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球界を代表するスラッガー。
実況
「ホームラン!」
そして、この人気歌手も、あるマンガに熱中しました。
ゆず
♪「Hey和 僕らは出逢えた」
原爆で家族を亡くしながらも、広島で力強く生きる少年を描いた「はだしのゲン」です。
発行部数は、国内外で1,000万部以上。
20か国で出版され、連載開始から40年たった今も、世界中でファンを増やし続けています。
今月(7月)には、核開発問題に揺れるイランで、ペルシャ語版が発売されました。
イラン人
「とっても面白かった。
一気に読み終えちゃったわ。」
テロとの戦いを掲げ、イラクに派兵したアメリカ。
ゲンの物語は、帰還兵の心も揺さぶっています。
元アメリカ軍兵士
「戦争に行く前に、このマンガを読むべきだった。」
世界をかける「はだしのゲン」。
その魅力に迫ります。
「はだしのゲン」の作者、中沢啓治さんの妻、ミサヨさんです。
中沢さんが亡くなって、半年余り。
ミサヨさんは、作品にかけた夫の思いを初めて語りました。
中沢ミサヨさん
「俺は、やらなくちゃいけんと。
マンガという武器を使って、子どもだちに知らせる。
原爆に対する知ったこと、思ったこと、全部『はだしのゲン』に託してやるんだと。」
連載のチャンスを得たのは、昭和48年。
「マジンガーZ」や「ど根性ガエル」などの人気マンガで、急速に部数を伸ばしていた少年ジャンプが、その舞台でした。
中沢さんがこだわったのは、被爆直後の悲惨な光景を、ありのままに表現することでした。
爆風で、全身に突き刺さるガラス。
熱線で、皮膚が垂れ下がった人々。
建物の下敷きになり、火にまかれて亡くなる、ゲンの家族。
父、姉、弟を失った、中沢さんの体験をもとに描きました。
中沢ミサヨさん
「やっぱり体験者じゃないと、わからない。
俺が見た目で、思ったことをやると。
やっぱり使命感というか、誰かが背中で『お前が描け、描け』と言っていると。」
しかし、「はだしのゲン」は苦戦を強いられます。
読者の人気投票を参考に決められる、掲載の順番。
連載当初の4番目から、2か月後には、最下位寸前にまで落ち込みました。
当時の連載の場面。
原爆症の死の恐怖におびえるゲン。
生き残った母親や、生まれたばかりの妹のために、当てもなく食べ物を探すゲン。
孤独で、寂しい場面が続いていました。
当時、編集者として、中沢さんのもとに通っていた、山路則隆さんです。
読者の厳しい反応を、中沢さんに伝えていました。
当時の編集者 山路則隆さん
「『いつまで続けるんだ』とか、『暗い作品はもう真っ平』とか、そういった反応は、もちろんあった。
でも、リアルに描きたい。
でも、本当のことを描きたい。
その相克は、ずっとあったと思う。」
将来を担う子どもたちにこそ、原爆の本当の姿を伝えたかった中沢さん。
少年誌での人気の低迷に悩み続ける姿を、ミサヨさんは間近で見ていました。
中沢ミサヨさん
「家族が死んだ後、次のストーリーが面白くないんですよ、全然。
悲しいばかりで、重くて。
つまらないよ、これって言ったら、本人も、そう思っているらしくて。
それでは、だめ。
面白くもっていくには、どうしたらいいか、そればっかりですね。」
どうすれば、読者を引きつけられるのか。
試行錯誤の末に思いついたのは、新たなキャラクターを登場させることでした。
建物の下敷きになり、亡くなった弟とそっくりの隆太です。
原爆で孤児となり、食べ物を盗んだ隆太と、偶然出会ったゲン。
隆太を助けたことで仲間となり、次第に、明るさを取り戻していきます。
中沢ミサヨさん
「孤児の仲間、みんな生きる力をもっている。
一生懸命、生きている。」
中沢ミサヨさん
「もう、すごい面白いわ。
わくわくしちゃうから、次読みたくなっちゃうって、素直に言ったら、よしって感じで、もう次に進むんですよね。」
原爆の病気がうつるという偏見にも、負けないゲンたち。
間借りした家で、いじめに遭っても、それをはねのけていきます。
仲間を得たゲンが困難に打ち勝ち、成長していく物語が、読者の心をつかんでいったのです。
当時の編集者 山路則隆さん
「ゲンは、自分一人のために、自分勝手に悲惨な状況、環境で、それを嘆きながら、怒りながら生きているわけではなくて、人の面倒を見たり、助けたりすることで、そういった子どもの成長物語にしたいんだと。
