Shinya talk

     

 

2013/08/27(Tue)

爆笑問題。


今日のニュースでクェートを訪問している安倍首相のメッセージが報じられているのだが、この人はブラックジョークもお得意のようだ。





「クェートの原発で何かあったときには日本におまかせください。」





                      (爆笑)





おまかせくださいのあとに「どんなに汚染水が貯まっても永遠に貯めてみせます」と続くのがよいかも知れない。

彼らは実情を知らないだろうからね。





                        ◉







その安倍首相が(戦犯を回避するがごとく)外遊している間に有識者を集めての消費税点検会議のようなものが催されているわけだが、またやっているな感(既視感)が濃厚。



例のTPP参加の是非が国民の中で論じられているおり、TPP反対派の尾辻秀久元厚生労働相と西川公也TPP対策委員長との殴り合い寸前のような睨み合いが各局で大げさに報じられたが、これはこれだけ自民党内で議論が沸騰してますとの”アリバイ作り”の演技のようだな、と思っていると案の定、その後TPP参加はさしたる紛糾もせずあっけなく参加が決まった。



件のバトル演出というものを広告代理店が仕切っているのはどうかはわからないが、今回の「点検会議」はそっち方面の仕切りが濃厚のように思える。



帯状に60名の有識者の意見を伺う。

これが消費税増税のためのアリバイ作りだとすれば単に税金の無駄遣い以外のなにものでもない。

反対論者は種馬(安倍首相)のとんだ当て馬のようなもので、ノコノコと馬場に出かけるということ自体、消費税増税という子馬を産みやすくする、という意味で結果的に消費税増税に加担することになる。



私個人は今の国の財政状況や国際関係からするなら3パーセントくらいの増税は致し方ないだろうとは思っているが、こういう”小細工”をやれば国民は簡単に懐柔できるという現政府の国民をバカにした手練手管を労したやり方には毎度のごとく苦笑いを禁じ得ない。



かりに反対意見があったとして”それではやめます”ということには120パーセントならないわけだから、アリバイ作りの長ったらしい有識者会議などせず、(そして中東に姿をくらませたりせず)安倍首相自らが堂々と意見を述べ、国民を納得させた上で増税すればよいわけだ。

どうも安倍にはそういったスケール感が足りない。

     

 

2013/08/26(Mon)

藤圭子とその時代、そして今。(Cat Walkより転載)

藤圭子の「夢は夜ひらく」がヒットした70年の春、私はインドから一時帰国していた。

女性ボーカルの空に抜けるようなインド歌謡の明るい歌を長い間耳にしてきた私は、そのどんよりと滞った沼のような歌の暗さに違和感を覚えたものである。




                  ◉




赤く咲くのは けしの花

白く咲くのは 百合の花

どう咲きゃいいのさ この私

夢は夜ひらく



十五、十六、十七と

私の人生暗かった

過去はどんなに暗くとも

夢は夜ひらく




                ◉





この歌が大ヒットした背景は70年安保の終焉と無縁ではないだろう。


69年1月に安保闘争の象徴だった東大の安田講堂が陥落し、やがて一連の闘争は終焉を迎えた。

その後は連合赤軍によるハイジャックや成田の三里塚闘争など部分的は闘争はあったが、安保闘争に熱狂した若者の多く(主に団塊の世代)は挫折の中で悶々とした煮え切らぬ時代と添い寝することとなる。

”しらけ”という言葉が生まれたのもこのころである。


そして圭子の「夢は夜ひらく」のあとには井上陽水の「傘がない」や吉田拓郎の「結婚しようよ」などがヒットする。





                  ◉







都会では自殺する若者が増えている

今朝来た新聞の片隅に書いていた
だけども

問題は今日の雨

傘がない

行かなくちゃ

君に逢いに行かなくちゃ



テレビでは我が国の将来の問題を
誰かが深刻な顔をしてしゃべってる

だけども問題は今日の雨

傘がない

行かなくちゃ

君に逢いに行かなくちゃ





                  ◉





僕の髪が肩までのびて

君と同じになったら

約束どおり 町の教会で

結婚しようよ





                 ◉





藤圭子の「夢は夜ひらく」はリアルタイムで聴いているが、井上陽水の「傘がない」や吉田拓郎の「結婚しようよ」がヒットしていた72年はすでに日本を離れていたので、これらの歌の小耳に挟んだのは後年のことである。


”どう咲きゃいいのさ この私 夢は夜ひらく”という安保闘争終焉直後の苦悩と逡巡から、シラケという言葉が流行った71年の翌年の、陽水の歌う”国家問題や若者の自殺のニュースより、恋人に会ひに行く傘”の方がずっと切実、という自己韜晦(とうかい)はおそらく安保闘争に関わった団塊の世代の無意識を代弁していたのだろう。


団塊の世代の上にあたり、シラケの時代に日本不在だった私は斜に構えた陽水の歌にも違和感を覚えたが、のちに聴いた吉田拓郎の”僕の髪が肩までのびて君と同じになったら町の教会で結婚しよう”という歌はただ気持ち悪い歌だった。


私はインドではサドゥ(修行僧)と同じように髪を背中の半分くらいまで伸ばしていた。
それは世の中の常軌とは一線を画するというシンボルのようなものだった。
恋人とゴールインするためのファッションとしての拓郎の歌の中の髪は同じ長い髪でもずいぶんと異なっており、それも安保闘争のひとつの行き着く先ということなのだろうと思ったものだ。


そんな70年安保挫折以降の、つまり大命題を避け、ミニマリズム(自分周辺)の中で自足するという闘争以降の団塊の世代的生き方は、その後の若者の生き方のモデルになったと言えなくもない。


そればかりかかつてゲバ棒を持って国家や企業の欺瞞に反旗を掲げた者がシラケ後は企業の販促活動に参加するという糸井重里のような者も数多く輩出した。

そういう意味で”自分はかつて若者のころは云々”という武勇伝を下の世代に自慢し、若者のミニマリズムを非難するこの態度には腐臭をすら感じる。




                 ◉




先日、フランスのジャーナリストに会う機会があった時、フランスのテレビ局で原発問題に言及する日本のアーティストや作家の特集を組みたいのだが、どういう人がいるかと問われた。


私の知識が不足しているのか、その質問を受け、名前や顔が思い浮かばないことに焦りを感じた。


原発問題に触れない知識人、作家、アーティストに表現者としての資質を問うというのは傲慢だとも思う。

だがまた思うに原発問題という国家や文明や自からの子孫の存続をも脅かす、この逼迫した”人間の問題”にまるで(放射能すらない)他の世界の空気でも吸っているかのように一切言及しない表現者が多いこの国の風景も異様だとも思う。


団塊の世代ではないが作家では浅田次郎やアーティストでは故忌野清志郎や坂本龍一、加藤登紀子、沢田研二(団塊の世代)などが正面から発言をしているが(おそらく他にもいるだろうが)たとえばノンフィクション作家の沢木耕太郎が原発問題に言及したという話は聞かないし、村上春樹が震災や原発に言及したとしてもそれは”押さえ”としてのコメントの域を出ない。


そういう意味では70年代の若者の意識を代弁した陽水の歌の歌詞に見る自己韜晦は2000年代の今においてもトラウマのようにいまだに尾をひいているということだろう。




                 ◉





藤圭子の自殺を知って走馬灯のように脳裏に去来したのは、なぜか安保以降のそんな時の流れだった。

だがきわめて70年代的であったと言える藤圭子という表現者はシラケや自己韜晦とは無縁な人だった。



彼女はずっと暗かった。



自殺という結末はさらにそのイメージを倍加してやまない。

が、私はそんな藤圭子の信じられないくらい異なった姿をこの目で見ている。



アメリカを旅した83年、ロスアンゼルスはメルローズ通りのとあるレストランに入ったおりのことである。

私のテーブルから3つ先のテーブルに偶然藤圭子が居た。

主人とおぼしき人と向かい合わせに座っていて、藤圭子は生まれたての赤子を抱いていた。

その赤子はのちの宇多田ヒカルである。

圭子は笑っていた。

日本のあらゆる場面で見た圭子のそれからは想像できないくらい明るい笑顔だった。

白い歯が眩しかった。

カメラは持っていたが、その異国というサンクチュアリでの彼女の至福を邪魔しないように、写真は撮らなかった。

当然挨拶もしなかった。


自殺の報を聞いた時、私の脳裏に浮かんだ圭子の顔は、日本人の中に固着した70年の怨歌を歌う彼女のこわばった顔ではなく、なぜかカルフォルニアの明るい陽射しが窓から降り注ぐ中の、あの笑顔だった。





                  ◉





旅の途上、一瞬袖振り合った彼女のその隠し立てのない素顔を記憶する私は、なぜか知己のヒトのようにその死を悼む。


ゆっくりお休みください。





     

 

2013/08/23(Fri)

「はだしのゲン」問題についての寸評。[CATWALKより転載]

「自衛隊にはふたつの側面があります。今回取材させていただいたUS-2のように人命を救助する役割、それと逆に攻撃、つまりひらったく言えば人命を奪うという役割にならざるを得ないということがありますね。そういう矛盾を現場で働いている方はどのようにお感じですか」

こういう質問を投げかけるのは少々酷だと思ったが、一瞬でも本音のようなものを聞きたかったのだが、パイロットは「自分がこういう仕事についているのは誇りに思う、仕事をやり終えた時の達成感は他の方よりあると思います」と答え、私はそれ以上は言葉を続けなかった。

「しかし達成感ばかりではなく、やはり当然滅入るようなこともあるんじゃないですか」

と別の言葉を続けるとパイロットはしばらく考え、絞り出すように言った。

「現場について海況が変化し、しばらくねばっても回復せず、燃料切れを予測しなければならなくなり、遭難者を眼下に見ながら、帰らなくてはならない。こういう時がいちばん辛いですね」

人命救助を本分とする、つまり殺す側ではなく、救う側という恵まれた立場の青年もまた辛酸をなめているのである。

当然それは”殺す”わけではないが、みすみす人の命を”見殺し”しなければならないような立場に追い込まれるということだ。

戦争において人を殺めなければならないような立場に追い込まれることと”見殺し”しなければならないような立場に追い込まれることはその姿さえ違え、同じ”辛酸”であることに変わりはない。

今回の岩国行においては、子供のようにすごい乗り物に巡り会えたという喜びとともに、海自のゲートを出る際、そんな矛盾した思いが去来した。



ところでこういうのをタイミングが絶妙というのか厄日というのかは知らないが、私が海自に居る前後に例の松江市教育委員会による「はだしのゲン」撤去問題が起こっていた。

表向きは、性描写などに残酷なところがあり、子供に見せるには刺激的すぎるということになっているが、この撤去問題は、自民党が政権復帰し、なかんずく極右的色彩の強い、安倍晋三が首相につき、憲法改正を持ち出していることと無縁ではなかろう。

