警告
この作品は<R-18>です。
18歳未満の方は
移動してください。
屋敷の玄関を開けると、石畳の小道の先に馬車が見えた。
「おお」
その小道の左右には、ずらりと女使用人が並んでいた。
一番奥にはトリスの姿が見える。
ちょっとしたサプライズの趣があった。
「わっ。見送ってくれるんだ。みんなありがとう!」
ウィルは、にこにこと嬉しそうに微笑んだ。
女たちは、そんなウィルに微笑ましそうにくすくすと笑みを向けた。
ウィルは小道へと歩を進める。
「一応わたしも部屋つきなのに、一緒に行けなくて悪いわね」
左から、そう声をかけてきたのは、金髪の才媛レベッカである。
ウィルのあとには、黒髪のソフィアと赤毛のマイヤが続いている。
レベッカは、つむじが見えるくらい丁重に頭を下げた。癖のない金髪が垂れ下がる。
元同級生がこうして見送ってくれることに、ウィルは奇妙な感慨を抱いていた。
まだ若干、女中服にぎこちなさが見えるが、元子爵家当主なのだから急には無理だろう。
だが、こうしてウィルに頭を下げることに抵抗がないように見えた。
ウィルには、この元同級生を、部下としても女としても完全に掌握しているという手応えがある。
「領地経営のほうは任せたよ」
「うん。任せて。必ずあなたの期待に応えてみせるわ」
(本当は旅に一緒に連れて行って、しっぽり楽しみたいのだけどね)
レベッカは荒事には向かないうえに、破瓜の傷がまだ完全に癒えていないのであった。
「ご主人さま、どうかご無事で」
右を振り返ると、豪奢な巻き毛の金髪が見えた。
レベッカの姉アラベスカの声色には切実な響きが含まれていた。
アラベスカには、ウィルに縋るしか道が残されていない。
一応、乳母という肩書きは持っているものの、その実、ウィルの望んだときに股を開く女である。
屋敷で一番大きい胸には、赤子のオクタヴィアが抱き抱えられていた。
ずらりと並んだ女中たちを不思議そうに見つめている。
もしウィルが旅先で客死でもしたら、この母娘は赤子ともども路頭に迷うだろう。
そのため、赤子を胸に抱く女に、ご主人さまと呼ばれることに、ウィルは重圧を感じざるをえない。
(それでも、もう絶対手放さないんだけどね)
アラベスカのなかは、大層、具合が良かった。
悪い笑みを浮かべていると、横のケーネと目が合った。
「お待ちしております」
胸の大きな黒髪の美人は、そう言って微笑んだ。
ウィルの帰りを待っているのか、ウィルに抱かれるのを待っているのか、どちらにでも取れる言い方だった。
ケーネは職人気質というか、はっきり言うと、少し頭のおかしいところがある。
いくら美人でも、ある種のヤバさを感じる女性にはなかなか手を出しづらいのである。
ヤバいと言えば、その横に、お辞儀の姿勢のまま、もじもじと内股を摺り合わせている女がいる。
「ご、ご主人様。早く帰ってきてくださいよ。そうでないとわたし、わたし!」
料理人のリッタであった。
頭を下げた姿勢から見える金髪の首筋は、しっとりと汗でしめり、白い肌が桃色に上気している。
(な、なんで朝からそんなに切羽詰まっているの!)
