1983年頃(高校入学)
キャノンAL−1+NEW FD50F2.0
入学祝いに親にカメラを買ってもらう。但し金が無いので、大学時代に北海道旅行で本格的に(と言っても36枚撮りで5本程)撮った位で、素人写真にもならないレベルである。
ちなみにこのころは眼鏡を掛けて写真を撮っていたが、ピントを合わせるのが難しくて苦労していた。フォーカスエイドは、ピントの確認用にしか使わなかったが、一発でピントが合った試しがない。
レンズは、
シグマ70−210F3.5−4.5
キロン28−210F3.8−5.6
キャノンNEW FD50F1.4
がラインナップ。キャノンのNEW FD50F1.4が増えているのは、旅行中に交通事故でご臨終したF2.0とのリプレース。
この時、普及レンズ(NEW FD50F2.0のこと)が如何に使いにくい安玉であるかということと、『大口径レンズはいい』ということを、思いっきり思い知らされた。ピントの合わせやすさが断然違う。
大口径レンズは、被写界深度が浅くてファインダーが明るくなるだけでなく、収差補正がキッチリされているので、その差が使い勝手に大きく表れるのだということをその時知った。例えば、薄暗闇でマニュアルでのピント合わせに挑戦してみよう。特にファインダーの中心を外れると、安いレンズだとフレアーが出てピントが合わせられなくなる。但し、使っているカメラのファインダーの性能でそもそも変わってくるが‥‥。
メーカーは普及レンズでも充分な性能を保証しますとか言うけど、設計基準値が全然違うというのは、業界内では公然の秘密では無いだろうか?但し、一部設計に無理をしたレンズがあるから、『大口径=高性能』という図式が常に成り立つ訳でもないが‥‥。例えばキャノンのEF50F1.0(持ってないけど‥‥)のような、スペックそのものを重視したレンズがそうである。
ポディーについて言うと、次のEOS10を買う前の学生時代、ヨーロッパ旅行や韓国旅行の写真を撮ったり、一番想い出深いカメラである。
大学の生協の本屋でカメラ雑誌を立ち読みしまくったが、実技には全く反映していない。
1990年6月頃(会社に入った年だ!)
キャノンEOS−10+EF28−70F3.5−4.5(2)
自由にできる金が増えたお蔭で、EOS用の第一世代レンズの中古を買い漁る。80−200F4.0とか、100−300F5.6である(インプレに載せる予定)。
それまでピント合わせがなかなか上手くならないのは腕のせいだと思っていたが、AL−1のファインダーが悪かったせいだということにハタと気付く。AL−1のファインダーは、フォーカスエイドがあるからと言って、とんでもない酷い代物が付いていたのである。
正確に言うと、真ん中の丸くて明るい範囲以外では、ピント合わせが困難な位に像がボケて、コントラストが低い(ここまで分かるようになったのは、EOS−1を買ってからである)。私はT−90を使い始めた頃から、構図を作ってからピント合わせをするようになったので(その方が、正確な構図と、ピントが得られる為。カメラを振ると、ピント位置が変わる)それは致命的だった。
最初のカメラに良くあるように、使い方については文句なかったのだが(ある意味使いこなしていたから‥‥)一眼レフカメラの命であるファインダーをあそこまで酷いものを付けるメーカーの態度には、ものすごく腹が立った。
EOS−10を買った頃から、リバーサルに切り換える。別に上手くなってきたとか言うのではない。ただ、ネガではどうやっても思い通りの色が出ないということを知ったからである(知識としてね!)。
1990年6月頃
マミヤRZ67+セコールZ110F2.8+AEプリズムファインダー
1996年頃までは、いわゆる宝の持ち腐れ状態と思ってよい(断言!?)。
買うときはRZとペンタ67とで散々迷い、一時は新品のペンタを注文してもいたのだが、運良く品切れでRZに切り替えることが出来た。
今でも中古の安いペンタ67が出ていたりすると欲しいと思う瞬間があるが、RZを選んだことは絶対に間違っていなかったと確信している。何故かというと、縦位置横位置の切り換え機能の存在やAEの存在のお蔭で、明らかにRZの方使いやすいからである大体私は昔から、定点合わせ式のマニュアル露出用のファインダーという奴の実用性を信じていない。
もうじき出ると噂のニューペンタ67はAE(下手するとAFも!)が入って購買意欲を刺激するだろうが、もう手遅れである。因みにRZは、当然の如く中古である。(ペンタ67に、ホームページをアップする寸前にAEの付いた新型が発表された。でも、高くて手を出す気がしないだろう。それに、RZは私のお気に入りなのだ。ペンタ67で縦位置撮影はどうするのだろう?)。
この前後に、EOS用にシグマの400F5.6を買う(グレーの鏡筒のモデル)。最短撮影距離の長さに閉口したが、空気感とかパース感は結構気に入る。でも、ASA400のネガを使っていたこの時は判らなかったが、五年後位に久しぶりに引っ張りだしてみると、色収差のせいで実用ギリギリの画質しかないことが判る‥‥。リバーサルに切り換えた後だとか、1.5倍のテレコンを付けたりとかしたのもあるが(この場合ファインダー上で色収差の影響が見える。あんまり評価していないEOS−5のファインダー上ですら‥‥)、自分自身の眼力の向上にも驚いた。
1990年年末
キャノンT−90
アサヒ堂の通販で、並行輸入新品で定価の半額で売っていたのである!今となっては伝説級の名カメラが、中古並の値段で新品で!
