4.22第19回釜ヶ崎講座、講演の集い
西成特区構想とはいかなるものか(第2弾)
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【大阪】大阪西成特区構想についての講座がエルおおさかで四月二二日、釜ヶ崎講座(連絡先:釜ヶ崎日雇労働組合)の主催で開かれた。
「西成特区構想」を活用して何が実現できるのか、釜ヶ崎の何が変えられるのか。このサブタイトルが、特区構想に対する主催者の立場を表している。一二年一二月の講座では第一弾として、釜ヶ崎の医療・福祉問題を取り上げた。今回は、第二弾として釜ヶ崎住民の真の要望、それを実現するための計画に視点を置いた企画であった。
呼びかけのチラシでは、「『特区構想』が出されて一年以上が経過した今日、多くの労働者、住民の生活の根本にかかわる諸問題が明らかになってきた。一三年度の予算付けも一部では始められ、有識者座談会提案項目を受けての地元町内、住民側からの要望提案(八分野項目・五年間プロジェクト)も出され、具体的な動きとなりつつある」、とある。
ありむら潜さん(西成特区構想有識者座談会委員、釜ヶ崎のまち再生フォーラム事務局長)、寺川政司さん(西成特区構想有識者座談会委員、近畿大学建築学部准教授、CACEまちづくり研究所代表)、西口宗宏さん(萩之茶屋振興連合町会第六町会会長、サポーティブハウスおはなオーナー)の三人が講師をつとめた。
どうして特区に
指定されたか
橋下は〇八年大阪府知事に就任してから、府財政の削減と称して公務員の賃金を大幅に削減し、国際児童文学館をはじめ教育文化施設や青少年センターを廃止し、女性センターへの補助金を削減してきた。一方では二重行政の解消を理由に大阪都構想なるものを打ち上げ、一一年一二月に大阪市長に転身した。
大阪都構想は、政令都市である大阪市と堺市を解体し、いくつかの区に再編することが柱になっている。大阪市は現在二四区あるが、これを八区(その後四区といわれ、うまくいかないので八区に戻すなど府市統合本部の中で意見がまとまらないでいる)に再編する計画が進行している。西成区は、全国でも生活保護の受給者が最も多いといわれ、再編する場合に組む相手としては他区から敬遠されているといわれている。そこで、西成特区をつくり、西成区のレベルアップを図り、再編をやりやすくする。それが、橋下のねらいではないかという見方もある。
ちなみに、小中一貫校を、矢田小・矢田南中、啓発小・中島中、萩ノ茶屋小・弘治小・今宮小・今宮中、の三カ所で開校することになり、矢田ではすでに開校した。はじめの二カ所が被差別部落を抱える地区であり、三つ目は、釜ヶ崎を抱える地区である。ちなみに、橋下は啓発小・中島中の出身だ。これらの小中一貫校計画も、西成特区構想と同じような意図で計画されているのか。もちろん、本当のところはわからない。
先行したまち
づくりが重要
以下は、講師三人の話を整理したものである。
西成特区構想とは、どのような構想なのか。初めて出てきたときは、中身の何もないものだったという。
あいりん地域でのまちづくり論議は相当以前から始まっている。一九九九年に釜ヶ崎のまち再生フォーラムがつくられ、月例まちづくりひろばを開催してきた。現在一七〇回目を迎えたとのこと。二〇〇〇年には、簡易宿泊所活用の緊急対策を提案。これは、労働福祉センターやホームレス就業支援センターの簡易宿泊所での無料宿泊や随時借り上げ制度として結実した。
また、老いて一人でも住み続けられるまちづくりを提案。これは、国際ゲストハウス街やサポーティブハウスに発展し、各種NPOの諸活動を促進し、市民館の再生や活用にもつながっている。〇五年からは、二〇年後対策を提案している。並行して〇三年には、萩ノ茶屋小・今宮中学校周辺まちづくり研究会が発足した。〇八年には、(仮称)萩ノ茶屋まちづくり拡大会議がつくられる。
ひろばや拡大会議には、町内会や支援団体、社協、研究者、施設職員、労働者などさまざまな団体と人の交流がある。拡大会議で検討した内容は、九項目三〇〇個に及ぶ要望書として西成区長に提出され、西成特区構想有識者座談会に反映される。西成特区構想の中身はそのようにしてつくられてきたということだ。マスメディアで断片的に報道されることとは大きな違いである。
特区になっても
必要なものは守る
拡大会議で話される基本的な考え方は、@失ってはいけないものは守る(あいりん総合センターの寄せ場、日雇い雇用保険制度、生活保護制度などのセーフティ・ネット) A積極的に引き継ぐもの(多様な人々をうけいれる懐の深さと気さくな独特のコミュニティーのコレクティブタウン)。B今あるものをどう使い直すかの観点から、これを長所・利点として捉える。C人々が参加したくなる、うんと夢のある新しいものを育てる。
