藤圭子さん自殺の真相「宇多田ヒカルとカネと病」
2013年08月24日 11時00分
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音楽関係者は「ヒカルがブレークしたのは照實氏の手柄のようになっていますが、実は水面下で陣頭指揮を執っていたのは藤さんでした。デビュー当初、ヒカルがテレビ等に出なかったのも、藤さんが“学校卒業”を歌手活動の条件にしたからです。ただ、ヒカルが売れてカネが入ってくるようになると、当初は夫婦で権利を分けていたのに、次第に藤さんは『外されるようになった』と漏らしていたそうです」。
宇多田も02年に映画監督・紀里谷和明氏(45)と結婚して、両親との距離が徐々に広がるようになった。
「ヒカルが2010年に音楽活動無期限休止したのも両親との縁を切りたかったからです。両親への不信感は相当なものでした。藤さんが亡くなる直前は、藤さん、照實氏、ヒカルはまったく連絡を取り合っていなかった」と前出の音楽関係者は衝撃的な事実を明かす。
藤さんの不幸はそれだけではない。病気にも悩まされていたという。
「藤さんのお母さんは盲目でしたが、藤さん本人もかなり視力が悪くなり、ほとんど物が見えない状態だった。娘にヒカル(本名は光)と名付けたのも、娘には自分と同じ思いをしてほしくないからという理由だったのです」(芸能関係者)
前出関係者によれば「晩年はほとんど誰とも連絡を取っていなかった」という藤さん。楽しみといえばギャンブルだけで「カジノ、マージャン、競馬などにのめり込み、相当な金額を突っ込んでいた」(同)という。
「新宿の女」でデビューし、新宿で自ら人生の幕を下ろした藤さん。もともとは内向的な性格で、読書好きの物静かな少女だったが、年を経るごとに心に開いた“暗い穴”は大きくなっていったようだ。
☆ふじ・けいこ=1951年7月5日生まれ。岩手県一関市出身。69年、18歳での歌手デビュー曲「新宿の女」が77万枚、翌年の2枚目シングル「女のブルース」が102万枚、2か月後に出した「圭子の夢は夜ひらく」は185万枚のヒット。71年に内山田洋とクールファイブのボーカル前川清と電撃結婚。22歳と19歳の歌手夫婦となったが1年で離婚。82年に宇多田照實氏と結婚し、翌83年に長女・光(宇多田ヒカル)を出産した。
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