AFに切り換えるつもりでいたのだが、思わずゲット。この裏には、大学時代には絶対に手に入らないと思っていた大口径レンズの中古相場が、AF化の波に呑まれて下がっていたという事情がある。
NEW FD85F1.2
NEW FD200F2.8
NEW FD135F2.0
FD55F1.2SC
FD35F2.0SSC
NEW FD28F2.0
NEW FD24F2.0
EF80−200F2.8
トキナー24−40F2.8(キャノンFDマウント用)
トキナー17F3.5(キャノンFDマウント用。後にコンタックスマウントも追加)
シグマ21−35F3.4−4.2(キャノンEFマウント用)
以上のレンズを中心にして、二年位で買い揃える。
この内の85F1.2は、私の写真の師匠のようなレンズだ。写真はレンズの開放付近で撮るものであるとの信念で撮りまくったお蔭で、どうにかピントが人並みに合わせられるようになったし、レンズとしてこれ以上のものを要求できないレンズを使っているという安心感は、同時に自分のどこが悪いのかを教えてくれるいい先生だった(但し、コンタックスの85F1.4を買った後は、限界も露呈したが‥‥)。
FD85F1.2は、FD55F1.2SC(およびSSC)と並んで、最も好きなレンズの一つである。但し、どちらも描写や性能がと言うよりも、使いやすさとか、手に合うと言った理由が主なのだが‥‥。
因みに白状すると、この頃から既に大口径レンズ主義者で、実用的な色々な理由(ピントの合わせやすさ、手ブレ限界、レンズの基本性能等どこを取っても。特に、F3.5以上に暗いレンズでは、未だにまともにピント合わせが出来ない私であった)から今でもそれは変わらない。私の基準では、25ミリから135ミリまでのレンズでは、F2.8でも既に暗過ぎる(ズームは仕方なく我慢)。50から85に掛けては、本音をいえばF1.4でもまだ不満である(病気。でも本気)。
トキナーの24−40F2.8はなかなか秀逸で、お勧めだ。コントラストが良く、解像度感(私は、解像度は数字で表現する物ではなく、感覚的なものだと思う)も特に不足もなく、古いオッさん連中のオタッキーな表現を借りれば、『骨太な描写のいいレンズ』といった系列の良さである。AFレンズは知らないが、マニュアルレンズについては、作りは華奢な印象だがしっかりしている。
同じトキナーの17F3.5は、マニュアルレンズであるにも関わらずピントリングの取り付けに問題あり(但し、AF用は光学設計から新設計の別物なので、混同しないように。特に鏡筒設計は各社ともAF用とマニュアル用で違うので、注意が必要)!キャノン用とコンタックス用に二本持っているが、どちらも何となくヒントリングの感じに不安があるなーと思っていたら、コンタックス用のレンズはとうとう、ピントと関係なくクルクル回るようになってしまった。多分組み立てではなく、設計上の不備だと思う(鏡筒とリングの間の、遊びが大き過ぎ)。
性能についても、実用上問題が無い程度の性能と言った感じで、線が必要以上に太く感じるのは、解像度が全然無いせいなんじゃないかと疑っている。コマ(フレアの一種。良く、絞りの写り込みの先っちょについている魚釣りの重りみたいな変な映り込みのこと)と絞りの写り込み(これはゴーストでいいのかな?)が山程写るのはしょうがないとして(今時の24ミリより長いレンズであったら話にならないが、17ミリの超広角レンズともなれば仕方がない。設計の古いレンズだし‥‥)、人に勧めるほどのレンズかどうかは何とも言えない。嫌いではないが‥‥(矛盾)。
コントラスト感はある。
シグマ21−35F3.4−4.2はZEN仕上げになった頃のモデルで、トキナー24−40F2.8と印象が凄く似ている。但し、ちょっと解像度感が落ちる位か。しかし充分実用に耐える印象である。
但し、AFモデルなこともあって、機械的な部分については凄く文句がある。パーフェクトフードのせいでフィルターワークが不便なことも、前玉回転式なことも許すが、前玉に前後に1ミリ程の遊びがあるのは嬉しくない。これはトキナーのATX270(初代)のAFモデルにも言える事だが、致命的だと思う。
AFで使うときにもカメラをお辞儀したらピントがズレる恐れがあり、マニュアルの撮影時には論外である。ピントリングを手前に引いて使えばいいじゃないかと思うかもしれないが、経験を積んでくると余計な力を掛けるのが如何に有り難くないかは分かってくるだろう。18−35にモデルチェンジした際、インナーフォーカスになったのはいいことだと思う。多分、EOS用のこのクラスのレンズは、純正の20−35F2.8の中古とリプレースする破目になるだろう(今は金が無い‥‥悔しい)。
1991年頃
EOS−620
EOS−RT
620の方は、値段が安かったのと、サブカメが欲しかったからである。割と熱心に写真を撮りに行くようになったのだが、2系統のレンズを持っていくのは難しいので、2台のカメラが欲しかったら、T−90とAL−1という極めて不本意な組み合わせにならざるを得なかった。これを解消するためである。
EOS−600系は露出補正が使い難いし、後でAFが使い物にならないことが露呈したりもしたが、今にして思うとまともなファインダーの付いた貴重なEOSである。
どうせEOS−10を買った時から今まで、一貫してピントは常にマニュアル(一部例外はある)で合わせているので、当時からAFが遅過ぎるという問題は気にならなかった。
RTについては、AL−1を使っていてレリーズタイムラグによるヘボいヘマをした経験が元になって、中古相場が安かった時に買った。買値は5万円である。
今でもあの頃の相場が一番安かった。最近EOS−1RSが出たせいで、逆に再評価されたためだ。普通は値段が下がるんだけどねー‥‥。そういや、RTが出たときも、ペリックスに同じような現象があったっけ?。
正直言って、RTは傑作機である。ペリクルミラー採用のお蔭で結果的に作動音も静かだし、動作はキビキビ、AFは暗さに強く、EOS−10よりもズッと疾い(ということは、EOS−1よりも疾いかも?)。操作性がしょせんEOS−600系というのが寂しいものがあるが、EOS−10と違って、今でもスポーツ用途には出番がある。
EOS−1RSが出たとき、騒がれた訳が分かる。確かに最高のカメラになっていることだろう。直接触ったことは無いけど‥‥。
1992年頃
コンタックスRTS(一型)+プラナー50F1.4
これこそ出来心という奴である。
実はRTSシリーズの使い勝手がいいということは中古の店で触って知っていたのだが、かのコンタックスのボディーがそれであるというのは、実はその時まで知らなかったのだ。と言うか、スマートでおしゃれなデザインのカメラがあるなーと思ってはいたのだが、当時メーカー名さえ知らなかったのである。今なら判るけどね。
そういう意味では、当時は今とは次元の違う意味で素人で、『おお凄い』とか言って、値段の安くなったキャノンのレンズを買って喜んでたレベルだった訳よ。勿論、今でもただの素人だが‥‥。
話を戻すと、『キャノンVSニコン』という構図があるのは、素人レベルで昔から知っていた。そして『日本で一番偉そうな顔をしている』ニコンファンにも、頭が上がらないブランドがあるのも‥‥。そう、コンタックスである。
国産メーカーのブランドでワイワイ言っているその遥か高みで、『コンタックスVSライカ』という対決の構図がある。それが年をとって偉そぶった連中の頭の中にあるイメージである。レンズのヒエラルキーと言おうか。これが本当かどうかを知りたかった。そしてそれを確認するためには、実際に撮り比べてみるしかない!
