2013-02-28
■[弁護士業務][療養日誌]2月27日 闘病第643日目 鶴巻療養病棟257日目 東病棟130日目(「契約更新」、今日も面会、確定申告の準備)
いつもの時刻に出勤。
まず、事務所の家賃などの振込み。
長いこと空いているフロアもあるので、大家さんも大変でしょう。
夫が元気だった頃は、夏休みと正月休みの前日、事務員と3人で、地下のお好み屋さんに行って、フルコースをいただいてから、大家さんの社長さんにご挨拶ということをしていたが、夫が入院した後、事務員も居なくなり、面会の後、毎晩事務所に戻るのは9時近くというようなことで、お店でお好み焼きをいただくこともなくなってしまった。
昼の時間に、某NPO法人から電話。
「先生の契約更新の件、先生からのご提案の内容で認められました」という連絡の電話。
正確には、契約更新ではなく、弁護士報酬の決め方の変更なのだが・・・。
これまでの月々の定額報酬を半分にして、裁判手続の手数料はいただく(訴訟事件の報酬金はなし。これまではすべて無料)ということにしていただいたもの。
いつもの時刻に病院へ。
今日は仙台に行くかもと言ってあったので、夫がびっくりしたような表情。
ロビーでのお食事会の席に空きがないとのことで、夫の食事(胃ろうへの栄養の注入)は、今もベッド。
今日は、かなり長い時間、枕から首を上げて、ロビーの方を眺めていた。
早くあちらの席に戻りたいと考えているのであろう。
6時に「また明日」と言って、エレベータへ。
こちらを見ている夫に手を振って、お別れ。
事務所に戻ってから、確定申告の準備作業の開始。
今年は、早目に申告できるようにしたい。
2013-02-26
■[弁護士業務][療養日誌]2月26日 闘病第642日目 鶴巻療養病棟256日目 東病棟129日目(弁護士会照会請求書提出,若返ったような夫,102歳の義母も順調に回復)
今朝は,いつもより15分程早く出勤。
10時から11時半まで打合せ(交通事故関係)。
その後,仙台の義弟に電話して,病院に伺う日についての医師との調整を依頼(第一希望1日,第二希望27日)。
その後,弁護士会に行って,照会請求書の提出。
そのまま霞が関から丸の内線で新宿へ。
小田急線の改札口の手前のお蕎麦屋さんで昼食(鴨肉力蕎麦530円)。
1時59分発の藤沢行きの快速急行に乗って,相模大野で小田原行きの急行に乗り換えて,鶴巻温泉へ。
病院には,いつもより1時間早い,3時2分に到着。
今日の夫は,目を開けて,テレビを見ていた。
12月のノロウィルス,更にインフルエンザ対策で,ずっと理髪がなく,髪の毛が随分伸びてしまったが,黒い毛が増えて,随分若返ったように見える。
左手のマッサージ。
5時に,「明日仙台のお母さんのお見舞いに行くことになるかも知れないので,その場合は,面会はお休み」と説明して,エレベータへ。
事務所に戻ってから,仙台の義弟に電話したら,
「お袋,今日は話をするようになりました。先生から,口から食べられるようになりそうと言われました。きみ姉さんが来て,先生のお話を伺いたいと言っているが,いつがよいでしょうかと伺ったら,土,日でも結構と言われたので,2日の土曜日にされたら。」という話。
そういうわけで,仙台行きは2日(土)ということに。義兄と義妹にも会えるよう,声を掛けておいてくれるとのこと。
それにしても,義母の回復の程度は予想していた以上のもの。義弟は「さすが医者。特養に戻ってからも,この先生が嘱託医として,定期的に来て診てくれるので,これからも安心」と喜ぶとともに,「やっぱり,医療を受けさせなければ駄目なんですね。点滴の容器に1320Kcalと書いてありましたよ。」とも。
■[弁護士業務][療養日誌]2月25日 闘病第641日目 鶴巻療養病棟255日目 東病棟128日目(老母が目を開き、呼び掛けに声を出して返事という看護師からの連絡、よく眠る人、深夜のメール)
いつもの時刻に出勤。
大詰めを迎えている遠方の事件の求釈明書と調査嘱託の申立書をFAX送信の方法で提出。
その後、弁護士会への照会請求の準備。
出来上がった文書の写しをまず依頼者にFAXして、11時までにお返事いただければ、(病院に行く前に)本日弁護士会に提出できると連絡。
11時半を過ぎても連絡が無いので、電話したら、まだ見ていないので、提出は待って欲しいとのこと。
義母の病院の看護師さんから電話。
今日は、「遠藤さん」と呼びかけたら、目を開けて、声を出して、返事したそう。
「先生が、お話したいと言っている」ということなので、「近いうちにお伺いします」と返事。
いつもの時刻に病院へ。
夫は、お風呂の後で、鶯色のTシャツに着替えて、気持ち良さそうに眠っていた。
「お母さんが、目を開けて、看護師さんからの呼び掛けに、声を出して、返事したんですって」と言ったら、ぱっちり目を開いて、嬉しそうな顔に。
その後も、ずっと気持ち良さそうに、眠り続け。
靴下を履いていなかったので、履かせたが、その際、足の指の爪が随分伸びていたので、爪切り。
水分の注入が開始された後、右手のマッサージ。
6時に、夫に「また明日」と声を掛けてから、エレベータへ。
8時20分頃、事務所に戻った。
依頼者お二人から、すぐにOKとは言えない内容のお願いのメール。
お一人には、事務所においでいただいて説明を伺ってからどうするか考えることにしたいと返信。
もうお一人には、私の考えを詳しく説明したメールを送信したところ、下半分が文字化けしていて読めないとの連絡。
再送信したが、また同じとの連絡。
時計を見たら10時10分近く。
最終バスに乗り遅れてしまうので、その旨記載したメールを返信して、ひとまず帰宅。
自宅のパソコンには○○さんの携帯電話のアドレスの登録はなし(パソコンのアドレスの登録はあるが、随分前にパソコンは故障したという連絡が届いて、それ以来○○さんの携帯電話での連絡だけに)。
USBスティックに登録されていたメールのファイルを漸く探し出してから、改めて、説明を記載したメールの送信を終えたのは零時過ぎ。遅くなってしまったので、恐らくお休みになってしまったのでしょう。パソコンの前で、暫く待っていたが、お返事はなし。
午前1時半に就寝。
2013-02-24
■[弁護士業務][療養日誌]2月24日 闘病第640日目 鶴巻療養病棟254日目 東病棟127日目(東京マラソンの日の打合せ,義母は元気に)
今日は東京マラソン。
いつもの時刻に出勤。
10時から家事事件の打合せ。
依頼者から,雛祭りの京菓子をいただいた。
もうすぐ桃の節句。
雛人形を飾らなければ・・・
打合せが済んでから,仙台の義弟に電話。
義母が入院している病院は,住まいから15分程だそうで,毎日面会に行っているそう。
すっかり元気になって,看護師さんから,「どこも悪くありません。大丈夫ですよ。」と言われているそう。
