特集ワイド:憲法よ 近現代史家・加藤陽子さん
毎日新聞 2013年08月22日 東京夕刊
自民党の議員らが「日本を守ろうとする米軍が攻撃されているのに、日本が反撃できないのはおかしい」と主張していることにいかがわしさを感じている。「9条が改正されて自衛隊が正式に国防軍となり、集団的自衛権行使の名目で海外に派兵される。派兵の細部は法律で定めるという。でも法律に譲ってしまうのはよくないでしょう。それなのに国民に対して、そういう説明はあまりない」
おもむろにメモ帳をテーブルに置き、中国大陸の略図を描き始めた。さらに黒ボールペンで、1931年の満州事変以降、日本の関東軍が主張する“領土”が拡大していく様を斜線で表した。「当初、関東軍が主張した旧満州(現中国東北部)の権益は南満州鉄道の沿線でしたが、やがて満州南部から全満州に広がった。関東軍はソ連、米国との戦争を支える基盤として満州全体の占領を目指していた。一方、国民に対しては中国の条約違反などをあげつらい、反中感情を巧みにあおった。国民を納得させるための説明と政府の本音には常にズレがあるというのが、私が研究から得た基本的な考え方です」
加藤さんにとって満州は研究対象にとどまらない。父が44年に野砲兵として立った戦地でもある。この地にはソ連軍の侵攻に備え、砲台や地下壕(ごう)が建設された。父は熊本県の予備士官学校に入るために満州を離れ、終戦を米軍の上陸に備えた高知県で迎えた。その父に聞いた話から学んだことがある。「関東軍はソ連軍の侵攻に備え、38年にはソ満国境に強大な陣地を築きます。しかし現実には、日本軍の正面は太平洋の米軍であり、この要塞(ようさい)を巡る激戦は終戦時までなかった。関東軍が陣地に投じた莫大(ばくだい)な鉄材、コンクリート、人力は無駄になりました。戦況が変われば戦場も変わる。最前線で防衛拠点を拡大しようとするのは意味がない。現在の尖閣問題においても危機だからと島に防衛拠点を築いたりするより、緊張緩和に重きを置くべきではないでしょうか」
史料を駆使し、当時の国民や為政者の心理にまで分け入ろうとする研究態度はどこから来たのか。「私ね、小学生の頃は『朝起きた時、そこがピラミッドの中だったらどんなにいいだろう』と祈りながら寝ていたの。ツタンカーメン王が死に、ミイラにされる時にも立ち会いたかったくらい」。今でいう「歴女」、しかも筋金入りだった。