うっかり媚薬でも口にしたのではないかと思うくらい、盛っている。
「も、戻ってきたら相手してあげるから」
ついウィルがそう言った瞬間、バネ仕掛けのように凄い勢いで顔が上がった。
ショートの金髪が跳ねた。ぷるんと胸も震える。
「絶対ですよ!」
外に出してはいけないような、ものすごい表情をしていた。
「あ、うん」
思わず確約させられてしまった。
「……えへへ」
声は可愛いかったが、理性を手放しているヤバさしか感じなかった。
「リ、リッタ。ウィル坊ちゃんの出立ですから……」
痩せぎすの調理女中のドューディカが、しきりに上司の暴走を食い止めようとしている。
この黒髪のポニーテールの少女は、余計な苦労をしょいこむ学級委員長、あるいは上の暴走と下からの突き上げに苦しむ中間管理職のような立場に置かれている。
(苦労かけるねえ……)
ウィルは心のなかでドューディカの評価をそっと押し上げた。
それは、次にお手つきをする優先順位が上がったという意味でしかない。
いまやウィルは、重要な女を手込めにしてしまうことに、何の疑問も感じていなかった。
「「行ってらっしゃいませえ!」」
金髪を後ろに縛ったエカチェリーナと短い黒髪のフレデリカが左右から唱和した。
歳が若いこともあって、女学生のような元気のよい声だった。
なんとなく風呂場で見た、エカチェリーナとフレデリカの瑞々しい乳房を思い浮かべた。
(歳の近い子と一緒にお風呂に入るのも、なんかいいものなんだよね。ちらちらと恥ずかし気にこちらを見るのが可愛いし)
「ウィリアムさま。行ってらっしゃいませ」
黒髪のツインテールの少女ルノアが、小さな背を折り曲げて淑女のような礼をとった。
幼い少女が、精一杯背伸びしている様子を見るのはほほえましい。
「ウィルさま、お土産忘れないでねー。あたしチョコレート飲みたい」
にこにこと笑って金髪の幼女ニーナがそうねだった。
ウィルがつい甘やかして、風邪をひいた幼女二人にチョコレートの味を覚えさせてしまったのだ。
「! わ、わたしの分も!」
慌ててルノアも飛びついた。淑女の仮面が剥がれ落ち、年相応の表情を見せている。
「こ、こらっ! そんな高級品飲ませてもらえるわけないでしょ!」
ドューディカがそう叱りつけた。
チョコレートは、貴族の飲み物であり、薬である。普通は、庶民の手には届かない。
ウィルは苦笑を漏らしながら、横を通り過ぎる。
「ズルい。マイヤとソフィアだけズルい。わたしもレノスに行ってみたかったのに! 軍艦見たかった!」
茶髪のアーニーが頬を膨らませていた。
主人と一緒に都会に連れて行ってもらうことは、使用人の役得の一つである。
「子供じゃねえんだから。躾がなってなくて、すみません」
そう言って、ジュディスがアーニーの頭を上から押さえる。
「とにかくご無事でお戻りを。屋敷の留守はうちらで守りますんで」
ジュディスがそう言って、首をぼきぼきと鳴らした。
洗濯女中たちとは、将来、洗濯屋を開業するにあたってパトロンになってあげるという約束を取り交わしてある。
ウィルにはどうしても戻ってきてもらわないと困るだろう。
「できるかぎりのことはいたします」
金髪で褐色の肌のシャーミアがそう言い添えた。
「命かけるっす」
短い黒髪のレミアもそう追随した。
(命かけさせるような事態になってほしくないなあ)
ウィルは心のなかで苦笑を漏らしながら、洗濯女中の前を横切ろうとした。
「……あ」
三十手前の栗毛のブリタニーが片手を上げかけていた。
「ご無事で……」
ウィルの頭を撫でたかったのかもしれない。上げかけていた手を引っ込めた。
情勢がきな臭いことは十分分かっているのだろう。
つい先日まで銃器を扱う訓練をさせられていたのだ。
「ご主人様ならきっと大丈夫ですよ」
そう言って、黒髪のイグチナが自身の胸をぱんと叩いた。
その拍子に三十を過ぎた一児の母の乳房が大きく揺れる。
「可愛い子には旅をさせろって言いますし。あら、使用人の分際で差し出がましい口を。ふふふ」
イグチナはくすくすと笑った。
年増の女中たちの情は濃い。
(でも、せっかく男女の関係になったというのに、まだ子供扱いされるんだよね……)
そこがウィルの納得のいかないところであった。
「ご主人様に、神のご加護がありますように」
屋敷の修道女ヘンリエッタが、ぼそりと呟いた。
陽の光は苦手なようで、眉の下あたりまですっぽりシスター帽を目深に被って、指先で帽子にひさしを作りながら、上目遣いでウィルのほうを見上げている。
シスター帽からはみ出した白髪が、陽の光に照らされて輝いている。
「日陰に入ってていいよ」
白子の女はぶんぶんと首を左右に振った。
「いえ。お見送りだけは」
ヘンリエッタは居場所と自分の役割を提供してくれたウィルに、とても感謝しているようであった。
その結果、大して信心深くもない屋敷の修道女が生まれたのであるが、ウィルにとっては好都合である。
「良かったね。ヘンリエッタ」
敬虔なフローラが少し涙ぐみながら、そう声をかけていた。
(え、なんで泣いてんの?)