またここのところ新大久保で極右や在特会の集団が蜂起して町をねり歩いている光景とも無縁ではない。

この松江市の教育委員会が「はだしのゲン」を撤去した背景には右翼団体(高知市から日本を考える会)の度重なる圧力があったことは次にアップするURLの中の2つの動画を見ればほぼ明らかなところだろう。

この動画では日本を考える会の中島康治氏が松江市の教育委員会に「裸足のゲン」を撤去せよとねじ込んでいる一部始終が映っているのだが、この少々うんざりするような押し問答、見るのも鬱陶しいが、ことの発端を知る上においては見ておくべきだろう。

http://zaitokuclub.blog.fc2.com/blog-entry-127.html


さてこの動画を見ていて私は2001年に起きたあのいまわしい事件を思い出す。

2001年1月30日放送のいわゆる「従軍慰安婦」問題を扱ったNHK番組「戦争をどう裁くか(2)問われる戦時性暴力」について、安倍晋三(当時・内閣官房副長官)、故・中川昭一(当時・経済産業相)両氏がNHKに圧力をかけてその内容を大きく変更させた事件である。

動画に写っている中島康治氏と安倍晋三氏は当然立場は異なるが、底流においてはどこかで繋がっているということである。

そのことを示すように今回の松江市教育委員会の処置につき、文部科学大臣の下村博文は「はだしのゲン」の描写に刺激的なところがないとは言えない、との松江市教育委員会よりの見解を示している。

つまり「過激な性描写が子供の教育上よくない」とは、子供をダシにした表向きの理由で、この松江市の一件は日本の右傾化の大きなうねりの”返し波”のようなものであるということである。

     

 

2013/08/13(Tue)

ネットで伝染中のアフラック恐怖症にひとこと。

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ネットでは今盛んにアフラックがらみの”怖い憶測”が飛び交っている。

このアフラックと言えば、次々と日本の保険会社を追い落とし、どうやら日本生命を郵貯から追い出す勢いだ。

このたびのTPPに絡んで、怖い存在になるという憶測のところに持って来て、渋谷あたりで不気味な駅貼りポスターを展開した。

黒いアヒルの絵に

「アヒルよ逃げるなら今のうちだ、その短い足でな」

「黒い時代のはじまりはじまり」

「白黒つけてやるから待ってろよ。8・19」

と不気味なコピー。

これは日本の保険会社への挑戦状だ、とかTPP攻勢を暗示するものだとか、あまり俺をさわると怖いことになるというメディアへの牽制だとか、短い足は日本人のことだとか、昨今被害妄想の中にあるニッポン人のネットで恐怖症が蔓延しているわけだ。

この件に関してはクローズドサイトCat Walkですでに解説を加えているが、お盆の休みの時期でもあり、余計な不安をとりのぞく必要があると考え、こちらのサイトでも触れておきたい。


まずこういった意味不明の広告が展開された場合、アメリカの広告が得意とするところの「ティザー広告」と見るのが順等である。

ティザー広告とは、英語のtease(じらす)の意味だが、たとえばかつてマックが写真のない商品名だけの広告を打ち、世間の目を集め、そのあとに商品の正体を出したように”じらし広告””覆面広告”とも呼ばれる。


基本的に収益を上げることが至上目的である企業イメージがマイナスになる広告を打つことはあり得ないわけだ。
つまり「白黒つけてやるから待ってろよ。8・19」と日にちを打っているということは、このティザー広告の種明かしは8・19に展開されると読むべきだろう。


そういった私個人の観測の上で、私のルートを使って取材したところ、結果ははやり私の憶測した通り、今回の不気味広告はティザー広告だった。

アフラックでは白いアヒルがマンネリ化しており、もうひとつの訴求方法として悪役を登場させ、広告効果に幅を持たせたいと考えているということである。(すでに部分的に登場しているようだが、反応を見て本格的にキャラクター化するということだろう)。

その悪役キャラクター登場のティザー広告が今回世間を騒がせている不気味広告の正体というわけである。


危機感を煽り、ネットで憶測を呼ばせるという意味ではこのティザー広告としては成功しているということだろう。


しかしかりにこれがティザー広告であったとしても、アフラックが遺伝子組み換え種子やそれに対応する農薬で日本を席巻しょうとする「モンサント」同様TPPがらみの巨大な”黒船”であることは変わりはない。

そういう意味ではこの黒いアヒルは暗示的と言えば暗示的と言える。




     

 

2013/08/13(Tue)

お盆休みの楽しみと、そしてお勉強。

今日からBSプレミアムドラマ「あなたに似た誰か」がはじまる。
http://www.nhk.or.jp/drama/anata/

第一回は大杉漣さん主演「カワタレバナ」
編集部イチオシ!


2013/08/09


「しょうもない人間が僕も大好き」

大杉漣さん、現場を語る!
〜短編ドラマシリーズ「あなたに似た誰か」〜


8月13日(火)からスタートする「あなたに似た誰か」。

藤原新也さんの短編集「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」等から、3作品をドラマ化したシリーズです。

それを記念して(?)、第1話「カハタレバナ」で主人公を演じた大杉漣さんと、番組の後藤チーフプロデューサー、無類の藤原新也ファンで、今回監督を務めた西谷Dがスペシャルな対談!!を行いました。

「しょうもないことを一生懸命にやる、しょうもない人たちが主人公のドラマ」とは、一体…!?


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(左から後藤CP、大杉漣さん、西谷D)



――今回は夢の対談企画ということで、主演の大杉漣さん、後藤CP、西谷Dのお三方にお集まりいただきました。早速、第1話「カハタレバナ」について伺っていきたいと思います。まずは大杉漣さん、今回の企画を聞いたときの印象はいかがでしたか?


大杉漣(以下、大杉):
藤原新也さんの作品は以前から拝見しておりまして、いつか機会があれば、藤原さんの作品に出させていただきたいと思っていました。西谷Dが昨年撮られた『永遠の泉』も拝見していましたので、このお話を頂いた時は、本当にうれしかったですね!


後藤チーフプロデューサー(以下、後藤):
このドラマは「この話をやりたい!」という、西谷Dの強い思いがあって実現したんです。


西谷ディレクター(以下、西谷):
原作の藤原さんは、実は僕の初演出作品でも主演してくださったんです。北九州放送局の開局30年記念ドラマで、26年前の作品。90分の作品ながら、ものすごい低予算番組で、脚本と主演の両方を藤原さんにお願いしたところ“しょうがないからやるか”と、引き受けてくださったんです。藤原さんが42歳の時でした。



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大杉:
藤原さん、今回もどこかに出演されているんですよね。


西谷:
第3話でご出演頂いていますので、ぜひ探してみてください。


大杉:
西谷さんが、藤原さんに惹かれる魅力というのは、どういったところですか。


西谷:
「東京漂流」「メメント・モリ」などを20代の頃に読みまして、こんなことを言う人はどんな人なんだろう、と。藤原さんが撮られた写真からも、今までの芸術写真とは違う圧倒的なインパクトを受けました。私自身も“死”については子供の頃から興味があって、それを美学に変換して、文章や写真を撮られている。そこに魅力を感じて今に至る…という感じです。



――藤原さんの短編から、「カハタレバナ」「記憶の海」「車窓の向こうの人生」の3編を選ばれた経緯をお聞かせください。


西谷:
「カハタレバナ」は非常にやりたいと思っていた作品でしたが、企画段階ではどの作品でも「作れたら嬉しい」という気持ちでした。北九州局にいた当時の先輩で、同じく藤原新也さんのファンでもある上司から「お前たちで責任を持つなら」と太鼓判をもらって、選ばせて頂いたのがこの3作品です。


後藤:
僕と西谷Dとでドラマを作ると今回みたいな話のチョイスになるんですよ。ちょっとダメだなあって感じの人々が主人公になるのは、自分たちがダメな人間だというのが分かってるからなんですよね。


大杉:
そんなことはないですよ(笑)


後藤:
だから“ダメなワールド”にスタッフと役者さんをどれだけ引き込めるか、というところがある(笑)


西谷:
スタッフ・キャストには、だいたいダメなひとが集まってくるんだよね(笑)


大杉:
このドラマの記者会見の後で、藤原さんが別れ際に「どうも、しょうもない人間を演じてくれてありがとう」と仰ってくれて(笑)。これ、愛情のことばですよね、すごく嬉しかったんです。そして僕も「しょうもない人間が僕も大好きです」と言ったんです。“しょうもない”ことが、きちっとすることより、いかに重要かということで。


後藤:
演じていただいた大杉さんも、自分の中のしょうもない部分をうまく出してくださって。もう、ほんと、どうしようもなく出してくださって(笑)


西谷:
ないのにね〜。


大杉:
ありますよ(笑)



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後藤:
じつは、第1話「カハタレバナ」の主人公・武藤は、西谷Dの分身みたいなものなんですよ。


大杉:
僕にもダブる部分がありましたよ。武藤さんの心根の部分…世の中に対してちょっとすねた部分というか、人と真正面に向きあわない部分。こういう部分も大事だなと思うことがあって、人として、それがエネルギーになっていることもあると思いました。



――武藤役を演じられて、心に残ったセリフやシーンはありましたか?


大杉:
土手を歩くシーンですね。本仮屋ユイカさん演じる、さと子の子どもに会うシーン。土手を一緒に歩くんですが、あの時の寒さはもう、今までに味わったことのないものでした。家に帰りたいくらい!


