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争奪編 第一章 激動
第五十三話「裏切り」
「なにがあったんだろうね」

 ウィルは、イングリッドの立ち去った椅子に視線を落としながら、ふうっと溜息をついた。

「マリエルの捜索を優先してもらおう」

 ソフィアが譲れないとばかりにそう主張した。
 それから視線をそらして、

「べつに、あの女が嫌いというわけではないんだが……」

そう言い添えた。
 気持ちはよく理解できる。

「うん。それは分かってる」

 ウィルは頷きながら、鞄からごそごそと地図を木のテーブルの上に広げた。
 レノスの街の地図である。
 そこには一筆書きでもするように赤線が縦横無尽に引かれてある。
 ソフィアは以前、もし近くに妹がいれば分かると言っていた。マリエルが軟禁されていそうな場所の周辺に赤線を引かれてある。
 ウィルの従者(ヴァレット)を務めるギュンガスの描きあげた探査ルートである。
 明日の夜に、ギュンガスと合流すれば、ルートを入れ直してもらった新しい地図が手に入るだろう。

「それならいい」

「……ん? どうしたウィル?」

 ウィルは顎の下に手を当てて、じいっと地図のほうを睨んでいた。

「うん。ちょっと胸のあたりがなんかザワザワしていてね。言葉ではうまく言い表わせないのだけど」

 この地図を見ていると無性に不安になって仕方がないのだ。なんだか迷路でも彷徨っているような気分になってくる。
 探査ルートを決めるときに、ギュンガスはなんと言っていただろうか。
『内覧会に来てくれた二つの船主を含めて、レノスには四つの大きな船主がいます。船の商売は危険と隣り合わせなので、勢力図もころころ入れ変わるのですが。中くらいの船主は二十くらいありますね。長期航海しているところも多く内覧会に参加してくれた船主はごく一部です』
 随分とレノスに詳しい口ぶりだったではないか。
 それもそのはず、奴隷商人の手先であったならば、奴隷の水揚げ港であるレノスの街に詳しくて当然である。
 ウィルはきょろきょろと周囲を見回した。
 珈琲ハウスの店内は、大きな話し声でざわついている。

「小声で話せば大丈夫だろ」

 耳元でマイヤがそう囁くと、ソフィアも顔を寄せてきた。
 まわりから見たら少年が女中二人といちゃついているようにしか見えないのだろうなと、ウィルは苦笑を漏らした。

「問題は大きく二つあるのだけど。まず一つ目の問題は、マリエルを攫った商人の目的が分からないことかな。小麦相場を操作する手腕を見ると、頭は相当キレるのだとおもう。一体何を企んでいるのだろう」

「商人の目的か。うう。見当もつかねえ。それにしても中流階層がとんでもない金持ちになってたりと、時代の流れを感じるよな」

(時代の流れ……)

 マイヤの言葉に、なにか答えとなりそうなものが胸のあたりまでせり上がってくるのを感じた。
 だが、あと少しのところで届きそうで届かない。とてももどかしかった。
 そのとき、隣のテーブルで、男たちの怒鳴り声が激しくなった。

「このまま貴族に小麦の商いを任せてられるか!」

「おうともよ!」

 小麦価格の上昇に不満を抱く、中流階層であろう。
 こういった話が白昼堂々と繰り広げられるあたり、さすがは中流階層の街レノスである。
 隣のテーブルの男たちは髭を蓄えていたりと少々むさい外見をしているが、見た目よりも、ずっと年齢が若い気がした。おそらく二十歳前後くらいであろうか。
 ウィルの服装は、黒いズボンにベージュ色のワイシャツ。靴もわざと、みすぼらしいものを選んで身につけている。貴族ならば、従者(ヴァレット)従僕(フットマン)をぞろぞろ引き連れていて当たり前である。女中を二人連れているくらいなら、よほどのヘマをしない限り、商家のお坊ちゃんだと勘違いしてくれだろう。

「このままだとこの国は腐っちまう!」

 ずんぐりした黒髭の男がテーブルを叩いて立ち上がる。

「早く、革命を起こさないと!」

(革命……?)

