2013-03-31
■[弁護士業務][療養日誌]3月31日 闘病第693日目 鶴巻療養病棟290日目 東病棟167日目(お久し振り、強く掻いては駄目、買物券全部使用)
午前8時15分に出勤。
10時に〇〇さんの元気な声。
お茶をいただきながら,30分位近況についての話などしてから,お願いする仕事についての説明。
その後,いろいろなお話。
余市(北海道)で買ってこられたというブルーベリーのワイン2本をお土産にいただいた。
時計を見たら間もなく11時半。
一緒に近くの「えん」(日本料理)へ。
1時半近くまで,お料理をいただきながら,続きのお話。
毎週〇曜日に,近くのビルにお稽古で見えているそう。仕事をお願いした土地と同じ町内にご親族が住んでおられるということも分かって,またびっくり。
〇〇さんとは,もしかしたら親戚になるかもしれなかった間柄。
不思議な縁で結ばれているのかも。
これからもよろしく。
(追記)
午後2時に事務所を出て病院へ。
途中信号待ちがなかったからか、初めて、4時に到着。
病室のドアが閉まっていたので、暫くロビーで待機。
よく小さな声で、歌を口ずさんでいるおばあさんから、「寒いのに、ご苦労様です。何時までいらっしゃるのですか。」と声を掛けられた。
「6時までです。」と返事。
このおばあさんは、色白で、鼻筋の通った素敵な方。襟足がとても綺麗。
病室のドアが開いて、中へ。
夫は、元気そう。
汚れた手袋がベッドの脇にあったので、それを鞄に入れて、新しい手袋を左手に。
30分程してから、左手を見たら、4本の指先に血の跡。
「痒くても、瘡蓋を取ってしまうほど強く掻いては駄目よ。」と言いながら、また新しい手袋と交換。
看護師さんが、水の注入開始の際、「明日皮膚科の先生に診ていただくようにします。」と言ってくださったので、「よろしく」とお願い。
「今日は、珍しい方が見えたのよ」と言って、○○さんの旧姓を言ったら、すぐ分かって、その後の説明もきちんと聴いてくれた。
6時に「明日から4月。早く良くなってね。また明日」と言って、エレベータへ。
目を閉じていた前の2日と違って、今日は、扉が閉まるまで、ずっとこちらを見ていたので、何度も手を振って、お別れ。
事務所からの帰りに、マルエツに寄って買物。
ハッピー買物券11枚を全部使い切った。
2013-03-30
■[弁護士業務][療養日誌] 3月30日 闘病第692日目 鶴巻療養病棟289日目 東病棟166日目(岩手県の銀河プラザへ,寒くない?)
午前中,築地の銀河プラザ(岩手県のアンテナショップ)に行って,買物。
サンマの水煮缶詰2缶で600円,どら焼3個入り2袋で600円,「田むらの梅」1箱840円,合計2040円。
ハッピー買物券4枚使用。残りは,11枚。
2時に事務所を出て,病院へ。
今日は,とても寒い。
病室のドアが閉まっていたので,暫く,ロビーで待機。テーブルの前に腰掛けていたおばあさんから,「これからお出かけなのですか」と尋ねられた。土曜日は外泊許可をとって自宅に戻る方がいるので,そのお迎えかと思われたよう。
「いいえ,面会に来ただけです。」と答えた。
15分程して,ドアが開いたので,病室へ。
夫は,目を覚ましていて,「今日は」と声を掛けたら,笑顔に。
昨日嵌めた手袋が籠に入っていて,夫の左手に手袋が無かったので,袋に入れて置いてあった洗濯済みの手袋を嵌めた(手袋を嵌めさせるのは,痒いところを爪で掻くのを防ぐため)。
今日は,水の注入の際も,目を覚ましていて,看護師さんの問い掛けに頷いていた。
昼間のベッドは,タオルケット1枚だけ。
ちょっと寒そうだったので,早めに掛け布団を掛けた。
6時に「また明日」と言って,エレベータへ。
エレベータの前で,入院10年余りと伺っている〇〇さんと挨拶。お食事が済んで,これから一番奥の病室までお一人で車椅子を動かして戻るところ。
「お気をつけて」と言われた。
病院からの帰りの小田急の車内も寒かった。
■[弁護士業務][療養日誌]3月29日 闘病第691日目(日数修正) 鶴巻療養病棟288日目 東病棟165日目(人材派遣会社から飛込みのセールス,熟睡,長期滞納売掛金債権完済の連絡,中央区ハッピーお買物券)
午前中は,事務所で仕事。
10時過ぎに宅配便。出版社の担当者から預けてあった重い書籍の返還。
11時過ぎに,ノックの後,ドアが開いて,若い女性が部屋の中に。
人材派遣会社の飛込みのセールスと判明。
今のところ,事務員採用の予定なしと言って,お断り。
昨日損保会社から届いた同意書の用紙を依頼者に送る準備をした後,2時に事務所を出て,病院へ。
4時3分到着。
夫は,熟睡中。
10分ほどしてから目を開けたので,「来ていますよ」と声を掛けたら,にっこりした後,また目を閉じてしまった。
間もなく,全員のおむつ交換。
部屋の外に出たついでに,中庭の足湯へ。
4時45分頃病室に。
夫は,水の注入開始の時も,その後の栄養の注入開始の時も目を覚まさず。
6時に熟睡中の夫に「また明日」と声を掛けて,エレベータへ。
事務所に戻ったら,顧問会社の社長さんからメール。
先日出した内容証明郵便の効果のようで,本日先方の社長が見えて,滞納金全額を現金で支払って下さったそう。
「先生にはいくらお支払したらよろしいでしょうか」との質問に対しては,「内容証明郵便の料金1470円だけで結構」と返信。
お役に立てて良かった。
豊海水産埠頭行きの最終バスの時刻に間に合わなかったので,深川車庫行きの最終バスに乗って,勝どき橋南詰で下車。
勝どきびゅうタワーのショッピングストアで買物。目的は,今月末が使用期限のお買物券の利用。
2枚使用して,残りは,15枚(7500円分)。
明日と明後日で使い切らなければ。
2013-03-28
■[弁護士業務][療養日誌] 3月28日 闘病第671日目 鶴巻療養病棟287日目 東病棟164日目(官報の検索,ミトン外し)
今日は,法廷も打合せもないので,事務所で仕事。
昨日合議決定の連絡をいただいた部から次回期日指定の通知。
訴え提起準備中の事件の多数被告のうち2名の方について破産の手続がされていたようだとの連絡を担当者から受けたので,官報の検索で調べようと考え,パソコンを開いてみたが,無料で検索できるのは,30日前の分までで,その前のものを調べるには,有料の登録手続きが必要と判明。
登録の用紙をダウンロードして,必要事項を記載し,送る準備をしていたところで,公共の図書館に行けば,図書館が有料の契約をしているので,検索させてもらえるようだと判明。
急ぎ,京橋図書館(中央区役所の建物の地下1階と2階)へ。
初めての利用なので,登録カードを作成していただいてから,レファレンス係の窓口に。
すぐお隣の席のパソコンを官報検索の画面にしてくださり,椅子に腰掛けて,検索。
2人とも免責許可決定済みと判明。
事務所に戻ってから,依頼法人の担当者に結果を報告。
それにしても,破産手続開始決定の申立書に当方の債権が記載されていたとすれば,開始決定の後,各裁判所からの通知の書類が届いていたはず。その直後位かと思われる時期にこの法人の滞納債権の請求手続の仕事に関与するようになった私に対して,前任の担当者からの債権届出の相談など全くなかった。
その書類を受け取った形跡がないようであれば,当方の債権の記載がされていなかったということなのかも知れない。
更に,破産事件の記録の閲覧も必要かも。
(追記)
2時に事務所を出て、病院へ。
玄関の受付でいただくマスクが立体式に変わっていた。掛け心地良し。
夫は、相変わらず左手で、痒い所を一生懸命掻いている。その左手の痒い部分は、立膝の姿勢の左の腿に掛けられたタオルケットにキュッキュと左腕を擦り付けての作業。
手袋をしてなかったので、新しい手袋を嵌めた。
お向かいのおじいさんのお嬢さんが面会に見えていたので、ご挨拶。
帰られる時、看護師さんに連絡して、おじいさんの両手にミトンの着装(面会の間だけ外してもらっていたもの。)。
看護師さんが、外れないよう布製の粘着テープを巻きつけていた。
それから15分ほどして、「○○さん、お食事ですよ」と言って、別の看護師さんがお向かいのベッドに見えた時、おじいさんの両手にミトンなし。
私が「手袋がない」と言ったら、看護師さんも「そうですね」と言って、ベッドの上をキョロキョロ。
ミトンはベッドと壁の間の床に落ちていた。
その後前の作業をしたお二人も見えて、ミトンの嵌め直し。
「外さないで下さいね。」と何度も。
南病棟で夫が左手にミトンを嵌められていた時も、夫は、ミトンを外そうとして、一生懸命だった。右手が動かないので、接続箇所に口を当てて、歯で食いちぎろうとしていたが、なかなかうまくいかず、成功したのは1回だけ。その時、木綿の紐の部分に歯茎からの血が一杯付着していたが、夫は、大仕事の成功に満足げな様子だった。
おじいさんは、手先が器用なのか、何の苦労もせずに、ミトンからスルッと両手を抜いてしまうよう。
今日も6時に「また明日」と言って、エレベータへ。
事務所に戻ったら、暫く前に加害者宛に内容証明郵便を送った事件の損保会社から、診療録の送付依頼用の被害者本人の同意書を送って欲しいという連絡の文書が届いていた。
■[弁護士業務][昔の勤務先の仲間][療養日誌]3月27日 闘病第670日目 鶴巻療養病棟286日目 東病棟163日目(商号に「山一證券」、音楽教室)
数日前に山一證券の同窓会の掲示板を発見。
投稿したら、その次の投稿は、「山友会事務局」の「ベルクアイン」さん(廃業前からあった元社員のOB会、OG会は「緑友会」)から。
元山一の社員で設立した「ibs山一證券株式会社」という会社があって、元の会社の社旗もこの会社に保管されていて、箱根駅伝の際は、この社旗も振られるそう。