西谷:
“家に帰りたい”ってすごいね(笑)


大杉:
“寒い”を通り越して“痛い”と思うほどガツンときてましたね。台詞もうまく喋れなくなる状況で。そんな中なのに、本仮屋ユイカさんが抱く赤ちゃんが、素晴らしい演技をしてくれました。


後藤:
大杉さん、暖房に口を近づけて、「口が回らない!」って言ってましたよね(笑)。その寒い中でも、赤ちゃんの演技はすごかったですよね。大杉さんに抱かれて泣くシーンで、ちゃんと泣いてくれたりして。


西谷:
本当にイヤだったんですよ(笑)


大杉:
このおじさんに抱かれるのが嫌だったという(笑)。まさにシチュエーション通り、奇跡のカットですね。現場で起きた小さな奇跡というか、神様が味方してくれているような、一瞬の出来事があったりするんですよね。


後藤:
本仮屋さんが振り向いた時の、あの表情がとてもいいんです。赤ちゃんを抱いて、こちらを向くあの感じ、キュンとしました。その後に大杉さんがひとりトコトコと歩いていくバックショット。今回のカメラマンが、また素晴らしいんです、1・2話の藤田浩久カメラマン、3話の中野英世カメラマンのふたりです。


大杉:
西谷さんの演出はライブなんです。細かく指示をされることは、俳優にとっては心地いい部分と、そこに甘えてはいけないという部分がありますが、西谷さんの場合は非常にライブ感があって、僕個人としては、とても好きな現場でした。これは声を大にして言いたい。(突如、大声で)「好きな現場だぞ〜!」って。


西谷:
ここで大声で言ってもしょうがないでしょ(笑)


大杉:
大きい声で話しても文字が大きくなるわけじゃないから(笑)。本当にいい現場でしたね。今回はいろいろな場所でロケしましたが、どこも楽しかったですね。そして、現場での西谷Dのたたずまいが、またいいんですよ。見ていないようで見ていてくれている。なんというか、圧力をかけない感じ。藤田カメラマンと西谷Dの共同作業という感じがしていましたね。


そうそう、撮影前夜に雪が降ったこともありました。スタッフ総出で血眼になって雪を除けて、路面に残った水を拭って。いざ撮影となったら雪はひとつもありませんでした。重要なシーンで、雪があると台無しになるところだったので、スタッフも大変だったと思います。



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後藤:
僕はバッティングセンターのシーンが好きですね。


大杉:
あのシーンは、武藤という男の心情が表れたところでした。実はバットをひきずるというのを一度やってみたかったんです。昔、家の近所に野球好きのおじさんで、金属バットをひきずりながら歩くひとがいたんです。その姿に嫌悪感というか、バットを引きずるなよという思いを持っていて。すごく威圧感があったので、その感覚を思い出してやってみました。



――完全に余談ですが、後藤CPがこれまでスタッフブログに書かれていたネタですけれども、ついにダイエットに成功されたそうですね!


後藤:
僕が20キロのダイエットに成功した話っていうのも、HPに書いたら結構アクセスあると思うんですよ(笑)


西谷:
本で出した方が売れるよ(笑)


大杉:
炭水化物を減らしたりしたんですか?


後藤:
コンビニで食べ物を買うときに、カロリーを見るというだけなんですけどね。おにぎりが150kcalで、サラダが79kcalで…とか。摂取カロリーを計算して買うという方法です。


西谷:
たし算ができないとだめですね(笑)


大杉:
そりゃあ、引いちゃったら意味無いですからね(笑)


後藤:
お昼は300kcalと決めて、夜はもっと食べたくなっちゃうから多めに設定して…。


大杉:
なるほど。確かに見違えてますものね。


西谷:
後藤さん、意志の力が強いねぇ。


後藤:
そのへんが、今回のドラマの登場人物たちとちょっと違うところです(笑)



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――登場人物はみなさん、意思の力が弱いんですね(笑)。

さて、ここでドラマの話に戻ります。西谷D自身のお気に入りのシーンを教えてください!


西谷:
第1話で言うと、大杉さんが墓場でポロっと涙を流すところを、カメラマンがキッチリおさえていたのがうれしかったですね。あのシーンは好きです。もちろん最後の、本仮屋さんと手を振り合うところも素敵ですね。それから江波杏子さんが効いてますよね。


後藤:
素晴らしいですよね。


西谷:
2話「記憶の海」も藤田カメラマンですが、海や花など、非常に絶妙な映像を撮ってくれたと思っています。3話は中野カメラマンで、千葉の白浜海岸で、映画「バグダッドカフェ」のような映像がとても気に入っています。ハイスピードカメラ(高速度撮影用のカメラ)を使ったシーンの撮影で、4秒カメラを回すと、時間が8倍に伸びて32秒のシーンになるんですよ。宅間孝行さん(3話の主人公・山折幹夫役)が電車の窓ガラスに顔が押し付けられているシーンで、普通に芝居をしたら10秒はかかるところを、宅間さんに4秒でやってほしいとお願いしたら、見事4秒でやってくれた。あれは感動しました(笑)



――1〜3話が完成しましたが、手ごたえを感じている部分はどんなところでしょうか。


後藤:
ドラマというのは、スタッフ・キャストそれぞれに“ここを表現したい”と思って、集まっている部分があるんです。それが合わさる瞬間が、本当に面白いんです。自分では思ってもいなかったことが、こんな風に出来るのかと。各話、3〜4日という短い撮影期間でしたから、みんなが一斉に持ち寄って、ドーンとぶつかったという感じ。その瞬間を現場を見ていて、これはすごく面白くなるだろう!という感覚がありました。西谷Dが思っていないようなところにまで、内容を持っていってくれているのでは…と。たとえば1話では、大杉さんが現場の雰囲気をすごくよく作ってくれました。お芝居に入る前の段階で、スタッフや共演者をのせたりするのがうまい(笑)


西谷:
そうそう(笑)


後藤:
お芝居がどうのこうのという前の段階で、その前がすごく重要だと思いましたね。ほんと、雰囲気作りがすごいですよね!


大杉:
いやいや…(笑)


後藤:
大杉さんは、とても紳士的で柔和な方だと存じてはいましたが、皆を盛り上げて、現場をうまく進行させていく、雰囲気作りのすばらしさを感じましたね。常に声を出しているゴールキーパーのようでもあり、天才ミッドフィルダー的なすごいパスの出し方もあり、そして最後は、自分でゴールを決めちゃう(笑)


西谷:
パスが上手いですよね(笑)


後藤:
本当にパスが上手いんですよ。こんなパスを出すんだ!というのは、見ていて面白かったですね。



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大杉:
後藤さんが仰るように、その作品ごとの立ち位置、というのはあると思います。僕は脇役もやりますし、主役もやりますが、作品ごとに、現場での過ごし方が同じではないんです。作品は監督を中心に作るものだと僕は思っていますので、監督の目を意識したうえで、どういう風に現場にいるか、ということも考えています。演劇論や映画論を語る立場にはないと思いますが、現場で喋った僕の言葉は“現場の言葉”なんだぞ、と思うんです。自分が上手く出来ていればいい、ということではなくて、全体の空気が良くならないといけません。今回は後藤さんや西谷さんも現場を和ませて下さいましたし、撮影の4日間が本当に楽しかったですね。


後藤:
ありがとうございます!


大杉:
「どうだっていいんじゃないか」と思うようなことでも、それをとにかく一生懸命やる。不器用だとかそうでないとか関係なく、一生懸命やったその先に、人の姿や気持ち、そういったものが見えてくることがあると思うんです。そう、一生懸命やることが楽しくて、大事だと思うんですよ。自分は俳優というポジションですが、監督がいて、スタッフがいて、全体で現場というものがある。自分に何が出来るか考えなければいけないと思うんです。そういうことも含めて、現場って楽しいですよね(笑)


西谷:
楽しいですね。


大杉:
だから続けるんです、懲りないんですよね、懲りてないんですよ(笑)。


あ、ここ、字を大きくしておいて下さいね(笑)



――最後に、番組の見どころを紹介してください。


後藤:
決して派手なドラマではありませんが、手間がかかっています。それぞれのキャスト・スタッフが持ち寄った、ダシが利いてるドラマです。そして、ダシの利いたスープなんだけど、味わってみると案外、毒も利いています。そんな部分があるドラマです。


僕は自分の中で“救われたい”と思って、ドラマを作っている部分があります。自分はダメな人間だけれども、もしかしたら、幸せになれる瞬間を味わえるんじゃないか…そんなことを思いながら作っています。このドラマを見て、ああ、ダメな人間がいっぱい出ているなぁと思ってくださった時に、「あんな風に生きれば楽になるな」と、見つけてもらえる瞬間がきっとあると思います。日々疲れたり、自分のことが嫌いになって自信を無くしていたりする人にこそ、見て頂きたいドラマです。


西谷:
ぜひ、見てください。そして、パート2、3とまた続けていけたらなと思っています(笑)。
藤原さんが仰る“無限寛容”という言葉をキーワードに「藤原新也名作劇場」としてまた続けられたらうれしいです。


大杉:
藤原さんのメッセージ(番組HPに掲載)に、「静かな共感さえあればいい」という一節がありましたが、すごくいい言葉だなと思いました。生きていれば、様々なことがあります。僕が演じた武藤の人生にも、色々なことがあったんです。でも、それは特別なことではない。当たり前の人生の中に、悲喜こもごもがある。当たり前の人生の中に、悲喜こもごもがある。「ひょっとして、自分はあの時に、こう選択したから、こうなったのか」と後悔する時が、誰しもあると思うんですよね。


後藤さんが「これは後悔のドラマ」と言っていて、すごく面白いなと僕は思っていました(笑)。こんなに正直に言ってしまう、信頼できる人がいるんだと(笑)。

人間のダメさ加減をよく分かっている。ちょっとしたことだけれども、背中を押してもらえる。どんよりした雲の間から、ちょっとした青空が見える。ドラマの中から、それを見つけて頂けたらと思います。

このドラマから、僕は僕なりの青空を見つけました。演じている自分というよりは、出来上がったドラマを見て、そう思いましたね。それは少しほっとする瞬間であり、藤原さんが仰る“静かな共感”に結びつくのかもしれないなぁと、思っています。



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大杉漣さん、後藤CP、西谷D、本当にありがとうございました!
ざっくばらんにお話いただいて、非ッッ常〜〜〜に、和やかな対談でした。
短編ドラマシリーズ「あなたに似た誰か」は、BSプレミアムで8月13日(火)から3週連続・よる11時15分スタートです!
第1話は大杉漣さん主演の「カハタレバナ」。
どうぞ、お見逃しなく!