そして、上記のコンタックスの組み合わせは、たったの5万4千円位で成立したのである。RTSの中古が、たったの2万6千円位で出ていたのだ。レンズも、正直言って、当時のキャノンの中古の相場より、そんなに高くなかった(今は、FDレンズの相場が値崩れしているのでそんなことはない。でもEFの50F1.4は高過ぎ!)。国産のメーカー純正系のレンズを新品で買うなら、コンタックスの中古のレンズが買えてしまう(35ミリから135ミリの間のレンズに限定)!
正直、この時点で言えたのは、RTSに惚れ込んだということである。2、3致命的な欠点こそあれ傑作だと(今でも)思っているT−90も、遥かに色あせる名機である。傑作である。その思想には今でも惚れ込んでいるし、ファインダーも極めて良く出来ている。
私に言わせれば、未だにRTSをしのぐカメラは存在しない。EOS−1系列とZ−1Pが、わずかに頑張っている程度である。残念ながら、RTS二型以降のRTSは、RTSの一型に込められた理念を全く理解していない。私はポルシェだとかのデザイナーの名前を出して喜ぶような趣味は全くないが(スマン、そういう人を馬鹿にしてます‥‥)、この仕事についてだけは、ものすごく評価している。
私も初めは『これじゃーシャッタースピード合わせるのに左手使わなきゃならねーじゃねーか』とか思ったくちだが、『AEの撮影においては、絞りと露出補正の入力のしやすさこそ命である』との結論に達していたから、RTSの『リアルタイムシャッター』の理念が本当に良く理解できた。
最大の弱点は、当時の技術では露出の補正値をファインダー内に表示出来なかったらしいことだが、その弱点が気にならなくなるように良く考えられている。現在のコンタックス開発部隊の方々よ、もう少しRTSに込められた理念を理解して開発をしてくれよと言いたい。他の型は兎も角、RTSの名を冠したカメラに、メインスイッチは不要だ!
半年掛けてレンズを揃える。
ディスタゴン35F2.8
ゾナー135F2.8
プラナー85F1.4
ゾナー180F2.8
ディスタゴン28F2.8
ディスタゴン25F2.8
この頃、キャノンのFD200F2.8のボケが気に食わなくて、タムロンの180F2.5というレンズが欲しくて仕方がなかったのを覚えている。ゾナーの180はまだ中古もなく、どっちにしても『高くて手が出ない系』のレンズであったので、尚更だ。
しかし、結果としてゾナーの180F2.8を買ったのは正解だった。多分、世紀の傑作レンズの一つに違いないと確信している。その発色、コントラスト、グラデーション、解像度、そして何よりもとんでもなく美しいボケ。美しいボケとはどんなものか、私はこのレンズで知った。
レンズの使いこなしの先生はキャノンのFD85F1.2だったが、いいレンズとはどんなレンズかということを教えてくれたのは、ゾナーの180ミリだった。
もう一つコンタックス、即ちツァイス設計のレンズ(純粋なるツァイス製と言えるドイツ製のレンズは、私は持っていない)の凄さと素晴らしさを教えてくれたのは、180ミリの前に買ったプラナー85ミリだろう。
私にとって85ミリと言えば未だにキャノンのF1.2なのだが、それは馬鹿の一つ覚えと大口径レンズマニアな部分と、そしてピントリングの相性とか愛着と言った部分から来るものでしかなく、どっちの方がいいレンズかと聞かれれば、迷う必要もなくコンタックスと答えるだろう。その位の差はある(但し、私はEF85F1.2は持っていないので、そちらと比べるとどうなるかは知らない。特にEF200F2.8を出してからのキャノンのレンズのボケは格段の進歩を見せるようになったので、今85ミリを設計したら、多分キャノンの方がいいレンズか、最低同程度の物を作るだろう。私はキャノンの発色は大好きだ)。
(一応)天下のキャノンが、どこでコンタックスに負けるのか?これは飽くまでもFD時代のお話で最近のEFレンズは断然良くなったのだが、ハッキリ言ってFDレンズのボケは、あんまり良くない。85F1.2という大口径レンズでありながら、FD85は、プラナー85と比べて悲しくなるくらいボケが貧弱である(プラナー85自体、二線ボケレンズと言われているが、現実に二線ボケが気になったことがある人は少数派だろう)。この原因は、多分、キャノンがライツ系の設計ラインを引いているせいではないかと思うのだが、長くなるからこれについては別稿に纏めよう(異論もあるだろうし)。
ただ、色についてはキャノンも十分いいと思う。しっとりした表現力はコンタの方が上だが、これはレンズの方向性の出し方の違いだろう。コンタックスはヨーロッパ人が青被りを嫌うのか、色調がオレンジに寄っている。キャノンはよくいわれる通り、発色の華やかさがいいと思う。フジのリバーサルを使っている分には、キャノンの方が相性がいいと思うのは私だけだろうか?
