ゲン原理主義者
突然だが本日はある思想集団の興亡について紹介したい。
通常、小中学校の図書館にはマンガを置かないものである。まあ、現在はどうだか知らないが、少なくとも私が通学していた頃はそうだったが、例外としてはだしのゲンのみ置かれていた。とにかく唯一のマンガであるところのはだしのゲンは、文字ばかりの本を自主的に読むほどには人間が出来ていない中学生の間では大人気だったのであり、生徒の間でゲンを知らない者などなかったのである。
このような状況下において、はだしのゲンというのは実は愉快であり、笑えるネタであり、ゲン的なものはCoolであると考える者が現れるのは、いわば当然の成り行きと言える。それでも、まだ純真な小学生のうちは仲間内でくだらないジョークネタを披露する程度に留まっていたのだが、中学生となれば話は別である。反抗期真っ盛りの中学生となったゲン愛好家達は、問題行動を繰り返す所謂不良にはならなかったが、中学生にしては冷めた人間となったと同時に、突発的にゲン的行動を起こす奇人の集団とみなされるようになったのである。
ゲニズム(Genism)の、そしてゲニスト(Genist)の誕生である。
他所での話であれば、クラスに一人は居る変わり者で終わったところであるが、なにしろゲンがデファクトスタンダードな場所でのこと。ゲニスト的な行動は一般的とはならなかったにせよ、愉快行動として支持を受け、着実に勢力を伸ばしていったのである。やがて、朝は「オース」「メース」「サース」と挨拶し、給食の時には「あんちゃん、この雑炊にはハシが立つぞ!」と無理に白米を汁物にブチ込んでまで箸を刺し、昼は図書館ではだしのゲンを読み、帰ってからもガムの事を頑なにアメリカのアメと呼称する先鋭的ゲニスト、いわゆるゲン原理主義者が生まれる。
これがまずかった。
それは二年の春のこと。家庭科の授業で実習として料理を作る事になった。たまたま、私の加わった班は悉くゲニストという恵まれた環境であったため、「味噌汁の出汁は何じゃったかのう」「バカタレ、煮干に決まっとるわい」「ガハハハ、あんちゃんは頭がええのう」と、ゲンと隆太トークを繰り返し、まさに絶好調であった。やがて料理も完成し、次々並べられたが、白米は各班で炊飯器を使用して炊いたため、茶碗は空だった。これがよくない。大変にまずい。それでもまだ普通に置かれていたならば大丈夫だったかもしれないが、ご丁寧に伏せて置かれている。いや、それでもまだ大丈夫だったかもしれないが、その時は麦茶をヤカンに作っていたのだ。もうどうしようもない。配膳も完了し全員が席についたその時、私の正面に座っていたA(仮名)の目に妖しい光が宿った。A(仮名)は生粋のゲン原理主義者であり、勉強も運動もパッとしないがゲンを語らせれば比肩する者もない程であった。彼は確認するように、茶碗とヤカンを交互に見た。私はその瞬間気付いた。アレだ! 奴はアレをやるつもりだ!
A(仮名)の手がひどくゆっくりとヤカンに伸びる。ヤカンの取っ手を力強く握ったA(仮名)は震えているように見えた。いや事実震えている。
大きなネタを前にした緊張だろうか。いやそうではない。そういうネタなのだ。A(仮名)は最早『入って』いた。そのまま、逆さになった茶碗に少量の麦茶を注ぎ、ポケットからシャープペンを取り出し、そして……
「キュー デヘデヘ」
キューは擬音だから口で言うのはおかしいと頭では思ったが、口の方は笑っていた。それはもうゲラゲラと大声で。私を含め同じ班のものは椅子をひっくり返さんばかりに笑った。気を良くしたA(仮名)は何度も何度も「キュー デヘデヘ」を繰り返している。やがて笑いはクラス全体へと広がった。笑った。とにかく笑った。その瞬間、A(仮名)は間違いなくムスビだった。
そして、私の班は昼休みをぶっ通しで担任教師にお説教を食らい、授業終了後には校長まで出てきてとっぷり日が暮れるまで絞られたのである。流石に教師の目の前でヒロポンネタはまずかった。せめてマイトの兄ぃネタにしておくべきだったのだと思ってももう遅い。しかも、それだけでは済まなかった。日頃からゲニストの下品なトークを苦々しく思っていた学校側は本の老朽化を理由にはだしのゲン全てを回収してしまったのである。
いずれにせよ、ゲニストは聖典を奪われてしまったのである。こうして、私の短かったゲニストとしての活動は終わった。そのあとは皆それぞれに、学校をサボったり、勉強したり、トイレでタバコを吸ったりして忙しかったのでゲニストとしての活動は行われることはなかった。
はだしのゲンは読む価値があるマンガだと思う。あの作者はほんまもんだ。