この対談の中で私が第三話に出演しているようなことを言っているが、それはご愛嬌で、まあヒッチコック映画のように、5〜6秒画面に映るというだけの話。私などがしゃべると台無しになる。



さて、広島原水爆禁止世界大会で、刺激的なスピーチをしたオリバー・ストーン監督のスピーチ全文である。


筋金入り。


http://www.webdice.jp/dice/detail/3946/


ちょうどそのオリバー・ストーン監督のドキュメンタリー「オリバー・ストーン監督が語る、もうひとつのアメリカ史」の第6回「J.F.ケネディ〜全面核戦争の瀬戸際〜」がNHK・BS1で24時から放映される。


http://www.nhk.or.jp/wdoc/



藤原新也およびCat Walk編集部、明日14日から17日までお盆休みに入る。


藤原は19日に予定されている岩国海自の救難飛行艇US-2に乗るために18日岩国入り。

誤解なきよう言っておくが、私は自衛隊および軍隊賛美者ではない。

船乗りとして、このUS-2のたぐい稀な救急能力に驚嘆し、純粋に、この目と体でその能力を確かめたいということである。

かつて日本から数千キロも離れた太平洋の荒海の中でボートが遭難した場合、それは死を意味していたわけだが、このUS-2はその常識を覆したわけである。

それは武器がそうであるように人を殺すためではなく、人命をいかに救うかという目的のために造られた傑作である。


現地からレポートする。


     

 

2013/07/25(Thu)

失望以上の小さな希望の種(Cat Walk22日掲載分より)

●●の結果「”ねじれ国会”が解消されました」。



民放各局のみならず、NHKニュースまでが自公の民衆洗脳のための”政策造語”をまるで広辞苑に存在する単語でもあるかのように異口同音で使うこの無神経さを見ると、自公の圧勝は”言葉”を扱うマスメディアのリテラシーの低下がその一因にあると言える。



”解消”されたのではなく、参議院が機能しなくなったのであり、機能しなくなったからには必要がないわけだから1院制にすれがよいという話だ。





                 ◉





今回の結果を見て、ふと”富士オヤジ”のことを思い出した。



今月いっぱいCat Walkで期間限定配信している「世界遺産、その前に」というレポートの中に出て来る(おそらく団塊の世代あたりの)オヤジ連である。



このレポートはなかなか良く出来ていて、富士山を撮るアマチュアカメラマンの定宿のひとつ「富士の家」の居室で卓を囲む5人の”富士オヤジ”をレポート全体の狂言回しに使っている。





私は富士の撮影のおり、各地の富士撮影ポイントでこういった”富士オヤジ”の集団に出会っているが、まさにそれはニッポンの保守集団、きわめてスタンダードなニッポン人のかたまりだった。





この富士オヤジ、天下の富士を”ありがたい”モチーフとすること自体が長いものには巻かれろ的日本人気質を色濃く、レポートの中で私の「俗界富士」の意味がわからないように、ちょっと話しても適度に感覚が鈍く、そのくせ妙に自信を持って一家言ありそうなことを言う、いわゆる土鍋の中でこびりついた食えない残滓(残りかす)のような初老や老人が大変多い。





だが富士撮影ポイントに乗り込んで(5名のチーム)巨大な脚立と三脚を何本も立て、大型カメラを4台並べるとその迫力に押され「おい!そこのオヤジ!邪魔だ!どけ!」と脚立の上から見下ろして威嚇すると、三脚を担いで「すんません」と(私に場を占領する権利がないにも関わらず)そそくさと場を空け渡す、臆病な連中でもある。



地方に行けばよくわかるが、つまりこういった”富士オヤジ”こそがニッポン人のマジョリティを形成しており、そいった”人間および人生の残滓”が運悪くもニッポンの政治の生命線を握っている。



参議院選挙前に今回の選挙の投票率は低く、若者より年寄りの有権者が多いと報じられたとき、私はあれらの富士オヤジ、つまりディスイズ日本人が脳裏を過り、自公の勝ちは決まったものと思った。







                 ◉









しかし全体を見れば嘆かわしい限りだが、部分的には明るい材料もある。



山本太郎君が65万票もの票を獲得したことだ。

ご承知のように選挙に出るには比例代表で600万、小選挙区では300万の供託金が必要であり、日本では党の推薦がない限り、金がないと選挙には出馬できない仕組みになっている。



そのことが表しているように、選挙に出ること自体ハードルが目の前を阻んでいるわけだが、かりに供託金を用意して出馬出来たとしても組織も支持母体もないフリーの立場で”勝つ”ことはまず難しい。



そのジンクスを山本は破ったわけだ。

彼は電力会社をはじめとする大企業と抜き差しならぬ関係にあるマスコミも敵に回していた。

テレビ朝日以外のある民放は山本の落選を視野に置いて、彼を面白可笑しく”いじる”画像を事前用意していたくらいである。

ネットではどこをソースとするのかわからない(広告代理店の可能性もあるだろう)中傷デマが氾濫した。



3.11以前、全雑誌の中で東電の広告出稿量第二位で、なぜかいまだに原発礼賛に余念がない「週刊新潮」などは、選挙前に熱心に山本バッシングの記事を書いている(これがなぜ公職選挙法違反にならないのはおかしい)。



そういったジンクスとこもごもの抵抗を破ったのは、組織でもなく支持母体でもなく、その多くは普通の青年たちだった。



投票日前に彼が行った渋谷での演説には膨大な数の若者が集まった(共同通信はこの映像を空から撮り、それが自民党の選挙演説に集まったことを臭わすような記事を配信している)。



私は原発反対のデモに関して各マスコミにコメントし、このデモは組織的な匂いのしない、自然発生的な気持ちのよいデモだということを何度か言ったが、このたびの山本の当選は、あの原発デモに似て、いわゆる組織でも党でも支持母体がどうのこうのでもない、普通の人々が自分の意思で投票し、それが良い結果につながったという意味で戦後の数ある選挙の中でも特筆すべきことではないかと思う。



こういった愚直な青年の行動が、今後の日本の政治シーンにどのような一石を投じ、それがどのような広がりを見せるのか、見守るとともに応援したいと思う。



注記(あくまで今回のトークはCat Walk船長としてのトークではなく、藤原個人の偽らざる心境であることをお断りしておく。)



     

 

2013/07/05(Fri)

”ねじれ”という呪文にご用心。

さて、参議院選挙の月になった。

参議院選挙というとかっては衆議院選挙の”おかず”的要素があってどうでもいい感がいつも漂っているわけだが、今回の参議院選挙は戦後かつてなく重要な選挙となる。



都議選の結果の流れがそのまま参議院選挙になだれ込めば自公圧勝が濃厚となるわけだが、参議院で主導権を握れば大手を振ってなんでもやれるわけであり、おそらく安倍および安倍政権の性格からするならアベノミクスを推し進めるために日銀総裁の強引な首のすげ替え(三権分立同様、政府から独立した法人であるにも関わらす)を見てもわかるように相当強引に政策を推し進めることは確かだろう。



とくに今回の参議院選挙にあたって自公が”ねじれ””ねじれ国会”という言葉を呪文のごとく多用するのが非常に危うい。



彼らにとっては多数派になった衆議院での採決結果が参議院の審議にかけられ、そこで否決されることを”ねじれ”という言葉で表現しているわけであり、要するにひらったく言えば”自分の思い通りにならない”ことを”ねじれ”と言っているに過ぎない。



しかしあの安倍首相の妙に口のうまい詐術的と言える舌の上で”ねじれ””ねじれ”という言葉が呪文のごとく転がされると、あら不思議、”ねじれ”というものが国家の発展を阻止する悪弊のように思えて来るわけだ。



南無妙法蓮華経と100万遍唱えれば救われる、というのは日本人は言葉の呪文が身体化する民族であるということを雄弁に物語っているわけだが、その大元の呪文が怪しければ怪しい身体になり、脳内にこのような画像が定着するわけである。

nejire.jpg

とうぜん日本に限らず民主主義国家の多くが衆議院、参議院に類するの二院制を採用しているのは、同じ問題に対して2度、違う角度から、慎重に審議するためのものであるということは中高で普通に勉強をしてきた人なら百も承知していることだが、昨今の日本国民は放射能で頭がやられているせいか(つまり解決不能な問題を抱え、何も考えたくないという痛感停止状況が蔓延しているということ)呪文(言葉の魔術)をかけられるとフラフラとあっちに行ってしまうという困ったことになっている。



つまり安倍首相の言う”ねじれ”とは国家運営の大原則である二院制を否定する、つまり戦後はじめて参議院の存在というものを無用と唱える大胆な呪文なのである。

それならいっそのこと参議院を廃止し、一院制にして多数派の政策が何でもホイホイ通るようにすれば良いわけで”ねじれ”を悪弊としながら参議院を温存するというのも矛盾しているわけだ。





そういう意味では今回の参議院選挙は戦後はじめて国会が一院制となり、独裁が可能な、いわゆる北朝鮮を笑えない国家になるやも知れない危険を秘めているわけであり、思いの他重要な選挙だと考える。

     

 

2013/07/03(Wed)

根拠なき忘却の時代にこそ持続されるべき放射能養生訓。(Cat Walkより転載)


今年はクロアゲハ蝶を一頭も見ていない。

モンシロチョウは見ているがそれでも例年の3分の1程度だ。



3・11以降、植物の変異や蝉の変異(蝉の場合はどうやら気候に影響された公算が多いという”暫定的”な結論を持ったが)に関しては、持続してそれなりに注意を払って来た。



蝶に関しては、福島を訪れた折、すでに3・11の年で今年は蝶がめっきり減ったという農家の主婦の言葉を取り上げた記憶があるが、その後、房総の家周辺でもそれとなく注意を払っていたのだが、確かに蝶は減っており、去年あたりは例年の3分の1程度だった。



ところが今年はまだ一頭もクロアゲハを見ない。

クロアゲハというのは夏のみの蝶ではない。

早い蝶はすでに4月に飛びはじめ、9月〜10月あたりまでその姿を見る。

3・11前は4〜5月以降にはほとんど毎日クロアゲハを見た。

多い時にはひとつの視界に10数頭のクロアゲハが飛んでいるという光景も珍しくなかった。

そういう意味ではすでに7月になるというのに一頭も見ないというのはあきらかに異常である。



この状態を即、放射能の影響と断ずることはできないだろう。

去年だったか一昨年だったかこのトークので蝉が鳴かないという異変を取り上げ、全国から同様の情報が寄せられた。

しかし、その後蝉は発生し、房総の山でもワンテンポ遅れて鳴きはじめた。

確かに数は減ったものの、どうやらそれは気候変動の結果ではないかという見方に落ち着いた。

したがって今回クロアゲハを見ないことも、何か別の要因がある可能性も視野に入れておく必要があるだろう。



しかし。かりに気候の変動、その他の要因があったとしても、4月から3ヶ月間一頭もクロアゲハを見ないというのは異常ではないか。

因みにモンシロチョウの他に私が見たのはアオスジアゲハであり、それも1頭のみだ。



これは私の家周辺のみのことなのか、日本全土に起きている現象なのか、今回も蝉の一件と同じように、全国の会員にクロアゲハの情報を募りたい。













アベノミクスという空歌で浮かれている世の中では放射能問題はすでに終わっているかのような空気が漂っているが、放射能問題は終わったわけではない。



私の住む渋谷の一角、そして私の部屋は3・11以降、線量計は0、12マイクロシーベルト/hを指針したまま今でもまったく変わらない。



環境における放射能の積算量も一向に変わったわけではなく、山から川へ、川から海へ、環境から動植物の体内へと移染しているに過ぎない。

というよりむしろ、運動係数(カロリー摂取+カロリー消費)の大きい動物や、とくに食物連鎖の頂点に位置するヒトの体内には他に増して年々蓄積し、安心(忘却)と危機(放射能物質の体内蓄積)とが比例しれしまうという皮肉な事が起こる。



私も定期的に福島に通い、現状を把握しているように、好むと好まざるとに関わらず私たち日本人はこの放射能問題から逃れることは出来ないのであり、急くことなく淡々と現状を把握し、対処できることはするという行動を持ち続けることが肝要である。



