大惨事!過下郎日記

2013-08-01

[][]麻生発言をできうる限り好意的に解釈する

こんなコメントを頂きました。*1

とりあえず文脈を読めない日本語能力に劣る読売新聞記者に釣られたみたいだな。

素直に謝っとけ。こういう所で意地を張るとお前の嫌いなネウヨと同等になっちまうぞ

http://bit.ly/13ytaEN

このまとめサイトでは東京新聞の記事が的を射ているとしているが、東京新聞の記事はすでに確認している。

http://d.hatena.ne.jp/hazama-hazama-hazama/20130730/


東京新聞の記事を踏まえても、当該エントリの主旨は変える必要はないのは論旨から明らかであるが、まとめサイト東京新聞の記事をあわせて、極めて好意的に麻生発言を解釈してみる。


麻生発言の根幹とされうるもの

麻生の主張の根幹:改憲目的国家の安定と安寧であり、国際情勢を冷静に見極め冷静に議論すべきだ。喧噪の中で改憲すべきではない。

これが麻生の(表面上は)最も述べたい事であると考えられる。



麻生ナチスドイツ成立史認識

ワイマール憲法は当時最も民主的な憲法だったが、結局、ヒトラー政権政権誕生した。

事実認識として間違いはない。これを①を踏まえて踏み込んだ解釈をしてみる。民主主義に実態・機能を与えるのは憲法という器ではなく、冷静な国民の議論である、と解釈可能である。そうすると、国家の安定と安寧のために改憲は必ずしも必要ではない、議論で現行憲法民主主義的な実態を与えていけばよい、という結論も導き出される。麻生も「改憲は手段」と言っているのだから、ますます改憲必要はなくなってくる可能性が高まる



麻生発言を踏まえての最大限の好意的解釈

民主憲法があっても国民の見識が高くないと、ドイツのように民主主義的な手続きを経てファシズム体制を国民が選択しうる事もあるし、ナチスによる改憲国民が静かに受け入れてしまう、あるいは誰も知らない間に改憲されているというようなこともある。真の民主主義を守るために喧噪を避けながら、レヴェルの高い議論が必要だ。

ここには重大な歴史的法学誤謬が含まれる事は既に指摘されている。以下参考。

http://d.hatena.ne.jp/hazama-hazama-hazama/20130730

http://d.hatena.ne.jp/kyouhu_23/20130730

http://d.hatena.ne.jp/kyouhu_23/20130731/1375233312

歴史的事実を誤認しているので、そこから導き出される結論は基本的にここでは無効解釈されよう。



麻生発言を踏まえての最大限の好意的解釈

民主主義的にアウトだし、やるつもりはないが、ナチスの手口からもわかるように人知れず、あるいは国民に納得させた上で、民主主義手続きを経て改憲を行う事だって可能なのである。そうならないように、喧噪は避けながらもレヴェルの高い議論をすべきだ。

麻生はこれを皮肉として言ったらしいが、まずナチス人知れず改憲したという歴史認識は悪質なまでに誤りである事は先に確認したし、喧噪を避けるために人知れず改憲という発想が、改憲論者としては民主主義軽視に聞こえ、笑えない皮肉となっている。

また、麻生民主主義者を標榜し、改憲はあくまで国家の安定・安寧の手段と言っているのに、誤謬に満ちた危険皮肉を言ってまで改憲を推進しようとする意味がわからない。麻生のあまりに軽佻浮薄な発言と、史実としてのナチスドイツ成立史から言える教訓は、民主主義者であれば、ヴァイマル憲法以上に民主である日本国憲法改憲しようなど、軽々しく言うものではない、ということである。これは上記エントリで既に述べた。



麻生は冷静な議論を呼びかけているが、ならばその前提として憲法学者を集めた改憲議論準備委員会でも招集し、その内容を公表すべきだ。自民党の身内だけでどんどん話を進め、冷静な議論を、と言ってもお為ごかしにしか聞こえない。自民党改憲案が形成されるにあたり、全然オープンな議論にさらされていないわけで、とにかく96条を先に変えましょうなんて言いつつ、そこでナチスなんかを引き合いに出された日には、冗談も大概にしてほしいと思う。民主主義を利用し、民主主義破壊したナチスに姿が重なってくるように見えるのも当然だ。

皮肉を言った自らが、誤った事実認識に基づいて皮肉を言っているのでそのまま皮肉に回収されていくという構図は、ネウヨのそれと全く同じであり、あまりに滑稽であるネウヨ麻生を擁護するのは、彼が彼らの首魁だからである。冷静に考えれば、民主主義を守るために、少なくとも麻生副総理時代改憲を軽々しく論じてはならないという結論が、麻生が言う国民の高い見識に基づいての議論という観点からも導かれるのである皮肉な事である

また、麻生靖国参拝を肯定的に言及しているが、こういう保守主義民主主義は明らかに折り合いが悪い。あくまで現代民主主義とは、基本的人権に根ざした普遍理念に基づき、多様性保証しようという方向性にある。政府要人が特定の宗教、しかもそれが国家的な権威に根ざしたものコミットすることは、社会マイノリティを産み出しやすい土壌を形成する。多様性保証とは明らかに逆行するのである。それは麻生ご自慢の自民党改憲案を見ても明らかだろう。民主主義を肯定しつつ、民主主義を後退させるやり方は、やはりナチス彷彿とさせてしまう。ナチス国家の安定と安寧を目的として、民主主義破壊した歴史を忘れてはならない。民主主義とは多様性を認める事であり、ある意味不安定の容認であるからだ。ナチス民主主義破壊したのは、ナチス視点からすればやはり理があるし、そちら側に立てばやはり手口を学びたくもなろう。

また、靖国参拝改憲を同列に論じるのは自民側の論法からしても多分まずい。麻生を始めとする靖国参拝肯定派は、元々は個人の内心の問題とし、事態を矮小化して対処しようとしていた。本音には、国家による靖国祭祀にまでこぎ着けたい、があるのだろうが、とにかく個人的問題に見せようとはしていた。今回の麻生発言でもその傾向は見て取れるが、それを改憲論と絡めてしまうと、改憲は個人の内面の問題なのか、あるいはやはり靖国参拝国家的な祭祀を目指すものなのかという論点が生じてしまう。いずれにせよ、普遍的民主主義理念とは折り合いが悪いことは否定できない、というか個人の内面の問題がダイレクト国家のあり方を決めるという発想は、総統による独裁と何が違うのか、という話になってくる。そうすると、ナチスとは違うという事で、恐らくそろそろ日本の歴史社会に根ざした特殊民主主義論なんてのが出てきて、またまた民族の優越性を喧伝したナチスに近く見えてくるということになりかねないのである


歴史は二度繰り返す。最初悲劇として、二度目は喜劇として。

*1:このエントリ朝日新聞麻生発言の詳細が出る前に書いたものであるが、朝日報道を読んでも主旨を変える必要はないと判断したのでそのまま掲載する。また、冷静に書けという指摘をいくつか頂きましたので、なるべく冷静に書いたつもりです

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