東北大学新聞:

井上総長に不正論文疑惑

本学は12月26日、井上明久総長に関して研究活動等の不正と研究費の不正使用があったとする告発文書に対し、内部調査を終了したと発表した。その報告書内で「事実関係及び合理的根拠のいずれもなかった」とし、告発文書の内容を全面的に否定した。

井上明久氏は1975年に本学大学院工学研究科博士課程を修了。金属材料研究助教授、同所長を経て2006年11月6日に総長に就任。材料化学分野では本学は論文引用ランキングで世界3位に位置しており、同分野で井上氏の論文が被引用数のおよそ半分を占めている。
告発文書では、1993年~1998年に発表された井上氏の金属ガラスに関する4つの論文について「複数の研究者が結果を再現できないとしている」「(データが再現できないとの)指摘がいくつかの研究グループから論文で出されたにも関わらず井上氏は説明していない」と指摘している。また、井上氏と本学に不明瞭な予算の使用があると告発している。
告発は匿名で、確認されている分で昨年5月~12月に文科省、報道機関など宛に複数回にわたって投書された。本学ガイドラインによると匿名の告発文は正式に受理すべきものには該当しない。しかし告発対象者が本学の最高責任者であること、疑義文書が社会に広まっていることから大学として説明責任があると判断し、特例として、対応・調査委員会を設置。計14回にわたって、告発文書の指摘の部分について論文の精査と関係者からのヒアリングを中心に調査を行った。
その結果、研究不正に関しては「合理的根拠はなく、本調査を開始する必要はない」、研究費不正使用等に関しては「そのような事実はなかった」とした。そして、告発状に関して「悪意に基づく行為である可能性が高いと判断せざるを得ない」と結論付け、12月27日に文科省に報告した。
しかし、海外の複数の研究グループから井上氏の論文を再現できないと指摘されているのに対し、その理由を①井上氏らのグループは多くのノウハウを持っている②実験条件の小さな相違により大きな相違をもたらす場合がある③制御因子が不確定なため再現は確率的なものになる‐と説明している。そして再現実験については「条件の制約により困難」とし、行っていない。


金属ガラスは数種類の金属から成る合金で、固体でも原子がランダムに存在するという特徴がある。そのため低弾性であり、強度が高く破壊されにくい。また結晶化による伸び縮みがないため型を使用した際より高精度な成形ができる。現在、高精度の圧力センサーなどに応用されている。
現在、井上氏を含む研究者らの研究により、30ミリの金属ガラスを作成することが可能となっている。しかし今回問題になっているのは、当時の技術・装置で3~15mmの金属ガラスが作成できたかどうか。実際に1996年にドイツベルリングループとフランスグループがそれぞれ独立して「井上氏の論文が再現できない」との論文を発表した。
このことについて、報告書は「物質・材料創製については多様な因子の影響が結果に大きな相違をもたらす場合も少なくない」と説明し、さらに「論文に示されている試料の再現は確率的なものにならざるを得ない」とした。
再現実験については、試料が現存していないこと及び当時の素材、作成装置並びに担当者が既にいないことにより「困難と判断せざるを得ない」と結論付けた。しかし、以下の通り不可解な点も多い。
◆共同研究者の説明
12月28日付けの河北新報によると、告発があった4本の論文全ての共同研究者の張涛・北京航空航天大院長が12月27日、片平キャンパスにて会見を行い「告発を受け11月中旬に再実験にとりかかったところ、原理が同じ別の装置で金属ガラスを作成し、再現性を確認した」と主張。当時の実験ノートや作成した金属ガラスは2003年に帰国する際「韓国の運送会社に依頼して送ったが、中国・天津の港でコンテナごと海に落ちた」と説明した。
◆DSC曲線の酷似
告発書の中で、「井上氏の論文で掲載されている3mmと5mmの金属ガラスのDSC曲線がほとんど同じである点は不可解」と書かれている。その反論として報告書では「極めて類似した曲線ではあるが詳細においては同一でなく、異なる曲線だと判断する」と書かれている。本学のある文系教授は「これは説得的な反批判とはいえない。この疑義を晴らすには論文の一次データ(実験ノート等)の検証、それが海に消えたなら再現実験をするしかないだろう」と語る。
◆委員会学外委員、レビュー委員の選定
対応・調査委員会の学外委員にあたったのは東京工業大応用セラミックス研究所所長の近藤健一氏。さらに委員会とは別に報告書のレビューを外部に依頼しており、大阪大産業科学研究所教授の弘津禎彦氏と放送大宮城学習センターセンター長の大橋英寿氏に委託した。
しかし、近藤氏は井上氏をリーダーとする共同プロジェクトの一員、弘津氏は井上氏を代表とする特定領域研究「金属ガラスの材料科学」の総括班の一人、大橋氏は本学元教授であり、3人とも井上氏・本学と密接な関係にあるという可能性は十分考えられる。学外委員・レビュー委員になぜ疑問の余地が残る人材を選出したのか、理解に苦しい。

本学のある理系教授は「確かに論文執筆者自身しか知らないノウハウはあるかもしれない。しかし論文を見て研究を再現できるようにするのが論文の一般的な書き方であるし、疑問を呈されているにもかかわらず再現しようとしないのはおかしいのでは」と報告書を疑問視している。
「実験は確率的なものでああり当時の設備が整わないため再現実験は困難」としながらも「本調査をする必要はない」と主張する大学。文系教授は「今問われているのは井上氏の業績ではなく東北大学総長の業績。投げかけられている疑義に正面から答え、東北大学の名誉を回復してほしい」と語る。今、「世界リーディング・ユニバーシティ」を目指す東北大学の研究の質が問われている。

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