「ゆっくり歩く者は遠くまで行ける」



という諺のような生活態度を求められているということだろう。















先日福島を訪れた時、南相馬の若い漁師の話を聞いて、いささか驚くとともに、さもありなんと、昨今なしくずしになりつつある放射能問題の片鱗を見る思いがした。



M君はまだ20代の若い漁師だが、震災の折にちょうど船に乗っていて、父親とともの必死で沖に向かい、第三波までの波を乗り越え、洋上で3日間を過ごし、帰港した。

陸地を見たとき言葉を失った。

すべてが消え失せていた。

当然、着岸する港もなく、水深計を見ながらなんとか陸につけた。

その後の原発が爆発し、海は汚染され、魚からも高濃度の放射能が検出され、船は温存されたものの、漁は事実上禁止された。



今でも漁があるのは月に1〜2回程度。

それも沖に出て刺し網を入れ、各種の魚を獲り、船上で検体を確保した上で他の魚は全部廃棄する(彼は”投げる”という言い方をした)。

つまり汚染された海洋に面した漁師は魚を”獲る”漁師ではなく”捨てる(投げる)”漁師なのだ。



「そりゃ、すごい獲れますよ、ぜんぜん漁やってないですから」



ひと網で3・11前の5〜10倍も獲れるという。



「それをごっそり海に投げる。

ほとんど死んでます。海の上をゴミの帯みたいになって、ずっと流れて行く」



それを見ていると自分が一体何をやっているのだろうとわからなくなるという。



この検体確保の魚は放射能検査に回されるわけだが、漁師は検体の名目で値のいい魚は余分に確保し、地元の消費に回している。

といっても売るわけではなく、知り合いに配るのだ。

とくに南相馬沖のヒラメは全国でもっとも良い値のつくブランド品であり、美味しい。



ある日、南相馬の山間の村で一人の中年の主婦が軽ワゴンに積んだクーラーから1尾の型のよいヒラメを取り出し、横付けした家の前で「○○さーん」と名を呼んでいるのに出くわした。

このようにして汚染ヒラメは地元で消費されているわけだ。



「もう、わたしたちは年じゃからね、何十年生きられるわけでもなし、気にせんことにしとる」



当然汚染魚はタダであれ流通させることは規則違反だが、それは自己責任の覚悟の上での消費であり、お役所も見てみぬふりをしている。



しかしこの放射能がらみの不穏な話というのは、他の分野で除染ビジネスなどの違法が跋扈していることを見てもわかるように、海の上においても同様である。



近年の日本における魚の漁獲量の激減は海の汚染によるものと言われて来たが(かりにその要素があったとしても)人間が魚を獲りすぎた結果であることが、はからずも放射能問題で証明されることとなった。



南相馬の海ではわずか2年半漁を辞めただけで魚の量が5〜10倍増えたわけである。

人が海から消えて、海は宝の山となった。

いや正確に言えば人が消えたわけではない。

震災、原発の混乱に乗じて様々な者が悪知恵を駆使しているように、この海の異常現象に目をつける姑息な人間が現れるのは時間の問題だった。



そこに地元の漁船がいないことを幸いに宮城など他県の漁師がかなりおおっぴらに”盗漁”をしているのである。

あの高価な相馬ヒラメをばかばか獲って、地元で水揚げし、流通に乗せている。



この手口はよくあることで、房総においても羽田沖に大繁殖しているスズキ(海が汚いので臭う)を一網打尽に獲って来て、地元で水揚げして大もうけしている輩がいる。



この高級ヒラメは仙台などの東北の都市だけで消費されるとは限らない。

巡り巡って、東京人の口に入る公算も当然ある。















”忘れる”ということはこういうことなのだ。

つまり危険は忘却に比例しているということ。

そのことは相馬ヒラメが象徴的にもの語っている。



私は今でもコチ、カレイ、ヒラメ、ホウボウ、アイナメ、キスなどの底もの(遠海の深海に生息するキンキやキンメなどは別)、メバル、カサゴなどの根魚などは魚の店では注文しない。

スズキやイシモチなどの吃水域(河口)などに多い魚も敬遠する。

アユ、コイ、フナ、ヤマメ、イワナなどの川(湖)魚はなおさらのことである。



獲られたのに食べられない魚には申しわけないと思う。



しかし「ゆっくり歩く者は遠くまで行ける」諺を実践するには日々の自衛の持続こそが、10年後には大きな健康の差異をもたらす(ベラルーシの小児科医、スモルニコワ・バレンチナの言葉)ことはあきらかなことだ。



まあ私個人はいい加減遠くまで行っているので、これ以上遠くまで行く必要もないと思うが、私の命は私のみのものでもないわけだから「放射能養生訓」と言うべきものは持続して実践するとする。



     

 

2013/07/03(Wed)

根拠なき忘却の時代にこそ持続されるべき放射能養生訓。(Cat Walkより転載)



今年はクロアゲハ蝶を一頭も見ていない。

モンシロチョウは見ているがそれでも例年の3分の1程度だ。



3・11以降、植物の変異や蝉の変異(蝉の場合はどうやら気候に影響された公算が多いという”暫定的”な結論を持ったが)に関しては、持続してそれなりに注意を払って来た。



蝶に関しては、福島を訪れた折、すでに3・11の年で今年は蝶がめっきり減ったという農家の主婦の言葉を取り上げた記憶があるが、その後、房総の家周辺でもそれとなく注意を払っていたのだが、確かに蝶は減っており、去年あたりは例年の3分の1程度だった。



ところが今年はまだ一頭もクロアゲハを見ない。

クロアゲハというのは夏のみの蝶ではない。

早い蝶はすでに4月に飛びはじめ、9月〜10月あたりまでその姿を見る。

3・11前は4〜5月以降にはほとんど毎日クロアゲハを見た。

多い時にはひとつの視界に10数頭のクロアゲハが飛んでいるという光景も珍しくなかった。

そういう意味ではすでに7月になるというのに一頭も見ないというのはあきらかに異常である。



この状態を即、放射能の影響と断ずることはできないだろう。

去年だったか一昨年だったかこのトークので蝉が鳴かないという異変を取り上げ、全国から同様の情報が寄せられた。

しかし、その後蝉は発生し、房総の山でもワンテンポ遅れて鳴きはじめた。

確かに数は減ったものの、どうやらそれは気候変動の結果ではないかという見方に落ち着いた。

したがって今回クロアゲハを見ないことも、何か別の要因がある可能性も視野に入れておく必要があるだろう。



しかし。かりに気候の変動、その他の要因があったとしても、4月から3ヶ月間一頭もクロアゲハを見ないというのは異常ではないか。

因みにモンシロチョウの他に私が見たのはアオスジアゲハであり、それも1頭のみだ。



これは私の家周辺のみのことなのか、日本全土に起きている現象なのか、今回も蝉の一件と同じように、全国の会員にクロアゲハの情報を募りたい。













アベノミクスという空歌で浮かれている世の中では放射能問題はすでに終わっているかのような空気が漂っているが、放射能問題は終わったわけではない。



私の住む渋谷の一角、そして私の部屋は3・11以降、線量計は0、12マイクロシーベルト/hを指針したまま今でもまったく変わらない。



環境における放射能の積算量も一向に変わったわけではなく、山から川へ、川から海へ、環境から動植物の体内へと移染しているに過ぎない。

というよりむしろ、運動係数(カロリー摂取+カロリー消費)の大きい動物や、とくに食物連鎖の頂点に位置するヒトの体内には他に増して年々蓄積し、安心(忘却)と危機(放射能物質の体内蓄積)とが比例しれしまうという皮肉な事が起こる。



私も定期的に福島に通い、現状を把握しているように、好むと好まざるとに関わらず私たち日本人はこの放射能問題から逃れることは出来ないのであり、急くことなく淡々と現状を把握し、対処できることはするという行動を持ち続けることが肝要である。



「ゆっくり歩く者は遠くまで行ける」



という諺のような生活態度を求められているということだろう。















先日福島を訪れた時、南相馬の若い漁師の話を聞いて、いささか驚くとともに、さもありなんと、昨今なしくずしになりつつある放射能問題の片鱗を見る思いがした。



M君はまだ20代の若い漁師だが、震災の折にちょうど船に乗っていて、父親とともの必死で沖に向かい、第三波までの波を乗り越え、洋上で3日間を過ごし、帰港した。

陸地を見たとき言葉を失った。

すべてが消え失せていた。

当然、着岸する港もなく、水深計を見ながらなんとか陸につけた。

その後の原発が爆発し、海は汚染され、魚からも高濃度の放射能が検出され、船は温存されたものの、漁は事実上禁止された。



今でも漁があるのは月に1〜2回程度。

それも沖に出て刺し網を入れ、各種の魚を獲り、船上で検体を確保した上で他の魚は全部廃棄する(彼は”投げる”という言い方をした)。

つまり汚染された海洋に面した漁師は魚を”獲る”漁師ではなく”捨てる(投げる)”漁師なのだ。



「そりゃ、すごい獲れますよ、ぜんぜん漁やってないですから」



ひと網で3・11前の5〜10倍も獲れるという。



「それをごっそり海に投げる。

ほとんど死んでます。海の上をゴミの帯みたいになって、ずっと流れて行く」



それを見ていると自分が一体何をやっているのだろうとわからなくなるという。



この検体確保の魚は放射能検査に回されるわけだが、漁師は検体の名目で値のいい魚は余分に確保し、地元の消費に回している。

といっても売るわけではなく、知り合いに配るのだ。

とくに南相馬沖のヒラメは全国でもっとも良い値のつくブランド品であり、美味しい。



ある日、南相馬の山間の村で一人の中年の主婦が軽ワゴンに積んだクーラーから1尾の型のよいヒラメを取り出し、横付けした家の前で「○○さーん」と名を呼んでいるのに出くわした。

このようにして汚染ヒラメは地元で消費されているわけだ。



「もう、わたしたちは年じゃからね、何十年生きられるわけでもなし、気にせんことにしとる」



当然汚染魚はタダであれ流通させることは規則違反だが、それは自己責任の覚悟の上での消費であり、お役所も見てみぬふりをしている。



しかしこの放射能がらみの不穏な話というのは、他の分野で除染ビジネスなどの違法が跋扈していることを見てもわかるように、海の上においても同様である。



近年の日本における魚の漁獲量の激減は海の汚染によるものと言われて来たが(かりにその要素があったとしても)人間が魚を獲りすぎた結果であることが、はからずも放射能問題で証明されることとなった。



