復興を問う:東日本大震災 第1部・自立への模索/5止 隠れた地域資源、発見
毎日新聞 2013年08月28日 東京朝刊
◇陸前高田、震災機に交流広がり
遅い梅雨入りをした岩手県陸前高田市の高速道路建設予定地に、市民やボランティア計約20人が集まった。茶の木をショベルカーで掘り起こし、市内の別の場所に植え替える。呼びかけたのは元農協職員で会社員の村上忠弘さん(57)。近くの住民から数日前、木の存在を知らされた。
京都から茶の在来種が持ち込まれたのは18世紀。茶栽培の北限とされる「気仙(けせん)茶」は素朴ですっきりとした味わいを持つが、多くは自家消費の域を出ない。
同市は気仙大工と呼ばれる大工集団を生み、戦後復興期や高度成長期にたくさんの出稼ぎ労働者を送り出してきた。それだけに、地域に産業が定着しにくかった。農協はさまざまな農産物の特産品化に挑んだが、大半が失敗している。茶もその一つだ。「高田の人はそもそも、もうけようという気がない」と村上さんは苦笑する。
「だからこそ文化的な価値がはぐくまれた」と言うのは、地域資源を研究する伊達浩憲龍谷大教授だ。東日本大震災後初めて市を調査に訪れ、気仙茶を守る活動をする村上さんらの案内を受けた。在来種が商業用の改良種に植え替えられた京都などと異なり、気仙茶があちこちの畑で昔のままに残っていることを確認した。「各家庭の生活に溶け込んで維持されてきた。そこが面白い」と評価する。
だが市内では、高齢の農家が被災者の住宅や新規参入の商業施設に農地を転用するケースが相次ぐ。市によると、2012年度の転用許可件数は353件(計約27ヘクタール)で10年度の8倍だ。「このままハードだけが整えられても、まちには何も残らない」。村上さんらは今ある木を守り、茶摘みや製茶体験によるまちおこしに取り組むつもりだ。
米崎地区で130年前から栽培される「米崎リンゴ」も、品質を評価されながら特産品にならなかった農産物の一つだ。やはり担い手の高齢化で震災後は農地転用が相次ぎ、ピーク時の半分の100ヘクタールを切っている。
「志田果樹園」を営む千葉美和さん(58)と母セツさん(81)も、膝を痛めて継続が難しくなった。「駐在したボランティアや警察官が、こんなにおいしいリンゴはないと喜んでくれたんだよ。でももう限界」。いよいよ伐採しかけた昨冬。「自分に作らせてほしい」と声がかかった。