 ウィルは素早く眼球だけを動かせて、テーブルの周囲を観察した。
 幸い、窓に近いなので、暴動に発展したところですぐに逃げおおせるだろう。
 だが、店の空気がそれほど緊迫していないことに驚いた。
 店には多くの客が賑わっているが、温かい視線でこのテーブルを身守っている。

(あれ……? そんなに珍しいことを言っているわけでもないのか)

 ごく自然に受け入れられている感じがかえって恐ろしい。

「そうだ。中央は王兄派と王弟派の勢力争いのまっただ中、いまが絶好の機会だ」

 王都でこんなことを言ったら、しょっぴかれて絞首台に連れて行かれるのではないかと思う。

「貴族を打倒して市民政治をはじめるんだ!」

 次第に興が乗ってきたのか、周囲のテーブルからも、そうだそうだという声が沸き起こる。

「市民の市民による市民のための開かれた政治を勝ち取らねばならない!」

 ウィルはその言葉に思わず目を丸くした。
 言葉に勢いのようなものがある。時代の風が吹いているのだ。

「はは。おまえの言っていること、全部ドミトリスさんの受け売りじゃねえか」

(ドミトリス……?)

 聞いたことのない名前である。
 なにかが深く、静かに、そしてごく自然に進行している感じがする。

「それでいつ革命は起きるんだ?」

 別のテーブルから、ひょいと言葉を投げかけてくる男がいた。
 ぞわりと背筋が寒くなりはじめた。

「さあ? そこはドミトリスさんに聞いてみないと」

「ドミトリスさんなら革命を成功させるかもしれねえな」

 男たちの会話にはドミトリスという人名が頻繁に登場しはじめた。
 屋敷を出るまえに、レノスの街の勢力について予習をしてきたが、その名前はレノスの四大船主にも、二十ある、中くらいの船主にも一致しない。

「なあ、そのドミトリスって誰なんだ?」

 口を挟んだのはマイヤであった。

(マ、マイヤ……)

 心配するなと言わんばかりに、テーブルの下でウィルの膝がぴしゃりと叩かれた。
 隣のテーブルの男たちの視線が、マイヤ、そしてウィルと飛ばしてソフィアに集まった。
 どうやら話に夢中で、こちらのテーブルに一切意識を向けていなかったらしい。
 急に小声でぼそぼそと会話が交わされ始めた。

「……結構、可愛いぞ」

「あの清楚そうな黒髪の子がタイプだ」

「ばか、オレもだよ」

「オレは赤毛のほうが好みかも」

「どこの商家の女中だろ?」

「両方とも少し若すぎねえか」

「あのくらい可愛ければ年なんか全く関係ねえわ」

 王都ならば命の心配をしないといけないような会話を大声でしつつ、当たり障りのない会話を小声で交わすというのが面白かった。
 どうやら大丈夫そうである。

「お、お嬢ちゃん。主人の言いつけをさぼって珈琲飲んでるのか?」

 男の一人がぎこちなく軽口を叩いてきた。

「まあな。といっても、うちの坊ちゃんのお守りをしないといけないんだけどな」

 マイヤは唇をひん曲げて笑った。それで場が落ち着いた。

「どこの商家のガキだよ。なよなよした顔しやがって」

 露骨なやっかみが飛んできてウィルは苦笑をもらす。

「で、ドミトリスってえのは?」

 マイヤが質問の答えを促す。

「ああ。ドミトリスさんは三ヶ月ほどまえにこの街にやってきたお人でね」

「海運業で財をなしたとか言ってたかな」

「元は奴隷商人やってたんじゃなかったっけ」

(元奴隷商人……)

