私は勝ちたい奴には用は無い。
ぜひとも負ける用意のある奴と友達になりたいものだ。
まあこう言うと、
それは単なる負け惜しみだと言う方も多いだろう。
そうかもしれない。
でもそれでも私はいいのだ。
負けるが勝ちというつもりもない。
私は元々勝ち負けということが好きじゃあない。
勝ち負け、成功失敗に拘泥する人には興味が無い。
勝つことしか頭にない人が好きになれない。
よく「生存競争はそんなに甘くない」と言う人がいる。
そしてずるく計算高く立ち回る人がいる。
詭弁で負け惜しみだと言われるかもしれないが、
しかしこう考えることができる
要するに成功失敗にこだわる人は生きるということをなめているのだ。
彼の言っていることは逆なのだ。
そういう人は「全体」に甘えて生きているのだ。
正直で誠実な人に甘えて生きているのである。
愛とは心を開くことである。
負けを認めることである。
失敗することである。
本当に純粋な人は喜んで負けることを知っている。
彼は喜んで損をすることを知っている。
そういう純粋な人に向かって「そんなきれいごとを言っていては生存競争に生き残れないぞ」
と言う人はその純粋な人に甘えているのだ。
正直者は馬鹿を見るのが正しいあり方だ。
喜んで馬鹿になろう。
純粋な人はそれを喜んで受け入れる。
負けることの何が悪い?
失敗することの何が悪い?
結局のところ誠実に生きている人ほど本当の生きる喜びを知るのである。
真実を知ることができるのは純粋な人のみである。
愛を知ることができるのは純粋な人のみである。
当然と言えば当然だが。。。
そしてそれは勝ち負けや成功失敗には関係ないことだ。
勝とうが負けようが、
成功しようが失敗しようが。。。。。
勝ちたい人は、
負ける用意の出来ていない人は、
ある意味では欲望におぼれている人だ。
慢心している人だ。
彼は得をしたいのだ。
そういう人は決して真実を知ることがないと思う。
真実を知るということは負けを認めることだからだ。
全体は大きくて強い。
「あなたは私より大きくて強い」素直にそう言える人のみが真実を知ることができるかもしれない。