引き続き、西新宿八丁目の再開発エリアをふらふらと歩いていこう。
西新宿八丁目の西側、靖国通りと職安通りが合流して青梅街道にさしかかる成子坂下交差点付近に近づくにつれ視界が開けてくる。もう再開発工事が始まっていた。
既に住民の立ち退きが終わった後で、わずかに残る廃屋とコンクリート塀、それに工事の鉄柵がある以外は何もない。まさにゴーストタウンと化していた。
「成子天神社」の裏手だろうか。鳥居だけが見えるが、鉄格子に阻まれてその奥の様子を伺うことはできない。
以前ここに何があったのか、それすらもわからない状態だ。
至る所荒れるに任されているような状態だが、人の住まなくなった場所にはこうして容赦なく緑があらゆる物を飲み込もうとしてしまう。あと10年放置したら立派に森ができているだろう。
ある民家がガレージで使っていた跡だろうか、半地下式の倉庫の前に家財道具が無造作に放置されたままになっている。本格的に廃墟探検気分なんですが...
ここが街だった頃はどんな風景が広がっていたのか。四方八方に掛けられた鉄柵が辛うじて住居区画の境界を示しているだけで、他にヒントは何も得られない。
ふと、再開発エリアの中に現れた階段。それらは東京は坂の街であるということを示すが、町内会の防犯看板の通り、空き巣や痴漢やひったくりをしでかすような家も人もいない。
そうこうしているうちに、建物が破壊されていく様を見ることができる。生まれ変わった街はまたしても摩天楼か。
少し前までは古い銭湯や場末のスナックがずらりと並んでいたというこの界隈も、完全に更地になってしまっている。
鉄柵で区切られ入れなくなった敷地の向こうには階段が見える。その奥に見える森は「成子天神社」の境内である。
もう一本隣の道から行こうとしたが、坂道の途中で行き止まりになっていた。
道端で見つけた市街地再開発(組合?)を見ると、この界隈が成子地区と言われている事に気が付く。そういえば成子坂という地名もあるが、そんな名前の芸人コンビが昔居たということもついでに思い出してしまった。
副都心の摩天楼を正面に、いまも静寂を保つ「成子天神社」。菅原道真公を奉る天神様なのね。
皇太子殿下がどうたらという石碑もありかなり由緒のある神社だというのがわかる。
立派な神社だが、境内の裏手に七福神を祭った「成子富士」という裏山がある。(→詳細)しかし正月の時期だけしか開放されていないため普段は入れない。運良く入れた人はそれこそ「裏山鹿」と言われるだろう。
こんなテンションの場所が未だに新宿のど真ん中にあるという驚き。実に新宿は奥が深いぜ。
参考サイト
新宿区西新宿八丁目