19日に,医師から,「10日くらい様子をみましょう。」と言われたので,「3月初めには退院して,特養に戻れると思います。その後,どうするかはこちらで相談して決めることになりますが,どうするか決まったらお知らせします。」と言われたので,「私も,意見を述べさせていただきたいので,近いうちに時間の調整をして,そちらに伺わせていただきます。」と言っておいた。
(追記)
いつもの時刻に病院へ。
4階でエレベータを降りて、病室へ向かう途中の掲示板に、「インフルエンザは21日に終息」と記載された貼紙。
ベッドの夫への第一声は、「お母さん、元気になられたそうよ」。
間もなく見えた看護師さん(看護係長)が、「アラ、またバルーンが右側」と言われて、左側に吊るし換え。
15分ほど経ってから、廊下で、「遠藤さんのバルーンは、常時左側に」という声。
今日の夫は、疲れていたのか、私が居た約2時間の間ほとんど眠っていた。時々軽いいびき。
6時5分に「また明日」と言って、エレベータへ。
扉の前から顔が見えず、ボタンを押して、下へ。
銀座四丁目の停留所で、最終バスを待つ間、とても寒く、シルバーパスを持っていた左手がかじかんでしまった。
■[弁護士業務][療養日誌]2月23日 闘病第639日目 鶴巻療養病棟253日目 東病棟126日目(警察への照会など、胃ろうのカテーテルの交換)
事務所に出て、最初の仕事は、4月初めに満3年になる傷害事件(当方は被害者)の検討。
損保会社の担当者から、こちらが将来必要となりそうと言っている治療費も支払うから早く請求額の提示をして欲しいと言われていたので、依頼者から届いた諸資料に基づいて何とか積算。
しかし、単にこれを損保会社に送るだけでは足りないと考えて、警察への照会書の送付。
照会事項は、「処分又は措置の結果とその理由」「少年とその両親の氏名、本籍、住所、生年月日」。最近受け取った診断書も添付。
損保会社よりも先に、大変な怪我をさせながら、お詫びの手紙も寄こさない加害者とその両親に対する損害賠償請求の内容証明郵便の差出しからきちんとしておかなければと考えたもの。
警察への被害届け及び被害者支援の委任状の提出などは、受傷後間もなく済ませてある。
依頼者への報告のメールを送信後、病院へ。
途中、警察宛の郵便を投函。
4時2分に病院到着。
今日もベッドの右側にバルーンが吊り下げられていた。夫の右手には、老健の作業療法士さんが作ってくださったピンク色の円筒。
看護師さんが見えて、「アラ、また右に」と言われて、左側に吊るし直し。今日は、無色透明。
胃ろうへの栄養の注入が済んだところで、看護師さんに、「胃ろうの交換はまだなのでしょうか」と質問したら、「エッ?」と言って、「交換は、済んでいますよ」というお返事。
1月になってから、「6か月経ったのでそろそろ交換を」とお願いした後、「どのようなタイプにするか検討中」という説明をされたことがあったが、その後、バルーン式のボタンタイプが適当ということになって既に2回交換がされていたよう(このタイプは月1回の交換が必要)。
「奥様、ご存知でなかったのですか。」と看護師さん(この方は、廊下に掲示されている職員の一覧表によると看護師のトップに記載されているので、婦長さんのよう)。
「医師が常駐していて、いつでも交換が可能なので、ここでは、このタイプにさせていただいているのです」とのご説明。
6時に「また明日」と言って、エレベータへ。
エレベータの前で、こちらをじっと見ている夫の顔が小さく見えたので、扉が閉まるまで、手を振って、お別れ。
2013-02-23
■[弁護士業務][療養日誌]2月22日 闘病第638日目 鶴巻療養病棟252日目 東病棟125日目(分筆してから、リハビリ再開)
午前10時から打合せ。
家裁での調停を含めると、随分長くかかった事件がなんとか和解で解決できそうなところまできたが、最後にする必要があるのが、訴外の方にも協力していただかなければならない土地の分筆とその後の諸手続。
地籍測量図の作成に際しては、隣接地主との境界確認が必要。
いろいろ面倒だが、なんとかやってしまわなければということで、訴外の方への協力要請の手紙を送らせていただいたら、OKとのお返事。次は業者の選択ということになり、依頼者が地元の業者を自分で探したいと言われたので、お願いしていたその結果の報告が今日。
結局、「先生にお任せしたい」という話に。
いつもの時刻に事務所を出て、病院へ。
カテーテルの中の尿は、薄黄色の透明。
「良かった」とその写真を撮ったところに看護師さん。
やはりカテーテルの装着が良くなかったよう。
「遠藤さんの右手の指のことを知らない職員がバルーンを右側に吊り下げてしまったのが良くなかったようです。左側に吊るすよう徹底します。」というお話。
夫の右手の指は、握った状態から自力で開いた状態にするのが困難。そのため、身体の右側にカテーテルが置かれるとそれを右手で掴んでしまった時は、離せない状態になってしまい、そのまま右手を動かした際、カテーテルを引っ張ることになって、装着部位から外れてしまう恐れがあるというもの。
その後、作業療法士さんが見えて、「リハビリを来週の月曜日から再開させていただきます」という嬉しいお知らせ。
6時に「また明日」と言って、エレベータへ。
枕から首を上げて、こちらを見ている夫に 手を振ってお別れ。
2013-02-21
■[弁護士業務][療養日誌]2月21日 闘病第637日目 鶴巻療養病棟251日目 東病棟124日目(高カロリー輸液の中心静脈への点滴,胃ろうへの栄養の注入,さいたま調停協会連合会での横領事件発覚)
出勤後間もなく,義母の入所先の施設長さんから電話。
昨日嘱託医の先生に診ていただいた後,いずれも仙台市在住の長男,二女,三男に来てもらって,話し合った結果,まず高カロリー輸液の中心静脈への点滴を行なって10日くらい様子をみようということになり,その点滴は医療行為で,特養ではできないため,〇〇医院に入院の措置が取られたとのこと。
そのすぐ後に,義兄からも電話。断わりもなく,勝手なことをしてと怒っているのではと思っていたら,そんなことはないようで,優しく,穏やかな,明るい声だった。
おそらく義兄も,義母がもうすぐ亡くなるということで葬儀の準備をどうしようかなどということばかり考えて,辛く悲しい毎日を過ごしていたところ,突然,義母を死なせる目的の500ccの抹消静脈への点滴から,元気にするための高カロリー輸液の中心静脈への点滴という180度の方向転換になって,恐らくほっとしているのではないかと窺われた。
「また時間を調整して,そちらへ伺いますので,よろしくお願いします。」と言って,電話を終えた。
その後,インターネットで,高カロリー輸液の中心静脈への点滴について調べてみた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E3%82%AB%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%83%BC%E8%BC%B8%E6%B6%B2
これなら大丈夫。
経過が良ければ,胃ろうの設置をして,退院。そして特養へということになるのであろう。
間に合って,本当に良かった!
