2013-05-31
■[弁護士業務][介護日誌]5月31日 特養32日目(弁護士にとって余り楽しい月ではなかったのでは,これからもう一度面会へ)
今朝は,5時に起床。
8時まで準備書面の起案の続き。
なんとか書き終えて,事務所へ。
多少の手直しをしてから,依頼者にメールで送信。25日頃までに送っていただくようお願いしていた提出予定の書証の原本がまだ届かないので,日曜日の午後届けていただき,その際,準備書面案の検討結果も伺うことにしたいとお願い。
10時少し前に,依頼者の〇〇さんが来所。間もなく,そのお友達の☆☆さんも。
夫が11時から離床予定なので,できれば,行ってあげたいと話したら,お二人とも一緒に行って下さるとのことで,面会を早めに済ませた後,〇〇さんとの打合せの続きは,近くのお店でということに。
11時頃部屋に入ったら,今日は,入浴の日なので,疲れるといけないので,昼食の栄養の注入もベッドですることにしたとのことで,看護師さんがチューブの接続をしておられた。
夫に,「□□さん(☆☆さんの旧姓)が来て下さったわよ」と声を掛けたら,驚いたような表情。
昔よくお目にかかっていた当時と髪型などすっかり変わってしまわれた(とても素敵になられた)ので,すぐには分からなかったのか,少しの間,☆☆さんのお顔を見つめていた。
その後,〇〇さんも紹介。
15分程夫を囲んで話をした後,☆☆さんがお帰りに。帰り際に夫へのお土産として持参されたスカイツリーのお菓子をいただいた。
次いで〇〇さんと私も,夫に「さようなら」。
夫は,〇〇さんに笑顔で会釈。
エレベータの前で☆☆さんとご一緒になったので,月島駅の入口までご一緒に。
☆☆さんから,「實先生の手がとても綺麗なのに驚いた」と言われた。
〇〇さんとの打合せを済ませてから,事務所へ。
今朝準備書面案を送信した依頼者から,「2日に伺います」という返信のメール。
今日は,5月最後の日。
「五月の歌」には「楽しや五月草木は萌え」とあるが,今月は余り楽しい月ではなかった。
一番悲しかったのは,ブログ仲間だったさぬきうどん先生の訃報。
http://medicallaw.exblog.jp/20469323/
同じお仲間の新潟の先生もお身体の具合が良くないそう。
弁護士が次から次へと経済的に苦境に陥ってしまっていたり,健康状態を維持するのが困難になってしまっているよう。
そういう私も,決して楽ではない。
昨日事務所の家賃と共益費約40万円の振込みを済ませ,本日,電話料タウンページ広告料も含めて36,470円の支払いを済ませて(そのほか口座からの自働引落しによる通信関係の支払い(携帯電話7,531円,光フレッツ料金6,063円なども),なんとか今月の支払いは完了(先月は,夫の入院費の支払いが,3月分の私の口座からの引落しと退院当日の4月分の現金払いの2か月分で,とても大変だったが,今月は,特養の4月30日と5月分の入所費用の私の口座からの引落しが来月になるため,夫の関係の支出は,夫名義の口座からの弁護士会費だけで,助かった。
来月は,15日に2か月に1回の年金収入(手取り額は,前回は,私の分が50万円余り,夫の分が13万円余りで,合計63万円余り)もあるので,ちょっと一息つけそう。
昨日の新聞の声欄に年金の支給を2か月に1回でなく,毎月にして欲しいという投書が掲載されていた。私のように他の収入がある者はなんとかしのげるが,年金だけという人は,受け取った月に全額支出してしまって,翌月は,収入なしの状態で苦しい生活ということになりかねないので,毎月の支払いに変えてもらった方がよいと思われる。
数日前の大阪の母と子の遺体発見のニュースには,余りにも可哀想過ぎて,涙が出た。
冷蔵庫もなく,残されていたのは,僅かな食塩だけで,預金通帳の残高は数10円だけだったそう。遺体の胃の中に食料は何も残っていなかったとのことで,二人とも,餓死されたのでしょう。
午前中の面会が短かかったので,これからもう一度面会に行って,今朝の朝刊を見せてあげることにしようと考えているところ。
(追記)
5時過ぎに特養に到着。
お風呂から戻ったばかりとのことで、夕食の栄養の注入が開始されたところ。
もう来ないと思っていた私の姿に、顔中笑顔といった感じのとても嬉しそうな表情。
朝刊の中から主要な記事を見せながら、解説。 その途中,お向かいのベッドの○○さんが、車椅子を上手に操作して、戻って来られた後、一人でベッドに。
急ぎ介護士さんを呼びに行って、来ていただき、身体半分だけベッドに横たわっていた○○さんをきちんとした姿勢で寝かせていただいた。
介護士さんは、優しい声で、「○○さん、一人でベッドに移らないでね」と言って、部屋の外へ。
一昨日、面会に見えた○○さんのお姉さんのお話から、○○さんは、私たちと同じ町会に属しておられたことが分かった。
右手と右足の障害の程度は、夫と同じようなのだが、左手と左足だけで、いろいろなことができるようになろうと一生懸命努力しておられるよう。
そうした様子を夫も毎日目の前で見ているので、そのうち自分もという気持ちになってくれるといいのだが。
6時20分頃、夫と別れて、事務所へ。
2013-05-30
■[弁護士業務][介護日誌]5月30日 特養31日目(食後のロビーのお仲間に)
午前7時45分に出勤。
9時半に事務所を出て,京橋郵便局に寄った後,特養へ。
11時少し前に離床して,いつもの定位置へ。
看護師さんが見えて,栄養の注入開始。
自宅から持参した朝刊の全ページを順次開いて,主な記事を一緒に見ながら,解説も。
今日は,昨年の今頃,義妹からいただいた赤い縞模様の半袖のポロシャツ姿。
看護師さんから,「涼しそうなシャツですね」と言われた。
右腕のマッサージを始めたところで,赤斑の名残の乾いた皮膚が一擦りすれば剥がれてしまいそうになっていたので,部屋からウェットティシューを持って来て,それを8枚に畳んで,暫くゴシゴシ。
随分綺麗な肌になった。
12時15分頃,栄養の注入が終了。
前の部屋でご一緒だった方の奥様が面会の帰りに私達を見つけてくださって,夫の前で,5分程お話。「随分お元気そうになられましたね」とびっくりされていた。ご一緒の時は,いつもベッドの中で,寝たきりの状態だったので・・・
10分ほど,指のマッサージをした後,車椅子を押して,ステーションの前に。
そこにおられた介護士さんに,「これで失礼させていただきますが,できれば夫にテレビを見させてあげたいのですが」と言ったら,「どうぞ,そちらのテーブルの前に」と言ってくださったので,ロビーの左奥のテーブルのテレビが良く見える場所に夫の車椅子を置いた。すぐ近くにおられたおばあさんが「お帰りですか。ご苦労様です。」と声を掛けてくださったので,「よろしくお願いします。」とご挨拶。
昼食後のロビーでの団欒のお仲間入りがようやくできた。
夫に「また明日。元気でいてね。」と言って,お別れ。
銀座四丁目のバス停の前のビルの地下一階の和食のお店で昼食(豆腐ハンバーグの野菜あんかけ定食860円)。初めて入ったが,とても良かった。これから時々利用することにしよう。
これから準備書面の起案の続き。
2013-05-29
■[弁護士業務][介護日誌] 5月29日 特養30日目(見つかりました,滑り落ちた後,血尿の状態になったそう)
今朝は,7時半に家を出て,事務所へ。
バスに乗ってから,判決正本と訴訟委任状は,依頼者の〇〇さんが帰られる時,それまでお話を伺っていた別件の記録に挟んでしまったのではないかということに気付いた。
事務所に着いて,その記録を出して開いてみたら,表紙のすぐ下に,探していたクリアファイル。
見つかって良かった。
早速,〇〇さんの携帯に電話して,「見つかましたので,おいでいただかなくて結構です。」と連絡。
それから,控訴状の起案。複雑な事件なので,結構大変。
9時に事務所を出て,裁判所へ。
地下の郵便局で収入印紙と郵券を買って,すぐ斜め向かいの部屋で,提出するものを揃えてから,14階へ。
30分程で受付完了。荷物を3つ持っていたはずなのに,2つしかない。さあ大変。
エレベーターで地下一階の部屋へ。
書類を揃えたテーブルの向こう側にハンドバッグを置き,手前に書類用の鞄と夫の衣類と新聞を入れた布袋を置いていたところ,手前の荷物とテーブルの上で揃えた書類だけ持って14階に向かい,向こう側に置いたハンドバッグのことを忘れてしまっていたというものだったようで,黒いハンドバッグがちょこんと椅子の上にあった。
向こう側なので,廊下の方からは見えず,余り人もいなかったので,無事だったのであろう。
大事なものばかり入っていたハンドバッグなので,心配したが,あって良かった。
盗まれたら大変だった。
裁判所を出てから,有楽町線で月島へ。
10時45分に特養に到着。
今日も定位置で11時頃から栄養の注入。
看護師さんから,一昨日車椅子から滑り落ちた後,暫く血尿の状態になったというお話を伺った。
バルーン側だけでなく,体の中の差込口も少し外れたのであろう。
今日は,具合良さそうに腰掛けていて,車椅子から滑り落ちそうになることはなかった。
12時15分頃,夫をステーションの前に移動させて,介護士さんに「よろしく」とお願いしてから,夫とお別れ。「また明日ね」と言ったら,大きく頷いてくれた。
ジョナサンで昼食をいただいた後,バスに乗ったら,女性の区議会議員さんが乗ってこられ,ご挨拶。「マイホームはるみに入所させていただけました」と言ったら,「それは良かったですね。それで,ここからバスに乗られたのですか。」などとおっしゃって,いろいろなお話。
事務所に戻ったら,一昨日差し出した内容証明郵便の配達証明書が届いていた。
依頼者に報告のメール。
その後,間もなく提出期限が到来する準備書面の起案。
今晩帰宅してからもその続きの予定。なんとか明日のうちに仕上げて,依頼者に見ていただけるようにしなければ。
■[弁護士業務][介護日誌] 5月28日 特養29日目(控訴提起の準備,夫は大丈夫そう)
明日が控訴期限の事件の一部敗訴部分について,控訴提起の準備。
控訴状の起案をと記録に挟んで,訴訟委任状と一緒のクリアファイルに入れてあったはずの判決正本を取り出そうとしたが,記録に挟んであったクリアファイルの中にそれらしきものは見当たらない。
昨日の2時からの打合せの前に打合室のテーブルの上を片付けた際,ほかの事件の記録と一緒にしてしまったのではないかと,いろいろ探して見たが,見つからない。
10時15分頃,事務所を出て,特養へ。
夫は,何事も無かったような安らかな表情で眠っていた。
11時少し前に離床。
11時頃から栄養の注入開始。
