第32号(2011/2/5)●4-5面
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対談

下山 保(元パルシステム生協理事長)
武 建一(連帯労組・関生支部委員長)
編集部注―― 昨年11月、関西にて、生協運動の中でも先進的な、活動力のある協同組合運動をされてきたパルシステム初代理事長の下山保氏と、中小企業を事業協同組合に組織し、長期ストライキの真只中にある連帯労組・関西地区生コン支部委員長の武建一氏との異色の顔合わせで《協同組合運動の再生への課題を語る》対談が開かれた。
 今後の日本における協同組合運動の大きな協働と発展を願って、集会実行委のご了解を得て、その一部を紹介いただきました。なお、この対談の全容は、2月発刊の武建一対談集(2)『新時代の希望を語る』第三部に「協同組合運動をどう再生するか」に収録されているので、是非、手に取ってお読みいただきたいと思います。

1、なぜ協同組合運動を
■学生運動から生協運動、パルシステムに


下山―日本における生協の組合員は約1500万所帯。日本の総所帯数5000万弱のうち4000万所帯以上は、協同組合に何らかの形で関わっている。
 私は学生運動をやっていて共産党にも入ったが、60年安保闘争の中で大学も共産党もクビになった。その後、就職しようとしたが全部断られ、社会党に拾われた。ところが、約10年後に党中央と対立してクビになった。そして、地域運動の中で生協をつくろうと思い立ち、東京・江東区の団地で1970年に1つの生協(たつみ生協)をつくった。今、パルシステムに結集している生協は同じように1970年代に設立され、パルシステム連合会の前身の首都圏生活協同組合連合会は1980年代に最初の取り組みを始めた。
 たつみ生協を設立して20年間は、今一緒にやっている生協のほとんどが赤字続きだったが、1990年、パルシステムにとって新しい時代が到来した。
 理由の1つは、それまでグループの集まりとしては法人格がなかったが、事業連帯する生協として法人格を得たこと。それにより社会的な信用を得て、そこからグループの成長が始まった。
 2つ目の理由は新システムの開発。70〜90年までは事業の柱は共同購入だった。しかし、90年のバブル崩壊とともに生協の成長はストップする。90年にそれぞれの家庭に個別に配達する「個配」という新しい方式を始めた。これが受け入れられて急成長した。90年から昨年までの20年間では、少ないときで105%、初期の段階は約140〜150%のペースで毎年成長してきた。

■小さい生協に「まとまろうや」と呼びかけ
売り上げ年間1千億円に発展


 生協の連合組織の法人化には、内部改革がともなっている。1970年頃、生協をつくったのはどういう人々か。1950年辺りから1980年頃まで、生協の実権を握っていたのは共産党だ。そして、70年安保闘争の後、今度は新左翼や全共闘運動の活動家が活動の場を失い、その一部が生協をつくった。私たちのグループもほとんどそうだ。
 ところが左翼や元左翼はまとまらない。分裂するのが左翼の特徴だ。生協をつくったが、小さな生協のままでまとまらない。一方で、共産党系の生協は党の指導でまとまっていて生協の主流をなしている。そんな中、「まとまろうや」と呼びかけた。それで、それぞれの生協がようやく集まってきた。そしてスタートしたのが1970年代の終りだ。
 左翼や元左翼は自分の考えだけが正しいと思っている。だから、一緒にやるべきことをなかなかやらなかった。それを解決するために、私は意見が違うことはいいことだと考え方を変えた。それぞれの経験に基づく考え方はそれぞれ意味があると思おうとした。のちに、違う意見を認め合うことが正しいのだと心から思うように私自身も変った。そうしたら各生協がまとまり、事業が軌道に乗るようになった。そのとき、追い風のように、90年に厚生省から生活協同組合事業連合会としての認可が下りた。
 現在、グループ全体の売り上げは年間約1千億円、組合員数は100万人超だ。