(追記)
いつもの時刻に病院へ。
夫は、お風呂の後で、さっぱりした服装。
一昨年の暮れに私の尊敬する従弟(元日経新聞編集委員)からいただいた立派な靴下を履いていた。
義母の入院について報告。
説明を聞いて、安心したよう。
看護師さんが見えて、赤斑について今日皮膚科の医師に診ていただき、また暫くの間薬の投与をということになったとのお話。
尿のカテーテルの中に溜まっていた尿の色が赤黒いので、心配と言ったら、お風呂の前は、綺麗だったので、看護師さんも、今見て、どうしたのだろうかと思ったそう。主治医の先生に報告しておくとのこと(いつものことだが、接続箇所に隙間ができているのではないかと推測される。)。
その後、新人看護師のお兄さんが見えて、水分の注入開始。
30分後に栄養の注入。
パック3個の蓋を開いて、注入用の容器に入れ終わったところで、空箱を持って、「失礼します」と病室から出て行こうとされたので、「済みません。まだ落としていただいてないのですが」と言ったら、「済みません」と言われて、チューブの操作。
私が見ていなかったら、これから1時間ほど、1滴も栄養の注入がないままになっていたところ。
初めての仕事で大変なのだろうが、もう少し落ち着いて、慎重にやっていただかないと・・・
右手と右足のマッサージをしてから,6時10分に「また明日」と言って,エレベータへ。
こちらを見ている夫に手を振って,お別れ。
事務所で仕事をしてから,最終のバスで帰宅。
夕刊に,さいたま調停協会連合会で女性の事務職員による1000万円を超える横領の疑いという記事。
http://digital.asahi.com/articles/TKY201302210102.html?ref=comkiji_txt_end_kjid_TKY201302210102
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130221-OYT1T01310.htm
2013-02-20
■[弁護士業務][療養日誌]2月20日 闘病第636日目 鶴巻療養病棟250日目 東病棟123日目(なんとか間に合いそう,ヨイトマケの唄)
事務所に出て間もなく電話。
夫の兄から。
「看護師さんが,私だったら胃ろうは付けたくないと言っている」などという話。
「主人と相談して,特養の施設長さん宛に,生存に必要な栄養と水分を与えるようにして下さいというお願いの手紙を出させていただきました。」ということなど一気に述べたら,「そうですか」と言われて,電話はおしまいに。
その後,15分程してから,施設長さんからお電話。
今日は,医師による往診があるので,その意見を聞いて適切に対処したいというお話し。
なんとか間に合いそう。
義兄も含めて,夫の兄弟姉妹5人宛に,施設長宛の手紙と写真4枚の写し及び参考資料を郵送。
http://www.ryokufuu.com/patio/read.cgi?no=6770&mode=past
http://www.nishimura-clinic.jp/kandori.html
(追記)
昼近くに,依頼法人の理事長さんからお電話。
九州にお住まいなので,長いことお目にかかっていない。何度か前の担当者が,「理事長からです」と言って,博多明太子を事務所に届けてくださった。
「お身体の方は,いかがですか」と伺ったら,「足の方が痛くて」とのこと。
何のご用かと思ったら,「最近事務局が失礼なことをしたりしていないかと心配になって・・・」というお話。「そんなことはありません。とてもよくしていただいております。」と返事。
「そうですか。安心しました。来期もどうぞよろししくお願いします。」というご丁寧なお言葉。
前の担当者が,退職される前に,私のことをとても心配してくれていたので,理事長さんも気にして下さっていたよう。
大変なご高齢のようだが,とても優しい,すばらしい方。
いつまでもお元気でいていただきたい。
2時に事務所を出て,病院へ。
4時2分に到着。
今日も,夫は,心配そうな顔で,首を枕から上げて,私を出迎え。
お向かいのおじいさんのベッドから布団が無くなっていた。
昨日は,点滴中だったが,どうされたのだろうか。
夫に,「お母さん,もう大丈夫よ。今朝,特養の施設長さんからお電話があって,栄養とお水,きちんとしてくださるそう。良かったわね。」と報告。
夫の目から涙。拭いても,拭いても,出てくる。
看護師さんが2人見えて,胃ろうへの水の注入を開始。一人は新しい方(男性)。
先輩の看護師さんが,「遠藤さん,また赤斑の状態になったので,明日先生に見ていただきます。」と言われたので,右腕を見たら,赤く膨れていた。
私が,「母のことが心配でこのようになってしまったのかもしれません。今,もう心配はいらないと話していたところです。きっと赤斑も治ると思います。」と,母がすぐに亡くなる心配はなくなったことを説明。
「それは良かったですね。」と看護師さん。
夫の目からまた涙。
その後,夫は,軽くいびきをかきながら,眠ってしまった。
6時10分に「明日また来ます」と言って,エレベータへ。
夫の母は,終戦後戦地から復員してきた父の健康状態が悪く,思うように仕事ができなかったことから,ヨイトマケの仕事を続けて,6人の子供を育ててきた人(夫も新聞配達をしたそう)。
事務所に戻ってネットのニュースを開いたら,美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」の記事。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130220-00000040-dal-ent
夫の大好きな「カアチャン」の唄なのだ。
2013-02-19
■[弁護士業務][療養日誌]2月19日 闘病第635日目 鶴巻療養病棟249日目 東病棟122日目(ロースクールの教え子,相手方の代理人との挨拶、弁論準備手続終結、6時からの面会)
今朝は,いつもより30分早く出勤。
9時半に事務所を出て,東京地裁へ。
法廷の前に立っていたら,懐かしい方が見えて,ご挨拶。
ロースクールの教え子。
昨年独立の通知を受けて,心配していたのだが,なんとか頑張っておられるようで,ほっとした。
法廷の扉が開いて,ご一緒に中へ。
私の事件が最初。
間もなくもう一人年長の弁護士さん。
事前に法曹期別名簿で調べた結果は,57期と64期。
期日が済んでから,法廷の外で,お二人と名刺の交換。
答弁書の内容には,よくもこんなことをと,憤慨したものの,今日お会いしたお二人は,どちらもにこやかな好青年でした。
裁判所の帰りに郵便局に寄って,定額小為替を購入した後,改製原戸籍の謄本の請求書の郵送。
調査対象者の現住所の確認に大変な手間がかかっている。
もう一人の人については,亡くなっていたことが判明したので,その旨依頼法人の担当者にメールで連絡。
今日は,午後3時半から弁論準備の期日で,また東京地裁。
依頼者との打合せを済ませてから,病院に行く予定。
(追記)
3時5分頃民事○○部の書記官室に到着。
出頭カードへの記入後、待合室へ。
10分ほどで、依頼者の○○さんが到着。
3時半に準備手続室へ。
今回で弁論準備手続は終結。
次回の口頭弁論期日で結審の予定。
繰り返し裁判官から「和解は出来ませんか」と言われて来て、随分長くかかったが、間もなく判決。
期日の後、いつものとおり、弁護士会館の面談室で依頼者との打合せ。
次回期日までに準備することはなし。
弁論準備手続の途中で合議決定がされたので、ほかのお二人の裁判官にお目にかかるのは、次回の口頭弁論期日が最初。
4時10分頃○○さんとお別れして、病院へ。
病院には6時頃到着。
ロビーでは夕食会。
夫は、ベッドで、水の注入中。
少し赤い顔。
額に私の冷たい手(外がとても寒かったので)を当てて、熱冷まし。
