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【芸能・社会】藤圭子さん自殺か 同居の30代男性宅から飛び降り2013年8月23日 紙面から 22日午前7時ごろ、東京・西新宿の高層マンション前の路上で、歌手の藤圭子さん(62)が血を流して倒れているのが見つかった。藤さんは30代の知人男性と同居していた28階建てマンションの13階の部屋から転落したとみられるが、争ったような形跡がないことから、警視庁新宿署は飛び降り自殺を図ったとみて詳しい経緯を調べている。関係者によると、娘で歌手の宇多田ヒカル(30)は突然の訃報に大きなショックを受けているという。 新宿署によると、飛び降りたとみられるマンションの敷地外の路上で藤さんがあおむけの状態で倒れているのを通行人が発見。すぐに病院に搬送されたが、頭などを強く打っており、同7時22分に死亡が確認された。 藤さんはTシャツに短パン姿で、遺体の近くにはいていたとみられる片方のスリッパもあった。もう片方のスリッパも13階の部屋のベランダに落ちていた。 同署員が同居していた知人男性から事情を聴いたところ、藤さんについて「別々の部屋で寝ていたので分からなかった」と話し、かなりショックを受けた様子だったという。同署によると、男性は藤さんと6年前から同居。世帯主は男性で、藤さんが居候するような形だったという。2人の関係については明かしていないが、内縁関係にあった可能性が高い。 部屋の間取りは2LDKで、藤さんはリビングに直結するベランダの高さ約1・5メートルの手すりを乗り越えて飛び降りたとみられる。遺書は見つかっていない。また検視の結果、違法薬物や睡眠薬なども検出されなかった。 藤さんはたばこも吸わず、酒もほとんど飲まなかったといい、男性は自殺の原因について「(藤さんとの間で)トラブルもなく、思い当たるふしはない」と話している。同署は引き続き詳しい経緯を調べている。 遺体は同署に搬送され、正午ごろに駆けつけた前夫の宇多田照実さんが身元を確認したという。 午後には約200人もの報道陣と関係者が集まった。現場は新宿駅から約1キロ離れた、大通り沿いの28階建てタワーマンション。周辺にはマンションやオフィスビルが林立し、人通りも多い。 午前8時ごろ現場を通りかかったという同じマンションの女性は、「大きな血だまりがあった。交通事故かと思ったら、警察の方がみんなマンションを見上げているので、飛び降りなのかな、と思った。まさか藤圭子さんだったなんて…」と絶句。7時すぎにサイレンの音に気づき、向かいのマンションの7階から外を見ていたという男性は「シートをかけられた人が、担架で車に乗せられていったんだ」と驚いた様子で語った。 2006年に建ったこのマンションは、コンシェルジュサービスや、最上階には居住者用のラウンジもある総戸数224の高級物件だ。藤さんが出入りしていたことを知る人はほとんどいないようで、住民は一様に驚いた表情を浮かべていた。 ♪十五 十六 十七と 私の人生 暗かった ヒット曲「圭子の夢は夜ひらく」の歌詞にあるように、貧しい環境のもとに生まれた藤さんは、優秀にもかかわらず進学を断念、歌手を目指す道を選んだ。 暗い過去の遺恨を込めて歌うため、藤さんの歌は「怨歌(えんか)」と呼ばれていた。71年に歌手前川清と結婚したが、わずか1年で離婚。しかし、79年に一度引退し、渡米してからは82年に音楽プロデューサー宇多田照実さんと再婚し出産も経験、藤さんも幸せな家庭の母親として、娘の宇多田ヒカルに愛情を注いだ。 宇多田は15歳で日本デビューしたが、学業と両立させながら2000年に米の名門コロンビア大学に入学。藤さんには自分と同じ経験を娘にはさせたくないという強い思いがあった。 96年に「藤圭子+宇多田ヒカル」名義でシングル「冷たい月」をリリース。2000年には宇多田のライブに飛び入り参加し、「圭子の夢は夜ひらく」を披露した。 その後は表舞台から遠ざかっていたが、06年3月に、米ニューヨークのJFK国際空港で現金42万ドル(約4200万円)が入ったバッグを、米国司法省麻薬取締局に没収される騒ぎがあった。 現金からは微量の規制薬物が検出されたためで、藤さんは「ニューヨークの金庫に保管していたものに、ギャンブルで勝った金を加えた。違法な現金ではない」と説明。09年1月に全額返還されたが、この事件から藤さんのぜいたくな暮らしぶりが明らかになった。 騒動から約7カ月後、テレビ番組のインタビューで約5年間、世界中を旅しながら、ファーストクラスの航空運賃や高級ホテルなどで約5億円使ったことを告白。大のギャンブル好きで、「カジノでは、現金所持が当たり前」と話していた。 07年に照実さんと離婚。10年には母・竹山澄子さんが肝臓がんのため80歳で死去。長年絶縁状態にあったが、澄子さんは最後に藤さんや孫の宇多田に会いたがっていたという。その願いをかなえてあげることはできなかった。 さらに、今年3月にはプロデューサーとして、マネジャーとしてヒット街道に導いてくれた育ての親・石坂まさをさんが71歳で死去した。しかし、石坂さんの葬儀に藤さんはなぜか姿を見せず、一部で入院説や行方不明説がささやかれていた。宇多田は母を気遣って頻繁に連絡を取っていたという。 きょう23日には、「石坂さんをしのぶ会」が東京都内のホテルで開かれる予定だ。その前日、藤さんは何を思い詰めていたのだろうか−。 PR情報
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