客間女中フローラの心の琴線に触れたポイントが正確に掴めずウィルは戸惑った。
ときおり女性は男が全く予想していたないところで感傷的になることがある。
「お帰りをお待ちしております」
フローラはそう言って、金髪の頭を行儀よく下げる。
身体のまえに重ねられた手が、気持ちを抑えるようにぎゅっとスカートを握りしめていた。
それを見て、ウィルは改めて責任の重さを感じる。
ウィルにとってフローラは女の一人にすぎないが、フローラにとっては身を捧げると誓った唯一の男なのである。
「うん。フローラありがと。ヘンリエッタも修道女として女の子たちの心のケアを頼んだよ」
ヘンリエッタは黙って頷いた。
信心の足りない修道女は、ウィルの道具に徹することに迷いがない。
黒髪のチュンファ、金髪のルーシー、赤毛のデイジーなど、雑役女中の頭が次々に垂れ下がる。
「ご無事で」
「行ってらっしゃいませ」
同じ顔をした栗毛の双子が、左右から声をかけてきた。
当初、リサ・サリを連れて行こうかとも悩んだが、トリスに言わせると、この蒸留部屋女中は屋敷の外では借りてきた猫のようになって、大して情報収集の役に立たないそうであった。
そして、馬車の前に立つトリスが微笑んだ。
「どうです? 順番に一人ずつ口づけなどされていきませんか? 軽く胸や尻の感触も確かめながら。まだ唇も吸ってない女中もいることですし」
トリスの言葉に、まだお手つきをしていない雑役女中たちの視線が一斉に集まるのを感じた。
「や、やめとくよ! 馭者長を待たせるのも悪いし」
トリスの提案に、心惹かれないでもなかったが、馭者長は白熊のようにずんぐりした白髭の老人である。
職務に忠実な温厚な老人で、めったに口を開かないが、怒らせたら怖い印象がある。
それに、女中たちがせっかく好意で見送ってくれているのに、その好意につけ込むようなことをしたくはない。
「そうですか……大丈夫ですのに」
トリスはとても残念そうに肩を落とした。
「また今度。また今度ね」
ついウィルがそう言うと、トリスはにっこりと微笑んだ。
「次の機会には是非。わたしは屋敷を離れることはできませんが、ご主人様、どうかご無事で」
トリスはそう言うと、ウィルに向かって片足を軽く折り、もう片足を一歩内側に近づけ、スカートの両側を軽く摘まんで深く頭を下げる。
すると、一斉にほかの女たちもそれに倣った。
スカートの裾から、レースの白い飾り模様が顔を覗かせる。
カーテシーのポーズで膝を折るのは、地に膝こそつけないものの、跪こうという意思の表明である。
街路樹に花が咲くように、総勢三十一名の女たちのスカートが一斉に持ち上がられた。
そのなかにはウィルが花を散らした女も多く含まれている。
そのとき気持ちの良い一陣の風が吹き抜け、女中たちのスカートを軽くはためかせる。
みな示し合わせたように、長い白の靴下を履いていた。
壮観であった。
思わずむらむらと来てしまった。必ず帰ってこようと思った。
「みんな行ってくるからね!」
ウィルはそう言って、馬車に乗りこんだのであった。
☆
意気揚々と旅に出て、半日後。
三大都市の一つレノスは、マルク領のほど近くに位置しているが、それでもそれなりの距離がある。
一日では辿り着かない。
「ううっ……くうう……」
ソフィアは苦しそうな声を漏らすまいと両手で唇を塞いでいた。
だが、指の隙間からは、絞り出すような呻き声が零れていた。
もう、かれこれ二時間はこうしているだろうか。
常日頃と違って、ソフィアの頭は大きめの白い女中帽で覆われており、帽子の裾から黒髪がはみ出していた。
ウィッグの毛先から、ぽとぽとと汗がしたたり落ちる。
石炭灰を塗った黒い眉が悩ましげな曲線を描いていた。
ソフィアの変装はマイヤが行った。
いつもと雰囲気の違うソフィアの弱々しい様子に、深窓の令嬢のような悩ましい色気を感じる。
「ソフィア。まだ頑張れる?」
ウィルはそう言うと、少女の細い背に腕を回した。
ソフィアの熱い吐息を首のあたりに感じる。
メイド服の生地は汗でびっしょりと湿って、少女の肌に張りついていた。
室内には饐えた臭いが漂っている。