南相馬の海ではわずか2年半漁を辞めただけで魚の量が5〜10倍増えたわけである。

人が海から消えて、海は宝の山となった。

いや正確に言えば人が消えたわけではない。

震災、原発の混乱に乗じて様々な者が悪知恵を駆使しているように、この海の異常現象に目をつける姑息な人間が現れるのは時間の問題だった。



そこに地元の漁船がいないことを幸いに宮城など他県の漁師がかなりおおっぴらに”盗漁”をしているのである。

あの高価な相馬ヒラメをばかばか獲って、地元で水揚げし、流通に乗せている。



この手口はよくあることで、房総においても羽田沖に大繁殖しているスズキ(海が汚いので臭う)を一網打尽に獲って来て、地元で水揚げして大もうけしている輩がいる。



この高級ヒラメは仙台などの東北の都市だけで消費されるとは限らない。

巡り巡って、東京人の口に入る公算も当然ある。















”忘れる”ということはこういうことなのだ。

つまり危険は忘却に比例しているということ。

そのことは相馬ヒラメが象徴的にもの語っている。



私は今でもコチ、カレイ、ヒラメ、ホウボウ、アイナメ、キスなどの底もの(遠海の深海に生息するキンキやキンメなどは別)、メバル、カサゴなどの根魚などは魚の店では注文しない。

スズキやイシモチなどの吃水域(河口)などに多い魚も敬遠する。

アユ、コイ、フナ、ヤマメ、イワナなどの川(湖)魚はなおさらのことである。



獲られたのに食べられない魚には申しわけないと思う。



しかし「ゆっくり歩く者は遠くまで行ける」諺を実践するには日々の自衛の持続こそが、10年後には大きな健康の差異をもたらす(ベラルーシの小児科医、スモルニコワ・バレンチナの言葉)ことはあきらかなことだ。



まあ私個人はいい加減遠くまで行っているので、これ以上遠くまで行く(長生きをする)必要もないと思うが、私の命は私のみのものでもないわけだから「放射能養生訓」と言うべきものは持続して実践するとする。



     

 

2013/06/07(Fri)

天上の音楽(Cat Walkより転載)

こんなことで多くの乗客を乗せる船長など果たしてやっておれるのだろうかと、例のあのイタリアの”バカ船長”のことがふと頭をよぎるのだが、先日安部首相の第三の矢記者会見をテレビで見ていたら首相の額の斜め35度、中空2、3メートルのところに4人の天使が飛んでいるのが見えたのである。



こういう朦朧とした幻視にとらわれていては手にする舵も夢うつつ、船は座礁しないとも限らない。



アブナイ、アブナイ。



件の天使はいつもテレビ画面に見えていたわけではなく、カメラがグッとズームアウト、つまり引いて会見場の全景が映ったときに見えたわけである。



4人の天使はそれぞれの手にふたつのヴァイオリン、ビオラ、それにチェロを携えており、聞き耳を立てるとどうやら弦楽四重奏を奏でているらしいが、どうやら記者たちには聴こえておらず、安部首相だけが聴こえているようである。



首相はその心地よい”天上の音楽”に乗せて例によって歌うがごとき流暢な(舌が短いのか、ときおり発音に子供っぽいラ行欠損が生じるものの)喉声(腹から声が出ておらず歌としては本物ではない)で「サッカー日本代表がワールドカップ出場に一番乗りを果たしました。日本もまた、世界の中心に躍り出さなければなりません!」「医薬品のネット販売の原則解禁します!」「国家戦略特区を創設し、国際的なビジネス環境を整備します!」ついには「1人あたりの国民総所得を、10年後に150万円増やします!!」など実に心地よい歌をうたっている。



この歌はどうやら「第三の矢」というタイトルらしい。



そう言えば、弦楽四重奏を奏でる4人の天使からちょっと離れてもうひとり天使を私は幻視している。



この天使は手に矢をつがえた弓を携えてテレビ画面の隅っこの方に映っており、この天使が矢を射り、安部首相の後頭部に当たった直後に首相は朗々とメロディアスなご託宣を述べはじめたのである。



思うにこれまで船長は頭が常人同様はっきりしており、幻視などしなかったから気づかなかったわけだが、このたびは安部という人はいつも5人の天使を引き連れた合奏団におけるボーカルパートだったということにはたと気づいた次第である。



長年の不況に気力を失い、

学級崩壊のごとき政権に身をまかせてさらに疲弊し、

追い打ちをかけるがごとき大震災、

さらには原発災害と、

息も絶え絶えな、わたしたちニッポン国民はまさにこんな天使の歌を待ち望んでいたのだ。



たとえそれが空耳でもよい、天使の歌が聴きたいといういわれなき願望が実態のない空虚なミニバブルを下支えし、あの原発さえバラ色の未来に見えるという、なんだか私の幻視に似た迷妄がニッポン国民の頭上を霧のごとく被っていたわけである。


だが安部首相の頭上に天使たちが危なっかしいミニバブル音楽を奏でていることは記者会見上の記者たちにもテレビを見ているニッポン国民にもどうやらまだ見えていない。



見えていないにも関わらず、なぜ株価が一気に下がったのか?



実を言うとそのとき、私には天使たちのうしろに一瞬うっすらと背後霊を見ている。



背後霊は一瞬たち現れ、瞬く間に画面から消えたのだが、それは株の高速取引に符号する1000分の1秒くらいだったように記憶する。





私は写真家だからその一瞬画面にたち現れ、瞬く間に消えた背後霊の顔をはっきりと目に焼き付けているのだが、のちにあれはどこかで見た顔だと思い返すに、はたと気づいた。



サタンである。



この地球上には巨億のマネーゲームをもてあそんで無目的に資産を増やす金のみが目的のサタンのような顔というか”サタンそのもの”が存在しており(以前その手の人間がNHKインタビューに出て来たが、本当にサタンのような顔をしていた)、安部首相が第三の矢の歌をうたっている最中に、そのサタンの右手の指が一瞬素早く動き、パソコンのどこやらのキーを叩いた。



そのパソコンのキーが”売り”を指示するキーであったことは言うまでもない。



恐ろしいことにこのサタン、私同様、どうやら安部首相の頭上に浮遊する天使が常に見えているらしいのだ。

というより天使の背後でタクトを振っているやも知れぬ。



まあ、私の場合は天使が見えたからと言って耄碌からのただの幻視であり、一銭金も稼げず、何の役にも立たないわけだが。



     

 

2013/05/28(Tue)

従軍慰安婦に関する覚え書き。(CATWALKより転載)

従軍慰安婦の問題が取りざたされているが、安部首相、橋下大阪市長、その他さまざまな人の言説が飛び交っているが、こういった人身に関する問題が思惑と風評によっていかようにも解釈されうる昨今のアノミー(無規範)な状況というのは非常に危ういと感じる。

解釈というものが頭の中のみにぐるぐると空虚に回り巡り、それがおのずと自己弁護と自己擁護(あるいは国家擁護)に向って行くのは、言説を振り回す人間に”体験”がすっぽり抜け落ちているからに他ならない。

安部首相は言うに及ばず、ましてや橋下大阪市長などは戦争のカケラ体験もなく、二次情報、三次情報などにのめり込んで自分の論理を構築しているわけであり、それはネットにおける風評と大差があるわけではない。

かろうじて戦争体験の端っこに引っかかっている私のような者にはこの空論の堂々巡りが虚しい。

それはたまたま私個人が自分の血肉にかかわることとして、日本が占領していたころの朝鮮半島にまつわるあの忌まわしい臭いを嗅いでしまっているからである。

その臭いについて少し話してみよう。



私の母の姉は早死にをしたが、不幸な嫁入りと言わざるをえなかった。

嫁いだ男、Mは占領時の朝鮮半島で手広く建設業を営み、敗戦後、引き上げ、私の門司港の旅館の横で飲食業を営み、終戦後は進駐軍の若い兵士のたまり場となっていた。

Mは私が子供のころ50代後半くらいだったが、今思い出してもよくしゃべる男だったにもかかわらず笑顔の印象が薄い。

というより自分の近しい親戚であるにもかかわらず子供心に”怖い”という感情のみがあった。

彼は朝鮮半島で建設業を営んでいたおりの話を周囲の者によくした。

現地で雇った人夫を棒で殴りつけながら働かせていたという話を自慢げに話すのである。

牛馬と同じという言い方を彼はよくした。

その大人たちの間で交わされる話をそばで聞いていて彼が現地の人を奴隷のように扱ってるという想像を私はしていたものだ。

そして実際彼は暴力をふるった。

自分の子供にも可愛がる子供とそうでない子供がいて、虫の居所がわるいと鉄の大火箸で力任せに殴った。

恐ろしかった。

むこう(朝鮮半島)できっとこのようなことをやっていたんだろうと思った。

そのように恐れを感じていたMのことに一層おそれを感じるようになったのは、ある日、父が母との談話の中で「Mはひどいことを言うもんじゃのう。いったい向こうで何しとったんじゃ」ということを小耳に挟んだからだ。

「籠屋にするぞい!!」

ある日、客とのいさかいがあった時、Mは激昂してそのような言葉を吐いたらしい。

たまたまその場にいた父はその意味がわからず、のちに問うたところ、籠屋とは手足を切って、同体だけにし、籠に入れて見せ物として売りさばくぞ、という意味らしいことがわかったという。

実際に半島でそのような残酷なことが行われたのか、あるいはそれは人を脅す時の最大級の脅し言葉なのかはわかならないが、そのような残酷な言葉が半島占領時下における日本人の口から出ていたことはMの言動から想像に難くない。

あるいは占領時において現地の人々の暗黙の反感を押さえ込むために行動や言葉がより過激になったということも考えられる。

Mはやくざの話もよくした。

Mはその類の話が佳境に入ると口角泡を飛ばし、得意げに恐ろしい話を平気でした。

植民地では荒稼ぎしょうと日本で食い逸れた半端者がこぞって渡朝し、徘徊しているという。

とうぜんやくざも徘徊していて、軍の手先になって強引な徴兵をやったという。

それは男性に限らなかった。

現地の人はなかなか働き口のない当時、仕事があるとウソをついて十代や二十代の女性を連れ出し、売春業者に売り渡すということは珍しいことではなかったという。

さらに私が子供心に震え上がったのは、ある朝鮮の家庭で夕餉の団らん時、とつぜんやくざが土足で上がり込んで行って、まえもって目星をつけておいた若い女性をさらって行ったという彼の話である。

ひとさらい、という言葉そのものは当時の日本でもあったが、実際にMの口からそのような話が飛び出すと、私も自分がひとさらいにさらわれるのではないかと、夜寝るときは気が気でなく、母親の布団の方ににじり寄ったものだ。