看護師さんから「遠藤さんは,奥様が見えると,随分はっきりしたお顔になられるのですね。」などと言われていた。
12時半頃,ステーションの前に夫を移動させてから,お別れ。
事務所に戻ってから,再び,判決正本と訴訟委任状を入れたクリアファイル探し。
5時近くなって,依頼者に電話。
「先日ご署名ご捺印いただいた訴訟委任状,もしかしたら,お帰りの際,そちらの書類と一緒にお持ち帰りになられていませんでしたでしょうか」と伺ってみたが,そういうことはないとのこと。
「見当たらないので,明日の控訴期限に間に合わなくなってしまうといけないので,誠に申し訳ありませんが,明日の朝,ご印鑑をお持ちになって事務所までおいでいただけませんでしょうか。その際,判決の写しもお持ち下さい。」とお願い。
その後も,探してみたが見つからず。
もしかしたら,自宅に持って行って,パソコンの台の上に置いて来てしまったのかもと考え,少し早めに帰宅したが,自宅にはなかった。
どうしたのだろう。
■[弁護士業務][介護日誌] 5月27日 特養28日目(内容証明郵便の差出しをしてから特養へ,私が帰ってから夫が車椅子から滑り落ちたそう)
間もなく不法行為の日から3年になる事件があるので,取り敢えず内容証明郵便による催告をということになって,午前6時半頃出勤して,郵便の作成。
昨晩依頼者に文案を送信したが,よく見ると誤記があり,修正。
8時45分に事務所を出て,京橋郵便局へ。
無事差出を済ませてから,特養へ。
11時少し前に離床。
11時から栄養の注入開始。
その途中,夫の腰の位置が少しずつ前の方に移動して来て,そのままにしておくと,車椅子から滑り落ちてしまいそうになったので,職員の方にお願いして,姿勢を直していただいた。
12時15分頃,「2時にお客さんが見えるので」と言って,夫とお別れ。介護の職員の方に「仕事があるので,これで失礼させていただきます。後のことよろしく。」とお願いして,銀座四丁目の銀行とデパートに寄ってから,事務所へ。
12時半から大急ぎでお弁当をいただき,打合せ室のテーブルの上を片付けたところに,依頼者のお二人が来所。
「ご主人に」と綺麗な花束をいただいた。
先日届いた空中写真5枚を見ていただいた。
3時半頃依頼者のお見送りをしてから,4時半まで起案。
その後,渋谷へ。
7時半頃,渋谷から戻って来て,携帯電話の確認をしたら,特養の介護士さんからの留守録。
私か帰ってから間もなく,夫が車椅子から滑り落ちてしまったそう。「お怪我はないようです。申し訳ありませんでした。」という説明。
ステーションから離れた場所にいたので,滑り落ちてしまっていた状態で発見されたのであろう。
明日からは,私が帰る時は,ステーションの前まで移動させるようにしよう。そろそろロビーのテレビの前に座らせてもらうようにお願いしてもよいかも。
尿のカテーテルの接続状態大丈夫だっただろうか。ちょっと心配。
■[弁護士業務][介護日誌]5月26日 特養27日目(仕事で遠方の有料老人ホームへ)
午前7時半に出勤。
10時に事務所を出て,特養へ。
いつもの場所で,11時頃から栄養の注入開始。
今日は,仕事で,2時までに遠方の特養に行かなければならないので,12時に,夫と別れて,バス,地下鉄,JR,私鉄の電車を乗り継いで,民営の有料老人ホームへ。
昼食を食べる時間がなく,駅から炎天下歩いてきて喉が渇いていたので,ホームの斜め向かいのコンビニに寄って,冷たいカルピス飲料を飲んでから,ホームへ。
仕事を済ませて,ホームを出たのは3時15分頃。
5時過ぎに東銀座に到着。
デパ地下に寄って,お弁当を買って,事務所へ。
最終バスで帰宅して,「トンイ」を観てから,パソコンを開いたところ,どうしたのかインターネットへの接続ができなくなってしまっていた。
2時ころまでいじってみたが,駄目。
諦めて,寝ることに。
2013-05-25
■[弁護士業務][介護日誌] 5月25日 特養26日目(江東区のマンションのお隣の奥様が面会に,みんな大変なんだ)
今朝は,4時半に目が覚めた。
トイレに行った後,もう一眠りしようかとも考えたが,取り敢えず,パソコンに向かって,メール,ボ2ネタ,甥のブログ,2チャンネルの弁護士talkスレの確認。
最後のスレの書込みの中に,〇〇先生が亡くなったという記載。
その後の書込みの内容に照らすと,嘘ではないよう。
こんなことにまでなってしまうとは・・・
7時45分に家を出て,事務所へ。
今日は,〇〇さん(江東区のマンションのお隣の奥様)が面会に来て下さるとのことで,10時半に特養の玄関の前でお待ちする旨連絡してあったので,9時50分に事務所を出て,特養へ。
10時25分頃,電気自転車に乗って,〇〇さんが見えた。
「おはようございます」と二人で,夫の部屋へ,
ベッドの上の夫の顔が,生き生きとしたとても嬉しそうな表情に。
「先生,お久し振り。お元気そうですね。」と言われた夫は,〇〇さんの言葉に,何度も頷いていた。
その後,ベッドの傍らで,女性2人がいろいろ話しているのを,嬉しそうに聞いていた。
一昨日と同じ運河が見える場所で,栄養チューブの接続。
1時間程の栄養注入の間,夫の様子を見ながら,〇〇さんとの続きのお話も。
〇〇さんから,「前に面会に伺った施設より広々としていて,職員の方々も利用者一人ひとりにとても温かく,丁寧に対応されているようで,皆さんとても居心地良さそうな,良い施設ですね。安心しました。」と言われた。
看護師さんに栄養チューブを外していただいた後,夫をステーションの前のテーブルに移動させて,職員に「あとのことよろしくお願いします。」とお願いしてから,夫と別れて,〇〇さんと一緒に,清澄通りに出て,ジョナサンで,昼食。
最近,お母様が要介護1の認定を受けられたそう。「中央区には良い施設があるんですね。おばあちゃんを中央区に戻した方がよいかしら」(お母様の前のお住まいは,中央区)とも。
私も,いずれ一人になったら,中央区のマンションを売って,江東区のマンションに戻ることにしようと考えていたのだが,このまま中央区に住み続けて,要介護の状態になったら,中央区の施設に入所できる資格を確保しておいた方がよいのではないかと考えるようになった。
昼食の後,〇〇さんとお別れして,事務所へ。
弁護士の窮乏状態は,想像以上に深刻なよう。
先日の「裁判員制度はいらない!大運動」の全国集会の中でも,某弁護士さんが,「今月は,残高不足で自働引落しができなかったという連絡が3か所から届いた」というお話をされたので,みんな大変なんだと思った。
私は,今月をうまく乗り切れさえすれば,来月からは少し楽になれそう(これまで月々約30万円支払ってきた入院費が,10万円よりも少ない額の入所費用の支払いで済む(そのうち食費の負担額は,夫一人の世帯になって,私の所得との関係がなくなったので,第4段階の1日当たり1380円から第3段階の1日当たり650円に)上,小田急線の定期券の購入の必要がなくなった。)。
■[時の問題]弁護士の訃報
法曹ブログのお仲間だった弁護士さんが20日に亡くなられたそう。
http://medicallaw.exblog.jp/20469323/
暫くブログの更新がなかったので、心配していました。
お仕事がなくなってしまったということを暫く前のブログに書いておられました。
私のような先の短い者と違って,これからますますのご活躍が期待されるご年齢だったのに,本当にお気の毒・・・
心からご冥福をお祈り申し上げます。
東京でも,自己破産の申立てをしていた弁護士が5月11日に自殺したそう。
http://blogs.yahoo.co.jp/nb_ichii/34138384.html
結婚した頃,夫から「弁護士が経済的に困った時,誰も助けてくれない,夫婦で弁護士になったら,共倒れになる危険がある。お前は任官した方がよい。」と言われたことがあった。
2013-05-24
■[弁護士業務][介護日誌]6月23日 特養24日目(利用者懇談会に夫が一人で出席,サボート事件)
廊下に貼られていた行事予定表によると,今日は,2階の利用者懇談会が開催されるよう。
恐らく午後なのだろう,他の利用者のご家族との交流もできるであろうから、できれば出席したいと考えて,10時45分頃特養へ。
ステーションの前で,「おはようございます。」と挨拶したら,「遠藤さんは,利用者懇談会にご出席です。」と言われ,びっくり。
そこへ,相談員さんが見えて,「遠藤さんに「出られますか」と伺ったら,頷かれたので,4階にお連れしました。」とのこと。私が「途中から伺ってもよろしいでしょうか」と尋ねたら,「どうぞ」と言われて,4階へ。
エレベータのドアが開いたら,その前に車椅子に腰掛けたお年寄り4人くらいと介護士さん。その先頭に夫が,6月のスケジュールの予定がカラー印刷されたA3の紙を大事そうに左手に持って,エレベータの到着を待っていた。
私の姿を見て、嬉しそうな笑顔に。
「皆様,おはようございます」と挨拶した後,まず、夫だけ乗って,一緒に2階へ。
部屋には戻らず,ステーション前のテーブルに着席。いただいて来たばかりの6月分のスケジュール表は、部屋のロッカーの壁に貼って来た。
担当の介護士さんが見えて,「奥様,今日は理容を受けられるのですが,どうされますか」と尋ねられので,お願いすることに。間もなく,前の人が終わるので,その後だそう。
電話連絡がきたとのことで,私も一緒に3階へ。
「どんな風になさいますか」と聞かれたので,今のスタイルで結構。短くしてやってください」とお願いして,私は2階の部屋で待つことに。
その間に,ロッカーの中の長袖の上着を持参した半袖の上着と交換。ズボンも夏物に。
長袖の上着と長い厚手のズボンは,寒い日用に,暫くの間,小さな戸棚に入れておくことに。
12時少し前に,夫がさっぱりした髪型になって戻ってきたので,運河寄りの廊下に置かれたテーブルに席を替えて,胃ろうへの栄養チューブの接続,
自宅から持って来た朝刊を開いて,ニュースを見てもらっていたら,すぐお隣に90歳を超えているのではと思われるおばあさんが連れて来られて,胃ろうへの水分の注入。
おばあさんがお部屋に戻された後、1時に,夫をステーションの前のテーブルに移動させてから,職員の方に,「これで失礼させていただきますので,後をよろしくお願いします。」と断って、夫とお別れ。
事務所に戻ってから,各種懸案事項の処理。
最近,各種サポート事件が増えてきた。
いろいろな経験が役に立つ。
本日作成して郵送した委任契約書案では、期間を1年とし、更に延長の必要が生じた場合は、別途協議ということに(これまでの契約では、期限を定めていなかったので、最初にいただいた手数料でいつまでもということになってしまっていた。)。
