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渡辺恒雄の靖国批判と日本仏教会の参拝中止要請文
8/18(日)に、観測史上最高気温の41.0℃を記録した、旧西土佐村の江川崎の集落へ出かけた。高知自動車道が旧窪川町まで延伸されていて、そこから四万十川沿いに山奥へ入って行く。この高速道は片側一車線のため少し窮屈だが、真新しくて車の運転には快適だ。何より景観が素晴らしい。8月の高知の平野は新米の収穫期を迎えていて、田圃の稲穂があたり一面真っ黄色に染まっている。真夏の陽光と真っ青な空、四国山脈の濃い緑の森、その稜線から白い雲がぽかりぽかり沸き立っている。黒々とした森林と高速道路との間に、目を眩ませるような、爆発するような黄色が広がっている。眩しすぎるほどの明るい世界。東京で鬱々と暮らしている者には、この色彩空間は本当に別世界だ。陰鬱なパリを逃れ、南仏アルルのきらめく光を見たゴッホのことが思い浮かぶ。甦生したゴッホは名作を次々と描いた。高知の夏は、アルルよりもずっと明るく自然が豊かだ。そして現在の東京は、当時のパリよりはるかに陰惨で苛酷で人の心を病ませる環境だ。激暑の空気の中、熱射を浴びて密度を濃くした草いきれが車に入るのを感じながら、ゴッホ的世界を四万十川へと快走する。夏の至福の時間。まだ正午を過ぎる前だったが、地元の放送局のラジオ・キャスターが時事の話題を流していた。昔はパーソナリティと呼んでいたが、今は死語になっている。メインの話題は靖国問題だった。
 

何某という、名前を聞いたことのない東京の「ジャーナリスト」にスタジオから電話をかけ、かなり長い時間、終戦の日に起きた出来事を話していた。最近は、聞いたことのないマスコミ論者に出くわすことが多い。こんな男が、いつから出たんだろうと、そう怪訝に思って首を傾げる機会が多い。テレビの場合は、顔が映るので、初対面でも違和感が徐々に埋められるところがあるが、ラジオだと、ずっと齟齬の感覚が続いたまま話を聞き続けることになる。インタフェースでプロトコルのシェイクハンドが不具合なまま、コミュニケーションを続行する作業を強いられてしまう。若干のストレスだ。地元の放送局の男は悪い感じではなかった。知性も合格点で、喋りに確かな安定感がある。中央のマスコミでハシャギ踊る、タレント芸能人まがいの、のぼせ上がった不快な連中よりずっといい。須崎市の付近から旧窪川町の終点までだから、20分間以上、靖国問題を論じ合っていた。件の「ジャーナリスト」が何と言っていたか、よく覚えていない。抑揚のない、内容のない「解説」に終始していた感がある。キャスターの方も、この問題を、つとめて平板に、車を運転している者の感情を刺激したり興奮させたりしないように、無機質的なニュースに処理していた。聞きながら、何とも不思議と言うか、不自然と言うか、当惑した気分が残り、反芻しながら、あの「会話」と「報道」は何だったのかと、言いようのない違和感に襲われるのを抑えられない。

まるで小さな交通事故の話でもするかのように、どこかで窃盗犯が捕まった事件のように、靖国問題を無理に軽快に捌こうとするのである。カーラジオで軽く聞き流して時間を潰すニュース・ネタとして、放送局の番組側が、靖国問題を(非イデオロギー的に)処理加工して「解説」しているのだ。通常、テレビでも、靖国問題を取り上げるとなれば、肩に力が入り、自ずから熱が入るものである。「朝まで生テレビ」を想起すればいい。たとえ、マスコミ論者が単独で説明しても、二人の会話形式でコメントを発しても、話をする側も、それを聞く視聴者のわれわれも、そこには緊迫の時間が流れる。視聴者のわれわれは、聞く者の立場が右であれ左であれ、言う者の論調が右に寄るか左に寄るかを気にする。注意する。一言一句、聞き漏らすまいと神経を集中させてしまう。靖国問題とはそういう息が詰まる問題なのだ。センシティブでナーバスにならざるを得ない問題であり、マスコミ報道でそれを題材にする人間は、脇の下から冷や汗を流しながら、緊張してそれを語らざるを得ないシリアスな政治的思想的問題なのである。何をどう言っても、左右のどちらかから厳しい批判を受けることを覚悟せざるを得ない、深刻で重大なこの国のイデオロギーの問題なのだ。が、このキャスターと「ジャーナリスト」は、淡々と、軽く原稿を読むように「会話」を流した。おそらく原稿(台本)があるのだろう。感情がこもるとか、息づかいが荒くなるとか、声のトーンが上がるという瞬間がなかった。