そういったひどいめにあった女性達が、従軍慰安婦として働かされたかどうかという点については私の記憶の中では彼の口からそういう話は出ていない。

いやというよりそもそも従軍慰安婦という言葉を当時の一般の人々が使っていたのかどうかは調べる必要があるだろう。

しかしここで銘記しておくべきことは、かりに日本人やくざらの手によって強制的に売春宿で働かされ、その女性たちの何人かが選ばれて従軍させられたとするなら、誰の手にかかろうと結果的にはそれは強制収容された従軍慰安婦と見なすべきということである。

それが国策としてやったことかどうかということに力点が置かれているが、かりにやくざが騙すなり、拉致するなりし、その女性達が巡り巡って従軍慰安婦として働かせられていたとするなら、それは軍(国家)が容認をしていたわけだから、国策かどうかというような論議をすること自体に意味がない。

というよりいずこの国に、買春行為を国策として明文化する馬鹿がいるかということである。

明文化しなかったからそれは国策ではなかった、という言い方があるとするならそれはメニューにない料理を提供するレストランでは、そのような料理は存在しないというに等しい。



血のつながりはないものの、かねがね親族にMのような者が居たというのは、私自身居心地が悪いというか、後ろめたさのようなものがあった。

そしてそういう残酷極まりない話を近しい親族から聞いたこと自体、自分の人生の汚点という風に感じてもいた。

しかしこういった体験なき空論ばかりが跋扈する平成の世の危うさに鑑み、その汚点はあきらかにしておくべきだろうと考える。

だからどうだ、と結論を急ぐわけではない。

ここにたまたま半島に近い港町という地の利を得た空疎な二次情報ではない、生々しい人間を介してのひとつの情報がかつて存在し、私はそれを私自身の耳で聞いたということだ。

Mの話の真偽のほどを含め、それをたたき台として私たちが何を考え、何を判断するかということだ。

     

 

2013/05/10(Thu)

十センチ未満の一大事。

夜遅く家に帰って来て、飲んでいることもあり、頭がどうも回らない。

ということで、今日経験したショートショートストーリーをちょっとしたため、寝ることとする。

今日は東京駅の方に用事があり、夕方の帰りに久しぶりにJRの山手線に乗った。

だが目的地の恵比寿駅に電車が着いたのだが、なぜかドアが開かない。
3〜40秒くらいだっただろうか。
ドアが開かずに30秒というのはえらく長く感じるものだ。
そのうちに恵比寿駅で降りる構えの人も含め、乗客は何事かとあたりをうかがいはじめる。
飛び込みでもあったのか?
そんな空気も流れたように感じる。
そうすると、やっと車内アナウンスがあった。


「停車位置を直しますので、お気をつけください」


なーんだオーバーランか。
ほっとした空気とともに日常がまた平凡なものに戻った退屈じみた空気も流れる。
だがアナウンスがあってもなかなか電車は動こうとしない。
どうしたのだ?
車内にイラついた空気が流れる。
また車内放送が流れた。


「停車位置を直しますので、お気をつけください」


まったく同じ文言。
早くしろ。
気持ちの中でみなそう独りごちている。
私もまたそのように独りごちた。


そしてまた同じ文言のアナウンスとともに、その直後やっと電車が動く気配。
おそらく1ドア分か2ドア分をオーバーランしたのだろう。


そう思って電車の動きに身をゆだねる。
ついに動く。
そして停まる。


えっ。
これだけ?


電車は確かに動いた。
たったの10センチ。
本当に10センチだ。
いや5センチくらいだったかも知れない。
つまり後ろ側におそろしく微動して止まる。
また失敗か。
ぐずぐずしてるな、早くしろ。
そう思っている刹那、
……ドアが開く。


あっけに取られる。
無表情のまま乗客がぞろぞろ下車して行く。
私も下車した。
ドアが閉まる。
何事もなかったように駅のチャイムが鳴り、電車は動きはじめる。
私だけが電車を見送っていた。
最後尾の若い車掌の無表情がちらちと見え、電車は遠ざかる。


これは決してあんたの責任じゃない。
あんたも被害者だよな。
あのバカ中年以降のバカマニュアルを作る管理職連の被害者。


……この日本という国家。
つまり35キロ分の10センチの誤差を失敗として軌道修正しつつ動いているこの極東の不思議な社会。

もしあの炎天下でケツを出して踊りまくるブラジル人がこの電車に乗っていたとするなら、おそらくそこで一体どのようなことが展開していたのか、それすらも分からないだろう。

もしその事情がわかれば胸に十字を切って電車を見送るかも知れない。

アナタご臨終です。

……ごきげんよう。

     

 

2013/04/15(Mon)

金正恩という若き最高指導者の行動に垣間見えるもの。

このトークではこれまで幾度か北朝鮮に言及している。

今回の北朝鮮ミサイル問題に関連した「アメリカの困ったフェアープレー精神」(4月9日)。

あるいは先年金正日が逝去したおりのアナウンサー報道を茶化す日本人に言及した(2011 12月19日 「パンソリ」)。

あるいは新大久保の排除デモなどに触れた(2013 2月12日)、などだが、トークではかねがね、北朝鮮に関する一方的な報道の在り方や、異質なものを排除する傾向にある、昨今の日本人の北朝鮮に対するいわれのない偏見を正して来た。

そして9日のトークでは金正恩の行動力に青年の覇気を感じるむねの談話をたたためたわけだが、この金正恩という青年に関しては情報が少ないだけにまだまだ評価するに早計で、消化不良である。

今回の北朝鮮問題に絡んでのアメリカ要人の金正恩に関するコメントを聞いても、彼らもまたおっかなびっくり正確な評価に苦しんでいるようなところが見受けられる。

だが数少ない金正恩に関する情報を取捨選択するに、彼の人物像がおぼろに浮かび上がって来るような局面も見受けられるので一言付け加えたい。





そのひとつは彼がかつてのNBA(北米のプロバスケットボールリーグ)の往年のスターであるデニス・ロッドマンを北朝鮮に招待し、一緒にバスケットボールを観戦したり、歓迎会を開いたりし、さらには彼にオバマ宛のメセージを託していることである。

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私の兄は学生時代にバスケットボールをやっていた関係で、旅行会社に勤めていた折にはNBA観戦ツアーを企てるほどNBAファンで、そのお陰(とばっちり)で迷惑なことに私自身もNBAに関する生半可な知識がある。

そんな私の知るデニス・ロッドマンと言えば全身にタトゥーで髪を緑色に染め、女装癖の悪さをもおおっぴらにして隠さないなど、”狂気の◎◎”と名指されるほど、のワルだった。

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身長203cm、体重105kg。

NBA選手としては小柄だ。

彼は80年代から90年代にかけて活躍したディフェンダーであり、92年〜98年に7年連続リバウンド王となっている。

このリバウンドというのはバスケットリングから跳ね返って来たボールを奪い取ることだが、彼は自分でも公言しているが、点を入れることには興味がなく、敵のボールを奪うことに興味があるという”あまのじゃく”なのである。

その”203センチという小さい身長”を逆に利用して機敏な動作とボールが落ちて来るポイントを抜群のセンスで予測し、さまざまな派手なジェスチャーでリバウンドをものし観衆を湧かせた。

バスケットが点を取る競技であるにも関わらず、点数を稼ぐ選手より点を入れることに興味のない彼の方が目立ったというのは彼の立ち位置はマイナーでありながら超メジャーに成り上がったということに他ならない。

金正恩が招待したロッドマンは鼻とか唇にボディピアスをぶら下げた妙に薄汚い出で立ちで、えっこれがロッドマン?と疑うような変わりようだが、そんなことより、私としては金正恩がロッドマンの大ファンであったことの方に抜きさし難い因縁を感じざるを得ない。

スイス留学時代の金正恩はバスケット漬けで、そのころの友人の話ではことバスケットになると口角泡を飛ばし、話の尽きることはなかったという。

その学生時代の金正恩がバスケットをやっていたころのNBA”大やんちゃスター”がロッドマンだったわけだ。

世界の中の超マイナー嫌われ者国家の首領の御曹司がこのロッドマンに傾倒したのはものの理(ことわり)というものだろう。

背の高い人間の林のような中からとつぜん小柄な緑頭の男が現れ、タマをかっさらって点を入れることにより戦況を一変させてしまう。

痛快この上ない。

やんちゃはその付属物のようなものだが、御曹司がやんちゃに憧れるパターンは麻生元総理や小泉元総理を見ればわかることだ。

その意味で金正恩は御曹司キャラクターそのものである。





問題はその彼が境遇の似通ったロッドマンの大のファンだったというようなことではない。

彼がそのロッドマンを北朝鮮に招待したというのは、件の経緯から言ってわかりやすいことだが、彼の政治家としての資質を読むに上において問題なのはこのロッドマンに外交官の役目を託したという訳のわからない彼の挙動である。

ロッドマンは往年のNBAの名選手には違いない。

だが彼は15年前の選手であり、すでにアメリカでは忘れ去られている元選手なのだ。

しかし金正恩の時間は完全に止まっていて、ひどい過去固着に陥っている。

ロッドマン起用は金正恩のパーソナルヒストリーのみに負う時代錯誤のミスキャストに他ならない。

問題は彼が学生時代に”全能の神”として崇めたロッドマンをいまだ”全能”と錯覚し、一国の外交の片棒を担がせようとした無知と世界政治に対する根本からの思い違いにある。

これらの経緯を見るに、どうやら金正恩という青年は世界的にこの年代に特質化した!”オタク”的性格を色濃く宿しているやも知れぬという意味で、きわめて”イマ的”と言える。

そしてこのオタク的という、つまり自分のみがあって他者が希薄というありようは、時に恐ろしい局面を展開する。

それは今回のミサイル騒動のことではない。

私はこのことを北朝鮮通の韓国人知識人のコメントによって知って驚いたのだが、金正恩は最高指導者になって間もなく、平壌近郊に徘徊するコッチェビを総”シュクセイ”したという。

これはテレビでのコメントだったのでその”シュクセイ”という言葉が「粛清」であるのか「粛正」であるのかは判然としなかったが”シュクセイ”という言葉の響きにはあの忌まわしいアウシュビッツの大量虐殺が亡霊のごとく立ち上がる。

もしこれが粛正、つまり一定の方向に叩き直す、でなく粛清、つまり処分(殺戮)であるとするなら、これは今回の北朝鮮のミサイル問題以上の今世紀の大問題と言って過言ではない。

だが北朝鮮異端視という風潮の中で、この忌まわしい発言はいとも簡単にスルーされ、その発言後も問題とされることもなかった。

この件に関してはマスコミ報道もなければ、不思議なことに今日いかなる情報も網羅するネットであらゆるキーワードを入れても、この件は立ち現れない。

中にはコッチェビ皆殺しというキャッシュだけ残っていて、それを開こうとすると、時間切れで削除されましたというのがあったりする。

もし仮にその韓国知識人の発言が事実であるとするなら、とうぜんネットには情報が少なからず載っているはずだが、まったくないところを見ると、その発言自体が虚偽であるのか、あるいはサイバー操作によって北がせっせと削除しているという可能性も考えられなくもない。