最終のバスに乗って、帰宅したら、特養からの郵便。
先日のカンファレンスの結果等が記載された施設サービス計画書の原本と控え。
原本の同意欄に署名・押印。
2013-05-22
■[弁護士業務][裁判員制度][介護日誌]6月22日 特養23日目(お久し振り,もう長袖では暑いかも,クレオで「裁判員制度は要らない!大運動」の全国集会)
午前10時に〇〇さんと☆☆さん。
☆☆さんとは8年2か月振り。
ご依頼の件は,受任させていただくことに。
お二人をお見送りした後,特養へ。
夫は,昼食を済ませて,ベッドに戻っていた。
右手のマッサージをした後,持参した朝刊を見せながら,ニュース解説。
オクラホマの小学生達,余りにも可哀想。
今日の夫は,私がいた間,一度も目を閉じず,しっかりした表情で,私の話を良く聞いていてくれた。
2時に,「明日は,10時半頃来ます。」と言って,お別れ。
外はとても暑かった。
長袖のTシャツでは暑そう。明日,事務所に保管してある半袖のTシャツを持って行くことにしよう。
清澄通りに出て,ジョナサンでランチ(ドリンクバー付き900円)をいただいてから,月島第一小学校前まで歩いて,新橋行きのバスに乗車。
3時半頃,事務所に到着。
明日判決言渡しの予定だったのが変更になった事件の依頼者から,判決言渡し期日変更の理由はどういうことなのか聞いたかという質問のメール。
「単に変更になりましたという通知をするだけで,なぜ変更されたのかという説明まではしません。」と回答。
今晩は,クレオで,午後6時半から「裁判員制度は要らない!大運動」の全国集会。
明日の出張が無くなったので,久し振りに伺うことに。
(追記)
弁護士会館のクレオへの階段を昇り始めたら、上の方から「遠藤先生」という声。事務局の◎◎さんでした。
「ご無沙汰ばかりで済みません」とお詫び。
受付を済ませて、会場へ。
6時半から8時半まで、熱気溢れる会でした。
これまでの全国集会と違っていたのは、司会者がいつものプロの方ではなく、会のメンバーだったこと、いらなインコさんの姿が見えなかったこと、各グループごとに大勢前に並んでの各代表の挨拶がなかったことなど。
落語の「寿司員」、とても面白かった。
時蔵師匠,いつもありがとうございます。
閉会後の楽しい懇親会にも参加させていただいた(お隣は福岡から見えた方)後、地下鉄を乗り継いで、12時15分頃、帰宅。
2013-05-21
■[弁護士業務][介護日誌]5月21日 特養22日目(大宮へ,一旦事務所に戻って正解)
今朝は,午前7時半に事務所に出勤した後,必要な書類を持って,大宮へ。
午前10時から打合せ。
久し振りにお目にかかった依頼者もお元気そうで良かった。
依頼者も,「先生,相変わらず,元気一杯のようで,良かった」と言ってくださった。
打合せを済ませた後,特養に行こうかとも考えたが,事件関係で急ぎの連絡のメール等届いていてもいけないと思って,まず事務所に戻った。
郵便受けにクロネコの不在連絡票。
空中写真のよう,再配達のお願いの電話をしたら,すぐ届けてくださった。
お待ちかねの依頼者へ報告。
事件の依頼をしたいという連絡ののメールが届いていたので,おいでいただく日時についての返信。
それが済んだら,23日に判決言渡しの予定だった〇〇地裁〇〇支部の担当書記官から,判決言渡しの期日を7月4日に変更という連絡。
次いで,〇〇家裁〇〇支部の担当書記官からも同様の連絡。
早速,依頼者に報告の電話をした後,各裁判所宛に期日請書をFAX送信。
今月初めに苦労の末提出した最終準備書面を読んでいただけたのでしょう。
更に,もう一頑張りして,最終準備書面(その2)を作成して,提出することにした方がよいかも・・・。
特養に行く前に事務所に戻ったのは,正解でした。
これから,特養へ。
(追記)
夫は、大きく目を開いて、ベッドに。
午前中に入浴させていただいたようで、先日病院から送っていただいた緑色のポロシャツ姿。
23日の出張予定が無くなったことなど説明。
お隣のロビーからテレビの相撲中継の音が聴こえてくるので、取組みの結果がどうなったか程度のことは分かる。
お向かいのベッドの方は、夫と同じように右手と右足が麻痺していて、動かないが、左手と左足だけで上手に車椅子での移動ができる。
ロビーから部屋に戻って来て、ご自分のベッドの右脇に入った後、4つのベッドの真ん中の部分で、旨くUターンして、部屋から出て行った。
夫に「○○さんのようにすれば、左手と左足だけで、車椅子を自分で動かすことができるのよ。マコトさんも練習すれば、自分で動かせるようになるわ。」と話した。
今日も、右手の指を開いて、マッサージ。
親指と人差し指が、随分軽く感じられるようになった。「中指、薬指、小指も頑張ろうね」と言いながら、何度も揉んだ。
「明日は、午前中お客さんが見えるので、面会は午後になります。」と言って、6時半頃お別れ。
事務所に戻ってから、要急案件の検討。
最終バスで帰宅。
2013-05-20
■[弁護士業務][介護日誌]5月20日 特養21日目(滑り止め,午後は法廷)
朝,同窓会の後輩から電話。
これまで事務員として勤務していた法律事務所を解雇されてしまって,困っている。私の事務所で
雇ってもらえないかと言われたが,事情を説明して,お断り。
車椅子からずり落ちないよう,事務所に持ってきていた真ん中に凹みがあるクッションを紙袋に入れて,10時少し過ぎに事務所を出て,特養へ。
部屋の端に夫の車椅子。クッションの上に,滑り止めの白いシートが敷かれていた。
11時に離床。
昨日と同じ場所へ。
夫の横を通り過ぎる職員の方々が,「遠藤さんなのね。どなたかと思った」などと夫に声を掛けて行かれる。
ベッドに寝ている時のボーっとした顔と,まるで違うので,皆さんびっくりされたよう。
「車椅子に腰掛けると,きちんとなるのです」などと説明。
自宅から持って来た朝刊を広げて,夫に見せた。
暫くテレビを見る機会も無かったので,解説しながらの作業。
午後1時20分から私が原告の事件があるので,12時に特養を出て,裁判所へ。
地下の食堂に寄って,「日替わりラーメン」(520円)を注文。
今日は,冷やしジャージャー麺。
1時10分に法廷へ。
定刻,審理開始。
本日から合議体での審理。
次回は当方の再反論と追加の書証提出。
2時ちょっと前に事務所へ。
明日午前10時からの大宮での打合せの準備など。
2013-05-19
■[弁護士業務][マンション管理][介護日誌] 5月19日 特養20日目(車椅子からずり落ちそうに、○○ハイツで鯛の白子焼きと兜煮)
今朝は、7時半に家を出て、事務所へ。
10時15分に事務所を出て、特養へ。
11時に離床。介護ステーションの前のテーブルの前に席を設けていただき、胃ろうへの栄養の注入開始。
12時頃、チューブが外れたので、廊下を散歩したりした後、部屋へ。
介護士さんにベッドに戻していただくよう声を掛けたが、二人揃ってからとのことで、少し待つことに。
部屋に戻ったら、夫は、車椅子からずり落ちそうな姿勢になっていたので、後ろから身体を抱いて落ちないようにして、介護士さんが廊下を通るのを待ち、姿が見えたところで、「済みません。お願いします」と叫んだ。
介護士さんが、もう一人の応援を呼んで、無事ベッドに。
間もなく夫と別れて、枝川のマンションへ。
手前の入口の前で、親睦会の会長さんにバッタリ。「親睦会の飲み物を買いに行くところです。どうぞ、お寄り下さい」と言われた。
まず、○○○号の自宅に行って、プリンスエドワード島の旅行のアルバム3冊をアルバム入れから出して、持参した大型のデパートの袋を使って、荷造り。
マンションの前の雑貨屋さんはお休みだったので、先のコンビニまで、重い荷物を持って行って、何とか発送。
その後、集会室へ。
中には、管理組合の理事長さんなど4人おられて、1時からの親睦会が始まったばかり。
さきほどお会いした○○さんが、鯛の白子を焼いていて、お鍋には、鯛の頭がいくつも。
良く冷えたビールを飲みながら、焼きあがったばかりの白子焼きとおいしく煮えた兜煮をいただいた。
もう一人見える予定とのこと。
1時間ほど楽しく過ごさせていただいた後、お別れ。6月には、バーべキューパーティを計画しているそうで、日時が決まったら、連絡してくださるとのこと。
事務所に戻ってから、いろいろな仕事。
表にゴミを出しに行ったら、雨が降っていた。
■[弁護士業務][大学の同窓会][介護日誌]5月18日 特養19日目(漫画に○○夫人、大荒れの会長再選)
昨夕事務所に戻ったら、○○夫人からの郵便。
開けてみたら、漫画雑誌。
お手紙が挟まっていたので、拝見したら、「上田とし子先生の伝記漫画が掲載されている最新号をお送りします。」「○○記者は私」などの説明。
今日の面会には、この漫画雑誌を持参。
まずベッドで、「○○先生の奥様が載っている漫画が、奥様から届いたの」と言って、その頁を夫に見せたら、夫は、目を大きく開いて眺めた後、にこにこ。
11時過ぎに離床。
すぐお隣のロビーは昼食の皆さんで一杯(食堂は改修工事の関係で使用できなくなっている)とのことで、中学校側のロビーへ。
胃ろうへの栄養の注入が開始されてから、○○夫人登場部分を一緒に読んだ。
これからも時々登場されることでしょう。
当時の編集長さん宛に明日、○○ハイツに置いてあるプリンスエドワード島旅行のアルバムを送る予定。
1時少し前に特養を出て、駿河台の中央大学記念館へ。
2時から学員会(同窓会)の平成25年定時協議員会と学員総会。
会長の再任案との関係で、議事は、最初から最後まで大荒れ。
役員選任の議案に賛成の挙手をした人の数は、少なかった(147)のに、委任状(4百数十通)と合わせて、過半数と説明されて、可決と宣言されたが、再任に反対の立場で別の候補を準備したグループが集めた委任状(3百通近かったよう)については本人の署名かどうかの確認ができないとの理由で、すべて無効と扱い、本部に届いた委任状の内訳を明らかにしないまま、全部を賛成票に加えたやり方はおかしいということで、賛成の挙手をしなかった協議員の多くが、閉会後も会場に残って、今後の対処のしかたについての話合い。
私も、残って、皆さんのお話を伺った。
総会後の懇親会には出席せず、事務所へ。
酷い総会だった。
来賓の総長さんは、そのお席で、終始困ったようなお顔をされていた。
(参考)
2013-05-17
■[弁護士業務][介護日誌] 5月17日 特養18日目(職印の再登録、弁論準備期日,老弁、施設サービス計画検討会議)
