から馬を狙っていたのね……」

 トリスは忌々しそうにそう呟く。
 リサさえ、きちんと馬を見張っていれば、こんなことにはならなかった。
 だが、いまそれを言っても仕方がない。勝手知ったる屋敷の中と違って、どうしても細かいところまで女中の制御が行き届かない。。

「はい。戦っても勝てないかもしれないと思いましてね」

 そう口にした男はひょろ長く、飄々とした印象があった。
 男の容姿に目をとめた。褐色の肌に白銀色の長い髪をしている。
 もう一人の背の低いほうの男も、同じ肌と髪の色をしていた。

「あなたたち、シャーミアと同じ……」

 彼らは定住先を持たず、行く先々で汚れ仕事を請け負う不可触民(アチュート)と呼ばれる流浪の民である。
 誇り高さで知られる銀狼族とは対照的に、シャーミアの出身部族は賤民(せんみん)として(さげす)まれている。

(めい)がお世話になっています。恩を仇で返すようで申し訳ないのですがね。ご同行願いませんか?」

 背の低いほうの男がそう言った。

「あなたがたと敵対する理由はないのだけど。マルク家はシャーミアに良くしてあげているわ……」

 待遇の面ではまずまずと言って差し支えないだろう。主人のウィルがシャーミアの処女を奪ったことさえ除けば。

「オレだって本当はこんなことはやりたくはありません……。ですが、こちらの仕事が先約なんです」

 背の低いほうは実直そうな語り口だった。

「はは。これで移住先の候補が一つ潰れたかもな。シャーミアもさぞ嘆くだろうね」

 背の高いほうの男が、へらへらとそう言った。

「定住先? お兄さんたち、マルク領に住みたいの?」

 唐突にリサがそう訊ねた。
 この双子の姉のほうは後先考えずに、興味を引かれたことに首を突っ込む傾向がある。

「ああ。流浪の生活も飽きた。腰を落ち着けられそうな場所を探しているんだ」
「お、おい、余計なことを言うな!」

 情が移ると言わんばかりに、背の低いほうの男が背の高いほうの男を睨みつけた。

「ご主人さまにお願いすれば、きっと良いって仰ってくださいますよ? せっかく農地も余ってますし」
 リサは、ポカをやらかす代わりに目の付け所はいい。
 不可触民の男二人は悩ましげに頬を引き攣らせた。

「マルク領はとてもいいところです。治安も良いですし。シャーミアさんもマルク家は条件がよいって言っています」
 サリがそう続けると、さらに困ったとばかりに男二人は天を仰いだ。
 はるばる売られてこられた東洋系の少女たちが言うと、とても説得力がある。

「それに、もうシャーミアは我が主の女ですよ。あなたがたはマルク家を助ける側に回ったほうが利口ではないかしら?」

 トリスがそう言うと、背の低いほうの男が不機嫌そうに眉を寄せた。

「オレたちにとって契約は神聖なんです。どんな契約だろうが必ず果たす、その信用があるからこそ、オレたち不可触民は行く先々で仕事を得ることができていたのです」
「交渉、決裂かしらね」

 そんなトリスの言葉に、

「ま、待ってくれ! 馬がないと明日の夕方に間に合わなくなるぞ」

背の高いほうの男が、びくっと構えた銃を震わせながら、慌ててそう言ったのだ。

「明日の夕方?」
「はい」

 背の低いほうが、言葉を引き継いだ。

「おたくのお坊ちゃんとオレたちの依頼主が、明日レノスの北にある断頭台の崖で対面する手筈になっています。足がなくてお困りでしょう? オレたちなら、すぐに代わりの馬を手配できますよ」

 そう言って、男は胸もとにぶら下がった、白い骨のようなものを摘まんだ。
 おそらくあれを使って音を鳴らし、仲間に合図を送るのであろう。
 たとえ目の前の男たちを殺してそれを奪ったところで、仲間に送る符丁など、トリスには見当もつかない。

「拉致されろと?」

 トリスは無機質な視線でそう言う。

「なら、こうしましょか」

 そう言って、背の高いほうの男が銃を下ろした。

「われわれは、このままあなたがたを馬車に乗せて雇い主のところまで連れて行く。我々の契約はそれで完遂されるって寸法でさあ。あなたがたが現地で何をしようが我々の関知するところではありませんな。逃げようが雇い主の命を狙おうがね。どうせ、いけすかない雇い主ですしね」

 その口調は、どこか投げやりだった。

「ですが残念ながら、武装だけは解除させてもらいます。くれぐれも銃を持たせるなと依頼主から言われておりますので。それさえ守っていただけるなら、我々はあなたがたを拘束することはしません」

 背の低いほうの男はそう言って、トリスの足下に散らばった銃器の束に呆れるような視線を送った。

「どうやら選択の余地はなさそうね」

 トリスはやれやれと銃を下ろし、頷いたのであった。


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