 外国から来る奴隷の多くは、まずレノスの港で水揚げされる。必然的に奴隷商人は、レノスの街に拠点を置くことになる。

「ふうん。たった数ヶ月でなんだってそんなに尊敬されているんだ?」

(良い質問だ……)

 ウィルは思わずマイヤに拍手を送りたくなった。

「あの人の言うとおりにすると間違いがないんだよ。小麦価格もあの人のいった通りに上昇したし、この街にはあの人に助けられた商人も多いんだ」

 ウィルはごくりと唾を飲み込んだ。

「いま一番レノスで勢いのある商人なんじゃないかな。四大船主もドミトリスさんのまえでは形なしってわけさ」

「五大船主になるかと思ったけど、完全にドミトリスさんが頭一つ分くらい抜けた感じだよな?」

 ウィルは、四大船主のうちの一人には会ったことがある。
 先日の内覧会のとき、一万ドラクマ払うから抱かせろとフローラに迫っていた中背の禿げ頭である。

「一度、そのドミトリスって男を見てみたいな」

 マイヤはそうウィルの意見を代弁した。

「嬢ちゃん。ドミトリスさんに惚れたか?」

「昨日、集会にくれば良かったのに。野外劇場がいっぱいになるほどの大盛況だったんだよ」

(大っぴらに集会までやっているのか……)

 ウィルは驚いた。
 もしドミトリスというのがソフィアの妹を攫った男ならば、そんな目立つ行動に出るだろうか。

(いや、予言の力があるならば、安全を確信して人前に出ることもできるってことか……)

 ウィルは隣に座るマイヤに目配せした。

「どこに行ったらそのドミトリスって男に会えるんだ?」

 すると、男たちは首を傾げた。

「そう言えば、ドミトリスさんっていまどの船に乗っているんだっけ?」

「さあ? 商売のたびに船ごと買い替えてしまうらしいよ」

「マジかよ! 豪毅だな。オレそれ知らなかったぜ」

「どこに住んでいるかも、誰も知らないんだよな」

「革命を起こそうってくらいの男だからな。用心深くて頼もしいじゃねえか」

「さすがは千里眼のサイクロプス」

(千里眼のサイクロプス……?)

 それがドミトリスの渾名らしい。

「サイクロプス? 身体は大きいのか?」

 すかさずマイヤがそう訊ねた。

「遠目から見て背自体はそれほど高くないな。太っているってわけでもないし。眼帯をしているんだよ」

「もしかしてこんな立派な髭をしているか?」

 そこで、おもむろにソフィアが口を開いた。
 柔らかいカーヴを描く鼻の下に、顔の両側から引っ張った髪の毛を髭に見立てて当てている。
 地毛ではない。黒髪のウィッグである。

「うおお!」

「オレやっぱり黒髪のほうがいいかも」

 男たちは悶えんばかりに大喜びであった。

「どうなんだ!」

 ソフィアは、その格好のまま抱っこを強要する女児のように上目遣いで返事を強要する。
 ウィルまでぐっと来てしまった。

「……おお! その通りだ。その通り!」

「うん。そうそう!」

「オレも髭を伸ばそうかな……」

 男たちはハートを鷲づかみにされていた。
 その様子がウィルにとっては、なんとなく面白くない。

(あの六尺棒(クォータースタッフ)でフルスイングされて、全員、潰れたトマトのようになってしまえ)

 心のなかでそんなふうに毒づきつつ、テーブルのうえに広げた地図を片づけはじめた。

(そんなことよりも事態は深刻だな……)

 カイゼル髭に眼帯、中肉中背。ソフィアから聞いた男の特徴そのままである。
 おまけに元奴隷商人と来たものだ。
 この地図も、いまこの場で破り捨ててしまいたいくらいだった。

「そろそろ帰るよ」

 ウィルはわざとつっけんどんに言って席を立つ。
 演技をするまでもなく、ぶすっとした声が出た。
 楽しそうに話をしていた男たちから、不満そうな声があがる。
 ウィルに後ろにマイヤとソフィアが続く。