事務的に、ルーティンワーク的にこなしている。全体の論調としては、"いつまでもこの問題で中国や韓国の反発を招く事態はよくない"、"外交問題にしない知恵が必要だ"という結論に着地させ、安倍政権の対応を批判するメッセージを発信していた。マイルドな纏め方ではある。だが、問題の本質には触れず、それでは具体的にどう問題を解決すればよいのかは全く語っていない。何の解決策も考えて言っていないのに、何か巧くニュースを纏めて解説を加えた形にしている。A級戦犯分祀や国立追悼施設の議論は寸毫も出なかった。この日のラジオ番組だけではないが、靖国問題についてマスコミ報道が論じる際、こんな感じの薄っぺらな「解説」や「纏め」で済ましている事例が多い。A級戦犯分祀もなく、国立追悼施設もなく、どうやって靖国を外交問題にせずに済む方法があると言うのか。閣僚全員が参拝をしなければ、そうすれば靖国は外交問題にならないとでも言うのだろうか。キャスターは、靖国に参拝して中韓を挑発する閣僚と、それを容認する政権を軽く批判する口ぶりを示したが、その一方で、私にとっては聞き捨てならない問題発言を平然と言ってのけた。"普通に戦死した人を慰霊するのは何の問題もないことですよね"、"外国からとやかく言われるべき問題ではないわけです"。この、靖国参拝を普通視し、非政治的慰霊視する見方というのは、朝日も含めて現在のマスコミでは支配的なものだ。このキャスターだけが特別ではない。世論調査でも、この認識が多数と出る。

大越健介やNHKもこの認識で固めている。8月15日に靖国に参拝する者は、静謐な慰霊と鎮魂をやっているのだと、そういう意味づけの説明にしている。だが、問題は、この認識を一般化してよいのかということだ。少なくとも、20年前はそうではなかった。マスコミ報道で、「英霊」という語を積極的に使う者はいなかったし、8月15日の靖国参拝の行為を「普通の慰霊」という範疇で捉える者はいなかった。それは特別の政治的意味を持った、どこまでもイデオロギッシュな行為だったはずだ。例えば、今から8年前の2005年は、高橋哲哉のちくま新書が出版されて広く読まれ、靖国問題が熱く議論された年だが、このとき、読売は社説(6月)で、「無宗教の国立追悼施設を建立するしかない」と提言している。当然ながら、渡辺恒雄が自らの持論を社説に述べたものだ。靖国をめぐる2005年の論争で、渡辺恒雄は重要な役回りを受け持った論客であり、私は記憶によく残っている。雑誌上で、こうも発言していた。「無数の国民を死に至らしめた軍と政治家の責任は否めない」、「あの軍というそのもののね、野蛮さ、暴虐さを許せない」、「焦土作戦や玉砕を強制した戦争責任者が祀られている所へ行って頭を下げる義理は全く無いと考えている」(雑誌「オフレコ」創刊号、7月)。そして、超党派の議員連盟「国立追悼施設を考える会」(会長:山崎拓)に出席し(11月)、踏み込んでこう論じた。「靖国神社が軍国主義的な宣伝をやめないなら、首相も諸外国の元首も行ける施設を造るのは当たり前ではないか」(毎日)。

小泉純一郎の靖国参拝について、賛成派と反対派が激しく論戦する中で、保守の渡辺恒雄が唱える分祀論=国立追悼施設論は、問題解決の一つの有力な落としどころになるのではと、当時は衆目の期待と関心を集めていた。8年後の現在の、分祀論も国立追悼施設論も消え、忘れたように誰も言わず、靖国の参拝を国民の普通の行事や慣行のようにマスコミが言う言論状況と比べて、彼我の距離感に呆然とさせられる。今や、全マスコミが靖国を積極肯定する姿勢で言論を整列し、靖国が聖化され、無色透明な存在にクレンジング(非イデオロギー化)され、表象として、靖国と千鳥ヶ淵の戦没者墓苑の違いすらなくなってしまっている。靖国が国家神道の中核拠点である事実は全く言われなくなった。8年前は、梅原猛も議論に参加し、国家神道に反対する論陣を張り、靖国の危険性を国民に啓蒙していた。今、それを言う論者はなく、国家神道という言葉(概念)すら消えてしまっている。8月15日に靖国に参拝する行為を、お盆に帰省して墓参りに行くことと同一視して報道するマスコミの欺瞞に対して、8/5に、全日本仏教会が官邸に行き、首相と閣僚の参拝をやめるよう要請して提出した文書をここに対置し、問題の本質的意味を確認したいと思う。全日本仏教会による抗議は、テレビのニュースで僅かに触れられたていたが、その主張が情報として全く伝わっていない。こう言っている。「靖国神社はかつて、国家神道の最重要拠点としての役割を果たした宗教施設であります。また(中略)明らかに『信教の自由』を犯すものでもあります」。
 
「首相及び閣僚とは、その職に就く限り、いかなる時も『公人』であります。拠って、本会は『政教分離』の精神に則り、首相及び閣僚は、靖国神社への参拝は控えるよう要請いたします。(中略)日本国政府の首相及び閣僚の方々におかれましては、日本国憲法を遵守した上で、指導的立場を貫き、世界平和実現のためのご活躍をいただきますようお願い申し上げます」。この文書は短いが、とても重要な内容が書かれている。注意深く読まないといけない理由は、ここには、閣僚の靖国参拝を不可とする根拠として、マスコミが言うような、外国(中韓)からの批判と外交上の摩擦と混乱という点は全く書かれていないということだ。首相・閣僚の参拝が問題なのは、政教分離の原則に反するからであり、靖国が国家神道の中核拠点だったからである。そう説明されている。日本国憲法に違反する行為だから、靖国参拝は行ってはならないのだ。あらためて、靖国問題の核心に気づかされる。この全日本仏教会の主張こそ正論なのだ。中韓がどうとか、外交が問題なのではない。


by thessalonike5 | 2013-08-23 23:30 | Trackback | Comments(0)
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