この人はたまに絡んできてくれますね。
イケダハヤトのいう誹謗中傷というのはなんなのか : メカAG
「浅い/低い」の基準について
ということで、「イケダハヤトは無責任だ」と言われたくなければ、覚悟があるかないかではなく、考えを深める努力をすべき。もちろんしなくてもいいと思う。浅い考えをネットで誰でも表明できるべき。
そうそう、これよくいわれるんですが、そもそも「浅い考え」って何をもって判断されるんでしょうか。メカAGさんが考える「意見の浅い/低い」の判断基準を知りたいです。
ぼくは、そんなものは主観的な基準にしかなりえないと考えます。
メカAGさんは統計データを使うのがお好きなように見えますが、それもまた「浅い」ということができてしまいます。
だって、データに「頼って」、独自の洞察を出していないわけですから。データなど1ミリも出さず、個人の体験に基づく意見のほうが「深い」と感じることは、往々にしてあります。さらにいえば、たいへん「深い」、「歌詞」とか「メロディ」もあるじゃないですか。
あなたはぼくの意見を「浅い」と言いますが、それは主観的な判断に聞こえます。現に、「イケダさんの書くことは深いですね」と言われたこともありますよ(「不快」の聞き間違え…ではないです)。ぼくは深いのか浅いのか、どちらなのでしょう?絶対的な基準がないかぎり、「意見が浅い」という批判は有効性に限界があります。
さて、もっとわかりやすくいえば、正直言って、ぼくはあなたの記事は「浅い」と思いますよ。たとえば以前応答したこの記事とかは、残念でした。ぼくは「マイナス面があるならそれをきちんと把握し、覚悟をした上で進むべき」なんて安全地帯からの意見ではなく、あなたが問題解決のために何をしているか/しようとしているかを知りたかったのです。応答をやめたのは、これじゃ具体的な話にならないなぁ、と思ってしまったからです(あと、当時締切に追われて忙しかったので…申し訳ないです)。
「浅い/低い」なんてものは、個々人の主観でしかないので、そこを争っても仕方ないんじゃないでしょうか。水掛け論になります。ぼくはそういう批判は、参考程度に留めています。あなたがいう「浅い」も同様ですね。あと、「考えを深める努力をすべき」というのは同感で、毎日その努力を一応頑張ってますよ。
というわけで、ぜひメカAGさんの「浅い/低い」の基準があれば教えてください。あくまでそんなのは「僕の主観です、主観のなにが悪いんですか」というのなら、それでも大丈夫です。
誹謗中傷と見られる言葉について
イケダハヤトのいう誹謗中傷は汚い言葉が主のようだ。でもイケダハヤトがしばしば使う「社畜」だって、受け取り方によっては汚い言葉だろう。社畜を「社畜」以外にどう表現するのだ?というかもしれないが、それでは馬鹿を「馬鹿」以外にどう表現したらいいのだろう。
別に表面的に汚い言葉を使わなくても、慇懃無礼というか、いくらでも誹謗中傷はできるだろう。
それはその通りですね。だから発信する上で「覚悟」が必要なのです。
ぼくは他人を傷付けることを前提にして、またそれによって発生する、ぼくに対する攻撃を覚悟の上で、情報発信しています。
本気で必要性を感じて、誹謗中傷するのならそれもよいでしょう。それはその人の正義ですから、社会が判断するしかありません。問題は、自分がナイフを振るっていることに気づかず、暴力的な言葉を吐き出すことです。
正義の刃の快楽と、攻撃性について
俺にはイケダハヤトがやっている社畜批判も、正義の刃の快楽に見えるのだけどね。それとも個人ではなくサラリーマンという集団を批判しているからいいという考えなのだろうか。ならば特定の民族に対してなら誹謗中傷は問題無いという考えでOK?(いや、答えはYESでもNOでも構わないけど)。
こちらも仰る通りで、正義の刃の快楽は伴っているでしょう。ぼくも人間ですから、そういう煩悩を皆無にすることはできません。ただ、それを最大限希薄化するための「自己点検」は常に行っておりますので、暴走することは、たぶんないかと。
ひとつ大切なのは、「言われた対象がどれだけ傷つくか」です。個人に対して攻撃すれば、そのダメージは大きいです。集団にぼかせば、その攻撃性は鈍麻されます。ただし、ヘイトスピーチのように、集団に対して苛烈な暴言を吐くことは、攻撃性が強すぎます。
ゆえに、集団/個人問わず、攻撃性が強すぎる場合について、ぼくはその批判を望ましくないと考えます。もっとも、どうしても傷付ける必要があると考えるのなら、それはそれで(あくまで「ぼく個人としては」)いいと思いますけどね。
主張ではなく人間自体を批判?
最初、イケダハヤトには期待してたんだよね。喧嘩上等みたいな自由な言論を目指すというから。でもそれはすごく脆いものだった。自分を批判する人間を、あれこれ理由をつけて、その主張の内容ではなく、否定しようというのでは、根性なしだね。
それ、具体的に誰が発信したどの意見に対する、ぼくの態度を指しているのでしょうか?ぼくはまともな相手から発せられる、まともな意見は相手にしてますよ。さすがに時間がないときは、スルーしますが…。現に、こうして時間を取って、あなたに応答してるじゃないですか。
「商売」について
つまりテレビCMと同じで、批判するのは野暮かな、と。でもさすがにこれ以上無批判でいるのは、逆にイケダハヤトに失礼かなと思った。まあ、難しいよねぇ。商売でやっていると。
資本主義に積極的に乗ってやろう!みたいな意図はないんですけどね…ぼくは書きたいから書いているだけです。売上に関しても、無理せず上げています。炎上炎上言われますが、特段狙って書いているわけでもないです。本音を書いたら燃えるときもある、という程度の話でsね。
物事のポジティブな面だけをひたすら脳天気に紹介するのって、自分のブログの読者に対して誠実なの?読者の方ではなく、紹介している本の著者や企業の方向を見て、商売をしているように見える。
ぼくは自分がおすすめできるものしか紹介してませんよ。紹介する上で、「これはちょっと…」とネガティブな要素を含まざるを得ない場合は、そもそも記事化しません。「脳天気」に見えるだけで、なかではしっかりとフィルターが機能しております。
これはメディアのポリシーなので、そういうスタンスが嫌いな人は読まなければいいだけの話かと。辛口レビューをするサイトは他にもいっぱいありますしね。ぼくはむしろ、全力で「おすすめ」しつづけたいです。
一見感情的で汚い言葉の置くにある本質的な批判を、読み取る努力をすべき。
まず一つ目、「感情的で汚い言葉」を使う時点でダメですけどね。対話をする上での最低限のマナーですから。「感情的で汚い言葉」を発する人なんて、まともに相手にしなくていいんです。そんな愚劣な態度から発せられる意見に、まともなものはほとんどありませんから。本でも読んでいた方がよっぽど生産的です。
二つ目、「本質的な批判」という言葉における「本質」って何ですか?ぼくはそれこそ、「感情的で汚い言葉」のなかに、その人の「愚劣さ」という「本質」を見いだします。
冒頭で提示した主観/客観の話と同じで、何を本質とするかも、やっぱり主観的にならないですかね。そのような意味においては、ぼくは彼らの批判から「本質」を読みとっているとも言えます。いったい、あなたのいう「本質」とは具体的にどのようなことを指しているのでしょう?
結局あなたは、主観的な基準のなかで、「なんとなく」ぼくの文章が気に食わないだけなのではないでしょうか?それならそれでOKです。あなたの主観を、ぼくは受け容れますので。