■関生支部がなぜ産業政策に、
中小企業の事業協同組合の組織化に


武―関西地区生コン支部は1965年にできた。本格的に協同組合運動を追求し始めたのは1974年。当初、セメントメーカー直系の生コン工場に組織ができた。関生支部は5分会・180人でスタートしたが、全部直系工場の労働者だった。1965年当時は高度経済成長の時代で、生コン産業もすごい勢いで成長していた。そのときに労働組合ができたのはなぜか。「奴隷的な労働条件」だったから。年間で3日間しか休みがない。しかも、残業だけで250時間〜300時間。その上、日給制度で、基本給は1万5000円くらいだった。そして、タコ部屋に入れられ、私生活まで管理される劣悪な状況だった。
 よって、自然発生的に労働組合ができた。労働組合ができると、セメントメーカーは徹底的に攻撃してくる。賃金差別だけではない。関生支部の組合員は古い車にしか乗せない。そして、配車差別をする。だから、闘い方も信念を持って断固として闘うという風にならざるを得なかった。そして、相手の攻撃に反撃していくと、いつの間にか加害者(会社)が被害者のようになっていた。そして、この奴隷的な労働条件を改善し、今では年収750万円以上、年間休日は125日ある。それを獲得するまでには血のにじむような闘いがあり、何べんも危険な目に会った。

■背景資本に対する闘いで運動が大きく前進

 運動が大きく前進するようになったのは、背景資本に対する闘いが大きな要因だ。背後から中小企業を支配し、労働組合つぶしなどを指揮するのはセメントメーカーだ。そこで、背景資本=親会社(この場合にはセメントメーカー)に責任を追及する。こういう運動が1973年から一気に前進した。
 結成して8年間はほとんど成果がなかった。73年頃から一気に好転・逆転したのは、困難を乗り越えて闘う姿に未組織労働者が共鳴し、労働組合への結集が増え、組織が拡大した。そして73年に16社を集めて集団交渉をした。
 73 年のオイルショックのとき、生コン業者はほとんどつぶれかけていた。その倒産の危機を切り抜けるために、下請けに犠牲を転嫁する。労働者に対しては一層、労働条件・賃金の切り下げをするという攻撃が加わった。それまで専業工場の組織率は少なかったが、この頃から一気に専業の労働者が関生支部に組織された。そうすると、相手とする専業=中小企業に対してストライキをしては会社がつぶれてしまう。これではいけないということで、産業政策の必要性を感じるようになった。
 最初に産業政策として取り組んだのは、専業8社との協定だ。1つには、専業社が不当労働行為をしないことを約束させた。さらに不当労働行為をする業者がいたら協力して排除する。もう1つは、中小企業が自立して大企業の支配と闘う。こういう6項目ほどの要求をして、専業8社と合意した。そして、政策運動をするに当たって、広く他の未組織の経営者にも呼びかけた。こうして、中小企業等協同組合法は独禁法の除外認定があるので、その法律を有効に活用して、業者は事業協同組合に結集すべきと呼びかけた。その結果、1979年から本格的に協同組合が機能するようになった。
 そこで提案したのは、競争を抑制する仕組みをつくること。そのために、共同受注・共同販売・シェア配分を行う。それによって取引先である販売店やゼネコンと対等取引する環境ができ、適正価格を収受することができる。そういう方向に発展させてきた。 


2、現状の協同組合運動の
  問題点や限界はどこにあるか
■協同組合は社会にもっと大きな影響力を持っていい


下山―私は武さんの『労働者の未来を語る』を読んで、すさまじい闘争をやってこられて、物差しで計れないような人物だと思っており、それが労働運動だけでなく、協同組合運動にも進出されている。
 協同組合は「××反対運動」ではない。また、「××よこせ運動」とも違う。力を合わせて、自分たちで自己実現をしていくのが協同組合。今の社会でも大変進んだ組織だ。ところが、協同組合は、日本では数字上は多数の組合員がいる。本来なら社会に対してもっと大きな影響力を持ってもいいし、様々な問題を協同組合が解決してもいいはずだ。ヨーロッパでは協同組合、その系統の運動・組織・事業が発展し、社会に対する影響が非常に大きい。また、2012年は、国連の定めた「国際協同組合年」(注)。そういう状況の中で日本の生協の実態どうか。そこには問題が山積している。
 問題の1つ目。90年以降20年間、生協の事業的な成長は止まっている。組合数は増えているが、事業は伸びていない。それをどう解決するか、生協をどうしたら社会的にもっと意味のあるものにできるのかという戦略が、今、全国の生協のどこにもない。
 2つ目。現在のパルシステムは零細企業ではない。日本の生協全体が大きくなったが、これを経営する力・運営する力が弱い。それから、首都圏以外では生協間競争がほとんどないことが停滞の原因になっている。