昨日、夫宛に所属弁護士会から、職印の再登録についての連絡のFAXが届いたので、その手続に必要という委任状の用紙の送信依頼をしておいたところ、今朝委任状の用紙が送信されてきた。
本人の氏名欄には「自署」と付記されているが、夫には無理(右手は麻痺、左手による筆記はしたことがなく、練習させようと,ボールペンを握らせようとしたことが何度もあるが、すべて拒否)。
事務所に戻れるようになるまでは、印鑑証明書が必要ということもないであろうから、再登録の手続をどうしても今すぐしておかなければならないというわけでもないと考え、なにもせずにおくことに。
12時少し前に事務所を出て,松坂屋の先の銀行に寄った後,日比谷線で裁判所へ。
12時50分に着き,簡単なものなら,食べる時間がありそうと考えて,地下の食堂へ。
ビーフカレーを急ぎいただいた後,12階の民事〇〇部へ。
依頼者の〇〇さんは既に見えていて,出頭カードへの記入を済ませた後,持参した依頼者お二人用の書面を渡した。
1時30分から弁論準備期日。
今回提出させていただいた書証のほかに,既に申込み済みで,間もなく届く予定の空中写真5枚と土地台帳の写しなどを提出するとともに,更に詳細な説明を記載した準備書面を作成して提出する予定ということを述べ,続行に。
相手方代理人から,「先生の事務所へ何度も電話したが,いつも留守だった」と何度も(裁判官の前でも)怒ったような口調で言われたので,廊下に出てから,「夫が病気になってこれこれしかじか,毎日午後神奈川まで面会に行っていたが、先月末、ようやく近くの施設に移れたので,午後も事務所にいられるようになった。一人でやっているので,裁判所などに出掛けている間は,不在になってしまう」という説明をさせていただいたら,それまで怒っていた顔が優しい笑顔に変わって,「そうですか。それは大変ですね。せいぜい頑張ってください。」と言われた。
相手方代理人も随分ご高齢のよう。期別名簿で調べたら20期。
一昨日判決言渡しがあった事件の相手方のお一人の代理人もご高齢で,なんと10期。
ついでに,間もなく判決言渡し予定の事件の相手方代理人もご高齢のようなので、何期なのかと調べてみたら,私と同じ25期。
弁護士会館の面談室で2時半頃まで打合せをして,依頼者と別れた後,数寄屋橋の停留所からバスに乗って,勝どき橋南詰で下車。スカイツリー行きが来るのはまだ先のようなので,タクシーで晴海一丁目へ。
3時30分からの「施設サービス計画検討会議」にきりぎりで間に合った。
出席者は,施設長さんを筆頭に,担当のスタッフ全員と家族まですべて女性。
介護の担当者から,週2回の入浴日は,疲れるので,それ以外の日の午前11時からの昼の時間,離床させていただけるというお話があったので,できるだけその時間帯に面会に来るようにして,離床中の夫の付添いをさせていただくようにしたいということなど申し上げた。
管理栄養士さんには,もう少し様子を見てからで結構だが,老健当時の脱水症と昨年暮れの腎盂腎炎による闘病との関係で,足が非常に細くなってしまっていて,立ち上がるのも大変な状態になっているので,もう少し栄養の量を増やしていただけたら(現在は1200カロリー,前の病院では,退院直前は,1400カロリー)という希望を述べさせていただいた。
4時に,会議を終えて,夫の部屋に戻ったら,夫は,目を覚ましていたので,会議でどんな話が出たか,手短かに報告。
今日は,随分穏やかな,しっかりした表情。
「明日は,午後中大の学員会の総会に出席するので,午前中に面会に来ます」と言って,5時半頃お別れ。
■[弁護士業務][介護日誌]5月16日 特養17日目(法務局豊島出張所へ、鶴巻温泉病院からの宅急便)
今朝は、自宅から東京法務局豊島出張所へ直行。交通費(依頼者負担)の節約のため、巣鴨までは、都バスと都営地下鉄を利用。その後JRで池袋まで。池袋から徒歩10分と書いてあったが、もう少しかかった。
境界確定訴訟で相手方から係争地一帯は、国が分筆して、民間に払い下げるまでは、官有地で、争われている境界は、その時点で決められたものであるかのような主張がされたので、そんなことはなく、それぞれ分筆前の○○○番と○○○番の両土地は、地租改正のための官民有区分によって民有地とされて、地番が付された土地で、両土地の境界はその時点で決められて、今日に至っているもの、相手方の先々代への払下げの直前に国有だった期間は僅かで、前所有者からの相続税の物納の結果によるもので、係争両土地を含む一帯の土地が昔から官有地だったということではないという当方の主張事実の立証資料のひとつとして、上記物納がされて国有となった当時の○○○番1の土地の閉鎖登記簿謄本の交付を受けようというもの。
最初の申請で交付された謄本には払下げ以降の所有権移転の記載しかなし。
もっと前のものでなければ駄目だが、順番に申請したのでは、手数料が大変。
受付の方に「終戦直後の権利関係を確認したいのですが」と言って、該当の記載がある閉鎖登記簿の謄本が欲しいと説明したら、バッチリのものを探し出してくださった。
11時頃事務所に戻って、交付を受けてきた謄本を含む証拠説明書と文書送付書の作成をした後、これらの文書と謄本の写しを、裁判所と相手方代理人へFAX送信。
その後、すべて無事に済んだことを依頼者お二人にメールで報告。
(依頼者からは、帰宅後、「明朝法務局に行く」という私からの連絡のメールを見た後、自分の方が出張所に近いので、取りに行こうと考えて、昨晩遅く事務所に電話したが、間に合わなかったという返信)
2時頃,再配達のお願いをしていた宅急便の配達。
鶴巻温泉病院から,クリーニングに出していた洗濯物2袋。丁寧な手紙も。
早速4東のチームステーションにお礼の電話。クラークさんが出られたので,洗濯物のお礼のほか,お陰さまで,夫が新しい施設で元気にやっていることもお伝えした。
2時半頃事務所を出て、特養へ。
夫は、疲れていたのか、今日はほとんど眠っていた。
汗をかいていたので、小さな団扇で暫く扇いでやった。
4時15分に夫に「明日は3時半からのカンファランスに間に合うように来ます」と声を掛けて、お別れ。
フジマートで買物をしてから、バスに乗って、事務所へ。
2013-05-15
■[弁護士業務][介護日誌]5月15日 特養16日目(判決言渡し)
8時5分ころ晴海一丁目到着のバスで、今朝も2番の面会票をいただいて、夫の部屋へ。
朝食の後のお休みタイム。
バルーンが身体の右の方に吊ってあったので、麻痺の状態の右手で管を握ってしまうと、その後腕を上に挙げたりした際、強く管を握った状態のまま管を引っ張ってしまう恐れがあるので、バルーンは、身体の左側になるよう配慮していただきたいという内容のメモを置いて、8時30分頃、夫とお別れ。
8時50分に事務所到着。
10時の約束だったが、○○さんが、9時40分頃見えた。
お茶を飲みながら、少し打合せ。これから行く郵便局で現金を受け取ってから、どうされるか(現金のまま持ち帰るか、それともゆうちょ口座に入金するか)ということや訴え提起準備中の事件についての若干の打合せなど。
その後、京橋郵便局へ。
無事お金を受け取って、その場で○○さんに。
小型の鞄だったので、入れるのが大変。
新件の関係で、暫く前に受け取っていた業者作成の書類に記載された修繕の見積書について、その内訳が知りたいので、業者に頼んで欲しいとお願いしてあったところ、業者のパソコンに不具合が生じて、既にこちらが入手済みのものも含めて、コンピュータに保存していたすべての文書を消してしまったよう。
そこで、まずは、当事務所の保管の文書のコピーを取って、お渡しすることになり、一緒に事務所へ。
○○さんがお帰りになった後、裁判所に出掛ける支度をしていたら、突然お客様。
出かけなければならないため、5分ほどで、お見送り。
スリッパから靴に履き替えて、出かけようっとしたら、また来客。
今度は、生保会社の新入社員。
何度も来たが、いつも不在だったのが、漸く会えたと喜んでいたよう。
これから裁判所と言ったら、「裁判所に行かれるんですか」と驚いたような顔。
地下鉄の駅に行く途中の道で、もう一度会った。お仲間と一緒で、「先ほどは、ありがとうございました」と声をかけられた。
今日は、随分長くかかった事件(途中から合議に)の判決言渡し。
依頼者と一緒に原告席に座って、言渡しを受けた。
当方が原告の事件のうち、被告AとBに所有権移転登記などの回復登記手続を求めた請求は、全部認容されたが、被告Bの代理人に対する不法行為に基づく損害賠償請求は棄却。
上記Aから当方及びBに対する所有権移転登記手続を求めた事件は、全部棄却。
上記Bから当方に対する不当利得返還請求は、その約半分を認容し、残りの約半分を棄却。
言渡しの後、書記官室に行って、判決正本を受領(控訴期限は、今月29日ということに)。
地下のコンビニで、判決正本のコピーを1部取ってから、弁護士会館の面談室に行って、判決の内容についての説明と検討。
最後に日比谷公園のカフェテリアで、コーヒーを飲んで、3時半頃、依頼者とお別れ。
銀座に着いてから、昼食がまだだったので、吉野家に寄って、牛丼と漬物、けんちん汁のセット(470円)をおいしくいただいてから、事務所へ。
一昨日郵便で請求した閉鎖登記簿の謄本が届いたが、もう一つ前のものでないと役に立たないことが判明。
期日は明後日なので、明日の早朝池袋の出張所まで出向いて、自分で内容を確認して、取ってくることに。
4時40分に事務所を出て、特養へ。
夫に判決の結果を報告した後、明日の朝の面会はなしということも。
6時に「明日は、午後できるだけ早く来る予定」と言って、夫とお別れ。
エレベータに向かっていた時、後ろから介護士さん。
「奥様、バルーンについてのメモ、ありがとうございました。おっしゃるとおりなので、これから気をつけたいと思います。」と言われて、夕食の介添えに戻って行かれた。
事務所に戻ったら、20日が期日の事件の被告代理人からの準備書面と書証40数枚がFAX送信されて来ていた。
私が原告の事件。
書かれていることは、不愉快なことばかり。
漸く仕事に十分な時間がとれるようになったので、次の再反論と立証の準備は、漏れのないよう、しっかりやることにしたい。
■[弁護士業務][介護日誌]5月14日 特養15日目(看護師さんに付き添われて事務所の傍の医院へ)
朝1番の面会を済ませてから,8時50分頃,事務所に出勤。
午前11時から打合せ。
次回提出予定の準備書面の内容についての説明など。