一級のプロテクトをかけているサイトにもサイバーテロを仕掛けることが出来るわけだから個人ブログを削除することなど朝飯前だろう。

この平壌コッチェビ”粛清”問題。

ミサイル問題という自分の保身にかまけ、他者(救われぬ弱者)の悲劇にまで神経と想像が及ばないとしたら、これもまたオタク的ニッポンの悲劇に他ならない。

そんな忌まわしい想像に駆られながらふと思うのは同じ金正恩が制定した国家による秀才少年の育成である。

つまり国各所から秀才の少年が集められ、英才教育を施すという国家事業だが、その選民事業を遂行する裏で、かりに国家の為政犠牲者に他ならぬ浮浪少年少女を”処分”しているとするなら、この”オタク”という三文字が狂気の様相を帯びる。

金正恩がそういった”狂気のお坊ちゃま”でないことを、このニッポンに数少ない”北朝鮮ファン”の私としては願うばかりである。

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コッチェビ報道で以前話題になったクローバーを食べる女性(20代)で、その後餓死したと言われる。

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音楽部門の英才教育の子ら。


     

 

2013/04/09(Tue)

アメリカの困ったフェアープレー精神。

今回の北朝鮮問題。

不謹慎な言い方だが、今回の件、なぜか私の頭に去来するものは危機情勢より”若さ”というものの持つ馬力と淀みのない行動力というものである。

金正恩はまだ30歳になったばかりで最高指導者になったのは20代。

日本で言えば草食系男子真っただ中ということになる。

しかしその行動力には童顔に似合わず肉食系の貪欲がうかがえる。



だがまたこの”窮鼠猫を噛む”を彷彿とさせる恐れ知らずとも言える振る舞いには、いわるる幼少のころから純粋培養的に皇帝教育をされた人間の全能感もちらつく。



北朝鮮の専政と独裁のありさまを見ると、最高指導者のもとに生まれた男子というものは周りの者すべてがへびこつらう環境の中で幼少のころから”裸の王様”に陥る危険性は十分にあるわけだ。

その裸の王様がそのまま成人し、人民を率いる立場になったというのが金正恩のひとつの姿であるとするなら、ここには常人にはあり得ない全能感が身体化しているとも考えられる。

かりにそのような全能感を持ちながらも、自らの世界内における立ち位置を客観視し、先を読みつつウォー・シミュレーションゲームを展開し、その落とし所も考えているとするなら、これは相当のタマである。



そういう意味では自分の頭上に爆弾が炸裂するリスクをさっ引けば、アメリカの出方も含め、今後の成り行きは大変興味深い見ものだ。



その逆にアドレナリン過多の”若者の怒り”というような刹那的感情の高ぶりが全能感とあいまって国家国民を道連れにするのであれば、こんな皇帝を抱く国民はたまったものではないわけで、よもやそのような感情過多の為政に陥っていないことを願う。



しかし前にも書いた記憶があるが、世界政治をきわめてニュートラルに眺めるなら、金正恩が怒り狂うのは決して異常な人間感情ではない。



小さなニュースだが、アメリカは今回の件で北の蜂起を刺激しないために今月予定されていた大陸間弾道弾ミサイルの実験を延期したという。



こんなことを何の論評も加えず当たり前のように流す日本のマスコミも公平感というものが麻痺している。



思うに今回の問題は北が長距離弾道ミサイルの実験をしたことに端を発している。

その実験を糾弾するかたちで経済制裁が加えられ、おまけに海外の北の資産を凍結するという他人の懐まで手を突っ込むような、ある意味で越権行為をアメリカは行っているわけだ。



そのアメリカは今月もそうであるように大陸間弾道弾ミサイル(北も射程距離に置いた)の実験をごくあたりまえのように恒常的に行っている。

そういう実験に対し、かりに北にアメリカの資産があればそれを凍結するというようなことを北やったらどうなるのか。

今回アメリカのやっていることはそういうことだろう。

若い者の血がカッカッと燃えたぎるのもわからぬではない。



話はとつぜんあさっての方に飛ぶがこういう自分勝手な国(というよりアメリカ企業連合)が提唱しているTPPに日本は参加を表明したわけだ。


だがこのTPP参加も北や中国の脅威の防波堤としての日米安全保障条約の弱体化を恐れての表明でもある。



今日と昨日の出来事は戦争危機と経済がスパイラルのごとく繋がっている見本のようなものだろう。

     

 

2013/03/23(Sat)

明日からの夢つづれ展。

明日3月23日から「代々木ヴィレッジ」で開かれる「夢つづれ」展は私がこれまで開いた展覧会ではもっともコンパクトなものとなる。



前にも書いたようにコンテナを改造して作ったという非常に変わった小ギャラリーで、当初「代々木にコンテナを改造して作ったギャラリーで小品展をやらないか」との打診があった折、私はてっきり工事現場かなにかの雑然としたところに据え置かれているコンテナをギャラリーに転用しているものとばかり思っていた。



まあそういうワイルドなものもありかなと思っていたが、どうも興が乗らず、返事をしないまま2ヶ月が経った。

主催側としてはギャラリーの日程は押さえている関係上焦って、とにかく見に来てくれとの電話が何度かあり、重い腰を上げたわけだが、現場に言ってイメージが一変した。

私は知らなかったのだがこのコンテナギャラリーのある「代々木ヴィレッジ」というのは、昨今話題になっている、たとえば代官山の「蔦屋書店」のように環境デザインに力を入れたなかなかシャレた(シャレたというのは胡散臭さも含めた話だが)一角で、以前に会ったこともある音楽プロデューサーの小林武史さんがプロデュースしたとのことである。



さてこのヴィレッジの一角にあるコンテナギャラリーはコンテナは11メートル、幅4メートルほどの長方形でギャラリーとしては小さいがコンテナとしては大きい。

とうぜんこのスペースでは大きな写真は飾ることは出来ないから、写真のひとつのオーソドックスなサイズである8×10インチに統一し、34点くらいの展示となるわけだ。



今日の夕刻からその仕込みだが、今回は前回の「書行無常展」のように大がかりなものではないから、主催側にまかせ、私は立ち会うという程度のこととなる。



そうは言うものの、今回のの展示では特筆すべきことがある。

それはプリントのすべてが正統な銀塩プリントということだ。

銀塩プリントというのはつい20年前まで普通のメディアだった。

だがデジタル全盛時代となり、今では風前の灯火だ。



ご承知のように写真プリントのメディアには2つの方法がある。

いわゆる昨今の「インクジェットプリント」と昔からの「銀塩プリント」である。

しかし正統な銀塩プリントというのは10年ほど前から希少なものになりつつある。

つまり銀塩プリントとうたっても一般のラボではデジタルデータ化された画像素子を印画紙に照射する、いわゆるラムダ形式の銀塩プリントがほとんどなのである。

つまり銀塩プリントとうたっていてもそれは厳密に言えばアナログではなく、デジタルプリントなのである。



それでは正統な銀塩プリントとは何かと言うと、引き延ばし機によってカラーネガから手作業によって印画紙に焼き付ける方法である。

ただし、撮影されたフィルムがネガでなくポジ(スライド)の場合は、たとえばオリジナルが35ミリフイルムであればそれを6×7センチか4×5インチのインターネガに焼き付けてネガフイルムを作り、それを引き延ばし機にかけてプリントするという二重工程になる(この方法は値段が張るが今回の「夢つづれ」はその方法を取っている)。



またポジからのダイレクトという方法もあるがこの場合はダイナミックレンジ(諧調)が単調になるために私はこの方法を取ったことはない。



つまり正統な銀塩プリントというのはそういうことなのだが、実はこの正統な銀塩プリントというのはまさに風前の灯火なのである。

デジタル全盛時代にあって写真のラボの多くはデジタルに切り替え、ラムダプリントさえするところも希少になった。

ましてや正統な銀塩などやるところはないと言っていいが、実は東京(ということは日本に一件)に一件だけ生き残っているのである。



それは生き残っているというより、かつて銀塩全盛時代に活躍したプリントマンの最後の志と言ってよいだろう。

営業マン一人、プリントマン一人、現像助手2人という小人数で、現地に赴いてみると、赤坂のとあるビルの地下のボイラー室(家賃が安そうだ)を改造して食いつないでいる。

その中年のプリントマンはかつて二十年ほど前に銀座で個展をしたおりに私の写真を焼いてくれた人である。



私はここで残酷なことを言わねばならなかった。

すでに34点焼いているものを全部やり直してくれと言ったのだ。

この「夢つづれ」の写真は私の写真としては珍しくストロボを多用している。

その関係で明部と暗部の落差が大きく、普通にプリントをすると暗部が潰れてしまう。

主催側にポジを渡す時そのことには十分留意してほしいむねを伝えたのだが、仕上がりは満足するものではなかった。

それで現場に乗り込みやり直しの辛い決断をせざるを得なかった。



この辛いという言葉にはふたつ意味がある。

とうぜん二倍の労力をかけるということもあるが、それ以上に以下の理由がある。

今回のプリントはインターネガをとってそれをプリントするという方法だが、こういう正統な銀塩の感剤やフイルム(インターネガ)や現像液はもう生産しておらず、数量に限りがあるのだ。

感剤とフイルムと現像液のどれかひとつ欠品しても、正統な銀塩写真はできないということだ。



そしてこの最後の小さな生き残りラボではそれらの材料があと2年か3年分しかストックがないのである。

そういう貴重な材料をもういちど消費してくれというのが私の申し出でもあったわけだ。

辛い理由がおわかりだろう。

ひょっとしたら私のこの行為はこのラボの命を1ヶ月分くらい短くしたかも知れない。そういう意味では販売にあたっても数量は制限しなければならないということもある。



「材料がなくなったらラボは閉鎖しゃけりゃならないでしょ。あとはどうするんですか?」



との私の問いに、まだ正直なところ考えていいないということだった。

そういう意味では写真家としての私もまた正統な銀塩写真で個展をするというのがこれが最後となるはずだ。

正統な銀塩写真だからと言ってデジタルより良いとは限らない部分もある。

暗部再現はおそらくデジタルの方が数段に上だ。

だが色の乗りの立体感は銀塩の勝ちだろう。



そのようなわけで展示としては小さい写真展だが、そこには大きな意味も含まれる。

ひょっとすると正統な銀塩写真の個展を見るというのも来場者にとって最後かもしれない。

写真の世界にはこういった隠れたドラマがあるわけだ。



なお明日の16時以降は私は会場にいる。

以降の予定はまだ決まっていないので、決まり次第トークに反映したい。

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