http://www.nikkei.com/money/features/29.aspx?g=DGXNASFZ0900O_09062011K15601
33期の元山一社員の弁護士さんのお名前も教えていただいた。
youチューブで見つけた山一證券渋谷支店の同窓会
(最後に歌われた社歌は,私が入社した直後にできたものです。今でも1番から3番まできちんと歌えます。)
http://www.youtube.com/watch?v=T9TUggHT8lI
社歌
http://www.youtube.com/watch?v=IYQPGwTAj5g
今日は、歌舞伎パレードを観た後、12時半に事務所を出て、病院へ。
3時から音楽教室。
2時45分に車椅子に移乗させていただいて、ロビーへ。
今回からグループ再編成後のメンバー。
「春の歌」(ラララ赤い花束・・・)から歌い始めて、最後は「蛍の光」。
「北国の春」を歌いながら、後に座っていたおばあさんが、泣いていた。「あの故郷へ帰ろうかな」の所で感極まったよう。
音楽教室の後、15分ほど院内散歩。
竹林と石庭が見えるロビーでは,水槽の隅のクロちゃんとのご対面。
私が,「クロちゃん,今日は。マコチャンが来ましたよ。」と言ったら,夫が「クスッ」。
メインロビーの綺麗なお花を見てから、病室へ。
ベッドに移していただいた後、一緒に歌舞伎役者の銀座パレードのニュースを観た。
6時に「また明日」と言って、エレベータへ。
事務所に戻ったら、病院に出かける前にFAXを送った司法書士の○○さんからの返信のFAX。
電話して、日曜日の午前10時においでいただくことに。
間もなく和解で終了予定の事件の関係で、分筆手続をお願いする予定。
随分前に、お子さんと一緒に、我が家に東京湾花火を観に来られて以来の再会。とても楽しみ。○○さんも喜んでおられるよう。
2013-03-27
■[時の話題] 3月27日 銀座中央通りで歌舞伎役者総勢60余名のおねり
午前10時から11時と聞いていたので,昨日不在で受け取れなかったゆうパックの配達のお兄さんの到着を待っていたところ,10時10分頃来てくれたので,その後,コートを羽織り,コウモリ傘をさして,途中ポストに手紙を入れてから,銀座三丁目の交差点へ。
暫く人混みの中で,待っていたが,ここではとても役者の顔を見ることはできそうもないと考え,もと来た道からUターンして,銀座二丁目の交差点へ。
そして,一丁目寄りの場所がなんとか見えそうと人垣の後に。
まだ雨がかなり降っていたが,皆さん傘を閉じていたので,私も傘を閉じて,待つこと,10分程。
これからおねり開始というアナウンスがあり,役者全員の名前が呼び上げられた後,木遣りの音と声。
まず江戸消防記念会の方々の行列。赤い4つの提灯の後に4本の纏といなせな法被姿の方々。
そして,役者の皆さんの登場。
残念ながら,お顔の部分しか見えなかったが,それだけ見えただけでも幸せ。
あっという間に最後の横断幕に。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130327-00000035-jijp-soci.view-000
あとで病院に行ってから,ニュース番組で良く観ることに。
事務所に戻ったのは,11時。
■ [弁護士業務][療養日誌] 3月26日 闘病第670日目 鶴巻療養病棟285日目 東病棟157日目(書証の取調べ,りそな銀行の出張所)
今日は,午前と午後に口頭弁論期日。
まず午前10時15分の私が原告の事件の期日。
前の事件で裁判官がとても丁寧な書証の取調べ。
原告代理人に甲第〇号証の〇から〇まではカラーコピーに,甲第〇号証の〇と〇は,原本と写しとに少し違った箇所があるので,原本からコピーした写しを提出されたいなどと細かく指示されていた。
その次の事件では,原告代理人に対して,このままの主張内容では難しい,更にこのような主張をすることもできるかも知れないが,立証は困難ではないか,双方和解について検討をなど丁寧に説明。
そのお陰で,私達は,随分待たされて,4番目に。
次回から合議体による審理になる予定とのことで,次回期日は追って指定に。
法廷の出口で,被告代理人の弁護士さん達から挨拶されたので,「ご苦労様でした。」と言って,お別れ。
その後,一旦事務所に戻って(留守の間にゆうパックの配達があったとのことで,不在連絡票。明日の午前中に再配達してもらうことに。),昼食後,銀座四丁目のすずらん通りの入口のりそな銀行の出張所に寄って明日の引落し分の入金をしてから,裁判所へ。
これまでりそな銀行への入金は,松坂屋の先の出張所を利用していたが,先日行って見たら,閉鎖されていて,すずらん通りの出張所の地図が掲示されていたので,今日初めて来たもの。事務所から近くなって便利に。
1時に6階の27部の法廷に行ったら,既に裁判官が着席されていた。
1時10分に先に揃った事件から審理開始。
私達は2番目。
書記官から「ご本人はお見えではないのですか」と聞かれたので,「体調を悪くして,来られなくなってしまいました」と返事。
先の期日変更申請書に,是非とも本人と一緒に第一回期日には出廷させていただきたいということを記載したのを覚えておられたよう。
期日を済ませた後,そのまま病院へ。
いつもより早く病院に来たので,夫はびっくりしたよう。
明日も,3時から音楽教室なので,早めに来る予定。
相変わらず湿疹が痒いようで,白い手袋を嵌めた左手で,盛んに背中,お腹,右腕などを強く掻いてしまうため,指先の部分に血が付いて(かさぶたになった部分を剥がしてしまう),すぐ汚れてしまい,私の手で,手袋を3回交換。
汚れた手袋は,水洗いしてから,自宅に持ち帰り。
6時に「また明日」と言って,エレベータへ。
■[弁護士業務][療養日誌]3月25日 闘病第669日目 鶴巻療養病棟284日目 東病棟156日目(診療録送付嘱託の同意書への署名・押印、5ヶ月振りの散髪)
午前11時に明日第一回口頭弁論期日の交通事故の事件の依頼者が見えて、相手方である原告(加害者)代理人から申立てがあり、期日前に採用された診療録の送付嘱託についての各医療機関への同意書に署名・押印していただいた。
用紙と一緒に届いた原告への診療録の写しの交付についての意見は、裁判所が記載してきた3項目とは異なる記載にして、回答書をFAX。
気温の差が激しいのが良くないのか、体調不良とのことなので、明日の期日は、私一人で出廷させていただくことに。
エレベータの前で「お大事に」と言って、お見送り。
午後2時に事務所を出て、病院へ。
病室では、少し赤い顔の夫が枕から首を上げて、笑顔で出迎え。
コートを脱いでいたら、チームステーションから、「もう2人、散髪OK」という声が聞こえたので、飛んで行って、「遠藤お願いします」と事務の方に。
その後、「○○さんと遠藤さんに」という声。
散髪の場所は、南病棟の5階だそう。
一昨年の6月から12月までいた病棟。
洗面台の前に車椅子を停めたら、懐かしい看護師さんや介護士さんが、次々「遠藤さん、お久し振り」と言って、見えた。
ボランティアの理容師のおばさんが「随分伸びてしまいましたね」とびっくり。
「12月は本人の急変、1月と2月は、感染症の流行との関係で散髪を受けられず。4ヶ月振り」と説明したが、よく考えてみたら、東病棟に移ってから一度も散髪してもらってないので、正しくは、5ヶ月振り。
すべて鋏だけで、格好の良い髪形に仕上がった。
5時少し前にベッドに戻していただいた後、水の注入開始から。
「私が来なかったら、今月も散髪してもらえなかったわね」と言ったら、夫が頷いた。
栄養が変わってから、髪の毛の色も黒くなって、散髪後の夫は、50代と言っても不思議がられないのではと思うような若々しい姿に。
デジカメで記念撮影。
旅行先でよく「息子さんですか」と言われたが、知らない人は、皆さんそう思うだろう。
6時に「また明日」と言って、エレベータへ。
事務所に戻ってから、明日の午前中の事件(私が原告の報酬金請求事件)の証拠説明書の作成。
最終のバスで帰宅。
2013-03-26
■[弁護士業務][療養日誌]3月24日 闘病第668日目 鶴巻療養病棟283日目 東病棟155日目(社長さん来所、千秋楽)
午前9時50分に顧問会社の社長の○○さんが来所。
12時まで打合せ。
2時に事務所を出て、病院へ。
病室に入ったら、看護師さんが見えて、「手袋が汚れていたので、外したのですが、替えが見つからない」というお話。
テレビの横の箱に袋のまま立て掛けてあったのを差し出したら、「そこのあったのですか、ありがとうございます」と言って、真っ白な手袋を夫の左手に。
1袋2枚入りなので、もう1枚残っていると思ったら、既に使用済みだったようで、残りなし。
急ぎドラッグストアまで行って、手袋を3袋(6枚)購入するとともに、卓上時計用のボタン電池も買って、病室に戻った。
一昨日から停まっていた時計が動き出し、夫に見せてから、定位置に。
赤い顔をしていたので、額を触ってみたら、少し熱い。濡れタオルで冷やした。
看護師さんが、アイスパッドを持って来て、枕の上に。
夫は疲れていたのか、時々いびきをかきながら、熟睡。
千秋楽結びの大一番だけはと起こして、一緒に観戦。
その後、「また明日、元気でいてね」と声を掛けて、エレベータへ。
2013-03-24
■[弁護士業務][療養日誌]3月23日 闘病第667日目 鶴巻療養病棟282日目 東病棟154日目(「赤坂のマンション」,咳)
今日は,法廷も打合せもないので,ちよっとのんびり。
記録の整理をしていたら,電話。
「赤坂のマンションの件ですが」という不動産業者からの電話。