カメラ・レンズからは外れるが、プリントを頼んでいた写真屋を変える。実はこれが、素晴らしいレンズとの出会いに匹敵する、本人にとっては重要な転機になった。
前から行っていた店はオヤジの口が悪くて、手厳しい批評が貰えるのがいいところだったのだが、残念ながらどうすれば自分がもっとマシな写真を撮れるようになるのかについては、余りいいヒントが貰えなかった。
新しい店でのいいところは、前の店でなら『お前の写真、良く判らへん』と言われたところで、どこがいいのか、どうすればもっと良く撮れるようになるのか、イメージを与えてくれたことである。お蔭で、昔なら無駄な写真の山になるところを、少なくとも技術的にはかなりマトモな写真が撮れるようになってきた(そこまで来たのはこの二年程のことだが、技術的にはマシになったとは言っても、撮った写真がゴミなことには変わりはない‥‥)。
取り敢えず、ほんの少しずつだが、構図について段々マシになっていくようになる。
1992年から1993年頃(いつか忘れた)
RTS三型
ペンタックスLX+ペンタK50F1.7
LXについては、事実上休眠カメラである。でも意地で、FA28−80F3.5−4.5とK80−200F4.0のズーム二本を追加して、良く使う撮影領域をカバーする。
実際にLXを使い始めたのは1996年位からで、ボディーを買った時に付いていたレンズのヘリコイドがおかしくなっていたので(落下品臭くて、ピントリングが途中で引っかかる。ピント合わせの出来ないレンズは不要だ!)たまたまボロ安で出ていたペンタK50F1.4に買い換えて使った。
時代が四年後の話で恐縮だが、キャノンの標準レンズ(55F1.2がSCとSSCそれにニューFDの50F1.4とF2に50F1.4SSC)そしてプラナー50F1.4(AEとMM)にペンタの50F1.4、ついでにSMCタクマー55F1.8(実は55ミリという焦点距離は大好きだ。50ミリよりも、ほんの少しばかり集中力のある画角が、物凄く肌に合う)と使って来て思ったのだが、標準レンズについてはみんな良く写り、旧FDの55ミリ二本みたいにスペックを無理したレンズでも無い限り、メーカー、国籍を超えて大差ない。いや、本当は味とか全然違うんだけど、『レベル』という意味じゃー違いなんて無いんだよね。
問題なのはどこ製かということではなく、レンズの味ではないだろうか?というお話。キャノン対コンタックスという構図では判断しきれなかったけど、標準レンズをこれだけ使ってくると(自分でもこんなに使ってきたとは思わなかった。キャノンの50F1.4SSCとプラナー50F1.4AEの二本だけは兄妹のところに行って手元にないけど、それ以外はまだ家にあるもんね!)実感としてそう思う。本音を言えば、レンズの一本一本の描写を見ないで、メーカー名だけを上げて『ニコンだキャノンだ』と言っている態度に古臭さを感じる(多分、最近写真を始めた人は、そんなこと言わないって)。
未だにある『ニコン信仰』は意味が無い!と断言したかったのだが、よく考えてみるとニコンのレンズ一本も持ってねーや(カメラを持ってないんだから当然だが)。でも、言いたいことは判るでしょう?
話を戻して、RTS三型は、実は私にとって、露出を教えてくれたカメラだった。
この頃、未だに私はどのくらい露出を補正したらいいのか判っていなかった。明るい色の被写体にはプラスとか、暗いのにはマイナスとか、そのくらいは判っている。問題は、どの明るさにとの位ということだ。
実を言うと、RTSの三型(中古)は、一型に比べて、基準露出値が、3分の2段も暗かった。そしてその結果として、夏の飛鳥の樹々が、黒く写る位に濃くスライドに焼き付けられていたのである。そして初めて、欲しい色に近いフィルム(結果)が得られたのだった。
これが何を意味するのか?グレイカードの十八パーセント反射板の色というのは、個人的には黒過ぎると思っていたのだが、緑の樹々と言うのは、もっと色が濃いということである。今まで撮ってきた写真の色が気に入ったことなどほとんどなかったのだが、それも当然、露出が(私の基準に対して)3分の2段、露出オーバーだったのだ。
正確に言うと、色の濃い緑の葉っぱに覆われた植え込みがあったとしよう。それを真っ昼間に写真を撮るとすると、基準露出値がまずマイナス3分の2段、そして私は更に、4分の3段程度マイナスの補正をかける場合が多い。しかもその結果は、私にとっては(飽くまでも私にとってね!)適正なのだ。今までの感覚でいくと、1段以上マイナス補正を掛けていることになる。この差はリバーサルではとんでもなく大きい(EOS−10もEOS−5も、RTSに近い露出基準値が出ているようである)。
露出がどうゆうものかが判るのに、多分二・三年以上かそれ以上かっていると思う。今でもそう思うのだが、写真で一番難しいの、何を撮るのかというセンスを別にすれば露出だと思う。
構図にも幾通りかの答えはあるが、ある程度フレーミングの内容を決めてしまえば、明確な『正解』と言える枠が見えてくる。『どのように撮るか』は無限の取り方があるが、取り方さえ決めれば、自動的にフレーミングは決まるからである。ピントも、どこにピントを合わせる必要があるかが判ってくれば、後は技術でしかない。
露出も、相手が単色の壁ならいいのだが、現実には被写体の部分によって光の当たり方も違う。被写体の部分部分で最適な露出値が違うのだ。そのバラパラな要求を一つの露出で釣り合わせるという不可能に近いことを要求されるのが露出だ。台風に竹槍を持って望むような虚しさがある(アグファかどこかが、これを修正するプリント技術を打ち出した。私は、液晶シャッターを使って撮影時にこれをやって欲しいと四年位前から思っている)。