それを読者がマンガを読むことによって、疑似体験できる。」
中沢ミサヨさん
「原爆で苦しんでたけど、だけど生きていく、精いっぱい。
生きる力、負けるなよっと、言いたいんでしょう。
どんなことがあっても、生きていけよと。
それがテーマなんです。」
核開発問題に揺れるイラン。
今月、「はだしのゲン」のペルシャ語版が出版されました。
原爆をありのままに描いたストーリーに、注目が集まり始めています。
イラン人 女性
「とっても面白かった。
一気に読み終えちゃったわ。
原爆が、あんなにひどいものだなんて。」
翻訳したのは、広島に留学している、イラン人のサラ・アベディニさんです。
万が一にも、イランが核兵器を開発することがあってはならない。
サラさんは、ゲンを祖国の人に読んでもらいたいと、ボランティアで翻訳を買って出ました。
サラ・アベディニさん
「体の皮がむけたり、髪がそのまま抜けたり、そこまでのことは、『はだしのゲン』を読むまでは知らなかった。
この悲しい気持ちを、できればイラン人にも伝えられれば、よい本になると思って。」
この日、イランの書店では、「はだしのゲン」の読書会が開かれていました。
核兵器と、どう向き合うべきか。
イランで、本音の議論が始まりました。
「私だったら、どうしただろうって思ったわ。
家族が生きながら焼け死ぬところは、心が痛かった。
想像するだけで、本当に大変だわ。」
「それでも、世界から核兵器をなくすのは、理想に過ぎないと思う。
戦争は、なくならないから。
特に中東では、さまざまな紛争が起こるし。
私たち市民が、核兵器をなくすことが出来るのかしら。」
「核兵器をなくす方法があるとすれば、それは私たちが知識を身につけることだと思う。
核戦争や放射線などの恐ろしさを、(ゲンを通じて)みんなに知ってもらうべきだわ。」
原爆を投下したアメリカでも、「はだしのゲン」は共感を呼んでいます。
ゲンが読まれている学校は、小学校から大学まで、2,000以上に上ります。
レナード・ライファス教授
「このマンガは、本当にパワフルです。
中沢さんの作品は、さまざまな感情をかきたてるのです。」
ゲンを題材に授業をしている、レナード・ライファス教授です。
これまでは、歴史の一コマとしか受け止められなかった原爆に、学生たちが興味を持つようになったといいます。
学生
「少し前に、歴史のクラスで原爆について学んだけど、今回の方が、より身近に感じることが出来たわ。」
学生
「マンガの絵が生々しかった。
アメリカ人が、これを読むのは重要だと思う。」
「はだしのゲン」を過去のこととしてではなく、現代の戦争と重ねている人がいました。
カルロス・グランデさんです。
3年前まで、陸軍の兵士として、イラク戦争の最前線で戦っていた、カルロスさん。
同じ部隊にいた5人の仲間を失いました。
カルロス・グランデさん
「彼らが死んだと聞いて、ショックだったよ。
そんなはずはないと、かすかな望みを持ち続けた。
でも、本当に死んでいたんだ。」
当初は、自分の苦しみばかりにとらわれていたという、カルロスさん。
しかし、ゲンと出会い、考えを変えました。
最も衝撃を受けたのは、両親の死に直面する孤児たちの姿でした。
カルロスさんは、戦場で親を失った、多くの子どもたちに出会っていました。
ゲンで描かれた孤児たちの苦労や悲しみに触れ、イラクの子どもたちの心情が初めて分かったといいます。
カルロス・グランデさん
「『ゲン』には全てが描かれている。
実際の子どもたちの気持ちがわかる、力のある物語だよ。」
自分が参加した戦争は、正しかったのか。
カルロスさんは、疑問を持ち始めています。
カルロス・グランデさん
「戦争に行く前に読むべきだった。
戦争が何をもたらすのか、世界中の人は、このマンガを読んで知るべきだ。」
●「はだしのゲン」 世界への広がり どう捉える?
そうですね、先ほどのVTRの女性のほうの話もありましたけれども、戦争という問題と核の問題は、非常に身近なところにあるんだなということを感じますね。
それは、もう本当に第2次世界大戦終わって、ずいぶんたちますけど、そういう時間ではなくて、まさに今、近い状態に戦争なり、核という問題を、みんな、世界が抱えてるんだという情勢が、1つは影響しているんじゃないかというふうに思いますね。
●海外公演 どういう反応が多かった?