排泄物の臭いも紛れ込んでいるだろうか。
先日、ウィルはソフィアの尻の穴の処女を奪ったばかりである。
「うう……」
少女の息は荒い。汗の滴る額をウィルの胸板に押し当てた
少年の白いブラウスが少女の脂汗と、少女の化粧粉で汚れる。
背をゆっくりと撫でてやると、少女の吐息が少し和らいで、引き絞られていた眉のカーブが緩くなった気がする。
ソフィアは縋りつくように、ウィルのブラウスを両手で握りしめていた。
だが、再び波が来たのだろう。少女は背を反らし、顎を震わせた。
「くっ。も、もう。ダメだ! これ以上、我慢できない!」
ついにソフィアは降参し、ウィルを見上げて訴えかける声をあげる。
縋りつく余裕すらなくなったのか、ソフィアはブラウスから指を離すと、沈み込むように床板の上に膝をついた。
ぽたぽたと少女の唇から唾液が零れ、床板を濡らす。
「アレを出して」
覚悟を決めたウィルの言葉に、マイヤがこくりと頷いた。
マイヤは金盥をソフィアのまえに、ことりと置いたのだ。
ごくりとソフィアが喉を鳴らす。
狭い室内である。さぞ臭いも充満することだろう。
ソフィアはぷるぷると首を振るう。
同世代の少年少女に、汚物を見られたくはない気持ちはウィルにもよく分かる。
だが、これくらいは割り切ってもらわないと困る。
ソフィアは一瞬の躊躇を見せた後、一歩、足を踏み出し、金盥を跨いだ。
「恥ずかしがる必要ないよ。俺もウィルにしてもらったことあるし」
マイヤが宥めすかすようにそう言った。
ソフィアは苦しそうに両手でお腹を押さえ、いよいよ切羽詰まったかのように、ぎゅっと目を瞑った。
身体を折り曲げて、ぎゅっと両の膝頭を掴む。
「う。ああ……ダメ」
やがて、ソフィアは顔の表情を緩ませ、ぶるると背筋を震わせた。
「……」
だが、桃色の窄まりからは何も吐き出されてこなかった。
ソフィアは意外にしっかりした足取りで立ち上がった。
一時的に波が緩やかになったのだろう。
「外に行って吐いてくる」
すたすたと狭い部屋を横切り、扉を開け、歩き去った。
金盥は綺麗なままである。
(もうちょっとエロいことになる予定だったんだけどなあ)
ソフィアの出て行った船室の扉を見ながら、そう嘆息したのだ。
☆
ソフィアはより近い甲板へと足を向けた。どうやら海に向かって吐くようである。
ウィルはソフィアの背を追いかける。
甲板に出ると、頭上から海鳥の鳴き声が聞こえてきた。
急に明るいところに出てきたので陽の光がとても眩しい。
強い日射しを手のひらで遮りながら見渡してみると、甲板には十人ほどの乗客がいるのが見えた。
みな思い思いに景色を眺めていて、その後ろをよたよたと幽鬼のように歩くソフィアに気がつくと、ぎょっとした様子を見せた。
「おい。ソフィア。大丈夫か」
両手に金盥を捧げ持ち、タオルを肩にかけたマイヤが、ソフィアの背中を追いかける。
乗客たちは船酔いだと察し、気の毒そうな視線を少女に向けてきた。
ばさばさっと鳥影がウィルの頭上を通り過ぎる。
潮の匂いが、すうっとウィルの鼻を刺激した。
(ああ……潮風が気持ちいいな)
見上げると白いマストがたっぷりと風を受けているのが見えた。
ウィルがいま立っているのは中型のガレオン船である。
横から見ると、少し湾曲した細長い箱が海面に浮かんでいるように見えるだろう。
この船は、マルク領の小さな漁港ターレに寄港した貨物船で、これからレノスの港に戻るところであった。
レベッカが大量の肥料を発注したので、ここ最近マルク領の小さな漁村にはこのような船がたびたび来港する。
「うう、風が生臭い……」
視線の先で、ソフィアがよたよたと歩きながらそう言った。
ウィルにとっては、気持ちの良い潮風なのだが、草原の民であるソフィアにとってはそうでもないようだ。
(ぼくは肥料臭い船内のほうが嫌なんだけどな)
それが船内に充満する不快な臭いの正体であった。
もっともそのおかげで便乗することができたのだが。
そうでなかったら、今ごろ漁師の小舟に揺られていたことだろう。
ソフィアは目をぐるぐると動かし、両手で口許を押さえながら、よろよろとデッキの上を船尾の方向に歩き出している。