依頼者ご本人(ご主人も同席)から,前回の期日から裁判官が交替したので,改めて書類全部の提出し直しをしなければこちらの主張内容をきちんと理解してもらえないのではないかという考えが述べられたので,そんなことまでする必要はないということを説明。
依頼者ご夫妻がお帰りになって間もなく,書留郵便の配達。
ゆうちょ銀行の貯金事務センターから。
また,追加の書類をという連絡なのかと考えながら,封を開いたら,「手続きが完了しましたので,証書をお送りします」という内容。
直ちに,依頼者に電話して,「ご都合がよろしければ,これからおいでいただいて,郵便局に一緒に行っていただけないか」とお願いしてみたが,事務所に見えるのは2時過ぎになってしまいそう。
窓口が閉まってから郵便局に到着ということでもいけないので,明朝10時においでいただくことにして,証書6枚は,ひとまず金庫へ。
4時過ぎに事務所を出て,特養へ。
看護師さんから,今日,先日かかりつけ医に指定させていただいた月島三丁目の〇〇医院(内科,小児科)に行って,バルーンのカテーテルの交換をしていただこうとしたが,太い管のものは扱っていないとのことで,院長さんから紹介していただいた東銀座の〇〇医院(泌尿器科,皮膚科)に行って,カテーテルの交換と薬の処方をしていただいてきたそう。
事務所のすぐ近くと分かったので,その話をしたら,来月初めにまた行くので,その際は「奥様もご一緒に」と言われ,そうさせていただくことに。
一昨日は,事前に夫の了解を得て,セラピードッグを夫のベッドまで連れてきてくださったが,夫は,眠ってしまっていたので,少しの間,夫の身体に寄り添ってもらって,おしまいにしたそう。
いろいろと親切な配慮に,心から感謝。
通院の際は,かつての老健と同じように,私が自分で連れて行かなければならないのかと思っていたが,そうではなく,看護師さんが付き添って,施設の車椅子ごと乗れる自動車に乗せて,連れて行っていただけるということが分かり,びっくり。
本当に至れり,尽くせりのサービスをしていただける有難い施設。
5時半に特養を出て,事務所へ。
明日は,弁護士会費の引落し日。
私の口座から夫の口座に3万9000円入金の手配(会費の額は,私が48,700円,夫が38,700円,合計87,400円)。
夫の弁護士登録抹消の手続きをすれば,会費の支払いをせずに済むが,私の一存で,勝手なことをして,夫をがっかりさせてしまってもいけないので,私が働けるうちは,なんとか頑張って,会費の支払いを続け,手摺に掴りながら,ビルの入口にある階段4つを昇れるようになったら,いつでも事務所に戻れるよう,登録はそのままにしておいてあげたいと考えている。
2013-05-13
■[弁護士業務][介護日誌]5月13日 特養14日目(早朝の面会,各種証明書の郵便請求,夫の妹が面会に,ご無沙汰しました)
今朝も午前5時前に起床。
5時10分頃,ドアを開けたら,朝刊が届いていた。毎朝,警備員さんが新聞を購読している全戸に配達してくださる。
入居2年目に管理会社が交替した時点から始まった有難いサービス。
1階の郵便受けまで取りに行くには,寝巻きのままでは駄目なので,大変。
夕刊は,勤務先からの帰宅の際,郵便物と一緒に出せばよいので,新聞配達の人が郵便受けに入れる。
今朝の新聞には,特養の個室化政策がうまくいかなくなってきているという話が大きく掲載されていた。
私は,相部屋の方が職員の方々が絶えず出入りして,その都度,様子を確認したり,声を掛けたりしていただけること,同じお部屋の方々の様子を眺められるのは,本人にとって,とても有益なことなどと考えて,相部屋を希望し,現在は4人部屋。
一昨年の12月半ばから昨年の6月初めまで老健に入所していた時は,ずっと個室だったが,ノロウィルスの感染騒ぎの最中,約半月の間,面会禁止になって,夫に会えずにいた間に,職員不足で大変だったそうだが,全失語で口が聞けず,また極端な器械音痴のため,ナースコールを押そうともしない夫は,半月もの間,1日2回の胃ろうへの栄養の接続と定時のおむつ交換以外は,扉を閉め切った状態の個室に放っておかれていたようで,面会禁止が解けて,私が面会に行ったら,見る影もなく,痩せ衰え(入所時52キロだったはずの体重が44キロに),枯れ草のような状態になっていて,車椅子に腰掛けさせてもへなへなになって,前に崩れてしまう酷い状態になってしまっていて,余りのことにびっくりした(虎の門病院の救急センターに連れて行って,脱水症と診断され,尿素窒素値は90余りにもなってしまっていて,6月に鶴巻温泉病院の療養病棟に入院させていただけるようになるまで,余り下がらず,このまま腎不全の状態になって,腎臓透析を受けなければ生きていけなくなってしまうのではないかと心配される状態になったのであるが,鶴巻温泉病院では,病棟のスタッフの皆さんに24時間見守られながら,温かい心のこもった医療,看護,介護,リハビリ,栄養管理などを受けることができたお陰で,退院直前に特養に提出した健康診断書に記載された尿素窒素値は21という嬉しい値になっていた。)ということがあったが,相部屋だったら,こうまで酷い状態にならずに済んだのではないかと考えている。
http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201305120338.html
8時少し前の亀戸行きのバスで,特養へ。
今朝も,面会票は2番。
私よりも早く見えた方がいるわけではなく,1番の面会票が無くなってしまっているのではないかと推測される。
部屋に行ったら,夫は朝食後の休憩タイムで,上半身斜めの姿勢。
「4時に〇〇さん(夫の妹)が見えるので,楽しみにしていてね。」などと言いながら,右手のマッサージだけして,5分程でお別れ。
月島第三小学校の前の「晴海一丁目」という停留所から新橋行きのバスに乗って,事務所へ。
8時50分に到着。
相続人の存否確認の関係で除籍謄本2通,不動産関係の事件で閉鎖登記簿謄本1通の各郵便による交付申請の書類を作成してから,昭和通りの郵便局へ。750円の定額小為替2枚を200円の手数料を払って購入してから,登記簿の交付申請用の収入印紙600円の購入も。3通の封書を郵便の受付に差し出して,事務所に戻り,昼食。
先日空中写真の申込みをしたつくばの地図センターから宛名は会社名でなく,個人名でよいのかという照会の電話。
その後も,事務所で仕事をしていたら,事務用品関係の会社の新入社員による飛び込み訪問が2回続けて来た。
二人目の新人さんからは,サービスとして,「シュレッダーの掃除を是非させて下さい」と言われたので,綺麗にしたばかりと中を見せて,お引取りいただいたが,帰りがけに,「一杯になったら,呼んでください」と言われた。
みなさん,大変ですね。
義妹との待ち合わせの時刻が4時なので,3時半頃事務所を出て,特養に向かう予定。
(追記)
月島四丁目の停留所まで来た時,バスの横を義妹が通り過ぎるのが見えた。
隣の晴海一丁目で降りて,朝潮橋の上で,義妹を出迎え。
夫は,ベッドに寝ている状態の時はなかなか目を開けない。時々,「チラッ」と目を細く開けて,周りを観察。
今日は,私と義妹の話を聴いている。
4時45分に「また明日の朝」と言って,夫とお別れ。
部屋を出る時,義妹が「マコちゃん,寂しそうな顔してる」と言ったので,振り返って見たら,夫が大きく目を開いて,こちらをじっと見ていた。
特養の玄関を出てから,川沿いの桜並木を通って,トリトンへ。
花一杯の庭を案内してから,三階のレストラン街へ。
お寿司屋さんで,おいしいお寿司をいただきながら,夫のことや,先日のお葬式の時のことなどいろいろなお話。
帰りは,動く歩道から晴海通りを歩いて,勝どきの交差点へ。
大江戸線の入口で義妹と別れた後,勝どき橋南詰めからバスに乗って,銀座四丁目へ。
事務所に戻ったら,暫くご無沙汰していた遠方にお住まいの依頼者から,今朝私がお送りしたメールに対するお返事。
お元気なご様子で良かった。
近いうちに打合せをさせていただく予定に。
最終バスの時刻まで,依頼者の希望で,打合せの日時が,当初予定していた22日から,1週間余り早い明日になった事件の準備書面案(今月31日までに提出予定)の作成
2013-05-12
■[弁護士業務][介護日誌] 5月12日 特養13日目(書証の提出準備,女の子の慰問)
今朝は,7時半頃自宅を出て,事務所へ。
その後,枚数が多い上,A3が大部分というFAXではとても送信できない書証の提出準備。
裁判所,相手方,依頼者2名分,そして記録用と5部必要なので,大量のコピー取りと,製本までに随分時間がかかり,取り敢えず,裁判所と相手方代理人宛のものを送付書と一緒にレターパックに詰めて,投函の準備ができたのは,12時丁度。
他にも書類の入手ができ次第,FAX送信の方法で提出する予定の書証があるので,証拠説明書はまとめて次回期日前に提出する旨送付書に付記。
原本は,40年ほど前から大切に自宅の書庫で保管してきた貴重な資料。他の事件でも役に立ったことがある。
今日は,これから特養に出かけるところ。
バスに乗る前に,レターパックの投函。
(追記)
晴海一丁目のバス停で降りてから,特養の建物に入る前に,川沿いの桜並木を,トリトンまで歩いてみた。トリトンの花一杯の庭園までは,エレベータで上がれることを確認。これなら夫の車椅子を押しての散歩コースとして,大丈夫。
夫の部屋に行って,「今日は」と挨拶したら,夫はお風呂上りのようであったが,この暑い日に,着替えたポロシャツの上に,数日前から着ていた毛糸のベスト。
「暑いでしょう。」と言いながら,脱がせた後,ウェットティシューで顔や首を拭き,小さな団扇で暫く扇いでやった。少し赤かった顔が,普通の色に。
今日は,四階の多目的室で,お買物サロンという掲示が出ていたので,ちょっと覗きに。
カラフルな婦人物の衣類が沢山並んでいて,紳士用も少し。
おばあさん達が,家族の方々と一緒に「よく似合いますよ」「もう沢山あるから,今日はいいの」などと言いながら,楽しそうにお買物。
部屋に戻ったら,2時からロビーで女の子が歌を歌いに来るとのこと。
夫を車椅子に移していただいて,ロビーへ。
入所者の曾孫さんとのこと。
可愛らしいドレスを着て,演歌4曲を熱唱。
小学校5年生で,小さい時から,喉自慢に出場したりして,歌ってきたそう。
最後に,入所者一人ひとりと握手。
夫と握手していただいた後,二人で記念写真。
可愛らしい笑顔のお嬢さんの隣で,夫も穏やかな表情で写った。
また来月来てくださるそう。
小学生の時,クラスで一番歌が上手だったというおばあさん(他人)が,何度もこのお嬢さんを抱きかかえて,「とても良かったわ」と涙を流しながら,別れを惜しんでいた。