「それは私のものではありません。7年以上前から同じような電話がしよっちゅう掛って来て,迷惑しています。前にこのビルにいた同じような氏名の方の所有なのではないでしょうか。」と言ったら,「そうですか。」と言って,切れたが,本当に迷惑。
2時に事務所を出て,病院へ。
夫は,かなり頻繁に苦しそうな咳。
痰のせいばかりではないよう。
5時半ころ額に手を当ててみたら,少し熱があるよう。
風邪がぶり返したのかもしれない。
6時に「また明日。元気でいてね。」と声を掛けて,エレベータへ。
最終バスで帰宅したら,夫の所得税確定申告書の控えが届いていた。私の分はまだ。
2013-03-22
■[弁護士業務][時の話題][療養日誌]3月22日 闘病第666日目 鶴巻療養病棟281日目 東病棟153日目(堺雅人さんのニュース,診療録,夫は元気,おじいさんが「危ない状態に」)
今朝は,勝どき千歳会(地元の高齢者クラブ)の班長さんのお宅に寄って,年会費2人分(2400円)の支払い。
その後,新島橋のバス停から乗車して,事務所に。
まず,本日午後の事件の関係で,一昨日の晩届いていたが,依頼者への写しの送付が未了の相手方の書証(大きな図面や写真など)の写しを依頼者2名分作成。
その後,26日の事件の関係で,裁判所からFAXされてきた相手方申出の多数の医療機関への診療録の送付嘱託用の依頼者の同意書の用紙に依頼者の署名押印をいただく方法についての依頼者への相談の電話。
25日に事務所に来てくださるそう。
そこへ,昨日事務所に戻って来てから再配達の連絡をした宅急便の配達。
先日相談に見えた方からの診療録とX線写真の送付。
配達のお兄さんから「昨日お電いただいてから伺えなくてすみませんでした。」「随分お忙しそうですね」と言われた。
10時25分に事務所を出て,11時からの破産事件の債権者集会へ。
今回も債権者席には私一人だけ,
今回も,破産会社の社長さんから,「〇〇さん(当方の依頼者である会社の名前),いつもすみません」と言われたので,「そちらも大変ですね」と返事。
期日が済んでから,家裁の食堂で,昼食。
1時10分から期日なので,12時50分頃まで,地裁の1階のソファーに腰掛けて,休憩。
お隣に座った男女3人は,裁判ウォッチャーのよう。手作りの開廷表を見ながら,午後の傍聴対象事件の選択。
女性が,離婚調停を見たいと言ったら,若い男性が,「調停は非公開だからダメ」,年配の男性が,「テレビに出てくる弁護士が付いている調停事件の日に,家裁の廊下にいれば,調停室に入るところ位は見ることができる」などと言っていた。
皆さんお仕事はしていないのだろうか。
12階まで上がって,廊下に置かれた椅子に腰掛けていたら,依頼者のお一人が見えたので,今朝作成してきた相手方の書証の写し2部を渡した。もう一人の依頼者は,都合が悪くなったそうで,今回は,欠席。
定刻に弁論準備期日の開始。
5分程で続行となり,弁護士会館の面談室で依頼者との簡単な打合せ。
追って,今回欠席の依頼者にも来ていただいて,事務所で打合せをさせていただく予定に。
2時15分頃,霞が関から新宿へ。そして,鶴巻温泉へ。
病院へは,3時52分に到着。
夫は,一昨日着けていたマスクが外れて,元気そう。熱もなかった。
左手に嵌めた手袋が汚れていたので,新しい手袋に取替え。
水の注入が開始されてから、一緒にテレビ。
堺雅人さんが来月結婚というニュース。
夫に「南極料理人の主役の人よ。覚えてる?」と言ったら、分かったよう。
夫が倒れる前、山一で6年間(昭和37年から昭和43年まで)同じ職場でご一緒させていただいた◎◎さんから「息子の作品なので、観ていただけませんでしょうか。」というお手紙をいただいて、事務員も一緒に、3人で銀座1丁目の映画館に観に行った映画。
http://www.envy-j.com/interview/bk/090805/index.html
◎◎さんとは、その2年後輩の☆☆さんのコーラスグループのオペラシティーの演奏会で2回お目にかかり、2回目の時は、演奏会終了後、ビールをいただきながら、一緒だった後輩の□□さんと3人で、1時間くらい歓談したが、「管理会計課を無くされてしまったから、廃業という事態にまで追い込まれてしまった」という話などされ、私の退職(昭和43年4月)後に結婚されて、生まれた息子さんのことなど一言もおしゃらなかったので、お手紙にはびっくりした。
6時に帰り支度をしていたら,お向かいのおじいさんがベッドの柵に足を掛けて,ベッドから自力で降りようとしていた。
「〇〇さんが,危ない状態です。」と大声で叫んだら,看護師さんと介護士さん,女性ばかり4人の方々が飛んできて,おじいさんをベッドに寝かせて,「危ないから,外に出ようとしないで下さいね」などと優しく話し掛けていた。
夫に「また明日」と言って,エレベータへ。
ドアが閉まる前,夫の顔に手を振ったら,夫が白い手袋を嵌めた手を挙げた。
帰宅したら、朝日新聞夕刊の「be」第1面に堺雅人さんの大きな写真と新しい映画の記事。
昼間インターネットで読んだ記事によると,ご両親に内緒で早稲田大学を3年で中退して,演劇活動に入り込んでしまっていたことが発覚してからは,ご家族との間は,長いこと絶縁状態となり,ご実家に戻ることを許されたのは,NHKの連続ドラマに出演できるようになった2000年のことだったそう。
私の身内にも,大学を卒業後,就職した東証一部上場の会社を僅か1年で辞めてしまい,その後両親には,中国の大学に留学すると言って,中国に渡った若者が,実際は,景徳鎮の磁器職人の家に住み着いて,磁器や古琴などの研究に没頭していたことが発覚し,両親が非常に落胆したということがあったが,その若者も,いろいろ苦労しながら,自力で頑張って,もう少しで,なんとかなりそうなところまできているよう。
http://blogs.yahoo.co.jp/x86798/MYBLOG/yblog.html
(訂正とお詫び)
◎◎さんの息子さんというのは堺さんと考えていたところ,堺さんは,宮崎県で生まれて,高校も宮崎県とのこと,毎年いただいていた年賀状の◎◎さんのご住所は埼玉県,どういうことなのだろうかと不思議に思ったのですが,只今,◎◎さんの息子さんは,「南極料理人」の監督さんと判明しました(この映画を観た当時は,正しく認識していたはずなのですが,余りにも堺さんの印象が強烈で,いつの間にか◎◎さんの息子さんは堺さんと勘違いするようになってしまっていたようです。)。
http://mrs.living.jp/saitama/blog/269024
訂正の上,関係者の方々及び読者の皆様に心からお詫び申し上げます。
2013-03-21
■[弁護士業務][療養日誌]3月21日 闘病第665日目 鶴巻療養病棟280日目 東病棟152日目(郡山出張、深夜の準備書面の送信)
今朝は、6時半の始発のバスでまず事務所へ。
8時の出発まで準備書面の起案。
頑張ってはみたが、とても終わらず。
続きは戻ってきてからにすることにして、自宅から持参した、トランクに風呂敷に包んだ記録を入れて、有楽町へ。
東京駅の新幹線の改札口まで20分かからずに着き、9時の出発10分前まで待合室で休憩。
風が強かったため4分遅れで、郡山に到着。
車中で、東京駅の新幹線ホームの弁当売場で買って来た「深川めし」をいただいた。
郡山駅のドトールコーヒーの店内でコーヒーを飲みながら、20分程時間を潰してから、タクシーに乗って、裁判所へ。
雪が舞っていた。
依頼者達も見えて、11時30分から口頭弁論期日。
相手方は、前回に続いて、今回も本人もその身内の人たちも見えず、被告側の席には、新人弁護士さんお1人だけ。
今回で結審に。
判決言渡期日は、5月下旬に指定された。
期日の後、昼食をいただきながら、打合せ。
夕方、事務所に戻ってから、準備書面の起案の続き。病院行きは休み。
何とか書き終えたのは、11時過ぎ。
急ぎ印刷して、書証の写しと一緒に、裁判所と被告代理人宛にFAX送信。
時計は11時半。
地下鉄ならまだ大丈夫と考えて、帰宅することに(他にもやってしまいたい仕事があるので、徹夜でもと考えたが、先ほど勝どき千歳会の班長さんから「会費をお願い」という電話をいただき、明朝出勤の途中届けるという約束をしたことを思い出したため、帰宅しなければならないことに気付いて、一旦帰ることにしたもの。
勝どきの地下鉄の出口から自宅マンションまでの道は、今朝とは違って、暖かく、風も無かったので、爽やかな気分で、歩けた。
帰宅したら、日本年金機構から夫宛の封書。
何かと思ったら、共済組合など加入記録の確認。
新たに見つかった記録というのは、司法修習生2年間の記録。
明日は、午前11時から、破産事件の債権者集会(当方は債権者)、午後1時15分から弁論準備期日。
裁判所に出かける前に片付けて置かなければならない仕事が複数あるので、明日も早めの出勤の予定。
2013-03-20
■[弁護士業務][療養日誌] 3月20日 闘病第664日目 鶴巻療養病棟279日目 東病棟151日目(白い花、手袋)
今朝は、8時30分に出勤。
9時20分頃、依頼者の○○さんが見えた。
申立て準備中の事件とは、別の相談。
10時頃結論が出て、お土産の最中をいただきながらお話していたら、○○さんもこれからお墓参りとのこと。「先生はどちらまで」と尋ねられたので、「入谷」と答えたら、○○さんも入谷だそう。
それでは、ご一緒にということになって、日比谷線で入谷まで。
地下鉄の出口の傍の花屋さんに寄って、同じ花を2対ずつ購入。○○さんが余り派手なのは嫌と言われて、白い花を入れて欲しいと頼んだら、白い花3種類と薄いピンクのスイートピーに。
○○さんと分かれて、根岸のお寺へ。
今日は、お寺の境内はとても混んでいた。
まず実家のお墓の掃除をしてから、線香とお花を供えて、お参り。
次に私達夫婦のお墓の掃除とお花のお供え(線香はなし)。