風は、船尾の方向に吹いていた。
船首で吐くと、自分の吐瀉物で汚れかねない。
ふと横に、商人風の小太りの中年男性がソフィアに向かって駆けだしているのが見えた。
黒髪の美少女が具合悪そうに口を押さえ、背を丸めよたよたと歩いているのだ。
庇護欲を刺激されたのだろう。
「お嬢さん。大丈夫かね」
支えるつもりなのか、後ろからソフィアの腕を掴んだ。
体重の軽いソフィアが後ろに体勢を崩しかける。女の扱いがなっていない。
ウィルから見ても、あれは邪魔くさいだろうなと思った。
「い、急いでいるんだ!」
可憐な少女がそう言って、足を踏みしめ、腕を払った。
「ソ、ソフィア!」
「無茶すんなよ!」
ウィルとマイヤが制止の声をあげたとき、小太りの中年は大きく足を滑らせているように見えた。
ソフィアがぐるんと腕を回すと、男のたっぷり脂肪の詰まった腹の中心に重心があるのがよく分かるような見事な一回転をした。
どすんと、男はお尻から甲板に着地した。
「あ、あれ? ワシは?」
男はなにが起こったか分からず、不思議そうにきょろきょろと周囲を見回している。
ウィルはそっと胸を撫で下ろしていた。
一応、お忍びで来ているのである。余計な騒動は引き起こしたくない。
それが吐き気のきっかけになったのか、ソフィアはついに駆けだしていた。
ソフィアは船尾の手すりにぶつからんばかりの勢いで衝突すると、口からえろえろと昼に食べた消化途中の食べ物を海辺に垂れ流した。
ばさばさと海鳥がソフィアの吐瀉物めがけて集まって来ていて、とてもシュールであった。
(……馬に慣れているだろうから、船の揺れくらい平気かと思っていたんだけど)
ウィルはソフィアの背中を撫でてあげながら、困ったなあという顔を浮かべた。
銀狼族の少女がいれば、この少人数でも平気だろうと当てにしてここまで来ているのだ。
船縁を見下ろすと、ガレオン船の壁面には何門か大砲が備えつけられているのが分かった。
錆びついていて本当に有事のときに役に立つのか疑問ではあったが、無いよりはあったほうがよい。あるのを見れば、襲うことを少しは躊躇うであろう。この海域でも海賊が全く出ないわけではないのだから。
いま船は南の方角に進んでいた。
左手には、マルク領の南からレノスへと続く海岸線が見える。
海岸線は断崖絶壁であり、複雑な入り江を形成している。陸路で進むには少し骨が折れる。
マルク領より港街レノスに向かうルートは「山を越える」「ぐるりと平地を回る」「船に乗る」の三つである。
最初の山越えルートは、いま遠目に見ている険しい山道を進むことになり、しかも山賊が出没するという。
もしかしたらソフィアなら山賊くらい容易く撃退できるのかもしれないがリスクを避けるに越したことはない。
山脈を迂回するルートは安全だが極端に遠回りとなる。
御者に任せて居眠りでもしていれば到着するのだが、白熊のようにずんぐりした白髭の老人を伴うことになる。
ウィルは職務に忠実な彼のことが決して嫌いではなかったのだが、今回の旅にはソフィアとマイヤだけを同伴させたかった。
そういうわけで結局、船に乗るルートを選んだのである。
どのみち馬車は船には乗せられない。御者長とは漁村で別れた。
(船室で人目をはばかることなくいちゃいちゃできると思ったのになあ……)
正直、少しアテが外れた感がある。
当初の予定では、船室で爛れた時間を過ごしているはずであった。
「ふう。少しだけすっきりしたが、まだ気持ち悪い」
そう言って、ソフィアはずるずると甲板の縁にへたり込んだ。
相当顔色は悪かったが、まあ船酔いで死にはしない。レノスに到着するまであと一日の辛抱である。
ウィルはやれやれと肩を竦めた。
(それにしても困ったな。いまのソフィアは計算できないだろうし……)
一応ソフィアは、ウィルの警護を任されているのである。
こんな少人数で来ているのも、ソフィアの武力を当てにしてのことである。
もしいま襲われたらひとたまりもないかもしれない。
「げへへへ。お嬢ちゃん。おらが介抱してやろうか?」
ウィルは後ろから響く下品な声に、嫌そうに振り向いた。
案の定、のっしのっしと熊のように大男が、ふらふらとこちらに向かって歩いてきた。