「もう少し男の外見について話を聞きたかったのだが……」

 ソフィアが苦情を言う。

「ごめんね。早くここを出たほうがいいと思ったんだ」

 ウィルは振り向いて答えた。

「オレのほうは助かった。根掘り葉掘り聞かれだして、そろそろ誤魔化すのが限界だったし。で、どうした?」

 マイヤが心配そうに言う。

「万が一のために別の宿を押さえておきたいんだ」

「イングリッドはどうする? 宿に荷物もあるぞ」

 ウィルは悩んだ。

「……荷物は置いていく。伝言を残しておくことにしよう」

 会計を済ませるときに、ウェイトレスに言付けた。

          ☆

 宿から少し離れた狭い路地に入り、手頃な宿がないかきょろきょろと周囲を観察した。
 袋小路の突き当たりに宿の看板が見える。

「そっちの路地はやめておいたほうがいい。万が一、なにかあったときに逃げ場がない」

 ウィルが指し示すまえに、マイヤがそう言ってきた。
 少年少女の姿は、容易く街の雑踏のなかに紛れてしまう。

「あそこは?」

 ウィルは通りのなかで、入り口に花が飾られた見栄えの良い宿屋を指差した。

「駄目だな。ありゃ売春宿だろ。綺麗なのは表だけだ。しつこく売り込みにくるぞ。病気になりたくなければ、ああいう安い店は止めといたほうがいい」

 マイヤがそう言ったとき、ドアが開けられ、白豚のような女が不健康そうな肌をぽりぽりと掻きながら出てきた。
 化粧を落としているためか、眉がなく、のっぺらぼうのように顔がつるつるとしている。

(さすがマイヤ……はじめての街のはずなんだけど)

 赤毛の少女は、小柄な身体でいかにも勝手知ったる街という感じで、ずんずんと歩いて行き、一件の宿屋を指差した。

「ここがいい。ここにしよう」

 マイヤが選んだ先は、どちらかというと、あまり見栄えのしない宿屋のように見える。
 ふと、扉のまえには、茶葉でも零したように茶色い土が僅かに積もっているのが気になった。
 見上げると、扉の上に燕の巣が見えた。
 親燕がやってきて、ぴいぴいと子燕が一斉に口を開ける。

(なにもこんなところに巣を作らなくてもいいのに……)

 この宿の主人は寛容な人物のようで、そのまま放置しておくつもりらしい。

「燕は居心地の良さそうな場所に巣を作るんだよ。燕の巣のあるところは商売繁盛するって言うしな。昔、オレが住んでた孤児院も燕の巣があったな」

 マイヤは扉を開けた。
 宿屋のなかは意外にしっかり掃除が行き届いていた。

「いらっしゃい」

 カウンターには赤子を抱いた年増の女が座っている。
 マルク家で言えば、イグチナくらいの年齢であろうか。三十を過ぎたあたり。背格好もちょうど同じくらい。
 赤子はきゃっきゃと笑っている。

