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平成25年8月28日
日本・カタール・ビジネスフォーラムにおける総理あいさつ

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アル=サダ・エネルギー工業大臣、
ご来場の皆様、
 本日は、インフラ、産業、金融、食と医療、そして教育と、各界を代表する、日本・カタール両国のリーダーの皆様に、かくも、大勢、ご参集をいただきました。
 遠路お越しくださった方、また、カタールからご参加いただいた多くの方に、心より御礼申し上げます。
 本日は、この機会に、まず、カタールの皆さんに対し、心からの感謝を申し上げたいと思います。
 日本を襲った東日本大震災のあと、一月(ひとつき)経つか経たないうち、カタールガスCEOのハーリド・ビン・ハリーファ・アール・サーニ(Khalid Bin Khalifa Al-Thani)さんははるばる日本に来て、「ガス追加供給に、何の心配も要らないと」、請け合ってくれました。ほんとうに、あの時、どれほど安心したか知れません。
 それだけでなく、こう言ってくれました。
「日本は私たちにとって、いしずえを築いてくれたカスタマーで、カタールの経済発展を、力強く支えてきてくれた国である。今度はわれわれの番だ。可能な限り、あらゆる支援を、提供し続けよう。
 私たちは心を打たれました。かく申す私は、総理大臣として、6年前にカタールを訪問しました。また一時期、神戸製鋼の社員でした。カタールと日本の間柄について、いささかですが、知るところがあります。
 カタールは、1974年、昭和49年、カタール・スチールという、製鉄所をつくりました。そのとき、合弁相手になったのが、神戸製鋼です。私が大学を出て神戸製鋼へ入社し、まだ日の浅い頃です。アラビア半島初の、高炉一貫生産ラインをつくった話が、話題に出たのを覚えております。
 このたびJOGMECは、カタール石油公社と、新たに覚書を結びました。石油・天然ガス分野の協力を強化していくためですが、40年近くを経過し、カタールと日本の、資源・エネルギー関係が、順調に発展しておりますことを、私は、ことのほか、嬉しく存じます。
 カタールと日本は、いわば、一緒に伸びて、今日まで参りました。それは血の通った、温かい関係であり、「3.11」の後、心のこもった支援をして頂いたことに、改めて、この場をお借りして、心から感謝申し上げます。
 さて、今回6年ぶりにカタールを訪問し、その光景が、高層ビルの増加によって、一変していることに驚きました。なんでも、9年後のサッカー・ワールドカップに向けて、これからインフラ投資需要が、十数兆円分、生まれると伺いました。
 それを見越して、カタールには、新たに外交関係を結び、大使館をつくった国の数が、近年だけで20カ国に上るとも聞きました。
 そして、一人当たりGDPは、日本の倍以上です。これほど豊かな市場は、ざらにありません。私は、ですからこそカタールの人々に、豊かな日本の食や高度な日本の医療を取り入れていただき、日本とカタールが共に生き、共に栄えることを目指したいと思います。
 既に、メディカル・エクセレンス・ジャパンと、当地ハマド病院の間では、協力が始まりました。またカタールならばこそ、我が国の、再生医療が普及できるでしょう。
 あるいは日本の植物工場です。世界最高水準の技術は、乾いた風土に、新鮮なレタスを育てます。あれやこれや、カタールの人たちに、「やっぱり日本だ、頼りになるのはと」思っていただきたいと、そう思います。
 もちろん、カタールの皆さんには、日本食品の輸入を妨げる規制を、ぜひともなくしていただきたいと、そう、お願いを申し上げます。
 私は、日本とカタールとの関係を、エネルギーのみならず、政治安全保障や、経済、教育、農学、医療、そして文化・人的交流に至るまで、幅広い分野で協力を深めていきたいと考えています。
 そして、日本と中東との関係を、「協働(タアーウヌ)」、「共生と共栄(タアーイシュ)」、「和と寛容(タサームフ)」の三つの柱に基づいて、力強く進めていく所存です。
 終わりに、本日のセミナーが、カタールと日本の関係を、さらなる高みに持ち上げるよい機会となりますことと、お集まりの皆様方すべてのご健勝、ご発展をお祈りし、私からのご挨拶といたします。有難うございました。

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