私にとって「支援」とはなにか

「不登校情報センターはいろいろな支援をされているようですが、どうして私のように本当に支援を必要としている人には手が届かないのですか」。こういう趣旨の電話を受けました。
名前もわからない人からの“問い”に意表を衝かれたような感じがして、どう応えればいいのか一瞬とまどいました。
かつてあるアンケートに答えてこう書いたことがあります。
「「自分は何もしないですが、何とか助けてほしい」という人には特に手助けできそうにありません。不安を持ちながら、自分なりに(自分勝手だと思えても)少しずつ動こうという人には、それにあった方法が考えられると思います」。
少なくとも支援の対象になる相手が誰なのかわかっていなくてはなりません。見る人ごとに「どんな支援が必要ですか」と聞いていくわけにはいきません。それは大きなお世話の押し付けでしかなく、やってはいけないことになります。
そのうえで、不登校情報センターに何らかのかかわりを持つことが、支援を考えるときの必要な条件です。何もかかわりがないなかでは何もできません。しかも、多少のかかわりが生まれたとしても、こちらが勝手に手をだすのはやりすぎではないかと思います(緊急事態は別として)。
支援を求めている人が自分から何かを始めようとするとき、それを可能な方法で手伝うのが私には「支援」になると思います。
「天は自ら助けるものを助ける」というのを私はそのように理解してきたはずです。

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