「赤ん坊が笑っているのもポイントが高いな。それだけ余裕があるってことだからな。よし交渉してくる」

 マイヤは小声でそう呟いた。

「よう。男一人、女二人だ。ちょっとワケありでな。保護者はいないが泊めてもらえると助かる。一部屋でいいぞ」

「ふうん……一晩五十ドラクマでいいなら」

 女の返答に、赤毛の少女はくるっとウィルのほうを振り向いた。

「ウィル。これでいいか? 少しだけふっかけられたけど、そんなに悪い宿屋ではないと思う」

 マイヤが堂々とそう言うと、女は苦笑した。

「ちょっと、このくらいが相場だよ」

「だろうな。売春婦も連れ込まないし、なかで阿片もやらないから安心しろ」

 女はじろじろと三人の服装を眺めたあと、

「家出でも駆け落ちでもなさそうだね。まあ詮索はしないよ」

そう言った。

「困ったことがあればいいな。面倒ごとはご免だけど、できる範囲で助けてやるから」

 マイヤは、女からそんな言葉まで引き出したのだ。

          ☆

 三人は、小さめのベッドを囲むように腰をかけた。
 急いで荷物を移したので少し疲れた。

「ドミトリスとかいう男が、マリエルを連れ去った商人なのか?」

 ソフィアが背中越しにそう訊ねてきた。

「その可能性が高いと思う。問題は、ぼくたちがドミトリスという男のことを全く知らなかったことに尽きる」

「だな。オレもそれは気になっていた」

 マイヤが同意を示す。

「国で一番かもしれない金持ちの名が分からないなんてことが起こりえるだろうか」

 マルク家は内覧会を成功させ、中流階層とのコネクションが生まれた。
 中流階層とのパイプの太さは、大貴族家のなかでマルク家が随一であろう。
 他の貴族家があまりに中流階層との関わりがなさ過ぎるとも言えるが、これほどマルク家が情報収集をして全くドミトリスについて知らなかったというのは、あまりにも不自然であった。

「革命とか言っていたから、それなりに情報漏れには気を使っているんじゃないかな」

「それはそうだね。でもどうやったって漏れるよ」

「たまたま入った街の珈琲ハウスで公然と議論されているくらいだからな」

「おまけにこの街に移り住んだマルク家の元女中と、なにか変わったことは起きていないか、手紙のやり取りまでしているのだから」

 マルク家は内覧会に訪れた中流階層の屋敷に十一人もの女中を送り込んでいる。レノスの街の中流階層に仕えている女中は四人いる。
 しかも週一回ほど、手紙のやり取りが行なわれている。これで気がつかないというのはあまりに不自然である。

「おそらくギュンガスが情報を握りつぶしていた――」

 ウィルはそう結論づけた。
 家政女中が十一人も減って、トリスは屋敷の管理の質を維持することで手一杯であった。
 結果、手紙は手の空いたギュンガスを経由することになる。

「あのクソ野郎! おっとと……オレは冷静でいないと。んー」

 マイヤは皺の寄った眉間を揉みほぐした。
 少人数で旅をしているためか、赤毛の幼なじみは自分の役割をそのように定めているらしい。

「なあ。たまたま間が悪くて知らなかったという可能性はないかな? あいつのことを庇うつもりもないんだけど、ほら、一応反対意見も言っておいたほうがよいかと思ってな」

 あまり信じてなさそうな口調でそう言った。

「もともとギュンガスは奴隷商人の手先なんだよね。外国の奴隷は海から来る」

「あ、そうか。奴隷の水揚げ港といったらレノスだもんな」

 ウィルは肯いた。

「ギュンガスならレノスの街に詳しいはずだ」

 ウィルは話をしながら、自分の考えが次第にまとまっていくのを感じていた。

「たぶん、この宿は大丈夫だと思うんだけど、監視の網を張られていたら少し自信がない」

 マイヤは顔を曇らせる。

「いや、ギュンガスは筋金入りの上流階層好みだから、こういう温かい感じの宿は監視の対象外だと思う。ぼくもマイヤがいなかったら、ここに泊まろうなんて思わなかったし」

 ウィルはそう言って、マイヤを落ち着かせた。 

「ぐうう。あの女たらし奴!」

 後ろでソフィアが怒りの声をあげる。
 ウィルは一瞬、自分のことを言われたのかと思ってびくりと肩を竦めた。

「次に会ったらひねり潰してやる。ウィル。まさか止めないだろうな」

 背中に狼のような獰猛なうなり声が響いた。

「止めやしないけど、情報の裏は取らないとね」

「あいつの目的はなんなんだ?」

 横のマイヤが首を傾げた。

「分からない。一番最悪なのは最初からドミトリスとグルであるという可能性だけど。なんらかの思惑があることだけは間違いない」

「やっぱり最初に会ったときに、ひねり殺しておけば良かった……!」

 そうなる可能性もあったのかもしれない。

(もし、そうなっていたらソフィアはぼくのもとに来たのかな。いや、予言の力があるからどのみちぼくのところに来ているのかな……)

