一般相対論に基づく宇宙論として、こんにち多くの学者に受け入れられているのは、われわれが住むこの宇宙が、今から100〜150億年前に大爆発とともに始まり、現在なお膨張を続けているという「ビッグバン理論」である。この理論は、ガモフらによって提唱されてからしばらくは、観測データの裏付けを欠いた空論と見らることもあったが、後に、ビッグバンの“名残り”である3Kの背景輻射と、そのわずかな揺らぎが観測され、現在では、科学的な宇宙論として確固たる基盤を獲得している。もちろん、観測データの不備もあって、いまだに結論が出されていない問題も多い(その最たるものが、「この宇宙は空間的に閉じているか、あるいは、いつか膨張が収縮に転じるか否か」であろう)。しかし、科学的に明確な論拠に基づいて現実的な宇宙論を展開することは、こんにちでは、もはや通常科学の営みになっていると言って良い。
それでは、現代宇宙論は、時間が「開闢の瞬間」から流れ始めるように感じられることを、どのように説明するのだろうか。スタンダードな解釈によれば、宇宙のエントロピーの変化が理解の鍵になる。
エントロピーとは、系の統計力学的な意味での無秩序さを表す量であり、状態密度が定まっている孤立系では、熱力学第3法則によって厳密に定義される。エントロピーの特徴は、その値が、熱力学第2法則に従って、「時間とともに」単調に増大する点である。エントロピーが増大するのは、例えば、水中に落下した1滴のインクがしだいに水と一様に混ざる、あるいは、高温と低温の物体を接触させると前者から後者へと熱量が移動するといった「自然に起こる」過程なので、いわゆる「時間の矢」の向きをエントロピーが増大する向きと一致させるのは、物理的にも直観的にも妥当だろう。
もっとも、「時間とともに」という表現を用いると、あたかも時間の流れを前提にしてエントロピーを議論しているとも誤解されかねない。そこで、次のように言い換えてみよう:
あるシステムが、何らかの作用によって、エントロピーの値が(当該システムで取り得る最大値より)きわめて小さい状態に設定されたとする。これを初期状態として、他と相互作用せずに物理法則に従って自律的に時間発展する場合、統計的システムの場合には初期状態自体がアンサンブルであるため、また、量子的システムの場合には理論の本質的な非因果性のため、システムが辿る履歴にはさまざまな可能性が存在することになる。ここで、可能な履歴すべてのアンサンブルを考えると、ある時刻におけるシステムのエントロピー――より正確には、適当な時間幅にわたる平均値――が、初期状態を設定した時刻からの時間間隔の単調増加関数になっている履歴の割合は、それ以外のものに較べて、圧倒的に大きい。
この言い換えをもとに考えれば、基礎的な物理法則が時間反転に対して不変であるにもかかわらず、エントロピーが「時間の矢」を特定の向きに定めてしまう根拠が、判然とするだろう。時刻Tにシステムを(エントロピーが小さい)初期状態に置くには、外部との相互作用が必要となるため、Tを端点とする時間の2方向のうち、エントロピーが厳密に定義できるのは、システムが外部から切り離されている一方の側だけである。エントロピーは、この向きに増大する。さらに、孤立系のエントロピーが減少しないとされる理由も、同様に説明できる。確かに、エントロピーが減少する過程も原理的に有り得ない訳ではない。しかし、(エントロピーが小さい)ある初期状態を出発点とするあらゆる過程から成る膨大なアンサンブルの中にあって、それは、きわめて少数の例外でしかない。この宇宙の中でそうした過程がもし実現されているとすれば、まさに、驚嘆すべき偶然である。
さて、話題を宇宙に戻そう。
もし、時間が、無窮の《過去》から永遠の《未来》へと果てしなく拡がっていたり、《過去》と《未来》がつながった円環状であったりすると、初期状態がどのように設定されているか全く理解ができず、「時間の矢」の向きも定められない。また、この宇宙が、互いに全く相互作用を行わないいくつかの孤立系から成り立っているならば、エントロピーによって定められる「時間の矢」の向きが、それぞれの系で同一になる必然性は失われてしまう。いずれも、常識的に首肯しがたい状況である。だが、ビッグバン宇宙論では、こうした変則的な事態は起こり得ないことが示される。第1に、時間の拡がりにビッグバンという端点がある以上、初期状態はここで設定されていると仮定するのが自然である。第2に、宇宙創成に相当するビッグバンの瞬間には、(少なくとも観測可能な範囲にある)あらゆる物質――と仮に呼んでおこう――が1点に凝縮されていたので、常に他から孤立していた部分は存在しない。したがって、あらゆる時間にわたって定義されるエントロピーとは、それ自体が孤立系と見なされる宇宙全体のエントロピーだけである。
このような論考から、自ずと次の命題が導かれるはずである:
もし、ビッグバンの瞬間における宇宙全体のエントロピーがきわめて小さい値になる物理的な理由があるならば、全宇宙共通に、その時点を始まりとするような「時間の矢」の向きが定められる。
現時点でも、宇宙のエントロピーの値は、いわゆる「熱死」状態と較べて「桁が桁違いに小さい」ことが知られており、エントロピーが急激に増大するさなかにある。宇宙が熱死に陥るまで、およそ1040年ほどを要すると推定されており、ビッグバン以来、1010年しか経っていない現在は、まだ、宇宙開闢直後なのだ。コーヒーに1滴のミルクを落とすと、最終的には一様に混じり合ってしまうものの、最初のうちは、艶やかな模様を描く。それと同じように、低エントロピー状態から始まった宇宙は、創成直後、巨大なエントロピー流の散逸過程で、ほんの一瞬間だけ生命や文明を宿すことができるのである。われわれは、こうした宇宙的な趨勢の中で、あたかも「時間の流れ」に乗っているかのような錯覚を覚えるのだ。