白い花はちょっと寂しいが、清楚でいい感じ。
11時半頃事務所に戻って、明日の事件の準備など。
2時に事務所を出て、病院へ。
出掛けに、事務所の郵便受けに速達郵便。
差出人は、22日の事件の相手方代理人。
布袋に突っ込んで病院に持参。
病室の前に来たら、夫のベッドの前にはカーテン。
中を覗いてみたら、口にマスク。
「風邪を引いたの?」と尋ねたら、看護師さんが見えて、「昨晩から少しお熱が出て、夜中に咳をされて、お風邪のようです。明日先生に診ていただきます。」というお話。
速達郵便の中身は、証拠説明書と書証の写し。
水の注入の途中、看護師さんから、痒いところを指の先で掻いて、皮膚に傷をつけてしまうので、バスガイドがしているような白い手袋をしていただいたらということになったので、買ってきて欲しいというお話。
近日中と言われたが、早い方がと考えて、5分ほどの距離のドラッグストアに行って、取り敢えず2袋購入。
「これで結構です。ありがとうございました。」と言われて、早速、夫の左手に。
ぴったりの大きさ。
6時に「明日は郡山。帰りが遅くなり、記録も重いので、面会はお休み。明後日はきます。早く風邪を治してね。」と声を掛けたが、赤い顔をして、目を閉じたまま。
お向かいのおじいさんは、昨日着けていた鼻の管を自分で外してしまわれたようで、今晩の夕食は、足の方からの点滴。
それが済んでから、男性の看護師さんが女性の介護士さんと一緒に来て、鼻への管の挿入をしていた。つい先日入院されたばかりだが、1日置きに鼻のチューブが消えて、点滴の袋がぶら下がっている。
先日は、両手に嵌められたミトンをアッとい間に外してしまい、びっくりして、ステーションに知らせに行った。
手先がとても器用なよう。
事務所に戻ってから、22日の事件の依頼者2名に相手方代理人から書証の写しが届いたことをメールで報告。取り敢えず証拠説明書のみPDFにして、メールに添付。書証は複合機からはみだす大きさの図面など、短時間にPDFにできるようなものではないので、明日出張から戻ってからの作業にすることにした。
明日の事件は、地家裁の両方なので、記録と書類の量が多いので、今晩は事務所に置いて、明日キャスター付きのトランクを持参して、事務所に寄り、記録と書類をその中に入れてから、有楽町駅まで行くことに(東京発9時のやまびこ129号に乗る予定)。
■[弁護士業務][療養日誌]3月19日 闘病第663日目 鶴巻療養病棟278日目 東病棟150日目(現金書留、診療録の送付嘱託、夫の目に涙)
今朝はいつもより早く出勤。
21日の事件の関係で、もう一つ提出しておく必要がある文書を関係記録の山の中から漸く探し出して、コピー。
連日いろいろな書面が届くので、相手方代理人はうんざりしているに違いない。
相手方代理人からは、合議体による審理の必要はない、即結審をと記載した意見書と当方が昨日宅急便で送った書証の写しの受領書がFAXされてきた。
そのすぐ後、裁判所の書記官から、「相手方の代理人宛に書証の写しを送ったのか」という問い合わせの電話。
裁判所へは、地家裁別々で、半分の量で済み、レターパックで郵送したので、まだ配達されていなかったもの。「そちらへも郵送させていただきましたので、間もなく着くと思います」と説明。
その後、追加の書証の写しを裁判所と相手方代理人へFAX送信。
依頼者との電話での遣り取りとメールの交換が済んでホッとした時、郵便局のお兄さんが来て「現金書留」の配達。
先日相談に見えた方(昔の職場の同期生)からの夫へのお見舞金とお手紙だった。
お礼の電話。
その後、26日に新件の期日が指定されている事件の裁判所から、相手側からの医療機関への文書送付嘱託の申立てを期日前に採用してもよいかとの照会の電話。相手側からの申立てがなければ、当方からする必要のある申立てで、送られてきた文書の謄写や訳文のことを考えると相手側でしてもらう方が当方にとっては費用面で助かるので、「結構です」と返事。
追って、裁判所から本人の同意書の用紙をFAX送信するので、本人の署名押印後返送をとのことなので、その旨依頼者にメールで連絡。
今日も2時に事務所を出て、病院へ。
夫は、ちょっと前まで車椅子で、ロビーにいたそう。
赤斑は、薬を処方していただいたようで、膨らみが少なくなっていた。
閉じていた夫の目から、拭いても拭いても涙。
何を考えているのだろうか。
最近私が話をしなくなった老母のことを心配しているのかも知れない。
結びの一番の熱戦を一緒に見た後、「また明日」と言って、エレベータへ。
扉が閉まる直前、こちらを見ている夫の小さな顔が見えたので、手を振った。
今日は、とても暖かい日だった。
事務所に戻ってから、26日が期日の私が原告の事件の準備書面の起案の続き。自分の事件なので、依頼者への事実関係の確認という作業がないので、準備書面の作成は楽なのだが、いろいろ書きたいことがあって、長くなってしまう。切りの良いところで、今回はこれまでということにしなければ。
2013-03-17
■[弁護士業務][療養日誌] 3月17日 闘病第661日目 鶴巻療養病棟275日目 東病棟148日目(合議体による審理を求める上申書,辛抱強い人)
今朝は,いつものバスで事務所へ。
一昨日準備書面を提出した事件の書証提出準備。
その途中,依頼者からのメールに返信。
その後,合議体による審理を求める上申書を作成して,FAXで提出。
書証は,量が多いので,大変。それも,同じものを,家裁と地裁の2件分。
続きはまた帰ってきてからということにして,2時に事務所を出て,病院へ。
夫は,昨晩帰る時枕元に出しておいた肌着とパジャマに着替えていた。
やはり,左腕が赤く腫れていて,痒そうにしていたので,今日も,濡れタオルで巻いて,冷やしてやった。
日馬富士にまた土が着いた時,栄養の注入に見えた看護師さんから,「明日,また薬を増やしていただくようにしましょうね。」と言われたので,「よろしく」とお願い。
その後,「痒くて大変ね。でも良く辛抱しているわね。」などと夫に話しかけていたら,看護師さんから,「遠藤さんは,本当に辛抱強いですね。他の人だったら,こんな症状になったら,ベッドの上で大騒ぎをしますよ。」と言われた。
6時に「また明日」と言って,エレベータへ。
こちらをじっと見ている夫の顔に手を振って,お別れ。
事務所に戻ったら,依頼者からの報告のメールが届いていたので,返信。
その後,書証提出準備作業の続き。
最終バスまでに到底終わりそうにないので,明朝早く出勤することにして,ひとまず,今晩は,帰宅し,自宅でできる19日までに提出予定の別件の準備書面の起案の続きをすることに。
■[弁護士業務][療養日誌]3月16日 闘病第660日目 鶴巻療養病棟274日目 東病棟147日目(打合せの日時の約束,真っ赤に腫れて,可哀想)
今朝は,日曜日なので,バスの便が少なく,8時40分に出勤。
依頼者の〇〇さんに昨晩届いた××氏からのFAXの内容について電話したら,「メールご覧いただけませんでしたか」と言われた。まだパソコンを開く前だったので,電話で,打合せの日時を来週の月曜日の午前と約束(いつも早く見える)。
19日が期限の準備書面の起案。
かなり長くなりそうで,2時に,ひとまず中断して,病院へ。
夫のお向かいのベッドには,昨日から新しい患者さん。
随分ご高齢のよう。
今日は,お嬢さんが面会に見えていた。
口から食べられなくなったとのことで,看護師さんが栄養とお水などを鼻の管から注入。
少し聴き取りにくいが,お話はできる。
お嬢さんが帰られる時,何度も「ありがとう」と言っておられた。
夫が左腕を立膝にした自分の左足の腿に強くこすり付けていたので,袖を捲り上げてみたら,腕全体が赤く腫れ上がっていて,とても熱くなっていた。
急ぎタオルを水で濡らしてきて,腕に巻きつけることを,5回ほど繰り返して,熱冷まし。
看護師さんが見えたので,腕の状態を見ていただいたら,「アイスパックをお持ちしましょう」と言って,持ってきてくださったので,濡れタオルで来るんだ腕の下に敷いた。
既に水の注入が開始されていたので,看護師さんに,栄養の注入が済んでから,夫が一昨日から着せられていた肌着(ヒートテック)を脱がせていただくようお願いして,木綿の肌着とパジャマを夫の枕元に。
冷やしたので,痒みは少なくなったよう。
6時に「また明日」と言って,エレベータへ。
小田急線の車内で携帯電話を開いたら,◎◎さんからの留守録の知らせ。
うるさい車中では聴きにくいので,事務所に戻ってから聞いてみたら,急ぎ相談したいことができたという連絡。
お電話して,20日の午前10時に来ていただくことに。
その後,メールの確認をしたら,□□さんから,24日の午前10時に相談に行きたいという連絡。
OKと電話。
来週,空いていた日がすべて塞がってしまった。
2013-03-16
■[弁護士業務][療養日誌]3月15日 闘病第659日目 鶴巻療養病棟273日目 東病棟146日目(事務所で起床、申告書投函、準備書面の送信、音楽教室、準備書面等の受信)
今朝は、事務所で、午前3時頃、私の申告書の封入を済ませてから、夫の部屋の戸棚からマット、毛布、枕などを持って来て、事務室の床に敷き、6時まで一眠り。
起床後、近くのポストへ京橋税務署宛の2通の封筒を投函。いつもより早く申告書の提出作業が完了(これまでは、いつも、夫は15日の午後税務署に出かけて提出、私は15日の晩に郵便局の夜間窓口に行って、差出し。昨年は、夫が入院中のため、2通とも郵便局の夜間窓口での差出し。)。
朝食後、昨日依頼者から「その内容で結構」という返事をもらった準備書面の読み返しと補正。調べてからと抜かしてあった裁判例を調べてから、その説明を補充して、関係の資料を別紙として添付。
