先ずはパチンコ廃止通信の紹介から。
左下のブックマークに入れておきました。ここから会員登録をするとメルマガが届きます。パチンコは殺人や心中が起こるほど依存性が高く、あの騒音の中には知性を消してしまう仕掛けがあり、発祥の地の韓国では禁止されているにも係わらず、日本では公営ギャンブル以外禁止なのに、景品まがいのものを通して現金化できる不思議な私営ギャンブルがパチンコです。警官の退職後の就職先としても知られています。不法行為を取り締まる警官が不法行為で生活している、実に不思議な存在がパチンコです。一言で言えば腐敗の温床のお手本のようなものです。
私の地元八王子市でも、駅前のマルイビルに「ウィンズ」(場外馬券売り場)を作る案がありましたが「風紀を乱す」との理由で潰され、その代わりにパチンコ屋が出来ました。え?「パチンコは風紀を正す」と八王子市は判断したのでしょうか?なんという愚かな政治でしょう。ウィンズが出来れば税収はもちろん、周辺の飲食店数十軒が潤います。八王子の町興しには最高のアイデアでしたが、八王子に住んで17年ぐらい経ちますが、全く住民運動の無い街で、五行歌会を主宰する天才詩人の草壁焔太先生が確か「NHK文化センター八王子」で教えていた時代を振り返り、「八王子の人間の詠む歌は志が低い」と断言されていました。八王子の特徴は、閉鎖的な気風、とよく言われます。閉鎖的で住民運動もなく「創価大学城下町」と言われ、また「創価市」と呼ばれて本物の「草加市」(埼玉)から苦情がでるほどイメージの悪い街に成り下がっているのです。一市民として情けない限りです(私は創価学会員全員を批判するのではありません。気持ちよく付き合っている人もいます。一部に完全犯罪に近い違法行為を仕掛けてくる一部の裏部隊を批判するのです)。とにかく志の高い住民運動であれば私も協力します。ぜひ連絡して下さい。長いものに巻かれる風習の中に浸かっている間に正義感という牙を抜かれたのが現在の八王子の姿です。皆さん、立ち上がりましょう。外から見れば「特殊地域」と見られていることに気付いてください。武士道精神を取り戻しましょう。八王子が変われば日本が変わります。
競馬は土日のみで12レースが終わればお仕舞いですからパチンコのように深夜まで年中出来ません。さらにパチンコは座った台が当たるかどうかだけで運任せ。コンピューター制御されているので、トータルでは絶対に損をしますが、競馬は頭を使います。退職した年金暮らしの高齢者たちが百円単位で競馬新聞を買って予想するのはボケ防止にもなります。私は最近はやっていませんが、競馬新聞のデータは一冊の推理小説で、緻密な解読に成功すると蓄財にも繋がります。私は健康と副業と知性を磨くために競馬を再開しようと思っています。今問題になっているのはマルハンの強行なパチンコ屋開店への反対運動です。ぜひ会員登録(無料)して下さい。
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本題の微笑禅の会の話題に移ります。
このところ八王子市の情報公開条例に基づき、公開要請→不開示&一部開示(嘘だらけの作文でしたw案の定)→異議申し立て→審査会、という手順を3種類(八王子市高齢者支援課の職員の職権内の個人情報、母と私それぞれの個人情報)繰り返し、さらに職員が罰されるまで何度もこれを繰返すことになり、来年まで続く過密スケジュールに追われています。総務省が応援してくれているので心強い限りですが、「有識者を集める審査会」のメンバーの顔ぶれを早く知りたいものです。ここで八王子改革派を集めるようなら市長も男気があると評価されるでしょうし、イエスマンばかりなら「やっぱり八王子か」とバカにされるだけでしょう。
さてもう3時を越えました。今私は、ハッキリした原因は不明で主治医に検査入院が必要と言われている歩行障害と重い坐骨神経痛のために、新たにリリカという鎮痛剤を飲み始めました。これは末期癌の患者にもモルヒネと併用して使われる副作用の強い薬です。そんな状態でいま午前三時を回っています。ですから長文は書けません。その代わりに最近月刊「五行歌」の巻頭に選ばれた歌を中心に、私の現在の心境を披露します。こういうのを道歌ともいいます。HTML編集画面のために、五行に出来ないので一行で表示します。
善も悪も みな白骨となり果てて 小石混じりの 土に消えいく
固すぎると 折れ 柔らかすぎると 曲がる 日本刀も人の心も
十呼吸もすれば あっという間に三十分 夜風涼しく 楽で楽で仕方ない 坐蒲(ざふ)の上
破れ坐蒲(ざふ)に座り 祈らず願わず 言葉も私も消えるとき 喜びの果ては 悲しさと知る
一種の才能があれば 多分誰でも悟れる より大切なのは 上手にふんわり 着地すること
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微笑禅の会を結成してもう何年になるでしょう。途中色々ありましたが、真面目に毎日40分坐禅を組み、歩行禅を続けていれば、必ず見性体験をしたはずです。何も変わらなかったのなら、才能が無いと思って退会届をメールで出してください。見性体験、あるいは近似値体験(座禅中に嬉し涙が出る、歓喜に体が振るえるなど)をした人は、もう見性したも同じです。気をつけて下さい。怖いのは見性体験の中で歓喜が極まり、超人的な度胸が付いているときです。
その瞬間人により、怒りや嫉妬心、保身などが増大する場合があります。代表の座を任せた人物がそうでした。彼の見性体験は根本が壊れていました。それに気付きつつ代表を任せた私の責任です。阿頼耶識の底の底まで浄化した本当の悟りは砂浜の一粒の砂を見つけるようなものでしょう。
唯識論の立場では何度も輪廻転生を繰返さないと見性出来ないとされており、現世で悟るというのはそもそも人間業ではありません。一般人から見れば狂人です。だからDVDで強調しているように、常日頃から強く、楽しく、気高く、美しくの心がけを抱き、自然に人が一目置き、町内会や隣近所の人に慕われるように、地に足をつけて、まずは自分の体を大切にして、家族を大切にして、経済力をしっかりつけ、つまり、基本的な部分は大いに執着して、暴走しないようにしてください。執着することが大切さが分からないようでは悟りとはいえません。
また、私は志士の会の代表も兼任していますから、時には権力を批判しますし、敢えて茨の道を選び磔になってもいいとおもっています。しかし、会員の皆様は「健康、愛、財力」を守ることを第一の生命線にして、まずそこを踏み外さないように、私の生き方を反面教師にして頂きたいと思います。
このブログで過去2回連載したとおり、「ブッダの悟りのみが正しい」と原点主義、原理主義に陥る人が非常に多く、大概はヴィパッサナー瞑想を体験します。しかし、ブログに書いた通り、ブッダの存在と残した言葉は学術的には殆ど確定できないのです。そして大抵、一切皆苦の感覚に陥り、徹底した諦観主義に陥ります。創価学会を退会し、日蓮正宗の法華講に入り、そこも嫌になった挙句そうなった人もいます。一時論争して、結果的には建設的な話がまとまりましたが、原理主義は捨ててください。こうでなければならない、という教義は皆カルトです。
色んなことを含めて私の歌を読み直してください。もう夜が明けます。私も健康に執着して眠ることにします。続きは少しずつ書いていきます。