義母の入所先に郵送した手紙と写真の写しを夫に見せて、「速達なので、もう着いているはず、弁護士の二男夫婦が反対しているのに、500ccの点滴1本だけという状態を続けて、老衰と同様の状態にさせ、死亡させてしまうというやりかたを強行するということはないと思います。」などと説明して、「心配しないでね。お母さん、きっと元気になってくださるわ。」と言ったら、夫は、安心したのか、ぐっすり眠ってしまい、やがて、いびきも。
水の注入が済んでから、栄養の注入に。
7時に、「また明日」と声を掛けたが、目を覚まさないので、エレベータへ。
エレベータの中で、事件記録を入れた布袋を持って来なかったことに気付いて、もう一度病室へ。
今度は、夫が目を覚ましてくれたので、お別れの挨拶。
9時10分頃、事務所に到着。
10時18分発の最終バスで帰宅。
2013-02-18
■[弁護士業務][その他][療養日誌]2月18日 闘病第634日目 鶴巻療養病棟248日目 東病棟121日目(病院での報告と相談,仙台の施設への手紙)
今朝は,事務所に出てから,メールの確認等を済ませた後,病院へ。
午前11時30分過ぎに到着。
病室では,夫が心配そうな顔で,首を枕から上げて,出迎え。
「行ってまいりました。
お母さん,まだ大丈夫でした。
でも今のままの状態を続けていたら,どんどん萎んでいって,そう長くかからず,亡くなってしまうでしょう。」という話から,一気にしゃべって,面会の報告。
その後,どうすべきかの相談。
私が昨日から考えてきたことを説明したら,夫も異論はないようで,真剣な表情で,頷いてくれた。
手紙と一緒に施設に送りたいと言って,夫の写真を撮影。
お向かいのおじいさんとお隣のおじいさんは,それぞれ,具合が悪いのか,点滴中。
夫の胃ろうにチューブで接続されていた水分の容器が空っぽになってから,30分ほどして,栄養の注入開始。
今日の午後は,お風呂のはず。
正午に,「また明日。午前10時15分からと午後3時半からの事件があるので,明日は,6時過ぎになります。元気でいてね。」と言って,エレベータへ。
エレベータの前から見える位置に頭がなかったので,こちらの姿を見ることができないと思っていたら,夫が何回も頭を横に伸ばして,こちらを見ていた。「お母さんのことよろしく」ということなのだろう。
事務所に戻ってから,施設への手紙を起案,印刷。一緒にカラー写真4枚も印刷。
差出人は,夫婦連名に。
標題は,「〇〇〇〇への生存に必要な栄養と水分の供給のお願い」
写真は,
先ほど病院で写した夫の真剣な表情の写真。良く見たら,目に涙。
昨日の義母の姿を写した写真。
一昨年の5月に面会した時の笑顔の義母と義兄と夫の写真。
一昨年12月の老健にお見舞いに来てくれた時の義兄と夫の写真
以上4枚。
5時頃,速達にして,投函。
戻って来てから,明日の事件の準備(証拠説明書の作成など)。
2013-02-17
■[弁護士業務][大学の同窓会][療養日誌]2月17日 闘病第633日目 鶴巻療養病棟247日目 東病棟120日目(仙台へ、看取り契約書)
午前5時起床。
7時のバスで東京駅へ。
お土産用においしそうな特製ロールケーキを購入。
8時8分発のやまびこに乗車(指定席)。
10時17分に仙台到着。
仙台は、一昨年の5月に、倒れる直前の夫と一緒に義母に会いに来て以来。
地下鉄で泉中央駅へ。
バスの出発時刻を確認してから,食料品のマーケットへ。
握り寿司3人前とお墓用の生花1対を購入。
11時12分発の宮城交通のバスに乗って,永和台南で下車。
そこから徒歩で,夫の兄宅へ。
最近,夫婦でケアハウスに引越ししたそう。
少しお話して、義母の部屋の仏壇にお線香を上げた後、ケアハウスへ。
義姉が職員の方と一緒に、玄関で待っていた。「遅いので,心配になって・・・」とのこと。
ケアハウスは、義母が入所している特養と同じ建物。
最上階の2DKのすてきなお部屋。
「良く入れましたね」とびっくり。
少しお話してから,下の階に降りて、義母のお部屋へ。
義母は,随分痩せてしまっていた(丸かった顔が細長に。点滴だけになってから体重が2キロ減ったそう。)が、考えていたよりも元気そうだった。
看護師さんから,「お風呂に入られたばかりです」と説明を受けた。点滴(500cc)中。酸素マスクはなし。血圧も正常とのこと。
内臓はどこも悪くないので、胃ろうにすれば忽ち元気になるはず(口から食べられなくなった時点で、特養から、「胃ろうにしては」と言われたが、義兄が断ったそう。)。
「お母さん,きみです。」と3回ほど声をかけてから,「マコちゃんは病院にいるので,来られませんでしたが,お母さん元気になってねと言っていましたよ。」と言ったら,「ウン,ウン」と声を出した。目を瞑っていたが,話は分かったよう。
看護師さんに、義兄と夫の前で満面笑顔の義母が写っている前回の面会の時のデジカメ写真をお見せした。場所は、このお部屋。
「主人の様子が段々心配な状態になってきて、お母さんともう会えなくなってしまうかもしれないと考えて、こちらに来たときの写真です。主人は、東京に帰ってすぐ倒れて、入院してしまい、間もなく胃ろうからの栄養になり、現在も神奈川県の病院に入院しています。この時会えて良かったと思います。」などと説明。
「○○さん、とても嬉しそう」と看護師さん。
10分ほどで,特養を出て,ケアハウスのお部屋へ。
3人でお寿司をいただきながら,いろいろなお話。
「看取り契約書」というものを見せられた。
義兄からパソコンの使い方でよく分からないことがあると言われ,その説明も。エクセルで作成した表への線の引き方など。
2時40分頃ケアハウスの玄関で義姉と別れて,義兄と一緒にバス停へ。
義兄に見送られて、2時57分のバスに乗車。泉中央駅へ。
仙台駅には4時10分頃到着。
地下二階の商店街をブラブラしてから,新幹線の改札へ。
4時44分発のやまびこ(指定席)で東京へ。
事務所に戻ったのは,7時過ぎ。
義妹と盛岡の義姉に電話して,義母の様子など報告。
このままでは間もなく他界ということになるでしょうが,私としては,夫が会いに行けるようになるまで,お元気でいて欲しいと考えているということを申し上げた。
義妹からは、「もうしょうがないと思っている。」と言われたが、義姉からは、「きみさん、よく言ってくれました。」と言われた。
お二人は、明日仙台へ。
■[弁護士業務][大学の同窓会][療養日誌]2月16日
闘病第632日目 鶴巻療養病棟246日目 東病棟119日目(朝の面会 久し振りの役員会)
今日は,午後2時から大学の同窓会の役員会に出席予定のため,病院での面会を午前11時から正午までということにした。
夫は,赤い顔をして,ベッドに寝ていた。
額を触ったら,少し熱かったので,濡れタオルを額に。
看護師さんが見えて,胃ろうへの水分の注入を開始。
尿のカテーテルは,明日交換していただける予定とのこと。
夫に,明日の仙台行きのことを昨日よりも詳しく説明。
「本当は,一緒に行って欲しいの。でも,無理だわね。」と言いながら,「お母さんにお見せしたいから」と写真を1枚。
夫は神妙な顔つき。
正午に「明日は面会に来られないけど,元気でいてね。」と言って,エレベータへ。
エレベータのドアが閉まる直前,遠くに見えた夫の顔は,これまでで一番悲しげな表情。
駿河台の中央大学記念館には1時45分頃到着。
久し振りの出席で,役員の方々一人ひとりに「ご迷惑をおかけしています」などとお詫びの挨拶。
皆様優しい方々ばかりで,「先生がお元気な様子で良かった」などと嬉しいお言葉。
役員会は,4時前に終了し,近くのお店で懇親会。
6時頃閉会となり,皆さんとお別れして,事務所へ。
明日仙台に行って,そのまま帰れない状態になってしまう恐れもあるため,ロッカーに吊るしてあった喪服を紙袋に入れたり,携帯電話の充電器とデジカメの充電器を布袋に入れたりも。
最終のバスで帰宅。
バス停で,最上階の〇〇様の奥様とご一緒に。
素敵なロングドレスと毛皮のコート。