10分くらいしてから,部屋に戻って,ベッドに移していただいた。
4時に「また明日」と言って,お別れ。
夫は,目を閉じていたが,微笑んでいた。
帰りは,清澄通りに出て,以前,勝どきに転居して間もない頃,よく夫と一緒に買物をした区民センターの斜め向かいの「フジマート」に寄って,食料品の買物をした後,「月島第一小学校前」のバス停から新橋行きのバスに乗って,事務所へ。
■[裁判員制度]5月7日開催の裁判員制度の運用に関する有識者懇談会の資料
制度発足から本年2月までの実施状況についての統計資料などが、最高裁のホームページに掲載されました。 http://www.courts.go.jp/saikosai/iinkai/saibanin_kondan/index.html
その中から、
実施状況 http://www.courts.go.jp/saikosai/vcms_lf/80823004.pdf
国民の意識調査の結果
2013-05-11
■[弁護士業務][介護日誌]5月11日 特養12日目(離床して館内巡り)
今朝は,事務所に直行。
午前中仕事をしてから,12時半頃事務所を出て,特養へ。
夫は,既に昼食を済ませていて,上半身斜めのベッドですやすや。
お隣のベッドに見えた介護士さんに,今日は,夫を車椅子に移して,館内を一巡させてあげたいと言ったら,間もなく担当の介護士さんが来られて,「リハビリの担当が,月曜日にどの程度の時間離床が可能か確認した上で,17日のカンファランスで検討の予定となっているが,看護師に聞いてみたら,離床は問題ないとのことなので,遠藤さんの目が開いたら,車椅子に移させていただきます」とのこと。
その後,夫は,時々目を細く開きはするものの,すぐに眠ってしまい,3時を過ぎてしまったので,
看護師さんに,今日の離床は難しそうなので,諦めることにしたいと申し上げた。
その後,介護士さんと研修員の方が見えて,オムツの交換。
それが済んで出てこられた介護士さんから,「遠藤さんが目を覚まされて,離床したいとのことなので,車椅子に移っていただきます。」と言われて,車椅子に移乗。
まず,すぐ隣の談話室におられた皆さん(全員女性)に「遠藤と申します。4月30日に入所しました。よろしくお願いいたします。」と挨拶(夫も丁寧に会釈)してから,ゆっくり廊下を一巡して,壁に貼られた皆さんの楽しそうな写真やスケジュール表などをゆっくり見てもらった。
その後,エレベータで1階に降りて,1階も一巡。玄関に置かれたソファーや各人用の郵便受けの説明なども。
新しいデイサービスの施設になるという改修後の広々とした部屋の中も,デイサービスで見えたお客様と一緒に,デイサービス担当の職員の方の説明を聴きながら,中に入らせていただいて,見ることができた。デイサービスが1階に移ると,4階に設置されているリハビリ設備などは,特養の入所者だけで使用できるようになるのかも知れない。
先日弟夫婦と一緒に4階の様子を見せていただいた時,階段の昇り降りの訓練をするための設備があるのに気が付いた。夫には,一日も早く,この器具を使った訓練をしてもらって,事務所の入口の階段の昇り降りが可能となるよう,頑張ってもらいたい。
今日の面会では,その途中,精神科の女性の先生が見えたので,夫の様子を見ていただきながら,お話。
ベッドに横たわっている時は,眠ってばかりいて,ボヤーッとしているが,車椅子に腰掛けると,しっかりした姿勢と表情になるということなど説明させていただいたところ,1階での散歩を済ませて,エレベータに乗ろうとしたら,精神科の先生もご一緒に。
「本当に,しっかりしたお顔になられましたね。」と言われた。
お向かいのベッドに見えたかなり高齢と見受けられる介護士さんに挨拶したら,こちらのベッドの脇に来られて,「遠藤さん,今,とても良い表情をしておいでですね。奥様が見えて安心されたのでしょう。」と言われた。
私が傍にいる時といない時とで,表情に違いがあるそう。
こういうことは,昔,巣鴨で,〇〇先生の奥様からも言われたことがあった。
「遠藤先生のお顔は,奥様がご一緒の時とお一人の時とで随分違います。お一人の時は,なんだか寂しそうですが,ご一緒の時はとても嬉しそう」と。
そういう話を聞いてから,夫から誘われた時は,出来るだけ断わらず,一緒に出かけるようになった。
部屋に戻って,ベッドに移していただいた後,4時に「また明日」と言って,お別れ。
雨の中,事務所へ。
■[弁護士業務][介護日誌]5月10日 特養11日目(国土地理院で空中写真の閲覧)
午前7時半過ぎに自宅を出て、バス停へ。
亀戸行きの本数は少なく、東京駅南口行きが3台続いた後、52分発の亀戸行きが到着。
最初の東京駅南口行きに乗って、勝どき駅前から歩いた方が速かったが、57分頃月島三丁目で下車して、3分ほど先の川(朝潮運河)向こうにある特養へ。
今朝も面会カードの番号は、2番。
夫は、既に朝食を済ませて、すやすや眠っていたが、「おはようございます」と声を掛けたら、目を開けた。
間もなく軽いいびきをかいて、眠ってしまい、8時半に、「また夕方来ます。」と声を掛けて、お別れ。
事務所に戻ったら、昨日送信した準備書面案の検討結果のメールが、依頼者お二人からそれぞれ。
10時頃、事務所を出て、九段の第2合同庁舎へ。
土地の閉鎖登記簿の交付申請のため法務局に寄った後、9階の国土地理院へ。
受付のカウンターの前で,「空中写真の閲覧をさせていただきたいのですが」と言ったら、最初は若い女性の方、その後年配の男性の方が私が座ったパソコンの前の席に見えて、2時間以上かけて、沢山の写真の中から、該当箇所の部分引伸ばし写真5枚(そのうち2枚は,終戦直後に米軍が撮影したもの)の購入の申込み(つくば市の地図センターへ申込書を送って購入することに)ができるところまでのお世話を,付きっ切りで,して下さった。
撮影範囲が広いので,原版のどの部分に該当の場所があるのか分かりにくいため,一人ではとても無理な作業だった。
国土地理院撮影の写真は,まず原版と地図との対照をしてから,該当箇所が含まれている部分写真を選び出し(写真1枚ごとのファイルに沢山の部分写真が収められていた),更に地図との対照をしながら,その写真の中の該当箇所を見付け出す手間と根気の要る面倒な作業。
米軍撮影の写真は,CDロムを挿入してコンピュータ画面に映し出された映像を拡大,移動させながら,該当箇所を確認。
1時過ぎに、丁重にお礼を言って、退室。
私と同じ頃見えたもうお一人の高齢の閲覧者の方も,女性の職員の方に「ありがとうございました」とお礼を言って,退室。一緒のエレベータに。
私が「随分親切にしていただけましたね」と言ったら,おじいさんも,にこにこしながら,「助かりました」と言われた。
閲覧していたのは,古い時期からのJRの駅前の写真のよう。
その後、地下1階の食堂に寄って、昼食。
鯖の塩焼き定食。付け合せの煮物と生野菜のほかに,小鉢と味噌汁も付いて,500円ちょっと。
とてもおいしかった。
往きは,有楽町線と半蔵門線を利用したが,帰りは,シルバーパスの利用ができる都営線(都営新宿線と都営浅草線)を乗り継いで、2時半頃事務所に戻り、準備書面の補正をした後、裁判所と原告代理人宛にFAX送信。
依頼者お二人に準備書面の提出と空中写真についての報告。
4時ちょっと過ぎに事務所を出て、地図センターへの郵便を投函後,特養へ。
出かける際郵便受けを覗いたら、上記事件の依頼者のお一人が昨日郵送してくださった書類の写しと別件の関係で,先日○○区役所に請求した戸籍関係の書類が届いていた。
なお,出掛ける直前、これから法律相談に行きたいという電話。「今日はこれから出かけるので無理、日曜日ではいかが」と申し上げたら、「その前に尋ねておきたいことがある」と言って、質問。「おいでになってから、良くお話を伺って、お答えすることになります。電話での回答はできません。」と言ったら、「相談に行っても、それは駄目と言われてしまうと、相談料が無駄になるので、確かめてからにしたい。」とのこと。「他の事務所ににされたら」と申し上げて、電話はお終いに。
夫は、既に夕食を済ませたよう。
空中写真の話などしてから、右手のマッサージ。
明日は、昼間に来て、車椅子に移していただいた後、建物の中の散歩ができるようにしたいと言って、5時半にお別れ。
エレベータに戻る際、改修工事が済んだ部屋の中が見えた。とても綺麗。
その隣の○○1号室の工事は既に始まったようで、扉が閉まっていた。綺麗になった部屋に戻れる日が楽しみ。
事務所に戻ったら、先日最終準備書面を提出した事件の依頼者からのメール。いろいろ心配されているご様子で、昨日も。
こちらよりも相手の方がもっと心配しているはず。心配し過ぎないようになどと返信。
他の事件の依頼者からの質問のメールへの返信や本日提出した準備書面関係の書証提出の準備作業などをしてから、最終のバスで帰宅。
誕生日に発送という中央区からの無料のがん検診の券などが入った大きな封筒が届いていた。
2013-05-09
■[弁護士業務][介護日誌]5月9日 特養10日目(夫が見違えるような姿に)
今朝は,午前10時から地裁で弁論準備。
次回和解成立の予定に。
事務所に戻ったら,書留郵便の不在連絡票。
電話で2時から5時までの間の再配達の申込み。
その後,準備書面の起案の続き。なんとしてでも本日中に完成させて依頼者お二人に送信しておきたい。
3時半頃書留郵便が届いた。〇〇様からの「お花料」。お礼の電話をしたら,お元気そう。最近は,昔のお仕事(少女雑誌「ノンノ」の編集など)のお仲間のお仕事のお手伝いにも出かけておいでとのこと。
「赤毛のアン」の展覧会を来年計画しておいでと伺ったので,「主人が心臓のパイパス手術をして間もなくプリンスエドワード島の赤毛のアンの故郷を巡るツアーに参加した」話をしたら,その旅行のアルバムを貸して欲しいとのこと。送り先をFAXしていただくことに。
4時に事務所を出て,特養へ。
〇〇1号室から〇〇6号室に移っていた。
夫は,大きく目を開いていて,驚いたことにベッドの上で、身体を斜めにして,両足をベッドの手摺の手前で膝立て状態にして,一人でリハビリ中。
昨日までのほとんど眠ってばかりの人とはまるで違った姿。
私の顔を見て,嬉しそうな笑顔。
「〇〇先生の奥様から「お花料」が届きました。
お電話したら,今〇〇先生の事務所に通われて,漫画家の〇〇さんの伝記の編集と赤毛のアンの展覧会の準備のお手伝いをなさっているんですって。
プリンスエドワード島の旅行のアルバムを貸して欲しいと頼まれたので近いうちに〇○ハイツに取りに行って,お送りしたいと考えているの」と言ったら,とても嬉しそうな、そして、キリッとした表情に。