具体的には、バラバラなケースワークの一体化。地域の休眠地を活用した屋台村の創出。アーティストや若者支援。外国人安宿街でのベッドメーキング仕事などの雇用創出。廃校が決まった萩ノ茶屋小学校跡地を若者世代を呼び込む多種多様な仕掛のインキュべート拠点とする。まちづくり公社の設立で、休眠物件を流動化させ、まちづくり資源を創出。JR新今宮駅北の広大な空き地に長距離バスセンター誘致、などなど。
大阪市特別顧問鈴木亘氏がまとめた「西成特区構想有識者座談会報告書のポイント」によると、
@短期集中的に行うべき対策(野宿生活者・高齢日雇労働者・生活保護受給者の自立就労支援、ワンストップ型あいりん地域トータルケア・システムの構築、医療問題・結核対策、治安対策・不法投棄・公園テント小屋がけの平和的解決)
A中長期的対策(急速な人口減少時代に向け、子育て政策、子育て世帯の呼び込み策)、教育施策・教育産業振興(補習夜スペの実施)、国際ゲストハウスエリアのゾーニング、屋台村構想。
B将来に向けての具体的なプロジェクト・大型事業。
実現に当たっては、専門家・有識者・地元住民・関係者・事業者・行政を含むエリアマネージメント協議会を設立。日雇労働市場、あいりん総合センターの今後については、関係行政機関による検討会議で協議、未利用地の戦略的活用については、「関西イノベーション国際戦略総合特区」等との連携も視野に入れた工業施設の誘致、となている。
エリアマネージメント協議会は、一三年七月をめどにつくられるとのことだが、ここで少し気になるのは、エリアとは行政的には西成区のことであり、萩ノ茶屋まちづくり拡大会議が論議の対象としていたあいりん地域ではないと言うことだ。
行政サイドは、居場所支援(あいりんシェルター、四二〇人)、高齢日雇労働者社会的就労支援(特別清掃、一日一二〇人)、相談支援(健康・生活相談、自立支援プラン)、原則五五歳未満を対象に地域密着型就労自立支援(講習・訓練 年四五人)を提供することになっている。これらの内容は従来NPOがやってきたものを包摂しているが、橋下は、おなじ団体がずっと継続して活動するのは問題だといっているとか。
橋下の興味が
半減した理由
西成特区構想のことで一番の懸念は、この十余年地域の中で民主的に合意形成を積み上げてきた努力を無にするような手法だ。(仮称)萩ノ茶屋まちづくり拡大会議という画期的なまちづくり組織が〇八年より活動している。この地域では、圧倒的多数の日雇い労働者系住民と少数派の町会系住民との深い溝があって、どうしてもひとつになれなかった。それが、日雇い労働者の高齢化と生活保護適用による定住化により、地元住民としての必要性の共有化がすすみ、「老いても一人で住み続けられるまち」づくりで一致し、幅広い団体が参画する円卓会議が成立した。拡大会議はそのようにして生まれた。町会会長の西口さんは、「犬が二〇〇匹も放し飼いになっていて、人がかまれるから、行政に何とかしてくれというと、手をつけたら暴動になるからと行政は何もせず、労働者と町会を割ってきた。今南港にシェルターをつくっているが、温かくなると壊し、またつくる。どうしてそんな無駄なことをするのかと訊くと、地元に悪いからと行政はいう。わしらかて、ここに当面シェルターがいるぐらいのことはわかる。ただ、そんなものが必要でないまちにならんと。社会が面倒見ずに、釜に押しつけておいて、釜は汚いという。それはないですよ」と、拡大会議ができるまでの地域の状況を話した。
橋下は大阪市長になってから、市政改革と称して中之島図書館・大阪市音楽団・住吉市民病院を廃止し、地域振興会の補助金をカットし、赤バスを廃止し、敬老パスを有料化し、憲法違反の思想調査や入れ墨調査をし、地下鉄の民営化を画策し、学校選択制を導入し、カジノ誘致を計画し、定員割れの学校を廃校にする教育基本条例をつくり、不起立三回で免職の職員基本条例をつくり、後援会関係者を特別秘書に任命して選挙活動をやらせる、などなど。これは一年ちょっとの間に起きた出来事だ。
これらと西成特区構想とは、おなじ戦略の上にあるのか。質疑・討論で、特区構想にのることは橋下応援団になることではないのかという危惧も表明された。しかし、萩ノ茶屋まちづくり拡大会議によるあたらしい人間味のあるまちづくりの構想は住民の切実な要求であり、当然行政もそれを受け入れ、時間をかけてでも構想は実現されねばならないだろう。財政的な裏付けはあるのか。それは明確ではないし、それは区の再編という問題とも大きく結びついている。橋下は、当初自分が考えていたもの(大開発プラン?)と内容が変わったので、今は興味が半減しているらしい。(T・T)
4.21シンポ・「反資本主義連合」という可能性
左翼再生へ新たな試み
変革主体の形成が急務