■生協が「格差社会の共犯者」になっている

 また、生協はそこそこお金を持っている。パルシステムも、連合会と単協を全部合わせると、100億円以上の内部留保があると思う。それにも関わらず、次のビジネスモデルのための開発・投資をあまりやっていない。
 そして、生協の運営主体は組合員だ。生協には千数百万所帯の組合員がいる。ところが実際には、生協の理事会は、女性組合員の理事が多いが、専従者ではないし組織が大きくなっているので経営・事業の状況が分からなくなっている。実態を掌握し、実際に組織を運営しているのは官僚である職員。組合員から生協の実態が見えなくなっている。
 さらに、生協と言えども、全部自分たちでできないのでパートナーがいる。生産者・加工業者・卸業者の力を借りて生協が成り立っている。生産者との関係は良好だが、問題は加工業者や卸業者、物流業者との関係だ。これについて、私はパートナーという位置づけをしてきた。フィフティ(50)・フィフティ(50)だということ。しかし、これが今、全国的に下請化している。そして、下請けいじめを行っている。
 それからこの間、生協は合併をあちこちでやってきた。合併するとどうなるのか。A生協にB生協が吸収合併されると、B生協に入っていた業者は全部切り捨てる。そういう問題がこの間起きている。
 そして、最大の問題は生協が「格差社会の共犯者」になっていることだ。生協に入れるのはほとんど「中流層」だけ。生協では厳しい選定を行っているので商品が一定の価格以上になってしまう。したがって、貧乏人は生協に入れないのだ。生協のスタートは日本では賀川豊彦。彼は貧困地域で運動を始めた。イギリスのロッヂデールという、世界で初めて協同組合を始めたところも、貧困な労働者の生活を何とかしようと生協を始めた。このロッヂデール精神が失われてきている。こういう非常に大きな問題が今、起こっている。

■長期ストライキの只中で労働組合からみる
現在の協同組合の問題と今後の課題


武―まず、下山先生の書かれた『異端派生協の逆襲』には、21世紀型の生協運動について、分かりやすくのべられており、労働金庫の活用のことはすぐにでもわれわれも教訓を頂いて活用したいと思います。
 さて、今回のストライキは、中小企業が大企業との対等取引を実現することが大きな目的で、そのためには中小企業が団結し、その運動を労働組合がバックアップしなければならない。対等取引するということは、大企業の収奪に対して闘うこと。適正な生コン価格をゼネコンに求める。セメントメーカーによる原料(セメント)の一方的な値上げを阻止する。そういうことを、今、追及している。
 このストライキは中小企業も一緒になった行動だ。しかし、中小企業が「取引しない」と言うと、取引先に訴えられる可能性があるので、われわれが前面に立ちストライキをしている。現在、要求の90%が実現する方向に進んでいる。(注―対談後に完全勝利した)
 今、大阪広域協組は共同受注・共同販売・現金回収という事業で維持しているが、本来はこれに加えて、資材・骨材の共同購入、輸送の協業化、環境保全、新技術開発、人材育成などに取り組むべきだ。現在は協同会館アソシエに結集する12団体が教育などに取り組んでいるが、大阪広域協組にはその問題意識がない。同協組の理事長や専務理事はセメントメーカーの意向を受けており、その利益を代弁する協組運営をしている。依然として協同組合がメーカーから自立していない。
 今後は、本来あるべき協同組合になるよう、そのあり方を発展・転化させるべきだ。


