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【芸能・社会】

前夫・宇多田照実さん無言 藤圭子さんの斎場移送に付き添う

2013年8月24日 紙面から

藤圭子さんの遺体を引き取り、都内の斎場に運び込んだ前夫の宇多田照実さん=東京都内で(稲岡悟撮影)

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 22日に東京・西新宿のマンションから転落し、62歳で亡くなった歌手藤圭子さんの遺体が23日午後1時ごろ、安置されていた警視庁新宿署から都内の斎場へ移された。前夫で音楽プロデューサーの宇多田照実さん(65)が付き添ったが、2人の娘で歌手の宇多田ヒカル(30)の姿はなかった。

 斎場の関係者は、照実さんからの伝言として、報道陣に「故人(藤さん)の遺志で、親族以外の遺体の面会は受け付けず、通夜と告別式も行いません。24日以降に出棺と火葬を行います」と説明した。照実さんは午後4時ごろ、藤さんを残して斎場を後にした。

 同署によると、照実さんは自ら遺体と所持品の引取者になることを希望したという。斎場では数十人の報道陣が待ち構える中、警察のワゴン車から降りた照実さんは、カメラのフラッシュを浴びても表情を変えずに建物に入っていった。遺体を乗せたとみられるストレッチャーには白い布がかけられていた。

 また、同署での検視の結果、死因は「頭蓋内の損傷」と判明した。飛び降り自殺を図ったとみられる藤さんは、後頭部から路面に落ちて、あおむけに倒れていた。事件性はないと判断されたため、司法解剖は行われなかった。

◆恩師のしのぶ会 予定通りに開催

 藤さんの恩師で今年3月に71歳で亡くなった作詞家の石坂まさをさんをしのぶ会が23日、東京都千代田区のホテルルポール麹町で行われ、発起人でエッセイストの海老名香葉子さん(79)、作家の大下英治さん(69)ら約300人が出席した。

 出席者によると、藤さんが亡くなったことを受け、招待者からは「中止にしよう」という声もあがったというが、発起人たちは「しのぶ会には関係がない」と予定通り開催することを決定。場内には、石坂さんがたばこを渋い表情で吸う写真が飾られた。メモリアルボードのコーナーには石坂さんの写真や、石坂さんの作品で藤さんのヒット曲「新宿の女」、「圭子の夢は夜ひらく」のCDが置かれた。海老名さんや多くの出席者があいさつの中で、「あの世でみんなを楽しませているでしょうね」などと藤さんをしのぶ言葉も盛り込まれていたという。

◆デビュー前から知る海老名さん「抱きしめてあげたかった…」

 しのぶ会終了後、海老名さんが藤さんとの思い出などを語った。

 海老名さんによると、デビュー前の藤さんを、以前から深い親交があった石坂さんが「いい子がいる」と連れて来て、デビューまでの2年ほど海老名さん宅に居候。藤さんの本名の下の名前が「純子」であることから「純ちゃん」と呼び、夫で落語家の故林家三平さんらと寝食をともにしていたそうで、「三平が絵をみて『これがいいよ』と言って、デビュー曲の衣装をつくってやった」と懐かしそうに目を細めた。

 デビュー後、ヒット曲を連発。しかし、数年後、藤さんと石坂さんの間に確執が生じ、“仲裁”に乗り出したことを振り返り、「このままじゃいけないと思って、2人を家に呼んだ。『手をつなぎなさい。言いたいことを2人で言い合いなさい』と2人きりにして仲直りした時は本当にうれしかった」と笑みを浮かべた。

 藤さんは引退して渡米。照実さんと結婚し、4歳に成長した宇多田ヒカルを連れて来た際には「この子天才よ」と藤さんはわが子の歌の才能を絶賛したという。

 その後、疎遠になり、藤さんと最後に会ったのは10年前の東海道新幹線の車中。「後ろの方の席から、純ちゃん夫婦の声が聞こえたので、『純ちゃん』って声をかけた。『おかみさん、連絡できなくてごめんね』と2人で涙を流した」

 藤さんの死に話が及ぶと肩を落とし、「純ちゃんは親不孝したなと思います。石坂さんの肩を持つわけじゃないけど、夜も寝ないで純ちゃんに尽くした。あれがなかったら、純ちゃんは世に出ていない」と涙。石坂さんが亡くなった際、なんとか藤と連絡をとろうとしたが、「本当かどうか分からないけど、ロスの病院に入院しているって聞いた」と明かした。「今も残念。探し出してくれば良かったと思う。もっと早く私のところに来ていれば…抱きしめてあげたかった」とハンカチで涙をぬぐった。

 

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