宇宙初期にエントロピーの小さい状態があったというアイデアは、それほど不自然なものではない。
(熱力学の最も簡単なモデルとして示されるような)初等的な気体分子運動論において、エントロピーが最大になるのは、気体が容器内に一様に拡がった「自然な」状態である。エントロピーを下げるためには、気体分子を容器内のある部分に押し込めるといった、かなり人為的な条件を設定しなければならない。これに対して、宇宙の大局的な動向を支配する力である重力は、全ての物体に対して引力として作用するため、(互いに反発しあう気体分子とは逆に)一様性が高いほど、エントロピーは小さくなることが示される。したがって、宇宙創成時にエネルギーなどの物理量の空間的分布がほぼ均一になっているならば、その時点での宇宙のエントロピーはきわめて小さく、それ以降の時間発展は必然的にエントロピーが増大する過程になる。
実際、一様な状態から始まったとすると、宇宙の進化は、熱力学的には決して不可解なものではない。具体的には、次のようなプロセスが段階的に生起して、全エントロピーが減少することなく、宇宙の中に秩序が形成されていくのである。
こうして、「この世界に時間の流れがあると思わせるようなエントロピー増大の過程が実現されているのはなぜか」という問題のポイントは、宇宙創成の瞬間において均一性を設定することが自然かどうかに絞られる。
実は、非量子論的な一般相対論に基づく限り、創成の瞬間における宇宙の状態を設定することはできない。これは、いわゆるホーキング/ペンローズの「特異点定理」の直接的な帰結である。この定理によれば、(いくつかの妥当な仮定の下で)宇宙の初期に数学的な特異点が不可避的に現れ、その時点で、あらゆる物理法則が破綻する(=定義不能になる)ことが証明される。この帰結をそのまま認めるならば、宇宙の始まりは、数学を武器としてきた物理学者の手が届かない所にあって、当然ながら、そこで設定されているはずの初期状態についても、科学的な議論が不可能だということになる。カトリック教会は、初期特異点を持つ古典的なビッグバン宇宙論を、キリスト教神学に合致するものとして歓迎しているが、まことに納得できる話である。
こうした不可知論的な立場にあきたらず、宇宙創成の瞬間までも物理学的に記述しようとする試みは、1980年代に量子宇宙論の研究者によって始められた。その中で最も良く知られているのが、ホーキングらによる宇宙の量子状態理論である。
ホーキングの理論とは、おおよそ次のようなものである。
物性論や素粒子論では、最低エネルギー状態を求めるのに、量子化のための経路積分における時間tを、虚数τ=itに置き換えて計算する手法が利用されている。こうした置き換えの正当性は、定常状態にある物質の性質や素粒子の散乱過程を扱う場合に限って、厳密に証明されている。ホーキングは、理論的な正当化は抜きにして、この手法を、宇宙の基底状態を計算する際にも適用してみた。こうした試みは、数学的特異点のような非量子論的一般相対論特有の問題を回避するのに、有効である。ただし、実際に計算を遂行するために、さまざまな経路(積分値を与える級数の1つの項と考えて良い)のうち、積分が数学的に定義できないものは除外するという(いささか恣意的な)ルールを設けてある。このようなルールの下で大幅に簡略化した近似計算を行ったところ、興味深いことに、ビッグバン宇宙論における(「真空の相転移」と呼ばれる特殊なイベントを通過する以前の)創成直後の宇宙に類似した状態が得られたのである。この結果をもとに、ホーキングは、創成時の宇宙が、特定の経路積分によって求められる量子状態にあると主張した上で、こうした経路積分が、近似的に解を計算するための単に数学的なテクニックではなく、現実に生起する物理的プロセスの表現になっているのではないかと示唆している。
ホーキングの理論そのものは、必ずしも学界で受け入れられた訳ではなく、現段階では、叩き台として扱うべき面白い仮説の1つでしかない。しかし、次の点は、注目に値する。すなわち、宇宙の初期状態を計算するに当たって、「この」宇宙の特殊性はどこにも使わず、一般的な計算ルールを与えるだけで、現実と類似した状態が得られたという点である。実は、経路積分を数学的に定義可能な部分に限定したところに、トリックのタネがある。一般相対論の運動方程式だけでは、宇宙の初期に(ブラックホール特異点の時間を反転した形になっている)ホワイトホール特異点が多数存在することを禁じられない。ところが、こうしたホワイトホールは、エネルギーなどの分布に大きな揺らぎを与え、巨大なエントロピーの元になる。ホーキングが採用したルールは、初期状態からホワイトホールを排除し、結果的に、きわめてエントロピーの小さな状態を実現するものであったのだ。
さて、ホーキングの顰みに倣って、次のように論を進めよう。現実に宇宙の初期状態におけるエントロピーがきわめて小さな値になっている以上、ホーキングが与えたままではなくとも、それに類した「ルール」が自然界に存在すると考えても良いのではないか。そして、こうした「ルール」が、この宇宙だけにとどまらず、あらゆる仮想的な宇宙にも適用可能な普遍性を備えていると仮定すれば、これは、「物理法則」と呼ばれてしかるべきものである。結論的に言うと、創成の瞬間において、宇宙がきわめて一様でエントロピーの小さい状態になっているのは、ある「物理法則」の帰結なのである。
時間を「流れるもの」としてイメージすると、この主張はいかにも奇妙に思えるかもしれない。だが、時間は拡がりをもって存在しており、その一方の端の状態が、特定の法則に従って定まっていると考えるならば、さして突飛な状況ではあるまい。蛇口からしたたる水滴の底が描く曲面が、表面張力と重力の法則によってほぼ定まっていることに擬えられよう。
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