アメリカは、戦争終結した平和な爆弾という教育が、まずは行われてまして、ただ被害の実態については、あまり伝えられてないんですね。
意図的に伏せてるということもあると思うんですけども。
ですから、そのことの原爆というものが、こんなに悲惨な状態を生むのかということを、目の当たりにするということがショックだったという、ちょっと認識が変わったという意見が、ニューヨークでは結構多かったと思います。
ポーランドは、アウシュビッツを抱えてますから、ナチス・ドイツの問題もあれで、戦争というよりも、本当に幸せな家族が突然引き裂かれて、不幸がというか、災難かな、そういう弾圧なり、いろんなものが起きてくるということに、彼ら自身が抱えた問題と、ゲンが受けた被爆によって受ける、いろんな差別だったり、本当に幸せな家族を崩壊させられていく人たちの心というかな、気持ちというか、そういったものが、とても共感を呼んだんではないかというふうに思いますね。
そういう意見、とても多かったです。
ロシアは、チェルノブイリの事故の被害者の方たちが観劇にいらっしゃいまして、その後の放射能の被害を受けたあと、自分たちが現実に抱えてる問題、それがゲンの中で起きてくる、同じような、やっぱり放射能が伝染病という言い方は、もうすでに、この時代ではないんでしょうけど、その差別という形につながっていったり、それを自分たちが帰りたいと思っているところにも帰れない。
日々、本当に放射線を測りながら、食べ物を食べなければいけないということが、決して原爆という戦争の放射能の問題ではなくて、現実に自分たちが抱えてる放射能と、どう対応して生きていくかということと結び付けて捉えられる方が多かったみたいですね。
●作者の中沢さんが最も伝えたかったのは、生き抜くこと?
はい、そう思いますね。
もちろん被害の実態、戦争というものが何を起こしたかということは、前半部分では強く語られるんですけれども、実際に、人は生きていかなくてはいけませんから、いろんなことがありながらも生き抜く力というのかな、生きようとする努力、エネルギーみたいなものを、ゲンを通して感じてほしかったんだろうと思います。
ただ、生き抜くというとね、とても個人的なことだったりしますから、じゃあ俺が生き残るためには、人を踏みつけにしていいんだという、そういうことにもなりかねないので、そういうことではなく、まさにこう、助け合って、同じように力を尽くして、支え合って生きるということが、中沢さんにとっては、とても大事だったんだろうと思います。
それは自分が被爆者で、原爆という体験を持ちますけど、同じように、日本中の人たちが戦争という被害を受け、同じように孤児になり、同じように家族を失った人たちがたくさんいたでしょうから、本当に1つになって、みんな同じ思いだろうというような支え合い方というものは、中沢さんの中には強くあったんではないかと思いますね。
●ボランティアの方が出版を手助けしているのが、すごいですね
それは、1つは、マンガという媒体の力があると思うんですね。
マンガというのは、コマとコマでつながりますから、間の部分を、どうしても読者が埋めなければいけない、そこに参加せざるをえないと、演劇もライブですから、同じように観客を必要とするんですけども、40年たっても、その40年前に描かれたマンガですら、今読むと、読み手がその中に入らざるをえない。
そうすると、もらった感動ではなくて、自分自身のアイデンティティーみたいなものを、そこで、やっぱり試されてしまうというのかな、そこで受けた感動は、マンガからもらうんじゃなくて、自分の感動なんですね。
それを、やっぱり同じように、みんなに分かってほしい、みんなに伝えたいという思いが、自分の国のことばに訳して、みんなに話したいということに、たぶんつながってる大きな要素ではないかと思いますけどね。
(コマを埋める作業が、自分のその体験になっていくんですね。)
疑似体験ですけど、明らかに、そこで自分自身が積極的に参加するという形で、この作品が生き続けていくという、大きな要素になってるんではないかと思いますね。
●中沢さんの強い思い 未来を背負う子どもたちへ伝えたい
だんだんね、ほっとけばなくなっていくのが時代ですから、本当に入り口でいいので、こういうことをきっかけに、入り口として、こういうことがあったんだよ、そこから何を、じゃあ、自分が知って、さっき止められるとすれば、知識だけだとおっしゃってましたけど、知ることが始まりですから、そういうきっかけになれる作品になればいいなと思いますね。
演劇も、マンガも、あらゆるメディアが、知ることから始めていただければ、先へつながっていくんじゃないかというふうに思います。
(マンガを通して、議論の場といいますか、話し合える舞台のきっかけになるといいですね。)
そう思います。