68年後の証言:奈良の戦争体験/15止 1945年8月15日 終戦に悲喜、風化に危機 /奈良
毎日新聞 2013年08月15日 地方版
「史料・太平洋戦争被害調査報告」(中村隆英・宮崎正康編)は、1947〜49年に旧経済安定本部がまとめた太平洋戦争による日本の被害調査報告を収め、県内では空襲で68人が死亡したと記している。各市町村史には、45年6月1日の奈良市を初めに、同8月14日まで断続的に空襲された事実が記録されている。
県内の空襲では焼夷弾が少なく、機銃掃射が大半だった。標的とされたのは、現在の天理市にあった「大和海軍航空隊大和基地」(通称・柳本飛行場)や大和高田市にあった「大日本紡績(現ユニチカ)高田工場」など。軍関連施設や工場のほか、列車や線路沿いが多い。
「東京空襲を記録する会」編「東京大空襲・戦災誌」第3巻にある米軍の爆撃詳報によると、奈良は多くても2度、空襲目標にされた。実際の被害は10回を超えており、同書にある国内の爆撃記録と照合すると、県内で空襲被害があった日には、大阪市などの近畿圏、名古屋市など中京圏でも被害が出ていたことがあった。
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