10時過ぎに、合計22枚の準備書面を送付書とともに裁判所と相手方代理人の事務所にFAXして、準備書面の提出を済ませた後、同じものを依頼者へもFAXしてから、報告のメール。
書証の方は、量が多いので、準備出来次第、宅急便で送る予定。
11時頃、3日前に注文した会計ソフトが届いたが、所得税の申告書の作成には間に合わず。
インストールは後に。
1時30分に事務所を出て、病院へ。
3時32分到着。
夫に「昨日は来られなくて済みませんでした。申告書の提出済ませました。」と報告。
その後、介護士さんに車椅子への移乗をさせていただいてから、ロビーに。
4時からDグループの「音楽教室」。
メンバー全員揃ったところで、「春が来た」から。
キーが低く歌いにくいので、1オクターブ上の声で歌い始めたら、夫が振り返って、ウインク。そんな高い音程で歌うなという合図のようなので、低い音程に。
4時半に「夕焼け小焼け」を歌ってから、音楽教室はお終い(次回は29日)。
折角車椅子に乗せていただけたのだからと、1階に降りて、少し散歩。石庭前のロビーでは、クロちゃんとのご挨拶も。
その後、病室に戻って、ベッドに戻していただいた後、看護師さんが見えて、まず水の注入の開始。
夫は、昨晩、よく眠れなかったそうで、すぐ眠ってしまい、水が済んで、栄養の注入開始の時も目を覚まさず。
6時に「これで帰ります。また明日」と声を掛けても、熟睡の状態。
8時半頃、事務所に戻ったら、22日が期日の事件の相手方代理人からの準備書面と29日が期日の事件の相手方代理人からの文書送付嘱託の申立書がFAXで届いていたので、まず受領書の送信をしてから、各書面の内容を一通り読んだ後、着席して、メールの確認など。
遅い時刻なので、受信した準備書面の依頼者への写しの送付などは、明朝にすることにして、最終のバスで帰宅。
眠くなったので、12時前に就寝。
2013-03-15
■[弁護士業務][時の話題][療養日誌]3月14日 闘病第658日目 鶴巻療養病棟272日目 東病棟145日目
,(準備書面案,確定申告の期限)
今朝も少し早く出勤して,準備書面の起案の続き。
1時半過ぎになんとか結びまで書き終わったところで,依頼者にFAX。
その後は,申告書の作成。
先ず夫の分から。
封入まで終えたところで,メールの確認。
先ほどの準備書面案について,こんなに長い書面を裁判官は読んでくれないのではないかということや,できれば〇〇の日のことも書いて欲しかったということなどが記載されたメールが届いていた。
返信のメールを作成して,送信。
その後は,自分の申告書の作成に没頭。
一段落した9時過ぎにメールの確認をしたら,準備書面案については,その内容で結構との趣旨のメールが5時過ぎに届いていたので,お礼のメール。
私の申告書は,いろいろなことを記入しなければならないので,とても手間がかかる。
各種所得控除の合計額が,405万円にも。
医療費控除 200万円(最高限度額)
社会保険料控除 389,740円
(夫婦の国保料と私の介護保険料,夫の 介護保険料は夫の年金からの天引きな ので夫の申告書に記載)
生命保険料控除 50,000円
地震保険料控除 8,452円
障害者控除 750,000円
(配偶者が同居特別障害者)
配偶者控除 480,000円
(老人控除対象配偶者)
基礎控除 380,000円
合計 4,058,192円
そして,ごく僅かだが,12年前に買った自宅マンションの関係での住宅ローン控除も。
そのほかに事業所得金額の計算過程での青色申告控除65万円も。
諸控除のお蔭で,税額は0となり,源泉徴収された所得税20数万円全額について還付を受けられる計算に。
午前1時半頃,封入まで終了。
明朝早くポストに投函の予定。
2013-03-14
■[弁護士業務][裁判手続][療養日誌]3月13日 闘病第657日目 鶴巻療養病棟271日目 東病棟144日目(年金記録訂正義務付け訴訟控訴審証拠調べの後結審、登記の回復請求訴訟も結審、明日の面会はお休み)
午前11時から高裁の法廷で、年金記録の訂正の義務付けを求めた事件の口頭弁論期日。一審では、このような訴えは、明らかに不適法と判断されて、被告(国、処分行政庁厚生労働大臣)への訴状副本の送達もされずに却下されてしまったが、控訴審で、口頭弁論期日が指定され、被控訴人への訴状副本の送達もされて、本日の口頭弁論期日となったもの。
当方が訴状、控訴状、控訴理由書を、被控訴人が答弁書をそれぞれ陳述した後、証拠調べ(甲号各証の提出)。
結審となり、判決言渡期日が4月17日午前10時55分と指定された。
地下のレストランで、依頼者とその弟さんと3人で昼食後、弁護士会館の面談室で、1時10分前まで、打合せ。
午後1時10分から、地裁の法廷で、登記回復請求訴訟(実際は一審判決が確定しないまま控訴審で終了していた古い事件について、数年経過後に、原告の代理人だった弁護士が、判決確定証明書の交付申請の手続をして、証明書の交付を受け、当方の依頼者の亡父名義への所有権移転登記の抹消登記手続をしてしまったことから、当方が相続人として、抹消された登記の回復登記の手続などを求めた事件)の口頭弁論期日。
弁論準備手続の途中で、合議決定がされたので、裁判長と左陪席の各裁判官とは、初対面。
弁論更新の後、弁論準備手続の結果の陳述のみで、結審。判決言渡期日が5月15日午後1時10分に指定された。
その後、依頼者と弁護士会館の面談室で2時半頃まで打合せ。
病院へは、4時12分に到着。
夫に明日は、明日中に終えてしまわなければならない仕事があるので、面会はお休みと説明した後、右手のマッサージ。
予定表の上に、「14日に作業リハビリ実施」と記載されたメモ。
15日は、4時から音楽教室なので、必ず面会に来るようにすると言って、6時にエレベータへ。
事務所に戻ったら、返信が必要なメールがいくつも。
今晩は帰宅せず、朝まで事務所で仕事をしてしまった方が、よいかとも考えたが、最終のバスぎりぎりの時刻に帰宅することにして、バス停へ。
(追記)
年金記録問題の関係で、こんな記事を見付けました。
http://www.psrn.jp/topics/nenkin_iryou/004445.php
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130305/trd13030515310008-n1.htm
高裁から法務省に送られた訴状の写しが,更に厚生労働省に届いてから,このまま放置しているわけにはいかないということに気付いた厚生労働省の年金局の皆さんが急ぎ検討された結果,取り敢えず,特別委員会の設置をということになったのかも知れません。委員会の発足は3月中という予定のようなので,4月17日の判決言渡しの前に一応説明のつくことをしておこうということなのかも。
なお,答弁書に記載されていた被控訴人の指定代理人は,東京法務局のお二人のほかに,
厚生労働省年金局事業管理課給付事業室の
室長補佐 2名
年金審査専門官 2名
障害認定企画専門官 1名
年金審査係長 1名
の合計8名(内所管行政庁6名)でした。
2013-03-12
■[弁護士業務][療養日誌] 3月12日 闘病第656日目 鶴巻療養病棟270日目 東病棟143日目(簡易書留,千葉へ,会計ソフトのバージョンアップ,誕生日)
朝,早めに出勤して,メールの確認をしたら,依頼者から,書類を簡易書留で郵送との連絡。
銀座郵便局は,いつも配達が遅いので,千葉に出かけてから配達ということになってしまうだろうと考え,その旨依頼者に連絡。
今朝は,まずダスキンのお兄さんが9時ちょっと過ぎに来て,入口のマット2枚の交換。
その後,昨日連絡のあった広告会社の方。都バスの時刻表(中央区用)の印刷が済んだということで,4枚届けていただき,広告料31,500円を支払った。
両面印刷なので,打合せ室の壁に2枚貼った。
当事務所は,表の上の欄の中央。
11時少し前に郵便局のお兄さんが,簡易書留の郵便の配達に。
「間に合って良かった」と言ったら,お兄さんも嬉しそうに,「お出かけになる前に配達をと思って・・・」と言われた後,「旦那さんは,いかがですか」とも。少し前に,書留郵便の再配達に見えた時,夫が入院していて,毎日午後神奈川県の病院に面会に行っているので,午後書留を受け取ることができないという話をしたことがあったので,覚えておられたよう。
送り主に郵便が届いたことをメールで連絡した後,11時に事務所を出て,有楽町から東京駅に。
11時29分発の快速に乗れて,千葉へ。
お天気が良いので,歩いて裁判所へ。
12時45分に裁判所に到着。
1時10分からの期日。
若い原告代理人が間違えて,被告席に座ってしまったので,書記官から,「先生,あちらです。」と言われて,反対側の席に座りなおし。記録だけ手に持って行ったが,鞄やコートは被告席に置きっ放し。書記官が,それら荷物を原告席に移した。
その事件の後,私が原告代理人の事件の第一回期日。
次回から弁論準備手続に。
依頼者は,申告書の作成が間に合わなくなりそうとのことで,今回は欠席。
帰りも駅まで徒歩。途中,「デニーズ」でランチをいただいた。
昔,裁判官会議の後の二次会でよく行って,大勢でカラオケを楽しんだクラブの前を通ったが,その看板は見当たらなかった。
事務所に戻ったのは,3時45分頃。
まず,依頼者に報告のメールと電話。
その後,会計ソフトへの入力作業の続き。なんとか決算まで済ませることができたが,その作業の過程で,会計ソフトのバージョンアップをまだ済ませていなかったことに気付き,ホームページを開いて,その手続。ソフトのダウンロードの方法でバージョンアップが可能と考えていたが,申込みの手続を済ませた後,2営業日後の日に発送してこちらに届いたソフトからのインストール,そして,旧判のデータのコンバータという手続になることが判明。なんとか15日に届くかも知れないが,それからの作業で間に合うかどうか心配(面会を休まなければならなくなってしまう)。