そうそう、この頃、コンタックスのゾナー100F2.0を買ったのを忘れてはいけない。このレンズは、あの超有名レンズ・プラナー85F1.4を遥かに凌ぐ超高性能レンズとして知られているのだが(コンタックスのレンズワークスみたいな本で、MTF値を見てみるといい。ハッキリ行って化け物である。ボケなんかも綺麗だし)、大枚はたいて新品でこのレンズを買った私は、後悔する破目になった。私には、100ミリという焦点距離が合わないのである。
よく考えてみたら、EF100F2.8マクロを買った時点で判っていた筈なのだ。しかし私はそのことを忘れていた。結果として、素晴らしい描写なんぞお構いなしに、ゾナーの100F2.0は数回の使用を別にして、カメラバッグに入れられることも無く死蔵レンズになっている。
嗚呼、ゾナー135F2.0の中古かマクロプラナー100F2.8にしときゃー良かった‥‥(テレテッサー300F4の中古か、ディスタゴン35F1.4の中古でもOK)。それ位、私って100ミリの画角が合わない人間なのよねー。
1994年頃
ペンタックスSP+smcタクマー55F1・8
昔行きつけだったカメラ屋(本人は行きたいのだが、メインの店を変えた人間が、昔の行きつけの店に行きにくいという難しさというのは、写歴の長い人なら経験のある人も多いのでは?)で、「フィルム代が今無いからって、置いて行きおってん」と言って、三千円で売ってもらった物。ペンタが少し凹んでいるのはまあいいとして、測光系が死んでいるのが難点。聞いたときには「露出系は生きてるって言う話」だということだったのだが‥‥。まあ、お互いノリで売り買いしたので、特に店側に文句を言うつもりも無いが‥‥。
実はペンタックスSPを買ったのには、下心もあった。中古カメラ屋で見かけるsmcタクマー135F2.5が使ってみたくて仕方がなかったのである。しかしご存じ(かどうかは知らないが)の通り中古は水物で、その店に行った時は残念ながら135F2.5は売って居なかった。替わりに、smcタクマー35F2.0がまあ買う気になれる値段で売っていた。昔のレンズでこのスペックである。『燃える!』ということで買う。
結果としては、35ミリの方はボケ玉の疑いあり(涙〜!)。ボケの感じは凄く良くて、描写の“クセ”の部分は凄く好きなのだが、ピントが合わなくては仕方がない。私の失敗でボケたのか、レンズのせいなのかを確認したいとは思っているのだが、確認はしてない。フィルム代の無駄は許せるが、その時の光景が手元に残らないのは悲しい物があるし、一々単体露出計を使って、RZを使うよりも機動性の無い撮影をするのは骨が折れるからだ(もっとも、一回SPを使っただけで、それ以降はLXを使って撮っているが‥‥)。
55ミリの方は、シャープでボケも問題なく、極めていいレンズ(多分、smcタクマーと名の付くレンズの最終型)。但し、いわゆる『近代的過ぎて面白くない』類の描写でもある。
多分この頃には既に、レンズの設計技術自体が完成されてしまっていたんだよね。AFに移る前の標準レンズと、ほとんど同じ時代に設計されたレンズなのだろう。道楽で買うには、実用的過ぎるレンズである。描写自体は魅力的だよ。
因みに、確かペンタックスのFA50F1.4は、マニュアルレンズと同じ光学系か、少なくとも同等の性能ということである(確か同じの筈)。普及型のAFズームレンズの最初期型は、どこのメーカーもマニュアルより描写に劣るというのが常識に近いものがあるから、同じ性能というだけでも、むしろ有り難い話である。
1995年頃
EOS−5+縦位置グリップ
行きつけの写真屋で下取品が安く出たと言われて、思わず買ってしまった物。元々EOS5は未完成のカメラだから、その次の世代のカメラまでは絶対に手を出すまいと誓っていたのだが、安値で目の前にぶら下げられると我慢できないものだ。グリップ込みで6万だった。一番安い店よりも、一万円安いくらいか。
実はEOS5は大嫌いだった。露出補正の表示が、補正してからワンテンポまるまる遅れるとか、シャッターを切ったらすぐに露出補正が出来なくなる(補正値を戻せない)とか、剛性がなく安っぽいグリップを別にしても、ゴミ屑のようなカメラだと思う。撮影に必要な基本的な部分を、一見あるように見せながら使い物にならないものを作っているという事実が、反吐が出るほど我慢ならなかった。
私は視度補正レンズを入れて使っているのだが、EOS5専用の視度補正レンズは大きいため、視度補正レンズ自体が球面収差だかの原因になってファインダーの見えを悪くしている。その上、EOS10よりは少しいいファインダーが付いているのだが、しかしスクリーンの質が十分にいいとは言えない。特に収差補正が十分でない大口径のズームレンズ(28−70F2.8Lというバカ高いボケ玉のことだ。どうもこのスペックのレンズは、設計が死ぬほど難しいらしい。シグマの同スペックレンズは、望遠側でソフトフォーカスレンズ化する程である。トキナーはカリッとした描写で驚くが、ボケについては全く魅力を欠き、その点EFの28−70F2.8Lは魅力的なレンズである)を使うと、ファインダー周辺部は全く使い物にならない。多分正確には、視度補正レンズを入れると中心部と周辺部で視度に差が出ているのではないだろうか?