優先席に並んで,3.11の震災の時のお話。
奥様は,地震の時,バスに乗っていたそう。
酷く揺れたので,「なんて下手な運転」と考えていたら,バスが停まって,運転手さんが,落ち着いた声で「地震です」と言った後,ラジオのニュースを聴かせてくれ,乗客は,誰も騒がず,静かに,バスが動くまでじっとしていたそう。
バスを降りたら,後から3人の方。
お孫さんだそう。
ご挨拶して,マンションの中へ。
2013-02-15
■[弁護士業務][療養日誌]2月15日 闘病第631日目 鶴巻療養病棟245日目 東病棟118日目(税務代理の初仕事,仙台行きを夫に)
今日は,午前11時まで書類の再点検などをした後,11時半頃事務所を出て,都営浅草線で高輪台へ。そこから徒歩で10分程の品川税務署へ。
昨年の夏に東京国税局長に税理士業務開始の通知をしてから初めての税務代理の仕事。
内容は,相続税の更正の申出(一昨年の国税通則法の改正でできるようになった手続)。
国税庁のホームページに記載のとおり,まず相談から。
相談室で,担当の方に,簡単に概要を説明した後,持参した申出書をお見せしたら,すぐ受付けの処理をしてくださった。
税務署の玄関で,依頼者に報告の電話。
帰りは,品川駅に。
駅ビルのレストランで昼食(日替わりランチ850円)をとった後,山手線で新宿に出て,病院へ。
病院へは3時33分到着。
病室のドアは開いていて,夫のベッドのカーテンも開いていたので,元気そうな夫の顔がすぐ見えた。
お向かいのおじいさんのベッドから掛け布団が落ちていて,更に毛布まで落ちてきたのがカーテンの隙間から見えたので,覗いたら,おじいさんが何も掛けずにベッドで寒そうにしていた。
急ぎステーションに連絡。
事務の方が飛んできて,毛布と掛け布団を掛けてから,「どうして下に落としたの」と尋ねていたが,その返事はなし。
右手のマッサージを5分程。
指が少しずつ良くなってきているよう。
仙台の義母のことをどのように告げようかと考えたが,「お姉さん達が18日にお母さんのお見舞いに行くことになったので,一緒に行きませんかと誘われたけれども,仕事があるので,私は,17日に行くことになったの」ということだけ話すに止めた。
6時に「また明日。明日は,午後2時から同窓会の役員会が御茶ノ水であるので,病院へは朝の11時に来て,12時まで面会の予定。」と言って,エレベータへ。
病院の隣の食料品スーパーで食料品の買物をしてから,新宿行きの急行に乗ったが,1時間後に降りる際,網棚に上げていたスーパーの袋のことを忘れてしまい,改札を出てから気付いたが,間に合わず。
仕方がないので,ルミネに寄って,もう一度食料品の買物。
事務所に戻ったら,かなり厚いFAX。
1枚目は,午前中送信した19日の午後の事件の準備書面の受領書。
2枚目以下は,19日の午前中の事件の答弁書。
■[弁護士業務][療養日誌]2月14日 闘病第630日目 鶴巻療養病棟244日目 東病棟117日目(義兄からの電話、面会は休み、成年後見事件の研修)
朝、事務所に出かける準備をしていたら、電話。
仙台の夫の兄から。
夫の母(102歳)が食事が出来なくなり、点滴だけという状態になったので、18日に子供達が揃って会いに来ることになったが「きみさんはどうされますか」という連絡。業務日誌を事務所に置いてきたので、事務所に出てからお返事することに。
19日には午前と午後に大事な事件の期日。
18日はその関係の打合せや準備が必要ということで、17日に、管理組合の総会への出席をやめにして、仙台に伺うということを、盛岡の義姉と仙台の義兄に連絡した。
間も無く○○さんが見えて、11時半頃まで打合せ。
その途中、東京地裁民事27部から電話。
期日変更申請については、第一回口頭弁論期日には答弁書の陳述擬制が認められるので、期日の変更は認めない扱いという説明。どうしても変更をというのであれば、上申書を提出するようにとのことだったので、上申書を提出させていただくことにした。
12時15分に事務所を出て、東京地裁へ。
1時15分から境界関係の事件の第一回口頭弁論期日。依頼者2名と一緒に出廷。
打合せを済ませてから事務所へ。
郡山の事件の相手方代理人からの郵便が届いていたので、まずその関係の処理。
千葉地裁の事件の関係で、相手方の代理人からFAX。依頼者に連絡。
4時半頃までに上申書(答弁書の擬制陳述が可能ということを理由に期日の変更申請を認めないというのはおかしいということをるる説明)を作成して、27部にFAX。
間もなく、期日の変更が認められたとの連絡があり、期日請書をFAX。依頼者には電話で連絡。
午後6時半から8時半までのクレオでの成年後見事件の研修に出席。講師は東京家裁の裁判官(主任調査官と主任書記官も見えたが、お話はなし)。
銀座中央通りの吉野家で牛焼肉定食(530円)をいただいてから,事務所に戻って、明日の仕事の準備。
最終のバスで帰宅。
■[弁護士業務][療養日誌]2月13日 闘病第629日目 鶴巻療養病棟243日目 東病棟116日目(八日市場から病院へ)
今朝は、6時半のバスで東京駅へ。
そして、7時37分発の「しおさい1号」で八日市場へ(9時4分到着)。
10時半から弁論準備期日。
依頼者との打合せの後、12時半過ぎのしおさいで、東京へ。
そして、中央線に乗り換えて、新宿から鶴巻温泉へ。
病院に着いたのは、4時少し前。
前回の八日市場への出張の日は、その前日、主治医から「心臓が止まるかも」と告げられていたので、「お亡くなりになりました」という電話がかかってくるかもしれないということで、心配だったが、今回は、そのようなことはなく、夫は、ベッドで元気そうにしていた。
携帯電話に依頼者の○○さんから「明日の午前中事務所に行きたい」という留守録のメッセージ。
中庭に2回出て、電話。車中とのことで、OKとのみ返事。
「明日は、1日中仕事で、面会に来られないの。元気でいてね」と言って、5時50分にエレベータへ。
インフルエンザの感染者が増えているそうで、夫の病室でも各ベッドのカーテンは、締め切ったまま(エレベータからの挨拶が出来ないので、カーテンから出る際、手を振った。)。
事務所に戻ってから、○○さんから頼まれている仕事の関係の書類作りと明日の午後1時15分からの事件の証拠説明書の作成。
最終のバスで帰宅。
自宅マンションのエレベータで一緒になった男性の方から「いつも同じバスにお乗りなんですね」と声を掛けられた。
2013-02-12
■[弁護士業務][高校の同窓会][療養日誌]2月12日 闘病第628日目 鶴巻療養病棟242日目 東病棟115日目(先輩の訃報,反訴状提出,夫は元気に)
午前6時に起床。
パソコンを開いたら,鳩山安子さん(高校の大先輩)の訃報。
午前11時からと思っていた依頼法人の担当者が10時に見えて,1時間ほど打合せ。
12時に事務所を出て,裁判所へ。
1時までまだ時間があったので,食堂に寄って,日替わり丼(600円)をいただいた。
その後,14階の訟廷の事件受付係に行って,境界紛争事件の反訴状の提出。
1時半頃裁判所を出て,霞が関から丸の内線で新宿へ。そして,病院へ。
病院には3時40分頃到着。
エレベータを降りたら,主治医の先生が病室に入って行かれるところ。
夫の所かと思ったら,お向かいのおじいさんの診察。熱が下がらないよう。
夫は,元気にしていて,バルーンを覗いたら,普通の色になっていた。
間もなく,オムツ交換の当番の方が見えたので,暫く外に。
中庭に行って,足湯を10分ほど。
今日は少し寒いので,誰もおらず,一人でのんびりと「なごみの湯」を楽しんだ。
病室に戻ってから右手と右足のマッサージ。
5時に「また明日。八日市場からまっすぐ来ます」と言って,エレベータへ。
枕から首を上げて,じっとこちらを見ている夫に手を振って,お別れ。
事務所に戻ったら,反訴状の添付図面にと依頼者が郵送してくださった図面が届いていた。