23年用のソフトで24年分の決算書はできているので,税務署から送られてきた申告書の用紙に手書きで記入する方法で,作成してしまった方がよさそう。
会計ソフトの会社から届いたサポート関係の文書を良く読まないうちに,ロッカーに入れてしまったのが失敗の原因。
来年は,早めにバージョンアップを済ませておくようにしたい。
これから,明日の午前の事件の証拠説明書の作成と明後日提出予定の準備書面の起案。
今夜は,帰宅後,徹夜になるかも。
今日は,気仙沼の弟の誕生日。
大変でしょうが,これからも,元気で,頑張ってネ。
■[弁護士業務][療養日誌]3月11日 闘病第655日目 鶴巻療養病棟269日目 東病棟142日目(内容証明郵便、途中駅での法律相談、お向かいのベッドはまた無人に、意見書の直送)
今朝も早めに出勤。
既に起案済みの内容証明郵便を印刷、押印後、別件の内容証明郵便の起案をして、依頼者への送信。間もなく、OKとのメール。
被通知人の親権者父母のうち母の住所の表示を「同所」と記載したのは駄目とのことで、事務所に戻って、補正後、印刷のし直し。
もう一度、郵便局へ。
11時40分頃差出しが済んで、東銀座から新宿へ。
駅構内のパン屋さんで、昼食後、小田急線の急行に乗って、相模大野で下車。
改札口に着いたのは、1時40分頃。
周りを見渡したが、車椅子の方はいなかったので、改札口の前で待つことに。
5分ほどしてから、伺っていた携帯電話に連絡したら、すぐ傍のベンチに杖を持って座っておられた方が○○さんと分かって、付添いの息子さんと一緒に喫茶店へ。
お話を伺った後、いろいろ説明して、法律相談を終えたのが、4時。
お二人と別れて、小田原行きのホームへ。
4時15分発の小田原行きの急行で、鶴巻温泉へ。
病院到着は、4時45分。
夫は、お風呂の後で、昨日私がお風呂用の袋に入れておいた木綿の肌着と白地にエンジの縞模様のTシャツを着て、元気そうな顔で、ベッドの上に居た。
右足のガーゼの当て方から、皮膚科の医師の診療も受けたらしいことが分かった。
お向かいのベッドは、無人に。
容態が更に悪くなって他の病院に転院されたのだろうか。
明日は、午後千葉地裁なので、面会はお休みと夫に説明したら、寂しそうな表情に。
明後日も、午前中は東京高裁、午後は東京地裁と忙しいが、「面会は大丈夫。どちらの事件もうまくいっているので、楽しみ」という話をしたら、今度は、嬉しそうな顔に。
6時15分に「元気でいてね」と言って、エレベータへ。
こちらをじっと見ている夫に手を振って、お別れ。
事務所に戻ったら、14日までに準備書面と書証の提出をと言われていた遠方の裁判所の事件の相手方代理人から、当方からの求釈明と調査嘱託の申立てに対する意見書直送のFAXが届いていたので、依頼者に電話で記載内容を報告して、対処のしかたについて説明した後、FAXも。
その後、明日千葉へ持参する書類の準備などをしてから、最終のバスで帰宅。
午前2時半まで準備書面の起案。
2013-03-11
■[弁護士業務][療養日誌]3月10日 闘病第654日目 鶴巻療養病棟268日目 東病棟141日目(電話も必要、爪で掻いては駄目ヨ、強風)
今朝もいつもの時刻に出勤。
会計ソフトへの諸経費の入力作業が一段落したところで、メールの確認をしたら、昨日病院へ出かける際、届いていた書類を依頼者宛に急ぎ郵送し、病院から戻ってから、郵送のお知らせのメールを送信した依頼者の○○さんから、「書類を送ってもらえなかったら困る、どうしたらよいか」との相談のメール。
昨晩のメールが届いていないよう。
携帯電話にダイヤルさせていただいて、書類をお送りしたこととメールでの連絡もさせていただいていたことを話し、メールが届かなかったのは、こちらのパソコンに不具合が生じていたのかも知れないと申し上げて、お詫び。
その後、先日電話で相談したいと言って来られた方からの電話。
車椅子とのことなので、事務所までおいでいただくのは大変。入口の階段も昇れないかもしれないので、どなたか付き添いしていただける日に、小田急線の○○駅で、お会いして、お話を伺うことにしましょうと申し上げていたところ、明日なら大丈夫との連絡。
病院へ面会に行く途中、○○駅で下車して、午後2時に改札口で、お会いすることにした。
いつもの時刻に事務所を出て、病院へ。
4時2分到着。
夫は、元気だったが、腕まくりしていた右手の新しい赤斑を爪で掻いた後が、痛々しい。
水の注入に見えた夫の担当の看護師さんが、「明日、皮膚科の先生に診ていただきます」と言っていた。
今日は、ベッドの脇のテレビで、震災後の被災地の状況についての番組と初場所のお終いの方を夫と一緒に視聴。
6時に、もう要らない冬物の衣類2袋を持って、「また明日。痒いところ、黴菌が入るといけないから、爪で掻かないでネ」と言って、エレベータへ。
知らん顔をしていた夫だったが、エレベータの前から病室を見たら、こちらに顔を向けて、いつものようにじっと見ていたので、手を振ってお別れ。
事務所に戻ったら、○○さんから「メールアドレスを変更」というメール。昨晩のこちらからのメールを苦労の末受信されたよう。
すぐに返信。
最終のバスに乗って、買物のため、1つ前の停留所で下車。
銀座四丁目の停留所では気がつかなかったが、とても風が強くて、寒くなっていた。
トイレットペーパなどを、ハッピー買物券2枚使用して買った後、店を出たら、物凄い風。
58階建てのマンションの前は大変。
吹き飛ばされそうになるのを、懸命にこらえながら、何とか無事に、警察署の前の交差点に。
戻ってきたパトカーの脇で、青信号になるのを待って、交差点を渡り、急ぎ足で自宅マンションへ。
エントランスの警備のおじさんから「お疲れ様でした。大変な強風のようですが、大丈夫でしたか。」と声を掛けられた。
2013-03-09
■[弁護士業務][療養日誌] 3月9日 闘病第653日目 鶴巻療養病棟267日目 東病棟140日目(連絡ついて,本日打合せ,歌の翼に)
朝出勤したら,〇〇さんからのメール。
こちらから送信したメールの一部が届いていなかったよう。
電話を掛けて,お話。
本日病院の帰りに〇〇駅前でお会いすることに。
それからその関係の書類の作成。
すべての準備が整ったのが10時半。
その後,会計ソフトへの入力の続き。
11時半に事務所を出て,病院へ。
1時33分到着。
ステーションに声を掛けて,「コーラスのコンサートに行くので,車椅子への移乗をお願いします」と言ったら,昨日「ガーゼの交換予定」と言われた看護師さんが来てくれて,ガーゼを交換した後,介護士さんと一緒に,夫を車椅子へ。
伸びた髪をヘアブラシで整えた後,車椅子を押して,南別館6階の多目的ホールへ。
窓際の最前列に並んで座らせていただけた。
その時,右後から「遠藤さん」という声。
暫く前に,西病棟でご一緒だったお母様と一緒に,夫の病室に来てくださったお嬢様。
2時を少し過ぎたところで,演奏開始。
「歌の翼で欧米へ」
合唱 アンサンブルはまゆう
ピアノ 渡邊純子
指揮・司会 永井静子
第一部は「この国・この歌」というタイトルで,欧米各国の歌。
第二部は,「花の歌」というタイトルで,花の歌ばかり5曲を皆で合唱。
どれも大好きな曲ばかり。美しく,温かい女声コーラス。
「歌の翼に」は,最初,指揮者の方(秦野市在住の声楽家)が,原語で独唱(ソプラノ)され,その後,日本語の歌詞による合唱。
(独唱)http://www.youtube.com/watch?v=Z4cGvmU04i4(七田紀子)
http://www.youtube.com/watch?v=OMdxv3hxc2g(鮫島有美子)
(合唱)http://www.youtube.com/watch?v=gBTX3kdgr2E
2部の全員合唱では,「花は咲く」も。本当に良い歌・・・
http://www.youtube.com/watch?v=hGNEIPOCllE
夫は,途中で少しウトウトしていた(看護師さんのお話によると、昨夜は、赤斑部分の痒みで良く眠れなかったそう)が、久し振りのイベントで,嬉しそうにしていた。
3時15分頃,病室に戻って,ベッドへ。
今日は,お向かいのベッドに奥様とお嬢様の面会。
おむつ交換の間,1階のロビーに行ったら,お向かいの奥様も見えた。
ご主人は,この病院に入院されてから,8年とのこと。夫より年上。
「15年程前の大手術の前に,当時入院していた病院の医師から,手術は止めた方がよいのではないかと何回も言われたのですが,やってくださいとお願いしました。何年も先になってきっと後悔しますよとも言われましたが,後悔などしておりません。」などというお話を伺った後,一緒に病室へ。
とても優しい口調で,ご主人に声を掛けておられた。
私は,4時に,ぐっすり眠ってしまった夫に,「また明日」と声を掛けて,エレベータへ。
途中,信号機の故障だそうで,電車が止まったり,各駅停車に変更されたりして,5時半過ぎに,漸く、〇〇駅に到着。
〇〇さんに電話して,近くのレストランで,打合せ。1時間ほどで終了。
事務所に8時過ぎに戻って,昼間の仕事の続き。
今晩郵便受けに届いていた○○市○○区役所からの郵便で、随分長くかかっていた申立て準備事件の被告予定者全員の現住所の確認作業が完了(死亡と判明した方も)。
■[弁護士業務][療養日誌]3月8日 闘病第652日目 鶴巻療養病棟266日目 東病棟139日目(答弁書提出、摂食リハビリ担当者の交代)
いつもより1時間早く事務所に出たら、顧問会社の社長からのメールが届いていた。売掛金の滞納案件関係。