しこたま酒が入っているようで、赤い顔をしている。
肥料の臭いの充満するような貨物船なので、タチの悪い乗客が混ざっていても仕方がないのかもしれない。
あの白熊のような御者を連れてきていたら、近づいてこなかった手合いであろう。
おまけに傭兵崩れなのか。顔にいくつもの切り傷がある。手の指は、顔でも握りつぶせそうなくらい、ごつごつと節くれだっている。
「……任せろ」
「お……?」
ソフィアは立ち上がりかけたが、うっと口を押さえて再び蹲った。
胃の中のものがまだ残っていたのか、再び海に向かって嘔吐しはじめた。
(ま、全く使い物にならない……)
ウィルは空を仰いだ。
「おい。おまえ、こっちに近づくな!」
マイヤがそう叫んだ。
「なんだおまえ。優しくしてやるから、そうきゃんきゃん吠えんなって」
男は少年少女の集団と侮って、諍いを起こす気満々のようである。
ウィルとマイヤは同時に舌打ちをした。
まさか甲板の上で諍いが起きるとは思わず、武器を船室に置いてきてしまった。
甲板にいた乗客たちは、トラブルはご免だとばかりにすごすごと引き返している。
(せめて、船員を呼んできてくれるといいのだけど……期待薄かな)
さきほど、ソフィアの腕を支えてやろうと掴んだ、小太りの中年が真っ先に逃げ出しているのを見て、ウィルはそう判断した。
「なあ、臭い船室でムカムカしてんだ。酌でもしてくれねえかな」
そう言って、ニタニタ笑いながら、さらに近づいてきた。
体格差が凄まじい。男は二メートルを超えているかもしれない。
「悪いが他をあたってもらえないか」
ウィルはそう言ったが、男はなおも近づいてくる。
「坊主。綺麗な顔をしているな。ちょっとだけ尻を貸してくれよ」
ぞわりと背筋に悪寒が走る。
「……ウィル。掴みさえすればなんとかなる。そばにおびき寄せろ」
蹲った姿勢でソフィアがそう呻いた。
「おびき寄せるって、どうやって」
「おまえの尻を貸してやるとでも言えばいい……うぷっ」
「やだよ!」
少年少女はごにょごにょと小声で会話を続ける。
「ええい、面倒だ。わたしを犯せと言え。来たら握りつぶしてやる」
(それもなあ……)
ウィルは、男を殺さないようにと言いかけて、口を噤んだ。
いまのソフィアに手加減をする余裕はない。
余計な指示は出さないほうがいいだろう。
だが、お忍びで来ているのだから、できれば穏便に済ませたいところである。
ウィルは頭を抱えた。
そうこうしているうちに男がすぐ近くまで迫ってきた。
(覚悟を決めるしかないか……)
マイヤに目配せしようとしたそのとき、大柄な男の膝がかくんと揺れた。
「痛ぇ!」
「酔っ払いは大人しくしていろ」
凜とした女の声が響いた。
どこからともなく現れた長身の女が、横から男の膝を蹴りつけたのだ。
長く黒い三つ編みが、女の頭の後ろから下がっており、それが蠍の尾のような鋭さを感じさせた。
「うっとっと……」
姿勢を崩してたたらを踏む男の足を、女は易々と長い足でひっかけた。
大男の巨体が、前のめりになって空中に浮く。
「おわわわっ!」
どすんと痛そうな大きな音を立てて、大男は甲板の上に俯せに倒れる。
もうそのときには、女は、巨漢の背を片膝で押さえつけ、左の腕をねじり上げていた。
「いてて。てめえ!」
男は右手で鼻を押さえながら起き上がろうとするが、女が腕をくいっと捻ると、
「あてててて! 痛ぇ!」
大きな悲鳴を上げた。
「女の腕力で男を制圧する方法はいくらでもある」
女は、長い尾のような髪束を背中に回しながら、そう言ってのけた。
そして、甲板の上に俯せになった男の顔の前にナイフを突き刺した。
「ひいい……」
「どうしても酌をさせたかったら、わたしが付きあってやる。命の保証はしないがな」
「オ、オレが悪かった。船室で大人しくしているから離してくれ」
「よし」
女はさばさばとそう言って、男を離す。
大男は、こきこきと首を鳴らしながら立ち上がり、女を睨みつけたが、女の腰にサーベルがぶら下がっているのを見て取ると、バツの悪そうな表情をして、背を丸めながらとぼとぼと船室へと戻っていった。
(か、格好いい……!)
