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【大リーグ】イチローのバットはずっと不変 ミズノの職人が語る道具へのこだわり2013年8月23日 紙面から
毎年のように変わるイチローの打撃フォームだが、オリックス時代から変わらぬものもある。ミズノテクニクス社(岐阜県・養老町)が提供するバットだ。つくるのは2003年に「現代の名工」にも選ばれたプロバットマイスター(名人)の久保田五十一(いそかず、70)と、09年から後を継ぐクラフトマン一級の名和民夫(46)。現在は名和が削り出すバットを、嘱託で週2回出社する久保田が厳しくチェックする。イチローはバットを「自らの分身」と呼び、人一倍大切に扱うことで知られる。そんな“分身”をつくり続ける師弟に話を聞いた。 (敬称略、廣田学) イチローが同社を初めて訪れたのはプロ2年目を終えた1992年12月。当時は入団後にチームから渡された5、6種類のバットの中から巨人の“篠塚(和典)モデル”を選んで使っていたが、「ヘッドが少し重いんです」と微調整を申し出た。久保田が先端から10センチ、直径で1ミリ分削って渡すと、「ぴったりです」。名和によれば、「形状はこの20年近く全く変わっていない。ものすごい、普通ではないバットへのこだわりを感じる」という。 大リーグに舞台を移した2001年、一度だけ材質をアオダモからホワイトアッシュ(WA)に変えた。1999年、マリナーズの春季キャンプに参加した際にWAを試し、大リーグ公式球との相性の良さを感じたからだ。メジャー球は日本のボールより7グラム重く、内部の巻き糸も日本の羊毛100%ではなく混紡で反発力が弱い。アオダモより反発力が強いWAがしっくり来たようだ。 だが、思うような打撃ができなかった02年途中にアオダモへ戻した。「試してみたら非常にフィーリングがいいんで、また元に戻したいということでした」と久保田。それ以降は材質、サイズ、重量(880〜900グラム)ともに不変だ。 ずっとバットを変えない選手はまれだが、通算427本塁打のマイク・ピアザ(元ドジャースなど)もそうだったという。「良い結果を残したバットを常に同じように振れるように体のコンディションを整えていくから、バットを変える必要はない」。久保田はピアザの話に深く納得。そして、イチローも同じタイプだと考えた。バットを軸に毎年、自分をそこにアジャスト(順応)させるのだと−。 オリックス時代の振り子打法はすり足に変わり、トップのバットの角度も、背中の丸まり具合も変えていった。投球前にバットのヘッドを投手に向けるルーティンでさえ、渡米後は右手を伸ばしてバットを立てる動作に変えた。そんな中で不変のバットを20年振り続け、4000安打に到達した。ミートのうまさだろう。バットが折れたシーンをほとんど見たことがないという。 PR情報
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