返信。
急ぎの事案について、一昨日、打合せの期日をとメールで連絡した依頼者からのお返事がまだなので、もう一度メールでお願い。
そのほか受任事件についての必要な諸連絡を済ませた後、9時10分に事務所を出て、裁判所へ。
10時から地裁○○部で弁論準備期日。
期日終了後、依頼者と一緒に銀座まで来て、お別れした後、銀行に寄ってから、事務所へ。
お願いしていた正午になっても、昨日依頼者に送信した答弁書案についての連絡がないので、電話してみたら、メールをまだ見ていなかったそう。2時まで事務所にいるので、見ていただいてから連絡をとお願い。
1時半頃、電話で「見たけれども、見慣れない文章で、よく分からない」とのこと。「先日の打合せで、伺ったとおりのことを書いたものです。誤記などあれば、後で訂正することは可能ですから、取り敢えず、この内容で提出させていただきたいと思います。よろしいでしょうか。」と言ったら、「そうしてください」というお返事。
急ぎ答弁書を印刷。送付書の作成、押印など済ませてから、裁判所と原告代理人宛にFAX送信して、本日提出期限の答弁書の提出完了。
2時5分に事務所を出て、病院へ。
4時3分に到着。
夫は、元気だったが、右足の裏の幅7mm位、長さ7cm位の水ぶくれは、中が無色だったのが、赤黒くなっていて、更に痛々しい状態に
(ガーゼを止めていたテープの一部が無くなっていて、半分むき出しの状態)。
水の注入開始の際、看護師さんが、「後でガーゼの交換に伺います」と言われたが、忘れてしまったのか、私のいた間は、そのまま。
5時半頃、言語聴覚士さんが、2人見えて、担当者交替のご挨拶。
摂食リハビリは、1週間に1回、していただいているそう。「遠藤さんのご協力が得られた時、湯呑み(自宅で使用していた大きなもの)で、とろみをつけたお茶を飲んでいただいています」とのこと。
6時に「また明日」と言って、エレベータへ。
上の階で「延長」ボタンが押されたのか、暫く待ったが、その間、はるかかなたに見える夫の顔は、ずっとこちらを見ていた。
漸くエレベータが開き、夫に手を振って、お別れ。
8時半頃、事務所到着。
打合日についてのメールの再送をした依頼者からの返信はなし。
顧問会社の社長さんからは、お願いした取引先の登記事項証明書のFAXとメールが届いていたので、その関係の返信。
申告書作成準備作業の続きなどした後、最終のバスで帰宅。
今日は、とても暖かい1日でした。
明日は、午後2時から病院の多目的ホールで、ボランテアのコーラスグループの演奏会があり、その入場券をいただいていて、夫と一緒に聴かせていただくことになっているので、11時半頃事務所を出て、病院に向かう予定。
2013-03-08
■[弁護士業務][療養日誌]3月7日 闘病第651日目 鶴巻療養病棟265日目 東病棟138日目(答弁書案、胃ろうカテーテルの交換)
今日は随分暖かい。
いつもの時刻に出勤。
明日提出予定の答弁書の起案の続き。
10時半頃出来上がって、依頼者にメール添付の方法で送信。誤記などがあったら、明日の正午までに連絡をとお願い。
その後、申告書作成準備作業の続き。
12時45分に事務所を出て、病院へ。
義妹が3時に面会に来てくれる予定なので、それまでに着くようにというもの。
3時ちょっと前に到着。
夫は、入浴中で、ベッドにはいなかった。
お向かいのベッドに新しい患者さん。
点滴中で、酸素吸入のマスクも。
間もなく夫が戻ってきて、ベッドへ。
介護士さんから、右足の裏に水ぶくれが出来ていたと教えられた。赤い斑点がいくつも。
看護師さんから、3時半に「お腹のチュ−ブの交換をさせていただきます。」というお話。胃ろうのカテーテルの交換だ。
3時15分頃、義妹が到着。
3時半に主治医と看護係長さんが見えて、胃ろうカテーテルの交換。
あっという間に終了。
その後、義妹と南別館6階のラウンジへ行って、コーヒーを飲みながらお話。義妹持参の白松ケ枝最中もいただいた。
夫の病室に戻ってから、ベッドの横で、いろいろお話。その間に、水と栄養の注入。
6時15分頃、「また明日」と言って、義妹と一緒にエレベータへ。
こちらをじっと見ている夫の顔が、小さく見えたので、手を振ってお別れ。
新宿で義妹と別れて8時半頃事務所へ。
依頼法人からメール。
何かと思ったら、1月と2月分の源泉所得税の控除額が少なかったので、3月分から控除させていただきますというもの。震災復興の関係の所得税の増加分の控除をしていなかったそう。
私も気付かなかった。
〇〇銀行の口座に,本日,説明どおりの額が振り込まれていたことを確認。
明日の10時からの事件の準備をしてから、最終のバスで帰宅。
2013-03-07
■[弁護士業務][昔の勤務先の仲間][療養日誌]3月6日 闘病第650日目 鶴巻療養病棟264日目 東病棟137日目(お久し振り、1人で居残り、お婆さんを救助)
今日は、午前10時に、懐かしい方が、ご家続と一緒に、来所。
法律相談料はサービス。
11時半頃お帰りに。
その後、申告書作成準備作業の続きなど。
午後2時に事務所を出て、病院へ。
4時2分到着。
夫に「お母さん元気だった」と報告。
兄弟姉妹との話合いの内容も簡単に説明。
現在の病室は、4人部屋だが、1つのベッドは空いていて、3人。
2人の方が、夕食会の席に連れて行かれた後は、夫が1人残されて、ベッドでの水と栄養の注入。
夕食会に行けないのは、スペースに空きが無いためとのこと。
私が帰った後は、一人ぼっち。
6時に病院を出て、食料品スーパーへと、そちらの出口を出たら、薄暗い歩道の真ん中におばあさんが倒れていた。
「どうなさいました?]と声を掛けたら、「糖尿で、急に歩けなくなって」とのこと。
通りかかったおじいさんと一緒に、重い身体を起こして、漸く病院の石垣に腰掛けさせた後、お住まいが近くにある(電話はない)とのことなので、おじいさんが家族を呼びに行っている間、私が、おばあさんの身体が倒れないように支えていた。
10分ほどして、自宅は留守だったようで,お隣の方が見えたが、1人では無理ということで、息子さんを呼びに。
その後。息子さんも見えて、無事、おばあさんの引渡し完了。
糖尿病に詳しいおじいさんのお陰で、適切な対応ができて、良かった。
おじいさんは,「私もいつ他人のお世話になるか分からないので」とおっしゃっていた。
事務所に戻ったのは、9時少し前。
13日に口頭弁論期日が開かれる高裁民事1部から、甲号証の証拠説明書も提出してくださいという事務連絡のFAXが届いていた。
被告の答弁書は、本日病院に出かける前にFAX送信の方法で受領。内容は、本案前の主張のみ。
2013-03-05
■[弁護士業務][療養日誌]3月5日 闘病第649日目 鶴巻療養病棟263日目 東病棟136日目(栄養の話、いろいろな郵便とFAX)
午前6時半の始発のバスに乗って、東京駅へ。6時50分に切符受取り。
暫く新幹線待合室で休んだ後、ホームへ。
お弁当を買ってから、乗車。
仙台到着の直前、義妹と会って、一緒に下車。
間もなく盛岡からの義姉も到着して、3人で東口の駐車場に。
義弟が待っていてくれて、そのまま特養へ。
特養の前には、上の義妹夫婦が待っていてくれて、旦那さんは、「おばあちゃん、随分元気になったね。」と言って、帰宅。
4人で、義母の部屋へ。
ベッドの横に義兄。
次々義母に話し掛け、義母は、嬉しそうな表情で、応対。
下の義妹が、掛け布団の中の手を握ったら、「つめたい」と言った。
面会の後、義兄の自宅で、話し合い。
昨日受け取ったという書類について、どのような回答をするのが適当かということや、今朝までに上の義妹が確認した特養に戻ってからの栄養の与え方では、また栄養不足になってしまうのではないか、どうしたらよいのかということなど。
一応の結論が出たところで、私は、お先に失礼して、義弟の車で、泉中央駅まで送ってもらった後、地下鉄で仙台へ。
そして、1時42分発の「やまびこ」で東京へ。
事務所に戻ったら、いろいろな郵便とFAX。
昨晩急に仙台に行くことになってしまったのでとお願いした、今朝書類を届けていただく予定だった依頼者からの速達便
弁護士会照会請求の回答書(照会先は司法書士、僅か3行の回答書なのに、手数料5000円と消費税の請求書が添付されていたのにはびっくり。早速依頼者にFAXと電話。
昨日お願いしてあった、依頼法人からの源泉徴収票(前に送ってくださっていたようなのだが、見つからなかったので)
警察に加害者の両親の住所、氏名などを照会中の案件について、損保会社からの「ご本人の了解を受けて」の住所、氏名の連絡のFAX(昨日、早く請求額の提示をして欲しいと言われ、こちらが、時効中断のため、本人への請求の内容証明郵便の差出しを済ませてからにしたく、目下警察に住所、氏名を照会中と説明したので、請求額の提示を早くさせるには、損保から知らせた方が早く請求額の提示を受けられると考えたよう。)。
そのほか、リブラ2通など。
メールは、40通ほど届いていたが、そのほとんどは、諸々のコマーシャル関係。
10時まで申告書作成準備作業(諸経費の入力)。
夫との面会は休み。
最終バスで帰宅。
2013-03-04
■[弁護士業務][療養日誌]3月4日 闘病第648日目 鶴巻療養病棟262日目 東病棟135日目(病院への電話)
午前中は,会計ソフトへの諸経費の入力。
新日本法規の差替えを断わったので,図書費が随分少なくなった。
午後2時に事務所を出て,病院へ。
5時過ぎに,病棟のステーションに仙台の義妹から電話がかかっているという連絡。番号を聞いていただいて,1階のロビーでこちらから電話。