銀座郵便局は土曜,日曜,祭日の配達がない上,平日の配達も午後2時前後。
急ぎの仕事には役に立たなくなってしまう。
メールで依頼者に反訴状を提出したことの報告と,お送りいただいた図面は今届いた(反訴状には,前にメール添付で送っていただいたPDFからのプリントを添付して間に合わせた)ということなど記載。
裁判所に行く前にこちらからレターパックで郵送した本訴の答弁書と書証及び反訴状は,明日依頼者のお宅に届くはず。
明後日が第一回口頭弁論期日,なんとか反訴状の提出まで済んで,ほっとした。
明日は,朝早くから「しおさい1号」で八日市場へ。
9時4分に八日市場に到着の予定。
期日は10時半から。
2013-02-11
■[弁護士業務][療養日誌]2月11日 闘病第627日目 鶴巻療養病棟241日目 東病棟114日目(法律相談,発熱)
今日は,午前10時から法律相談。
お客様は,元依頼者の方お一人と思っていたら,ご近所の方も一緒で,4人見えた。
皆さん,来て良かったとおっしゃって,11時半頃お帰りに。
その後,明日提出予定の反訴状の印刷など。依頼者お二人と記録用を含めて,5部作成。
昨日受任した東京地裁の事件の期日変更申請書の作成と郵送も(千葉地裁の事件の第一回口頭弁論期日と同じ日に指定されていたので)。
2時に事務所を出て,病院へ。
列車の遅れの関係で,いつもより早い急行に乗れて,3時57分に病院到着。
病室では,カーテンで周りを全部囲まれた中で,お向かいのおじいさんが「オーイオーイ」と叫んでいた。
発熱とのこと。
看護師さんから,「大きな声を出すとお熱が下がりませんよ。安静にしていてください」と言われていたが,一向に言うことをきかず。
暫くしてから,私が,カーテン越に,「他の3人に迷惑です。静かにしてください」と言ったら,「すみません」と言って,その後は,ひっそり。
夫は,赤い顔。額を触ったら,かなり熱があるよう。
洗面所でタオルを濡らして来て,額に。
ベッドの下の方を見たら,バルーンへの管の中が真っ赤。バルーンに少し溜まった尿の色も真っ赤。
丁度当番の若い男性の看護師さんが見えたので,「尿が赤いのですが,カテーテルの接続が悪くなったのではないでしょうか。」と言ったら,「遠藤さんが外してしまわれたのです」というお答え。
外れた原因よりも,外れた後,きちんと接続していただけたかどうかが心配なのだが・・・。
今日は,主治医の先生がお休みなので,きちんとしていただけるのは,明日になってからということなのだろうか。
昨年暮れの腎盂腎炎もカテーテルの接続がうまくいっていなかったところにそもそもの原因があったようなので,今回も心配。ひどいことにならなければよいのだが・・・(夜のお当番の看護師さんがベテランの女性の方なら,適切な対応をしていただけるはず)。
今日もインフルエンザ対策による面会時間の制限のため,6時に「また明日」と言って,エレベータへ。
夫は,枕から首を上げて,じっとこちらを見ていた。
エレベータの扉が閉まる直前,手を振ってお別れ。
明日も元気でいてね。
■[弁護士業務][療養日誌]2月10日 闘病第626日目 鶴巻療養病棟240日目 東病棟113日目(交通事故訴訟、相部屋)
今日は、午前10時から新件の打合せ。
歩道を歩行中の車との接触事故の被害者なのだが、故意に車に接触してきたと疑われると主張されて、債務不存在確認を求められた事件の被告の方からのご依頼。
随分酷い主張をするものである。
追って反訴を提起する予定ということにして、取り敢えず、この事件を受任。
2時に事務所を出て、病院へ。
4時2分到着。
今日も、繰り返し職員を呼び続けるおじいさんに「そんなことをしたら職員の方が可哀想ですよ」と注意。
丁度廊下を通りかかった職員の方から「ありがとうございます」と言われた。
その後、先日見えた西病棟のご家族の方が来られて、廊下で10分ほどお話。
今日は、遠方まで外出されたそう。
その理由を伺ってびっくり。
病室では、同室者との関係で、話ができない状態なのだそう。
5時10分に「また明日」と言って、エレベータへ。
枕から首を上げて、こちらをじっと見ている夫の顔は、いつも、これでもう会えなくなるかもしれないと考えているのではないかと思われるような悲しげな表情。
7時半に事務所に到着。
最終のバスで帰宅。
2013-02-10
■[弁護士業務][療養日誌]2月9日 闘病第625日目 鶴巻療養病棟239日目 東病棟112日目(インフルエンザ対策による面会制限)
午前中は,近いところに期日が指定されている事件の準備など。
あと2日休みの日が続くので,いろいろな仕事が片付くと考えていたが,出張から戻った日とその翌日,元依頼者と法律相談で見えたことのある方からのメールと電話で,いずれも急ぎの案件なので,近いところにというご希望があり,明日と明後日の午前10時からの相談と打合せの予定が入ってしまった。
午後2時に事務所を出て,病院へ。
4時2分到着。
病室の前に行ったら,これから全員のオムツの交換とのことで,暫く廊下で立ちんぼ。
お隣の方の息子さん(毎日見える方)も見えて,一緒に待つことに。
廊下を通りかかった看護師さんから,「遠くからお見えになる奥様には本当に申し訳ないのですが,インフルエンザの患者数がこのところ増えているため,また面会制限になってしまいましたので,面会時間をできるだけ短くしていただきますよう,お願いします。」と言われた。
掲示板にも,科長さんの名前で,その旨の記載。
エレベータの前に吊り下げられている紙には,面会時間15分という書き込みも。
4時半頃,病室の扉が開いたので,中を覗いたら,夫が私に気付いて,嬉しそうな顔に。
ベッドの隣に腰掛けて,インフルエンザによる面会制限の説明。
看護師さんが,お向かいのおじいさんへのお水の注入の後,夫の胃ろうへの水分の接続に。
その間,お向かいのおじいさんが看護師に来てくれとやんやの催促。「今遠藤さんのお世話なの。ちょっと待っていてね。」と言っても,呼び声は止まらず。
私が,「看護師さんは,今うちの主人の胃ろうへの水分の接続と言う大事なお仕事をしている最中なの。少し静かにしていてください。」と言いに行ったら,「どうもすみません。」と言って,看護師さんへの呼び掛けをストップ。
しかし,その後もまたすぐに昨日と同じ状態に。
4時40分に,もう一度,おじいさんに「煩くするのは止めてください」と注意。
その後は,注意の効果か,声は出さずにナースコールのみに。
4時55分に「また明日」と言って,エレベータへ。
今日も,夫は枕から首を上げて,こちらをじっと見ていた。
事務所に戻ってから,少し仕事を片付けて,最終のバスで帰宅。
2013-02-09
■[弁護士業務][弁護士会関係][療養日誌]2月8日 闘病第624日目 鶴巻療養病棟238日目 東病棟111日目 (診療録の送付嘱託,特養からの電話,弁護士会の会長選挙)
コピー取りに苦労していた事件について,相手方代理人の方から診療録の送付嘱託の申出がされて,それが採用されたことから,当方からの手持ち診療録の写しの提出の必要はなくなり,コピー作業は,ひとまず,ストップに(廃棄などで送付されないものがあった場合は,その分を提出させていただくということに)。
10時から当方の期日簿には弁論準備期日と記載されていた事件の依頼者との打合せ。
手紙を出していた利害関係人からの返事の手紙が昨日届いていたので,その内容などを裁判所と相手方代理人にFAXで連絡した後,今後の対応について依頼者と相談。
解決まであとひと頑張り,12時少し前に打合せ終了。
上記打合せの途中,特養の相談員さんからお電話。
健康診断の結果は,OK。
待機順位は,胃ろうの2番(10月の通知では3番)なので,もう暫くお待ち下さいとのこと。
1時に事務所を出て,まず弁護士会へ。
2階のクレオで所属弁護士会の会長選挙の投票。
勿論,〇〇候補に。
その後,裁判所地下一階の郵便局に寄って,書籍代の振込みの後,その前のレストランで昼食(季節の野菜入りカレーライス600円)。