多分技術的な限界と、そして『しょせんAFが主体のカメラのファインダーだから』と、ファインダースクリーンについては手を抜いているのだろう。一応『プロ用機』の触れ込みなのだから、使い物になるファインダーを付けて欲しい。ファインダースクリーンも、フレネルレンズの線が見える、あまり有り難みの無いスクリーンである。
1996年頃
ブロニカETR−S+75F2.8
元々35ミリフィルムの画質にはかなり不満があったのだが、長距離歩いたり旅行に使うには67判では重過ぎるし、撮影の機動力(重さではなく、純粋に取りまわし的な意味である)に欠くのも事実。そもそも画質的には、645で充分なのではないか?という訳でマミヤの645を狙っていたのだが、M1000(って言うんだっけ?)より後のマミヤ645は高い(最小限のセットでも、中古でも16万位は必要。それも標準レンズ一本だけで‥‥)!M1000は、まだ充分に安くなっていない上にメンテが打ち切られるし‥‥。
そんな時に、三万五千円だか四万五千円だかでこのカメラが転がっていたという訳だ。本当はフォーカルプレーンで千分の一秒のシャッターが欲しかったのだが、値段に負けた‥‥。
結果。もし日陰でしか写真を撮らないのなら、これ程いいレンズを私は知らない。コンタックスもマッツァオって奴である。でも、日向で撮影すると、コントラストが高過ぎて影が完全に潰れる‥‥。
これが私の持っているレンズだけの話なのかどうかを確認するために、持っているのと同じレンズを買う気には私はなれない。でも、やっぱりあの日陰での描写は魅力的だ!手放すのも嫌だし‥‥。描写とは関係ないが、質感が古臭い感じが好き。メーカーのサービスマンからは、このモデルは凄く愛されているようである。ETR−Siなんかよりも‥‥。
でも、やっぱりマミヤにしとくんだったー!誰かマミヤ645を安く売ってくれー(今は金が無いけど‥‥シクシク)!標準レンズは、やっぱり80ミリF1.9でしょう。
と言いつつ、後日談。1999年の初詣にこのカメラを持ち出したのだが(この3年、何となく初詣の相棒はETR−Sである。それ位しか出番がないから‥‥)、撮影結果を見て、「ひょっとして基準露出値が狂っているのでは?」と気が付いた。
今までのETR−Sの露出計の評価は、『平均測光+ピーク測候(プリズムファインダー2型の場合)』という事だったのだが、十二本の無駄になったフィルムの山を見ていると、基準値そのものが狂っているとしか思えない(マミヤのRZのファインダースクリーンをインテンスクリーンに変えた時に似ている)。取り敢えずその積もりでテストしたところ、結構まともな写りで、レンズの描写も問題ない。逆に、露出アンダーの時に、色が濁ることが判った(プロビアのせいか?)。
あくまでAEプリズムファインダーの2型に限った話だが(現行機は3型である)、露出補正が1段しかないのは論外。仕方がないのでASA感度設定の方で露出補正しているのだが(時々向きを勘違いして、+−を間違える‥‥)、露出補正を利用して基調露出を2/3段上げてやると、今度は露出補正がプラス方向には1か1/3段しか補正できない(逆でやっても一緒)。感度の設定が、ASA25までしか無いせいである。
昔のカメラに対して『感度を両端のどちらかで使っていると、露出補正が出来なくなる』というインプレッションをよく見掛けたが、なる程、こういうことだったのかと納得である。フィルム感度を、せめてASA8〜6400位までは用意して欲しいものである。現行機についてはこの点はしっかり直っているので、中古を買うときは、ファインダーだけは注意しよう!
現在ETR−Sとその装備品・レンズの復活を賭けて、再テスト中である。マミヤに乗り換える必要が無くなれば、現在金がないもので、ありとあらゆる意味で助かるのだけは間違いない。その場合、取り敢えずワインダーを付けるつもり。現在スピードグリップを使っていて、あのシャコシャコいう二回巻き上げが結構気に入っているのだが、やっぱりリカバリー時、ワインダーがあった方が、精度の高いピント合わせ、フレーミング、グリッピングができるからね!