義母は無事退院して,特養に戻ったが,明日中に結論を出して,特養に回答しなければならない大問題が発生したことから,相談したいので,「明日マコチャンのお見舞いかたがた,兄と弟と私の3人でそちらの病院に行くことにした」という内容。
明日も急ぎの仕事の予定があり,大勢で来られても私の方が大変なので,結局,私が午前中の早い時刻に仙台に行って,午後早めに帰京し,夫との面会は休むことにした。
夫に事情を説明して,いつもより15分早く病院を出て,事務所へ。
メールの確認と返信を済ませた後,えきねっとで新幹線の指定席の予約。7時32分発,9時17分仙台着のはやての予約が取れた(普通席のとくだ値はなし)。
義弟に到着時刻を連絡したら,盛岡の義姉と東久留米の義妹も来ることになったそうで,到着時刻を私と同じ頃にするよう連絡してくれるそう。
朝寝過ごすといけないので,いつもより早い11時半に就寝。
■[弁護士業務][療養日誌]3月3日 闘病第647日目 鶴巻療養病棟261日目 東病棟134日目(打合せ,義姉からの伝言に夫がキリッ)
少し早めに出勤。
会計ソフトへの入力の続き。
11時に依頼者の〇〇さんとそのご主人が来所。
先日の連絡では,資金難の状態になって,困っているということで,心配していたが,28日に遅れていた入金があったそうで,一安心。
当面必要な打合せを済ませて,正午前にお帰り。
2時に事務所を出て,病院へ。
看護師さんのお話によると,夫は,昨晩は眠れなかったそう(老母のことを心配していたのかも)で,眠っていた。
「お母さん元気になったわヨ。明日退院の予定」と言ったら,目を開けて,にっこり。
そして,また眠ってしまった。
胃ろうへの水分の注入開始と栄養の注入開始の際には,それぞれ目を覚ましたが,すぐに眠ってしまい,私が右手のマッサージをしている間も,すやすや。
6時になったので,「帰ります」と声を掛けたが,目を閉じたまま。
「盛岡のお姉さんが,ゆうべ電話で,「マコトに,リハビリ頑張って,母に会いに行けるようにならなければ駄目よと私が言っていたと伝えてください。」とおっしゃってたわヨ。」と言ったその途端,夫は,大きく目を開いて,キリッ。その後「エヘヘ」と声を出して笑った。
夫は,「ネエちゃんには頭が上がらない」とよく言っていました。
今日も,こちらをじっと見ている夫にエレベータの前から手を振ってお別れ。
2013-03-02
■[その他]3月2日 老母全快,中央区ハッピーお買物券
11時17分仙台着のやまびこで,仙台市内の個人医院に入院中の夫の老母の見舞いに。
すっかり元気になって,また丸顔に。リンゴのようなつやつやした張りのある頬。
先日,事務所にお電話いただいた看護師さんから,スプーンで口に入れてもらった栄養食を次から次へと(10回以上) おいしそうに食べていた。
口をもぐもぐさせてから,1度で呑み込んだ後,口を結んで,にっこり。看護師さんがスプーンを近付けると,口を大きく開いて,舌の上にのせてもらうや否や,また口をもぐもぐ。
こちらからの話掛けに対しても,良く分かるようで,嬉しそうな表情で,涙を流しながら,聞いてくれている。ちょっと聴き取りにくいが,時々話も。
17日の時と全く違っていて,看護師さんも嬉しそう。
そこへお隣のお部屋から,院長先生。
私が「主人に見せたいので」)と言って,デジカメで動画の撮影を始めたら,院長先生も,お隣の部屋に戻って、デジカメを持って来られてから,食事している様子を動画で撮影。
院長先生から,「奥様からのお手紙を拝見した時,涙がこぼれました。ありがとうございました。」と言われた。やはりお医者さんは,患者の命を救うためのお仕事をされたいのだと思った。
4日に退院と決まった。特養からお迎えの車を出していただけるそう。
入院の時は,救急車だったそうで,特養の職員の方々からの「〇〇さん,元気で戻って来てください」という声掛けの中,担架で車に搬入されたそう。
本当に元気な姿で戻れるようになって,特養の職員の皆さんはもとより,同じユニットの入所者の皆さんも喜んで迎えてくれることでしょう(義母は,この特養で最高齢者。毎年敬老の日のお祝いの行事では,最高齢者の家族として,義兄が挨拶しているそう。)。
義兄が、「もう少しの間入院させていただくわけにはいかないのでしょうか」と質問したら、看護師さんが,「お食事の介添えは,私よりも特養の方々の方がお上手なはずですから、心配要りませんよ。」とも。
病院を後にしてから,夫の兄,弟,上の妹と4人で(義妹の旦那さんも来ていたが、用事があるとのことで、帰宅)海鮮レストランで昼食。
その後,駅の構内の喫茶店で,兄と妹とコーヒーを飲みながら,4時15分頃までいろいろとお話。
私が特養に行った翌日の18日に集まった兄弟姉妹5人で,お葬式の内容についての相談がされたそうで,そのメモを見せていただいた。お知らせする人の氏名と電話番号まで細かく書かれていた。
いつかは,その日が来るはずですが,当分は大丈夫そう。
お二人と,笑顔で,お別れ。
新幹線の仙台への到着が遅れて、東京駅に着いたのは7時過ぎ。
事務所には、7時半頃戻った。
義弟、義兄、義妹の順序で、お礼の電話をした後、盛岡の義姉と東久留米の義妹に報告の電話。
お二人とも、とても喜んでいた。
義妹は、木曜日に夫の病院に面会に来てくれるそう。
皆さんへの電話を済ませてから、メールの確認をしたら、遠方の依頼者から、受任事件とは、全く別のことについての問い合わせ。
その回答を入力していたら、忽ち時間が経過して、豊海水産埠頭行きの最終バスの時刻を越えてしまった。送信後、急ぎ事務所を出て、深川車庫行きの最終バスに乗って、勝どき橋南詰で下車、勝どきびゅうタワーのショッピングセンターに寄って、敬老の日に区からのお祝いとしていただいたお買い物券(有効期限は今月末、いただいたのは、夫の分が8000円、私の分が3000円で合計11,000円,そのうち使用済みは、500円だけだった。)で、あんころ餅など買って、500円券をもう1枚使ってから、徒歩で帰宅。
一昨年の敬老の日のお祝いにいただいたお買い物券合計6000円は、うっかりしていて、有効期限を徒過させてしまい、勿体無いことをしてしまったので、今回は、使い切るようにしなければ。
■[弁護士業務][昔の勤務先の仲間][療養日誌] 3月1日 闘病第645日目 鶴巻療養病棟259日目 東病棟132日目(懐かしい方からの電話、音楽教室、クロちゃんとご挨拶)
出勤して間もなく懐かしい声の電話。
山一入社1年目の職場でご一緒だった○○さん。2年目にそれぞれ兜町の本社に移ってからも、食堂などで、よくお会いして、ずっと仲良くさせていただいていたが、結婚して退職されてからは、年賀状だけのお付合い。
来週事務所においでいただくことに。
いつもの時刻に事務所を出て、4時2分に病院に到着。
エレベータを降りて、右の方を見たら、夫が音楽教室に参加していた。
病室に行かず、そのまま夫の右後ろに。
久し振りの参加でとても嬉しそうにしていた。
春の歌をいくつも歌って、4時半に終了。
折角車椅子に腰掛けられたのに、すぐベッドでは可哀想と考えて、1階の石庭の見えるロビーまで行って、水槽のクロちゃんとご挨拶。「今日はクロちゃん、マコちゃんですよ」と言ったら、夫が「クスッ」と笑った。
その後、病室に戻ったら、初めてお目にかかった女性の看護師さんが、介護士さんと一緒に見えて、夫をベッドに。
「今日から遠藤さんの担当になりました」というご挨拶。
看護師さんが夫に声を掛けたら、夫は、笑顔で応対。
人見知りも大分改善されてきたよう。
「明日は仙台なので、面会はお休み」と言って、6時にエレベータへ。
じっとこちらを見ている夫にエレベータの前から何度も手を振って、お別れ。
2013-03-01
■[弁護士業務][療養日誌]2月28日 闘病第644日目 鶴巻療養病棟258日目 東病棟131日目(丁寧なのにびっくり、両足の屈伸 新幹線の予約)
いつもより1時間早く出勤。
まず、今日が期限の弁護士国保組合の保険料2か月分48,000円の振込み(12月までは、夫が48,000円、私(家族)が24、000の合計72,000円だったが、夫が後期高齢者になったので、私が組合員に。)。
今日は、1月4日に東京家裁に申し立てた家事調停の第一回期日。
家事事件手続法になってから初めての家裁での期日。
当事者の入室、退室の際、調停委員と修習生が全員起立するなど、当事者に対して、非常に丁寧になったのにはびっくり。
弁護士会館の面談室での期日の後の打合せを済ませてから、銀座通りの郵便局に寄って、事務所の電話料金の支払い(約4万円、タウンページの広告料金を含む)と夫の後期高齢者保険料2ヶ月分1000円(安いのでびっくり。助かります。)の納付を済ませて、事務所に戻ったのは1時ちょっと過ぎ。
2時に事務所を出て、病院へ。
夫は、お風呂の後。
今日も、枕から首を上げたり、左足の膝を立てたりしていた。
私が、右足の屈伸を10分ほど。
6時に「また明日」と言って、エレベータへ。
じっとこちらを見ている夫に手を振って、お別れ。
8時半頃、事務所に到着。
メールの確認をしたら、某マンション管理会社の次長さんから、強制執行関係の質問。相談料が必要ということでしたら請求してくださいと付記されていたが、すぐ答えられる簡単なことだったので、無料で回答。
係属中の事件の依頼者からの質問のメールも。
返信のメールを入力していたら、仙台の義弟から、仙台には2日の何時に着くのかとの質問の電話。「帰宅してからえきねっとで予約の予定」と言ったら、「兄貴と○○子に連絡しなければならないので、早く知らせて欲しい」とのこと。
時刻は9時半を過ぎていて、最終バスの時刻が気になったが、なんとかえきねっとでの予約が出来、義弟に仙台着の時刻を連絡。駅まで車で迎えに来てくれるそう。
10時18分の最終のバスに間に合って、帰宅。