夫は,今は亡き大の仲良しだった〇〇先生(歯科医)の奥様が大好き。
一昨年の秋、鶴巻温泉の病院にお見舞いに来ていただいた時は、奥様とその甥のご夫妻の前で、真剣な顔で、リハビリに励み、その後のご一緒の写真では、車椅子に真っ直ぐ腰掛け、元気一杯という感じの満足げな表情。
その後も,ずっと足の運動を繰り返していた。
「余り急に頑張り出しても良くないと思うので,ほどほどにしてね。今日も,急ぎの起案があるので,これで失礼します。また明日の朝来るわね。」と言って,夫とお別れ。
事務所に戻ってから,起案の続き。
なんとか9時15分頃,依頼者お二人への準備書面案の送信が済んだ。
○○先生の奥様からのアルバムの送り先が記載されたFAXも届いていた。
2013-05-08
■[弁護士業務][時の問題][介護日誌] 5月8日 特養9日目(準備書面など郵送。引越しは明日,誕生日,弁護士の申告所得激減というニュース)
午前5時に起床。
7時20分ころまで準備書面と一覧表の手直し。
8時半頃事務所に着いてから,送付書なども作成して,印刷。せっかく手間隙かけて作成したものなので,カラー印刷して,郵送することに。
9時半頃ダスキンの交換。
次回の予定日は10時から期日なので,9時に来ていただくようお願い。
レターパック4枚にすべて詰め終えて,投函が済んだのは11時。
依頼者に報告のFAX。
12時に事務所を出て,特養へ。
既に部屋の移動が済んでいるものと考えて,〇〇〇号室に行ったら,移動は明日からとのことで,いつもの部屋へ。
戸棚やロッカーの荷物は,全部ダンボールに詰められていた。
「今日何の日か分かる?」と尋ねたら,夫が分かるよと言いたげな表情で,私の顔を見た。
「私の誕生日,そして,昨日はお母さんのお誕生日」と言ったら,頷いてくれた。
1時15分に,「今日は,午後6時からうちのマンションで管理組合の意見交換会があるので,夕方の面会には来られないの。明日また来るわね。」と言って,夫とお別れ。
事務所の前の喫茶店で,ランチ(1100円)をいただいてから事務所へ。
誕生日のお祝いのメールが3通。
JALとANAと楽天から。
昨晩は,生保会社の担当者から,お祝いの手紙が届いていた。
義妹から,月曜日の夕方面会に行きたいという電話。4時に特養の玄関の前でお待ちすることに。
ネットのニュースを見たら,弁護士の申告総所得金額が激減と言う毎日新聞の記事。
http://mainichi.jp/select/news/20130508k0000e040150000c.html
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130508-00000026-mai-soci
私も大変だが,年金と僅かながら原稿料収入もあるので,なんとかやりくりできている状態。
これからは,夫にかかる出費と時間が減って,仕事の方がこれまでの倍以上できるようになるので,少しは楽になれるかも。
これから別件の境界関係の事件の準備書面の起案。
依頼者がお待ちかねのはず,早く見ていただけるよう頑張らなければ・・・。
■[弁護士業務][介護日誌]5月7日 特養8日目(原稿無事お渡し,準備書面案のFAXも済み,強風の中面会に)
目が覚めたのは,午前3時。そのまま起きて,準備書面の起案の続き。
7時半に一応結びまで。
事務所に出てから,別紙の部分を多少手直ししてから,印刷。
そして,依頼者にFAX。
その後,原稿の他に出版社の方から頼まれていた仕事を12時半まで。
12時45分に事務所を出て,地裁へ。
1時20分から交通事故の事件の口頭弁論期日。
2時ちょと前に事務所に戻れた。
それからまた出版社の仕事の続き。
済んだところに出版社の担当者の〇〇さんが見えた。
原稿などを無事お渡しすることができ,お茶を飲みながら,15分程お話。
夫が無事晴海の特養に入所できたと言ったら,喜んでくださった。私が病気になってしまうのではないかと心配しておられたそう。
〇〇さんが帰られてから,特養へ。
晴海一丁目のバス停で降りたら,ものすごい強風。
飛ばされないよう気をつけながら,横断歩道を渡って,玄関へ。
夫は,既に栄養の注入が開始されていて,目を開けていた。
間もなく,お向かいのベッドの奥様もお見えに。
改築工事の関係で,明日部屋の引越しのよう。
今晩の夜勤の職員の方々が各人の荷物を段ボールに詰めて,移転先のお部屋に運んでくださるそう。
義母の写真立てを最初の箱にしまって,戸棚の上に。
5時半に特養を出て,事務所へ。
バスを降りてから,松屋デパートの地下によって,最近開店した「メルヘン」という手作りのサンドウィッチ屋さんで,いろいろな果物と生クリームが入ったフルーツサンドと黒豚のハンバーグサンドを購入。
事務所に戻って間もなく,準備書面案を送った依頼者から検討結果のメール。
満足していただけたよう。
更に読み返しながら,必要と思われる補正をした後,もう1通ほぼ同趣旨の書面を作成(地裁と家裁の両方に事件が係属しているので)。
10時に燃えるゴミをビルの前に出した後,最終のバスで帰宅。
2013-05-06
■[弁護士業務][介護日誌] 5月6日 特養7日目(84歳のおじいさんの話を夫に,原稿書きは終了)
今朝は,晴海三丁目に早く着いてしまったので,まず,ジョナサンに寄って,朝食。
お隣のテーブルにおじいさん。
お茶が無くなっていたので,「お持ちしましょうか」と声を掛けたら,「ありがとうございます」ととても嬉しそうなお顔。
それから話が弾んで,いろいろ伺った。
数年前にマイホーム新川に入所されたが,転倒して肋骨を折るなどして,入院。退院後は自宅で一人暮らし。いつの間にか,肋骨は治ってしまったらしいとのこと。
このお店には良く来られるそう。
特養に行ってから,夫におじいさんの話をしてから,「實さんも,リハビリ頑張れば,また家で生活できるようになるわ。まだ若いんだから,頑張りましょうね。」と言ったら,真剣な表情で私の話を聞いてくれた。
中坊元弁護士の訃報についても説明。
30分ほどで,「また夕方来ます。」と言ってお別れ。
事務所に戻ってから,只管原稿書き。
昼食抜きで,なんとか書き上げて,5時に事務所を出て,特養へ。
5時20分に到着。
夫は,夕食を済ませて,上半身斜めの姿勢で,目を開けていた。
お向かいのベッドに奥様。
明日は,仕事でいろいろと忙しいので,朝の面会はなしで,夕方4時過ぎに来る予定と夫に説明。
6時にお別れして,事務所へ。
バスを降りてから,松屋デパートの地下に寄って,米八のお弁当880円を200円引きで購入。
まずお弁当をいただいてから,準備書面の起案の続き。なんとか明朝までに仕上げて,出勤後依頼者にFAXの予定。そして,依頼者との調整後,裁判所に提出の予定。
出版社の担当者は,明日の午後3時頃,私が裁判所から事務所に戻った後,原稿を受け取りに見える予定。
明日の晩からは,別の事件の準備書面の起案など。
■[弁護士業務][介護日誌]5月5日 特養6日目(朝と夕方の面会,中坊元弁護士の訃報)
今朝は,自宅から特養に直行。
8時10分到着。
受付の警備の方から「随分お早いですね。」と言われた。
奥の郵便受けを覗いてみたが,何も入っていなかった。ソファーのテーブルの上に,新聞と小さな貼紙。
天皇ご夫妻がお見えになった時,このソファーに腰掛けられたそう。
ステーションに声を掛けてから,夫の部屋に。
夫は,朝食を済ませた後で,目を開けていたが,間もなく眠ってしまった。
看護師さんが見えて,「遠藤さん,今朝声を掛けたら,頷いてくださいました。」と言われたので,「馴染んでくると,知らん顔をしなくなるのです。目を瞑っていても,話を聞いていると思います。」と言ったら,「奥様のご説明のとおりのようですね。」とにこにこ。
20分ほどで,「また夕方来ます。」と言って,お別れ。
事務所に戻って,ネットのニュースを見たら,中坊元弁護士の訃報。
準備書面の起案と7日に渡す約束の原稿書き。
夕方は,5時に事務所を出て,特養へ。
夫は,夕食を済ませた後で,目を開けていたが,間もなく,いびきをかいて眠ってしまった。
6時15分頃,「また明日の朝来ます。」と言って,お別れ。
事務所では,準備書面の起案と原稿書き。
最終バスで帰宅。
2013-05-05
■[弁護士業務][介護日誌]5月4日 特養5日目(弟夫婦の面会、トリトンスクウェア)
今日は、墨田区に住んでいる私の弟夫婦が面会に来てくれるので、約束の11時前に晴海一丁目へ。
朝潮橋の袂で待っていたら、間もなく二人が到着。
一緒に夫の部屋へ。
夫は、目を開けていて、嬉しそうな表情に。
弟達も「川が見えるのいいね」などと言って、この部屋からの眺めを楽しんでいた。
廊下に貼られていた洋服の展示即売会の案内を見て、その会場と書かれていた4階の多目的室というのを見てみたいと義妹が言ったので、ステーションの受付の方にS字型フックを渡してから、4階へ。
この階は、デイサービスのフロアで、ロビーでは、お食事が始まったところ。
皆さんから、笑顔で「こんにちわ」と挨拶された。
エレベータの前に、和紙の花をたくさん使って作られた大きなパンダなど。
夫の部屋に戻って間もなく、看護師さんが見えて、胃ろうへの栄養の注入の開始。
その後、私達も昼食にと、夫に一旦「さよなら」をして、すぐ近くのトリトンスクウェアへ。
これが出来たばかりの頃は、自宅への来客のある度にここにお連れして、花一杯の庭やレストラン街を歩き回ったものだが、その後9年くらい来ていなかった。
休日なのに閑散としていた。
花一杯の庭園を一周した後、3階の日本蕎麦屋さんで、ゆっくり昼食。おいしいお蕎麦だった。
弟夫婦から、特養について、「こんな立派な良い施設とは思っていなかった。中央区に住んでいる人しか入れないのか。我が家の近くにある特養と全く違う。」などとと言われた。
その後弟夫婦と別れて、事務所へ。
トリトンの橋の上の動く歩道を渡る前に右の方を見たら、すぐ向こうに特養の建物が見え、川沿いの桜並木の小径を通って来れば、すぐにトリトンの構内に入れたことが判った(いつも帰りに乗るバス停の次の停留場がトリトン前なので、その経路でトリトンに入ったのだが、大きく遠回りしてしまっていた。この次からは、桜並木からの直線コースで、面会のお客様をご案内することにしよう。)。
事務所では,準備書面の起案の続き。
枝川のマンションのお隣の奥様に,メールで,夫が晴海に移って来たことを連絡。
5時15分に事務所を出て、特養へ。
既に夕食は済んでいて、6時半まで、面会。