ウィルは心の中でそう唸った。
「大丈夫ですか?」
長身の女はそう声をかけてきた。
「ええ。おかげさまで……」
そう言いかけて、女がどこかで見たことのある服を着ていたことに目を留めた。
(あれ……? このたしかこれは)
白いブラウスに、胸元には灰色のスカーフ。紺色のスウェットに、濃紺色のズボン。
服装の印象は柔らかいが、立ち振る舞いに隙が無い。
「あなたは?」
「わたしはシャルロッテ女学院の在籍中のイングリッドと申します」
(シャルロッテ女学院……?)
「へえ……」
(ということは、ぼくと年はそう変わりがないのか)
ウィルは、優秀な家庭教師の指導もあって、極端に早めに寄宿学校に入学し、卒業している。おそらくイングリッドのほうが年上だろう。
女の着ているのは、女中長トリスの妹ロゼの通っている女学院の制服のようである。
ウィルが寄宿学校に通い、ロゼが女学院に通い始めてからというものの、手紙のやりとりだけでロゼとは一度も顔を合わせていないため、シャルロッテ女学院の服装かどんなものか分からずじまいだったのだ。
「ズボン?」
紺色のズボンの足がとても長い。
ウィルは思わずそう尋ねた。
「ああ。これですか。動くのに不便なので、わたしは特別にスカートの代わりにズボンを履かせてもらっています」
イングリッドは綺麗な顔をしていた。硬質でシャープな印象がある。
前髪が風になびき、頭の後ろで堅く結った長い黒髪が、鞭のように垂れ下がっている。
さきほどの、しなやかな身体の動きといい、なんとなくイメージは黒豹である。
同じ長身でもバレエをしていたトリスとは身体の肉のつきかたが少し違う。
イングリッドの身体からは、柔らかさより肉の引き締まりのほうを感じさせた。
とてもすらっとした体型をしているが、服の上からでも十分な筋肉が備わっているのが窺える。
腹筋は間違いなく割れているだろう。
だが、かといって女性らしさを失っていない。身体を動かすのに邪魔にならない、それなりに大きな胸の膨らみが、紺色のスウェットを押し上げていた。
もし、この女のなかに入ったならば――。
「あ、あの……」
(はっ……)
そこで、ようやくウィルは非常に失礼な妄想を抱きながら、女の上から下までをしげしげと観察していたことに気がついた。
イングリッドは、戸惑い気味に、少し恥ずかしそうに顔を赤らめていた。
「ああ、これは失礼。妹が通っているもので、つい……」
ウィルは、そんな返事をした。
そう言った後で、ロゼなら成績優秀だろうから、シャルロッテ女学院の生徒なら名前だけで通じるだろうと気がついた。
それに、ロゼとは血の繋がりがあるわけではない。妹と呼んだら語弊があるだろう。
ウィルの通っていた寄宿学校でも、つい妹と言ってしまって、いまだにウィルには血の繋がった妹がいると誤解している学友までいる。
(まあ、いいや)
助けてくれたところ申し訳ないが、ウィルは身元を明かすつもりはなかった。
「妹? おや、聞いていた話と違います。失礼。マルク伯爵家のウィリアム様ですよね?」
イングリッドが真剣な表情で、そう食いついてきたのだ。
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