四月二一日、「シンポジウム 新しい変革主体の形成へ『反資本主義連合』という可能性」(実行委)が、水道橋・韓国YMCAで行われた。「変えよう! 日本」実行委員会は、昨年の討論を踏まえ「暴力・格差・差別・抑圧にまみれた資本主義経済社会の歴史的危機の状況の中、それを解決するべき左翼の側もまた危機的状況」にあるという問題意識を前提に、「もう資本主義では生きられない!脱原発、沖縄の反基地―反安保の闘い、貧困・格差に抗し社会的公正と平等を求める「変革・連帯のための反資本主義連合」(仮)を共に創ろう」を提起して論議が行われた。呼びかけ人は、土屋源太郎さん(伊達判決を生かす会)、藤田高景さん(日中不再戦の会)、椎名千恵子さん(原発いらない福島のおんな)、長岩均さん(安保無効をすすめる会)、原隆さん(NO―VOX=声無き者)、国富建治さん(新時代社)、生田あいさん(コモンズ政策研究機構)。
新たな方向性を
ともに模索すべき
開会あいさつが土屋さんから行われ、極右安倍政権と対決していく左翼・リベラル陣営が混乱と衰退にあるという認識から左翼の再建に向けて@党派の総括の深化が求められているA過去の教訓から学ぶB意見の相違によって対立・分裂してきたC党派が自分たちの運動だけを自己中心的に評価してきたD党派をなくそうという意見もまた新たな党派的傾向が生み出されつつあるのではないか、などの課題を浮き彫りにした。とりわけ参院選を前にして、新たな方向性を模索し、共同の連帯を作っていく「議論の場」を形成していくことが急務であることを強調した。
生田さん(事務局)は、椎名さんのメッセージ紹介後、実行委の経過報告を行い、「今回のシンポジウムを契機にして諸戦線で闘う仲間たちとともに反資本主義連合の形成に向けた論議を深めていきたい」と発言した。以下、事務局の二人から問題提起が行われた。
再度、労働運動
の問題に重点を
国富さんは、「反資本主義とは何か、なぜ反資本主義か」というテーマから反資本主義的オルタナティブの可能性と困難についてラテンアメリカ、欧州情勢から分析した。そのうえで日本について「根本は『運動』と『政党』=政治の問題、この点では労働運動の問題に再度、重点をあてるべきだ。例えば、社会の日常的な機能をマヒさせるようなストライキ闘争が約四〇年近く不在であるというのはあまりにも異常ではないか」と問いかけ、「平和・平等・公正・人権・環境・民主主義のオルタナティブの具体化が求められている。脱原発と廃炉にいたるプロセス、被害者への救援・補償、原子炉依存の経済・社会・政治構造の変革の展開。その財源、そのための政治・社会のあり方まで描きだすことであり、同様に労働・雇用、平和、農業問題にまで貫いていくことだ」とまとめた。
原さんは、「新たな左翼の極 政治勢力を!」の観点から「制度的政治(代議制民主主義)の劣化と直接民主主義を実践する」と「プレカリテ(不安定)と格差を拡大する新自由主義」分析を根拠にして「旧来のパラダイムから決別し、左翼再生への『新たな試み』に挑もう!」と打ち出した。すなわち、「危機時は、ドグマを葬る好機
だ。左翼の再生には、失敗の可能性を伴う大胆さ、リスクを取る覚悟が求められる。政治の重心を左に寄せるには、『新たな試み』、型破りなイニシアティブが必要なのではないか。サパティスタがアピールしたように『希望のインターナショナル』を目指して『問い掛けながら前へ進め!』に踏み込むことだ」と呼びかけた。
討論に入り、乱鬼龍さんは「『革命』による解放社会のイメージ、理論など時代の根底から求められている」という発言を皮切りに、各戦線での実践と教訓から導きだされた共同討論のあり方、変革の展望・戦略・戦術、青年層の組織化、新たな政治勢力作りの課題などについて意見交換が行われた。
最後に土屋さんは、「脱原発運動の高揚があったが、衆院選で投票行動につながらなかった。それはきちっとした受け皿、方向性の提示ができなかったのではないかと感じている。今回の討論をさらに深めていきたい」とまとめた。事務局は、@継続討論A沖縄連帯のための参院選挙として山城勝手連を担うB参院選挙後の討論を行っていくことを確認した。
問題意識の
交換が重要
感想として。「まとめ」で国富さんは、「『反資本主義』について考え、討論している人々がいたほうがいいわけで、こういう場は今後ますます求められてくる」と述べ、原さんは「これからやろうとしていることは、純然たる大衆運動団体でもなく、シングルイッシューの取り組みをめざすものでもない。その『中間的』なものであり、難しさがある。現実の怒りと理念を結合していくことだ」と整理し、生田さんが「大衆運動の連合を作っていくのではなく、潮流の違いを乗り越えて左派政治勢力をめざしていきたい」と発言した。シンポのテーマの抽象性によって論点は複雑化してしまったが、諸戦線で奮闘中の活動家たちの問題意識を交換していくことを土台にしながら「反資本主義」勢力について論議していくことは「刺激的」であり、新たな「活力」へとつながることは確かだ。従来の持ち場に安住し、「調整」「回転」に比重をおく傾向にあるなか新たな「変革主体」の考察に貢献することは間違いないなと感じた。
(遠山)
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