マミヤセコールの80F1.9に対する未練は残るけど、休眠カメラが増えるのも嫌だし、まあ仕方ないとしよう。コンタックスの645については、高くて手が出ませんです、ハイ。
ついでに言うとペンタのニュー645、あのファインダーの良さには惚れ込みますね。旧型は露出補正が1段単位で、何を考えているのか判らなかったし、使い勝手が悪そうなので要らなかったけど‥‥。
1997年頃
コニカヘキサー・シルバー
私にとって、ヘキサーは伝説のカメラである。何せ、知ってる範囲での話だけれども、国産で唯一『ライカに並ぶ』と言われたレンズの付いたカメラだからである(コンタックスは“ツァイス”であって、ライカとは比べようがないからね。ドイツの設計ということを置いてといても、業界イメージで言ったら横に並んでいるものを、縦に比べようが無い)。ついでに言うと、私がまともに買った、唯一のコンパクトカメラでもある。
良く考えてみると私は『ライカ型のボケ』(ライカは、パックのボケが、被写体の形が残っていると言われていた。大きくボケないということである。ヘキサーは、このタイプだと言われている。ライカファンに受けたのは、そのせいだ)が嫌いだったのだが、コンパクトカメラで随一の性能評価を受けたカメラだという事実は動かないだろう。
実は『どんな時にも手元においておけるカメラ』(究極のお散歩カメラということである)ということで、元々ミノルタのTC−1かニコン35Tiは無いかと探していたのだが、35Tiは表示用の針が取れるという欠点があるという話で、TC−1はまだ中古市場には無かった。
そこで急遽浮上してきたのがヘキサーである。元々憧れのカメラではあったし、静音モードの静かさはニコンF4以上である(シルバーモデルからは静穏モードがなくなっていた‥‥苦笑)。コンパクトカメラを買うならヘキサーしかないというのは昔から思っていたところだ。高級コンパクトの走りのコンタックスT2よりもレンズもよっぽどいいし‥‥(このことは、ブランドに眼を眩まされない連中の常識だ!)。
本当はブラックのモデルを安く買い叩く筈だったのだが、ブラックがどこにも無かったこともあって、改良型のシルバーを値引き交渉の結果、黒よりもちょっと高いだけの値段でゲット。
画質はバリバリである。私はもう少ししっとりした描写の方が好みだが、確かに並の一眼レフ用レンズが尻尾を振って逃げ出すという噂は嘘ではないと感じた。描写の切れがいいのはいいがシットリ感に欠くのは、シャッター速度が250分の1という人を嘗めた速度までしか無いために、私の意図以上に絞り込まれているせいかもいれない。
本音を言えば、レンズの性能を生かすためにフォーカルプレーンで4000分の1以上のシャッター速度が欲しいところだ(そうすれば、ストロポの同調速度も250分の1で一緒だし‥‥ <− 実はこれ、コニカの人に散々力説した成果か、ヘキサー2で実現しました。同調は125分の1だったかもしれないけど。言ってみるもんだねー‥‥。しかも、『理想としては』と言っていた、Mマウントまで付けての実現は超意外)。でもそれ以上に、レンジファインダー(コンタックスG−1、G−2も含めて、これってレンジファインダーになるのか?)カメラは、私には向かないことがよく分かった。どうしても視野率が低いのと、近接撮影時のフレームの正確性の低さ(念の為に書いておくと、ヘキサーのファインダーの近距離の視野補正は最強クラスである)、距離によってAFフレームがズレるのと、どこにピントが合っているのか判らないこと(これが一番大きい <− 実は後から、ある程度のチェックが出来る事を発見しました。視野枠の移動を利用した、距離表示をしっかりと見ましょう)。もしマニュアル用のピント合わせ窓が付いていたらピントのチェックぐらいは出来るようになるが、画面の端でピント合わせが出来ないことには違いが無い。
この買い物で手に入れたのは、私が根っからの一眼レフ向きの人間であるということと、ヘキサーはやっぱり期待を裏切らない素晴らしいレンズを付けているということ、そしてお散歩カメラには大き過ぎるということであった。
シャッターを別にすれば、ヘキサーが天才デザイナーの手になるカメラであるということはどこかに書きたいとは思うが、ペンタックスLXに標準レンズを付けたのと同じ位大きいというのは誤算だった。お陰でLXにお散歩カメラとしての出番が出てきたのだが‥‥。
1998年10月9日
EOS−1HS
あまりにもEOS−5のファインダー周辺が気に食わないので、とうとう(念願でもあった)EOS−1を買ってしまう。買って持ってみた印象は、マス(重量)の散った、重量バランスの悪いカメラだということだった。どうも縦横に長過ぎるのと、グリップを抉ってデザインし過ぎているのが原因になっているようだ。あと、グリップする角度とレリーズボタンの角度が合っていないように思えるのも気になる。手のサイズは人様々だから、私だけか?
後、中古で買ったせいもあるかもしれないが、ファインダースクリーンがきちんとはまっていなかったせいで、周辺部にフレアが出まくって、ファインダーが凄く見にくかった。
皆さんは中古なんだから、売った店が悪いんじゃないのか?とか思うかもしれないが、そうではない、きちんと装着できない可能性のあるファインダーを作ったメーカーに問題がある。何しろ、四回付け外しをして、二回も装着不良が発生したのだから。デザインに問題があるとしか言いようがないだろう(そうなった原因が、毎回確実なセットが出来るようにデザインされているせいだと言ったら、皆さん驚かれるだろうか?カメラのインプレには詳しく書いておこうと思う)。
初めはカメラについているファインダースクリーンの個体差で見えが悪いのかと思って(たまたま読んだ雑誌で、製法上、個体差が発生しそうなことが書いてあったもので‥‥)、方眼マットを買う予定もあったものだから交換しようとしたのだが、結果として方眼マットの方が出来の悪いスクリーンだった‥‥(引き攣った苦笑い)。
お陰でファインダースクリーンの装着不良に気付いたのだが、スクリーン交換式のカメラを持っていてファインダーが気に入らない時には、スクリーンを変えてみよう。百回に一回位は良くなる時もあるかもしれない(悪くなるのと五分五分‥‥悪質な現実だね!)。<− 分が悪過ぎ!
ひょっとすると初めについていたスクリーンは、インテンスクリーンなのではないかと疑っている。交換爪のところに、方眼マットにはある刻印が無いのだ。実際マット面の出来が、そう疑いたくなる位違うし‥‥。マット面の細かさからして、段違いなのだ(でも、EOS650のスクリーンは、EOS−1に付いてたのと同じ位のキチンとしたスクリーンだったけどなー? <− 後でキャノンのお客様相談室に問い合わせてみたら、明るく見えるタイプのファインダースクリーンではないかという話でした。サービスステーションより使えるところが嬉しいような悲しいような‥‥)!