丸の内線で新宿に出て,病院へ。
4時2分に病院到着。
夫に特養からの電話の内容を報告。
お向かいのおじいさんのベッドには,ご家族の方お二人。
今日は,ご家族の面会があったので,その後おとなしくされるのかと思ったら,そうではなかった。
最近は,午前2時頃から職員を呼ぶ叫び声の繰り返しが開始されるようで,皆さんお困りの様子。
夕食の介助で,職員の方々がそれぞれ手を放せない状態でいる間も絶え間ないナースコールと大きな叫び声。
余りの酷さに,
「さっき職員の方々から,他の患者さんのお世話で忙しいので,暫く呼ぶのはやめにしてくださいと言われたでしょう。
そんな大声を繰り返し出されたのでは,すぐ傍に寝ているうちの主人は,すこしも身体が休まらず,病気が治らなくなってしまいますよ。静かにしてください。」と言ったら,びっくりしたような顔をして,「すみません。」と謝りはしたものの,間もなく見えた看護師さんと介護士さんに対して,「前のおばさんから苦情を言われた」ということを繰り返し説明していた。
5時50分に「また明日」と言って,エレベータへ(おじいさんへの挨拶はやめにした。)。
夫は,今日も,枕から首を上げて,こちらを見ていた。
事務所に戻って,雑用をいろいろ片付けた後,最終のバスで帰宅。
(追伸)
選挙の結果は,下記のとおりだったそう。
菊地 2790票(85.37%)
武内 437票(13.37%)
有権者数6867人
合計投票者数3268票
投票率47.59%
2013-02-08
■[弁護士業務][療養日誌]2月7日 闘病第623日目 鶴巻療養病棟237日目 東病棟110日目(久し振りの口頭弁論期日,郡山駅から病院まで3時間15分)
今朝は,午前9時頃依頼者に迎えに来ていただく予定になっていたので,8時半までに朝食を済ませて,ホテルのロビーに。
依頼者に電話したら,昨日相談した件は,見合わせたいとのこと。
11時からの期日の方は,自分で裁判所まで行くことにして,ひとまずホテルを出て,駅の待合室で10時15分まで過ごしてから,タクシーで裁判所へ。
久し振りの口頭弁論期日(文書提出命令申立事件の却下決定に対して,当方が最高裁まで争っていたため)。
相手方の復代理人が交替していた。
次回期日は3月21日。
期日の後,依頼者との打合せ。
事務所には寄らず,中央線で新宿に出て,病院へ。
到着したのは5時15分頃。
昨日は面会に来られなかったが,お風呂の後で,パジャマを着替えていて,元気そうにしていた。
遅く来たので,帰るのは,6時半に。
事務所に着いたら,東京地裁の民事○〇部からFAXが届いていた。
「本日の弁論準備期日にお見えにならなかったので,延期にさせていただきました」などという記載。
前回の期日の時は,郡山支部の期日は既に指定されていた(12月6日に指定)ので,7日は差支えと申し上げて,8日に指定していただいたつもりで,期日簿にもそのように記載してあったのだが,裁判所の記録上は7日の指定になっていたよう。
お詫びと次回期日の希望日を記載したFAXを裁判所に送信した後,依頼者にその報告と明日は裁判所でなく,事務所に来ていただくようお願いのメールを送信。
非常に疲れた1日でした。
2013-02-06
■[弁護士業務][療養日誌]2月6日 闘病第622日目 鶴巻療養病棟236日目 東病棟109日目(朝から雪の郡山へ)
午前6時半のバスで東京駅丸の内南口へ。
雨の中、北口まで歩いて、八重洲口への自由通路を通って八重洲中央口のびゅうの案内所へ。
切符の受取場所を探すのに随分時間をとられたが、無事受け取って、ホームへ。
指定席は満席の状態。予約しておいて良かった。
赤羽を過ぎて間もなく雪景色に。
8時58分に郡山到着。
9時40分頃、依頼者が駅まで迎えに来てくれて、良く行くお店で、12時半頃まで打合せと別件についての相談。
その後、駅まで送っていただいて、2時まで駅の中のレストランで、昼食。
雪の中、郵便局に寄って、現金小為替2枚を買って、昨晩作成してきた各住民票の請求書に同封して、投函。
それからワシントンホテルへ。
部屋に入ってから、パソコン1式を1000円で借りられることが判り、フロントに行って借りてきた。
朝からいろいろな物を食べたり飲んだりし過ぎたためか、少し胸がむかむかしてきたので、寝巻きに着替えて、一眠り。
4時頃から6時ころまでかかって、相談を受けた事件の関係で明日提出予定の書類の作成(プリンターがないので、手書き)。
夕食は、外に出てとる積もりでいたが、お腹が空いていなかったので、出かけるのは、止めにして、入浴後の8時過ぎに持参していたカップケーキ2個をいただいた。
12時就寝。
■[弁護士業務][療養日誌]2月5日 闘病第621日目 鶴巻療養病棟235日目 東病棟108日目(特養へFAX)
いつもの時刻に事務所に出てから,診療録のコピー作業の続きを11時頃まて。
その後,特養の担当の相談員さんへFAX。
内容は,明日と明後日郡山に出張で,不在になるので,お電話いただいても返事ができないということと,夫は,最近とても元気になったということなど。
健康診断書を郵送してから大分経過したが,連絡がないので,もしかしたら,主治医の先生が既往症の欄に昨年11月から12月までの腎盂腎炎や赤斑及び軽い肺炎のことなどこまごまと記載されたので,審査の過程で難航しているのではないかと心配されたことから,今は,元気でいるということをお伝えしておく必要があると考えたことによるもの。
2時の病院への出発時刻まで,明日の出張に持参する記録などの準備。
病院へは4時2分に到着。
夫に,また明日面会に来られないことの説明。
お向かいのおじいさんは,絶えず職員を呼び続けて,大声の繰り返し。入れ替わり立ち替わり,看護師さんや介護士さんが見えるが,出て行くとすぐにまた大きな叫び声。
夫は,知らん顔をしているが,内心は,閉口しているに違いない。
5時50分に「元気でいてね」と言って,エレベータへ。
今日も枕から首を上げてこちらを見ていた。
事務所に戻ってから,明日持参する重い記録を鞄と布袋に入れて,最終のバスで帰宅。
■[弁護士業務][療養日誌]2月4日 闘病第620日目 鶴巻療養病棟234日目 東病棟107日目(1日大忙し,面会は休み)
午前10時に約束していた法律相談は,昨日キャンセルのメールが届いて,なくなったが,受任事件の関係の用事が複数できて,午前中は,バタバタ。
12時半に事務所を出て,東京地裁民事○〇部で新件の答弁書を提出した後,今朝担当書記官から電話連絡のあった民事◎◎部に寄って,相手方の代理人から提出された訴え変更の申立書などを受領。
1時半から破産事件の債権者集会に債権者代理人として出席。随分回を重ねてきたが,次回でおしまいになりそう。
その後,一旦事務所に戻って,依頼者宛に報告のFAX。いつものことだが,お返事はなし。
3時45分に事務所を出て,4時半からの東京地裁民事◎◎部の弁論準備期日に出席。今回で弁論準備は終わる予定だったが,相手方の代理人が今朝10時半に裁判所に来て,昨年12月中に提出の約束だった書面(1時過ぎに受け取ったもの)を持参したが,期日の時刻を勘違いしていたとのことで,4時半は差し支えで出頭できないという話がされたそうで,相手方代理人欠席のため,延期に。
弁護士会館の面談室での打合せの後,依頼者と別れて,事務所へ。
本日は,時間がないので,病院の面会は休み。
事務所に戻ってからは,13日の期日前に郵送を予定している書証として提出予定の大量の診療録のコピーとりの続きの作業(訳文の部分が赤色の文字なので,訳文の記載があるページはカラーコピーにしなければならず,とても手間がかかるとともに,費用も大変(複合機のカウンター料金は,白黒が10円,カラーが40円)。
10時までになんとか3分の1位終了。
最終のバスで帰宅。
2013-02-03