 予言の力というものを考慮に入れると何でもありになってしまうので、どうにも考えがまとまらない。

「なあ。ウィル。あくまで可能性の話でオレもそうだと思っているわけではないんだけど……」

 珍しくマイヤが言い淀んでいる。

「うん?」

「トリスのやつが知っていた可能性はないかな?」

 その言葉にウィルは、はっと目を見開いた。

「トリスが……?」

「あー、うん。一応可能性の話な」

 そうマイヤは困ったように言う。

「たしかに、こんな大きな情報をトリスが知らないというのは不自然だ」

 ウィルは悩ましげにその言葉に同意した。

「ないとは思うんだけど、ギュンガスとトリスがグルだったりしねえかな?」

「まさか!」

 ウィルは半ば以上激高して、ベッドから立ち上がってマイヤのほうを振り向いた。

「怒るな! 怒るな! あくまで可能性の話だよ」

 マイヤはウィルを(なだ)める。

「なんのために?」

「分からねえ。ただ思うんだよ。言葉は悪いが、トリスにとって、ソフィアはウィルを成長させるための餌にすぎねえ。だいたい、ソフィアがマリエルを見つけたあと、おまえはあの屋敷をどうするつもりなんだ? 屋敷の生活を捨てて、ソフィアとともに遊牧生活を送るというのは、トリスにとって絶対に受け入れられない選択肢だぞ」

「話が一足飛びすぎない?」

 ウィルは苦笑を浮かべた。
 それはマイヤが心配していたことでもある。

「ん? それはわたしとウィルが(つがい)になって、一緒に暮らすということか? ないない」

 ソフィアはひらひらと手の平を振った。

「うっ……」

 ウィルは、にべもなく拒絶されてショックを隠しきれない。

「あれ? ソフィア。おまえはウィルのこと嫌いなのか? まんざらでもない感じかと思っていたんだが」

 マイヤが意外な表情でそう訊ねた。

「ん……。本人を目の前にすると答えづらい。マリエルの件もあるしな」

 ソフィアは困ったようにそう呟く。

「だいたいウィルに遊牧生活なんて無理だろ? 最低限、馬に乗って弓が使えないと、家族も財産も守れないぞ」

 それが遊牧民としてのソフィアの価値観らしい。

「一応、ぼくは馬には乗れるし、弓は無理だけど代わりに銃が使える。ソフィアもぼくの腕を見ただろ?」

 ウィルは体力はからきしだが、銃の扱いだけは自信があった。

「……弓が使えずとも銃が使えればいいか。ううむ。あまり銃は好きではないが認めないわけにもいかないな」

 ソフィアは真剣に首を捻った。遊牧民は、かなり実利的な考え方をする。

「それなら考えてやらなくもない。あとは、せめて一人で羊が捌ければる程度には遊牧生活に慣れれば……あ、しまった」

「ほれ、みろ。トリスにとって、ソフィアの妹が見つかるというのはリスクでしかないんだ。一番良いのは、ソフィアがずっと屋敷に飼い殺しにされていることだろ。あいつにとって、ウィルが危険な目にも合わずに屋敷に戻ってくるというのが最良の選択肢なんだ。ソフィアの妹が見つからずとも何の問題もない」

 マイヤがそう推測を述べた。

「もしトリスとギュンガスが口裏を合わしていたとしても、それならそれで深刻な問題ではないんだ。少なくとも今はね。ぼくを危険から遠ざけようとしてやっていることだから」

 伯爵家の少年は眉間を揉みながら、悩ましげにそう言う。

「問題は――」

 ウィルは深刻な表情を浮かべていた。


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