何か悪口ばっかり書いてるみたいだけど、これも現実である。ファインダーで、コンタックス以上のものを作っているメーカーなんて存在しないし‥‥(最近α−9を見てきて、訂正。α−9はいい!但し、ボケの表現が出来てないけど‥‥。その点はまだ及んでいない。大口径レンズ用のファインダーは、暗いレンズでは見にくいらしいし。結局コンタックスが上か‥‥)。
EOS−1といえども、昔のT−90よりもいいファインダーが付いてるようには見えないし(レンズのピントリングに問題があるせいもある。キャノンのAFレンズは使いやすいので有名だが、間にクラッチが入っているせいでマニュアルレンズのようには使えないのだ!残念)視野倍率の関係で、EOS600系の方がピント合わせしやすいのも事実だ。600系のEOSは、初期型のAFを別にしても(現代的なEOSに比べて)使いにくいのも事実だけど、ファインダー系は秀逸である。
それでも、EOS−1は非常に良く出来た、秀逸なカメラである。昔、たまたま触る機会のあったEOS−1Nの嫌なことろが全て改善されている(逆か?)。ただ、思うのは、シャッターを切った後のコマンドの受け付け時間を、〇秒、〇.五秒、2秒、5秒、10秒、16秒の中から選べたら、誰も文句を言わなかっただろう。特に、0秒で強制的に切れてしまうEOS−5は、私は許せない(新品で買わなくて良かった!)。どうして1Nになった時点で、タイマーの切り替えを入れなかったのだろう?
パワードライブ・ブースターを付けていない時のグリップのデザインは、さすがに1Nの方が改善されていたような気もするが(1の時、すぐに中指が痛くなった。グリップの凹みのエッジが立ち過ぎていて、ラバー越しでも指に刺さるのだ!)、触ったのが昔のことなので断言はできない。DPのグリップは、ラバーがグニョグニョ動いて、ちょっと問題かも(私が触ったやつだけか?)。
アイピースシャッターが付いてないのは、確かに不満も出ただろうが、それよりもメインスイッチの方が気になる。AFカメラではメインスイッチの存在は多少とも仕方のないことだとは思うが(私は、メインスイッチのあるカメラが嫌い)、これだけは右手でグリップしたまま操作できるようにして欲しかった。
撮影時、『あっ、しまった!』という時に則座に対応出来ないということが、どういうことなのか、メーカーの技術者は理解しているのだろうか?素人でさえそう思うのだから、プロの報道カメラマンなら尚更だろう。
EOS−1は巻き戻し音が高いと評判が悪いが、あのパワフルな音は、個人的には聞いていると一生懸命そうで嫌いでない。しかし、演奏会の最中には確かに苦しいものを感じるだろう(そんな時に撮る機会があれば‥‥)。それよりも、低速シャッター時のバネが跳ねるようなビョーンという強烈な音の方が、不安感を呷るという意味で印象悪いかも?でも、中速以上のシャッター及び巻き上げのシャコシャコ言う音は、手持ちの全カメラ中最高の快感である。あの音は好きだ。
何か読み返してみるとほとんど文句しか書いていないが、EOS−1は、Z−1Pと並んでRTSの次に来るいいカメラだと思う(Z−1Pは写真屋で見せてもらっただけ。ペンタックスは、AFになってから魅力的なレンズを出していないのが難点だ。いや、高い系のレンズにはいいのがたくさんあるけど、コンタとFD、EFにこれだけ金を掛けていいレンズを揃えると、流石にFAスター用の予算を作れない‥‥。普及レンズの魅力の乏しさは、国産の各社とも致命的なものを感じる。キャノンがミドルクラスを用意しているのが、唯一の救いか?)。
実はZ−1Pが出たとき世界最高のカメラだと認めていた口なのだが、AFカメラ第二世代(F3AFやT−80を第一世代とする考え方だと三世代目)にしてこの完成度、EOS−1の開発陣もなかなか侮れない。多点化の取り込みという命題の為に、EOS−1Nでは操作感に対する一部間違った取り組みがあったように個人的には感じずにいられないが、RTS開発の時に見られた『どう使うのか?』という一番肝心かつ基本的なところをよく考えて、しかも実用的なオリジナリティーのある発想を加えて作られた傑作だと思う。縦位置グリップの完成度がEOS−5と比べて果てし無く劣るという難点はあるが、これだけは時代のせいだというのを認めざるを得まい。
つい最近発表のあったEOS−3の縦位置グリップは、EOS−5と同タイプになるようである。これがEOS−1やEOS−1Nにも付いてくれたらねー(どうせ3でやるなら、何で1Nの時に対応しなかった?!)。基本的には互換性があるのに、拡張部分が機能しないことには仕方がない‥‥(1Vで縦位置用のメインコマンドダイヤルが使えるようになったのは、皆さんご存じの通り。でも、縦位置だと親指ダイヤルが遠くなって、使いにくいらしい。まだ直接、触った事は無いけど‥‥)。
あそうそう、本人の撮影技量的には、今まで『何でこんな甘い構図になってるかねー?』と思うカットがたまにあったのが、どうもファインダーの視野率が充分でないせいも(一部?)あったのに気付いた。
って言うか、気付いたのはEOS−1のお陰では無くって、久々にRTS3型を引っ張りだしてきたお陰なんだけど(どっちも視野率百パーセント。視野倍率とは違うので注意してね)。プリントのことを考えたら視野率94から96パーセント位が一番だが、写真の構図を練習したい人には、視野率100パーの方が良さそうである(リバーサルで、ネガで構図をチェックする人の場合。ネガでプリントする時は、プリンターがいい加減なフレーミングで焼いてくるから、いずれにしても勉強になりにくい)。
しかし、同じ視野率百パーセントでも、RTS3では一発で撮れるのに、EOS−1だとフレーミングミスによる取り直しが多いのは、やっぱりバランスが悪くてグリップしにくいせいだろう。機能的な素晴らしさと、グリップしやすさという性能は別物である。完璧なカメラは、やはり史上にはRTSの一型だけか(Z−1は、残念ながら後ろダイヤルに指が届かない‥‥)?