3、協同組合の将来像や
  目指すべき「協同組合社会」について
■生協の「地域主権」と「組合員主権」を
あらためて考え直すとき


下山―生協には千数百万所帯の組合員がいる。ところが、各生協ごとに組織が別なので、千数百万の組織力がない。しかし、やろうと思えば組合員同士がインターネット上で意見交換したり、それをまとめたりすることが可能だが、そういう発想が弱い。
 また、全国の主な生協のほとんどが何十億円、何百億円単位でタンス預金(内部留保)をしているから、これを将来のために投資しなければならない。
 そして、「格差社会の共犯者」という生協の実態。これはパルシステムにも当てはまる。今、全世界的な飢えの問題、貧困者のところに手を入れて努力しているのはNPOやNGOであり、そこに生協は学びに行くべきだ。
 さらに、大きくなった生協に運営力がないという問題。組織が大きくなると、必ず分業をせざるを得ない。分業は縦割りだ。国家も最大の縦割り組織であり、協同組合が縦割り・分業の弊害を克服できなければ、世の中の大きな流れを占めているものに対して闘ったり、新しい方針を示すことはできない。よって、その問題を克服するために様々な工夫をすべき。今、生協の「地域主権」と「組合員主権」をあらためて考え直すときだ。この問題は再来年の「国際協同組合年」(注)に向けて、日本の中から何らかの形でぶつけてみるべきである。
 もう1つは下請関係の問題。今でもパルシステムの中では「パートナー」という言葉を使っているが、実態は違う。生協の物流業者と研究会を続けているが、この中で問題を提起し議論しているのは、物流業者が生協に対して提案力をつけるということだ。
 生協にとって物流経費は高コストの大きな要因だ。よって、下手をすると「下げさせればよい」となりかねない。それに対して、物流業者が何らかの形で事業連帯しなければならない。そして、生協に対して、物流業者が協同して「こういうことをやってはどうか」と提案することが必要だ。例えば、1台の車にいくつかの生協の商品を積んで配達する。あるいは、セットセンターの共同使用。それから、生協の物流センターで現行事業に加えて、深夜・早朝の事業を創出する。
 こういったことを実行し、コストを下げる代わりにこの条件でどうかという提案ができないか、今、議論してもらっている。

■時代が求めている協同組合

武―協同組合は共生・協同、相互扶助の精神で成り立っている。08年のリーマンショックはグローバリズム・市場原理主義の崩壊を示した。資本主義は行き着くところまで行き、破裂した。そしてそれに代わる対抗原理は「共生・協同」。その理念を追求する協同組合運動は時代に求められている。
 それを国家的な規模で進めているのが中南米だ。ベネズエラを始めとするそれらの国々は08年12月の会合でいくつかのことを宣言している。1つは、大企業・外国資本による資源略奪の阻止。また、国内における、特権階級・大企業による収奪をやめさせる。そして、民衆のためのラジオ局の設立。日本でも問題意識を持って大きな流れをつくれば、経済・産業の民主主義を実現し、社会構造を変えることは可能だ。
 その点では、民主党は中小企業や国民の目線に立つと言いながら、実際にやっているのはアメリカ資本と日本の大企業に有利なことばかりだ。政治をまともにしていくには、中小企業が団結し、消費者が団結し、労働組合も連帯し、地域から全国に向けて運動を大きく展開していくことだ。そういった運動の一翼を担うべく、下山さんも役割を果たされておりますし、われわれも誇りを持って、この運動を一層強力に展開していきたい。

主催者のまとめの挨拶

 協同組合の組織形態は多様にあることを知り、事業協同組合の立場で、あるいは生協の立場で、世界の協同組合のうねりに呼応し、具体的な事業をし、それが横につながる、今日がその第1歩として認識していただければと思います。  (集会実行委 H)

(注)
 国連は、2009年末に開いた第64回総会で、2012年を「国際協同組合年」とする総会宣言を採択した。これは、協同組合が、これまで社会経済開発や世界の食糧安全保障、金融危機といった面で果たしてきた役割を高く評価し、世界の協同組合がこれら諸問題に一層協力に取り組むことを期待したもので、110年余に及ぶ国際協同組合運動にとって画期的なことである。


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