■[弁護士業務][療養日誌]2月2日 闘病第618日目 鶴巻療養病棟232日目 東病棟105日目(急に暖か陽気 足湯、久し振りの電話で)
午前中は起案。
2時に事務所を出て、病院へ。
事務所の中ではわからなかったが、外はびっくりするようなポカポカ陽気。
電車の中では、皆さんコートを脱いでいた。
途中で電車が少し遅れ.病院に着いたのは、4時25分。
病室では、夫が枕から首を上げて、待っていてくれていた。
オムツ交換の方が見えたので、病室の外へ。
暫く使用中止になっていた足湯が再開されていたので、久し振りに中庭で足湯浴。
とても気持ちがいい。
10分くらいで出て、病室へ。
「足湯に入ってきました」と言ったら、それは良かったねという笑顔。
既に上半身を少し上げた姿勢での水分の注入が開始されていて、栄養(200cc)の箱が3つテレビの前に並んでいた。
お向かいのおじいさんは、今日も絶え間なくナースコールと大声で、職員を呼び付けては、同じ遣り取りの繰り返し。
5時50分に「また明日」と言って、エレベータへ。
ドアの前で、夫の病室を見たら、カーテンで夫の顔が見えない状態になっていることがわかり、病室に戻って、カーテンを脇に寄せてから、エレベータへ。
今度は大丈夫。首を上げて、こちらをじっと見ている夫に手を振って、お別れ。
8時に事務所に着いてから、メールの確認をしたら、遠方の依頼者から「お電話お願いします」との趣旨のメール。
すぐ電話したが、お話中。
「お電話済んだら、電話してください」とメールへの返信。
間もなく電話をいただいたが、久し振りの電話の内容には、びっくり。
受任事件の関係で,近く期日の前の日の夕方から伺って,打合せをさせていただく予定になっていたので、新幹線の時刻を朝に変更して、別件の相談と必要な対処もさせていただくことに。
2013-02-02
■[弁護士業務][療養日誌]2月1日 闘病第617日目 鶴巻療養病棟231日目 東病棟104日目(打合せ,音楽教室)
今日は,午前10時から打合せ。
12時半頃終了。
エレベータの前でのお見送りの際,依頼者から「こんなに長い時間を割いていただいてよろしいのですか」と言われた。
2時に事務所を出て,病院へ。
4時3分に到着。
夫は,ロビーで始まったばかりの音楽教室に出席していた。音楽教室への参加は久し振り。
私も夫の左斜め後ろの席に腰掛けさせていただいた。
「北の宿から」の途中で,前におられた指導の先生がティッシュを取って,夫の前に。
どうしたのかと思ったら,「遠藤さんの目から涙が流れたので」とのこと。
「着てはもらえぬセーターを涙こらえて編んでます」という歌詞を見ているうちに思わず涙がこぼれてしまったよう。
「早春賦」を歌い終わったところで,4時半。
音楽教室はこれでお仕舞い。
その後,一旦病室に戻ったが,夫は,まだベッドに戻りたくなさそうだったので,ロビーに戻って,暫く他の患者さんと一緒に大型テレビのニュースを見た。
夕食会は,満席のようで,看護師さんがお迎えに見えて,ベッドに移って,まず,胃ろうへの水分の接続。
今日の夫は,私からの話しかけにも各職員の方々からの話しかけにも,知らん顔はせず,すべて丁寧に応対。
日に日に元気になっているようで,嬉しい。
5時50分に「また明日」と言って,エレベータへ。
今日も首を上げてこちらを見ていたので,手を振ってお別れ。
■[弁護士業務][療養日誌]1月31日 闘病第616日目 鶴巻療養病棟230日目 東病棟103日目(債権者集会,尿用のカテーテルの交換)
今朝は,事務所に出てから,明日打合せ予定の事件の書面の起案の続き。
9時過ぎに,まず答弁書案を送信。
裁判所に出掛ける前の1時15分頃,反訴状案を送信。
裁判所には,2時10分頃到着。
2時30分からの破産者〇〇株式会社の債権者集会は,集会の場所が満杯となって,前の事件の集会が済んだ後の2時45分頃から開始。
一般債権者への配当はないとのことで,今回(2回目)で破産廃止に。配布された計算書を見たら,破産管財人の報酬の額は700万円。随分大きな額の報酬を受け取ることができるのだなーとびっくり。
その後,病院に直行。
4時半頃,病院に到着。
看護師さんが見えて,「本日,尿用のカテーテルをこれまでのものより太いものに交換させていただきました。前のものが細過ぎたようで,尿の一部が外に漏れてしまい,その関係で,時々尿に血液が混じるような現象が起きていたようですが,カテーテルの交換をしてから,きれいな尿になりました。遠藤さん,辛い思いをさせてしまっていて,ごめんなさい。」というお話。
今日の夫は,終始しっかりした表情で,とても元気そう。
5時50分に「また明日」と言って,エレベータへ。
今日も,首を上げてこちらを見ている夫の顔。
手を振ってお別れ。
■[弁護士業務][療養日誌]1月30日 闘病第615日目 鶴巻療養病棟229日目 東病棟102日目(準備書面等のFAX送信,「お久し振り」)
事務所に出てすぐ依頼者からお電話。昨日お送りした準備書面案について補正箇所に誤記があるのではないかとのご指摘。
誤記ではないと説明したが,少し分かりにくいかもしれないと考えて,多少の修正を加えたものを更に送信。
その後,FAXによる文書送付書も作成して,準備書面案と書証の写しを各3部印刷し,そのうちの1部に送付書を付けて,裁判所と相手方代理人にFAX送信。他に次回提出予定の大量の書証があるのだが,こちらはカラーの部分があり,量も多すぎるので,準備が調い次第,宅急便で送ることに。
FAXの途中で,原稿が吸込口に引っかかってしまい,2回やり直しをしたが,3回目は,無事,合計37枚の文書の送信ができ,間もなく,相手方代理人からの受領書も届いた。
依頼者に報告のFAX。
その後,1日に打合せ予定の事件の書面の起案。
2時に事務所を出て,病院へ。
病室では,皆さんのオムツの交換中とのことで,ロビーで待ってっていたら,「遠藤さんですか」と声を掛けられた。
西病棟でご一緒だった方とそのお嬢様。
病室のドアが開いたので,ご一緒に病室へ。
夫に「西病棟でご一緒だった方よ」と言ったら,夫も覚えていたようで,ご挨拶。
お嬢様のお陰で,久し振りの対面をさせていただけました。
夫は,看護師さんから胃ろうへの水分の管を接続していただいたところ。
お嬢様から,「お水が先なのですね。」と言われ,「ハイ,その後,ここに置かれている栄養という順序なのですが,この栄養は,前に使用していたメイバランスよりもカリウムの量が少なくなっているものなのです。」と説明したら,そういう変更はどんなふうにしてやってもらえたのかとの趣旨のご質問も。
担当の主治医と管理栄養士とで考えていただいた結果で,そのお陰で夫の体調は随分良くなってきたよう,前に入所していた老健では,(胃ろう用の栄養は400CCの量の一種類のみで,それ以外のものの使用は一切できないと言われ,)このような配慮は全くしてもらえなかったので,この病院に入院できて本当に良かったと考えているということなど説明させていただいた後,「どうぞお大事に」と申し上げて,お別れ。
夫とは,比べようもない長い間の闘病生活とのこと,
快方に向かわれるようお祈りしております。
看護師さんのお話によると,今日の夫は,昼食の時間,昼食会に出席する予定だったが,満席の状態になってしまったため,昼食はベッドで済ませて,その後,車椅子に移って,ロビーの大型テレビで,アニメのDVDを見ていたが,途中で,「そろそろお部屋に戻りましょうか」と迎えに行ったところ,まだ見ていたいという態度を示したので,最後まで見てから,病室に戻ってきたそう。
看護師さんは,夫が長い時間車椅子に腰掛けていても少しも疲れた様子がなく,つまらないのではないかと思っていたアニメを一生懸命見ていたということで,とても驚いたとおっしゃっていた。
5時50分に「また明日」と言って,エレベータへ。
扉が閉まる直前,首を上げてこちらを見ている夫の顔が見えたので,手を振った。