事務所に戻ったら,枝川のマンションのお隣の奥様から,「旦那様地元に戻って来て喜ばれていることでしょう。近々連絡してから,会いに伺います」というメールが届いていた。
10時まで起案の続き。
なんとか最終のバス(休日なのでいつもより早い)に間に合って、帰宅。
1時まで起案の続き。
2013-05-04
■[弁護士業務][介護日誌]5月3日 特養4日目(朝と夕方の面会,S字型フック 500mlの点滴)
今日は,憲法記念日。
朝刊の社会面に4人の元裁判官の記事。
8時に家を出て,特養へ。
休日なので,亀戸行きのバスは8時台は2本だけ。しかたがないので,東京駅南口行きに乗って,勝どき駅前で下車,間もなく来たスカイツリー駅前行きに乗り換えて,晴海一丁目へ。
停留所は特養のすぐ前。
バスを降りてから,横断歩道まで歩く際,右側の建物の方を見たら,「東京都立晴海高等学校」と「首都大学東京法科大学院」という看板。
新緑に赤紫色のツツジがとても綺麗。
夫は,目を開けていて,元気そう。
今日は,入浴させていただけるとのことなので,着替えを揃えて,ベッドの掛け布団の上に。
看護師さんから,「皮膚科の先生が見えたので,診察していただきました。すっかり綺麗になっていて,今のところ心配はないでしょうとおっしゃっていました。」というお話。
帰りもバス。
事務所に着いたのは,9時半ころ。
間もなく,外が賑やかになって,鉄砲須神社の御神輿が来たので,窓を開けて,見物と撮影。
随分大勢の担ぎ手。
今日も準備書面の起案の続き。
これまで不可解だった部分が,先日亡くなった義母のお陰で得られた末梢静脈からの500mlの点滴などについての貴重な経験と新たな知識によって,明確になったので,その点についての詳細な説明も追加することに。
午後5時に事務所を出て,バスで特養へ。
夫は,入浴させていただき,既に夕食も済んだようで,私が今朝出しておいた服を着ていた。
看護師さんが見えて,バルーン用のS字フックが必要なので,持ってきて欲しいとのこと。
今晩帰りに買って,明日持参することに。
いつもかかっている斜めお向かいのベッドの脇のテレビがこちらから良く見えるのだが,お寿司屋さんの画面になった時,私が「こちらには,築地のお寿司屋さんたちがボランテアで握りに来てくれることもあるそう。そういう時食べられないのは残念なので,早く口から食べられるようになるよう,頑張ってね」と言ったら,夫が「あー」と言った。
夫の表情から,「あー,分かったよ」という意味のようだと感じた。
いつも奥の方に巻かれている状態の舌が,今日は,唇のすぐ手前の左下の位置につやつや輝いた状態で見えた。
「舌を動かす練習もしてね」と言ったら,また,夫が,「あー」。
環境が変わったのを機会に,夫に障害克服に向けた新たな意欲が沸くとよいのだが・・・。
6時半に特養を出て,バスで事務所へ。
S字型フックを買おうと,事務所の手前に最近開店した伊東屋に寄ってみたが,7時で閉店とのこと。
事務所から帰宅の途中,マルエツに寄って,探してみたら,見付かり,購入。
11時半から1時半まで起案の続き。
書証として提出していた診療録の記載内容のうち重要な部分が一目で分かるよう,一覧表にする作業の半分が終了。
2013-05-03
■[弁護士業務][介護日誌]5月2日(朝と夕方の面会,元町会長さんが来所)
今朝は,出勤前の8時10分に特養へ。
既に朝食を済ませて,目を覚ましていた夫に「おはようございます。」と声を掛けてから,本日のお昼頃,前に住んでいた地域の元町会長だった〇〇さんが事務所に来られる予定という話をした。
8時25分に,ぐっすり眠ってしまった夫に,「また夕方来ます」と声を掛けて,バスで事務所へ。
8時50分頃,事務所に到着。
10時過ぎに,高裁からの上告提起等の通知書の特別送達。
郵便局のお兄さんが,「昨日配達に来たのですが,お留守だったので,持ち帰りました。」という説明。
「いつもお手数をおかけして済みません。30日に主人が晴海の特養に入所できたので,これからは,午後も事務所にいられるようになりました。」と言ったら,「それは良かった」と喜んでくださった。
11時に〇〇さんが来所。
12時過ぎまでいろいろなお話。
一昨年の3月11日の震災の後,気仙沼の私の弟の安否を心配してくださって,私と連絡をとろうとされたが,私の転居先が分からず,前の住まいのマンションの管理員に尋ねてみたが,「分かっているがお教えできない」と言われ,その後体調を崩され,ついに腎臓透析を受けるようになってしまわれたが,そのお身体で,気仙沼に行って,ご自身で弟の消息を確認しようと考えられて,JTBのツアーの予約をして,先月26日に気仙沼のホテル□□(弟の元の勤務先)に行って,その晩,同ホテルに宿泊し,係りの人に弟の消息を聞いてみたが,自宅の場所については不明と言われたそう。
翌朝早くホテルを出て,タクシーに乗り,運転手に「◎◎さんという人をご存知ですか」と尋ねてみたら,「◎◎和夫さんのことですか。」との返事。「そうです」と言ったら,自宅も知っているということで,弟の自宅に到着。
突然見えた〇〇さんに弟夫婦はびっくり。丁度,そこへ,私が仙台のホテルから弟に電話して,〇〇さんが見えたという話を弟から聞いた次第。
弟夫婦は,一ノ関の山の中に甥が新築した山小屋で展示会の準備中の甥の所に出かける支度をしていたところで,「〇〇さんも一緒にいかがですか」という話になって,甥の所まで行ってくださったとのこと(私も行きたかったが,仕事があったので,27日の晩に帰京)。
気仙沼のお土産と近くで買ってこられたというお煎餅を沢山いただいた。
7年前に奥様を亡くされて,今は,お一人でお住まいとのこと。
ビルの入口で,お見送りをした。
バスの停留所でよくお会いする知的障害の方がいつも「〇〇さんは,本当に良い人」と言われるその方が本日見えた〇〇さんなのです。
私の弟とは,私達の亡父の葬儀の際,気仙沼から駆け付けて,喪主となった弟といろいろお世話してくださった町会の会長さんという関係で出会った後,〇〇さんが,当時弟が勤務していたホテル□□に見えた際,弟から大歓迎を受けて,いろいろご馳走してもらったというそれだけのことで,弟の安否について,肉親でもそれまでしてもらえるのかどうかという大変な心配をしてくださったという本当に有難い,親切で面倒見の良いご立派な方なのです。
どうぞ,お身体をお大事になさって,長生きされますように。
その後,相続人の存否確認中の受任事件の関係で,郵便局に現金小為替を買いに行った後,戸籍関係の証明書の請求書を2通作成して,郵送してから,7日提出予定の準備書面の起案。
4時50分に事務所を出て,銀座四丁目からスカイツリー駅行きのバスに乗って,特養へ。
5時10分到着。
夫は,今朝よりも元気な様子で,〇〇さんが写っているデジカメの画像をじっと見てくれた。
腎臓透析を受けられているという話をしたら,目に涙。
退院の前日,夫に見せてから,少し重いので,一旦事務所に持ち帰っていた義母の写真のスタンドを部屋の隅の棚に飾った。ついでに,病院の壁に貼っていた夫の写真3枚(倒れる前の年の4月に浜離宮で写したもの,倒れる3日前に仙台の特養の義母の部屋で,義母と義兄と夫の3人を写したもの,鶴巻温泉病院から老健に移る少し前に,病院のラウンジで義妹と一緒に写したもの(この写真の夫は,右手にスプーンを持って,カスタードプディングを自分で3口食べた直後の嬉しそうな得意げな表情)も,ケースに入れたまま貼った。病院のレクで昨年暮れに作成したカレンダーも,義母の写真の脇に。
6時に夫と別れて,1階のエレベータを出たところで,施設長さんとお会いした。
「お陰さまで,今日は,昨日よりも表情が穏やかになりました。」と申し上げた。
事務所に戻ってから,上告事件の依頼者に今朝送達された通知書2通を添付して,理由書の提出期限などを記載した書面を作成して,FAX。
その後,10時まで,準備書面の起案の続き。
最終のバスで帰宅。
■[弁護士業務][介護日誌]5月1日(住民票の異動、ゆうちょ銀行関係の相続手続)
9時に事務所を出て、中央区役所へ。
まず夫の住民票の異動手続。
妻代筆と表示して作成してきた委任状で大丈夫かどうか心配していたが、窓口の方に、「昨日マイホームはるみに入所」と言ったら、笑顔ですぐ受け付けてくださり、新しい住民票の写し2通の交付を受けることもできた。
その後、4階の年金福祉課、障害福祉課、介護保険課の各窓口で、住所変更の届出。
年金福祉課では、年金機構宛の葉書の投函についての指示。
障害福祉課では、障害者手帳に住所変更の記載。先日いただいた福祉タクシー券4万円分を全部返還。
介護保険課では、介護保険証を新しい住所の記載をしたものに交換。特養からいただいて来た用紙に記入して提出した居住費と食費の負担額関係の認定書は、後日書留郵便で新住所に送られるとのこと。
夫が虎の門病院に入院した当時からいろいろ親切な対応をして下さってきた女性の方が、お隣の席から見えて、「遠藤さん、マイホームはるみに入所できたのですか。良かったですね。」と言ってくださった。
昨年10月の審査委員会の資料の作成を担当された方。
「お陰様で入所できました。ありがとうございました。」とお礼。
「今もお仕事続けておられるのですか」との質問に、「ハイ。これからは、午後も仕事が出来るようになるので、助かります」と答えたら、「奥様も、どうぞお身体に気をつけてください」と優しいお言葉。
窓口の皆さんに「これからも引き続きよろしくお願いします」と挨拶して、区役所を出た。
地下鉄で新富町から月島へ。
後期高齢者医療証の住所の変更も必要と考えて、月島区民センターの中の出張所に寄って、その手続も。
そして、ジョナサンで早めの昼食後、特養に。
事務室で、住所変更の手続を済ませた保険証などを係の方にお渡しした後、夫の部屋に向かおうとしたら、施設張さん(女性)が出てこられて、ご挨拶。とても気さくな感じの方。
「いろいろご面倒をおかけすることになると思いますが、どうぞよろしくお願いします」などと申し上げた。
夫は、目を覚ましていたが、間もなく眠ってしまった。まだ疲れが取れないのだろうか。
30分ほどの面会の後、バスで事務所へ。
○○さんの遺産整理の関係でゆうちょ銀行の事務センターから届いていた書類に必要な記載をしてから、京橋郵便局へ。
提出手続に1時間余りかかった。
事務所に戻ってから、準備書面の起案。
5時に事務所を出て特養へ。
30分ほど面会して、また事務所へ。
バスを降りてから三越の地下2階に寄って、えんで夕食用のお弁当を購入。
お弁当をいただいてから、準備書面の起案の続き。
最終のバスで帰宅。