社説:シベリア抑留 政治主導で風化を防げ
毎日新聞 2013年08月23日 02時32分
シベリア抑留などをテーマに描き続ける熊本市在住の画家、宮崎静夫さん(85)の手記「軌跡 生きて描く八十年」(熊本日日新聞社)が3月に刊行された。宮崎さんは15歳で満蒙(まんもう)開拓青少年義勇軍に参加し、17歳で関東軍に志願入隊。敗戦後、4年間、シベリアに抑留された。
すべてが凍る極寒。地獄をはい回るような飢え。過酷な重労働。<飢えのあまりに私も、煉瓦(れんが)が黒パンに見えたり、鶴嘴(つるはし)で起こしたツンドラが黒砂糖の塊にみえてしまうこともあった>と振り返る。ソ連への忠誠を示すために、同胞が競い合った事実も隠さずにつづっている。
第二次世界大戦の終了後、旧満州などから、武装解除した日本人が旧ソ連領やモンゴルへ連行された。厚生労働省では約57万5000人が連行され、約5万5000人が抑留中に死去したと推計している。もっと多かったのではという考えもあるが、全体像ははっきりしない。
2010年にシベリア特措法が制定され、生存者たち6万8847人に特別給付金が支給された。しかし、多くの課題が残されており、その取り組みには政治のリーダーシップが欠かせない。
同特措法とそれに基づく基本方針では実態解明、抑留中に亡くなった人たちの遺骨収集、体験の次世代への継承などについても、国を挙げて取り組むことを定めている。
これまでに抑留経験者の手記が約2000冊刊行されたといわれる。これらをロシアや日本の資料と照合することが実態の解明につながる。シベリア抑留研究会(代表世話人は富田武・成蹊大特任教授)も、ここに力を入れている。「記憶」を「記録」で裏付ける作業だ。
ロシア側から日本に引き渡された51万人分の資料は厚労省から国立公文書館に移された。これを十分に活用することが不可欠だ。
今年5、6月には、カザフスタンとロシアの研究者を招いて、北海道大と法政大でシンポジウムが開かれた。研究の国際協力はどうしても必要だ。今後の深まりを期待したい。
これまでに政府の事業で日本に持ち帰られた遺骨は1万9187柱。亡くなった人たちの3分の1に過ぎない。遺族が高齢化し、遺骨のいたみも心配されることから、作業が急がれる。
後世に伝えることも多角的に実践したい。国の施設である平和祈念展示資料館や昭和館(いずれも東京)が連携した企画を試みている。この動きを広げたい。
スターリンが抑留を指令した8月23日に国立千鳥ケ淵戦没者墓苑(東京)で毎年、犠牲者追悼の集いが開かれている。抑留の歴史を決して風化させてはならない。