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「ゲン」閲覧制限の背景は

8月22日 23時55分

後藤匡記者

今月、松江市教育委員会が中沢啓治さんの漫画「はだしのゲン」を市内の小・中学校の図書室で子どもが自由に読むことができなくするよう学校側に求めていたことが分かりました。この対応について松江市教育委員会には、全国から連日さまざまな意見が寄せられるなど、原爆や戦争の悲惨さを伝える作品の閲覧制限を巡って波紋が広がっています。松江市教育委員会が閲覧制限を市内すべての小中学校に要請した経緯や今後の展開などについて、松江放送局の後藤匡記者が解説します。

閉架要請はなぜ行われた

漫画「はだしのゲン」は、去年12月に亡くなった被爆者で漫画家の中沢啓治さんが、原爆の被害を受けた広島で力強く生きていく少年の姿を描いた作品です。現在は外国語にも翻訳され、世界で多くの人々に読まれています。

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去年12月に松江市教育委員会は校長会で市内すべての小中学校に対し、「はだしのゲン」を児童・生徒が図書室などで自由に読むことができない「閉架」の措置をとるよう、要請していました。
きっかけとなったのは去年8月、はだしのゲンが誤った歴史認識を植え付けかねないとして、学校の図書館から作品を撤去するよう、市民が求めた松江市議会への陳情でした。
この陳情は松江市議会の9月定例議会の委員会の中で審議が行われ、そのとき市教育委員会は「撤去の必要はない」と答えていました。市議会では「議員が判断するにはそぐわないテーマだ」などとして陳情は「不採択」になりましたが、審議の過程で「過激な文章や描写が多く見られる」「平和教育を行ううえで価値のある書物だ」という対立する意見が議員から出たことから、市教育委員会では担当者が「はだしのゲン」を実際に読み込み、調査や分析を行いました。
その結果、「平和教育を行ううえで価値のある作品であるが、作品の一部に発達段階の子どもたちにはそぐわない過激な描写がある」として、「最終的に判断するのは各学校の校長である」と説明したうえで「閉架」の措置の要請を市内全ての小中学校に行ったのです。

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※この問題については、NEWSWEBのフェイスブックのページにもさまざまなご意見が寄せられています。そちらも合わせてご覧ください。
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メンバー「悩んだ末の結論だった」

要請の判断は、当時の教育長を中心に副教育長ら5人で決められました。その時の議論の様子についてメンバーの1人だった松江市教育委員会の古川康徳副教育長は、「メンバーからは、制限を加えるのはやはりよくないのではないかという意見や、子どもたちを過激な描写で傷つかないよう守らなければならないので、過激な表現が多い巻だけ閲覧を制限すればいいのではないかなどさまざまな議論が出た。非常に難しい問題だったが最終的に、傷ついてしまう子どもが出ないようにと、このような結論に至った」と話し、要請を決めたメンバーの間でも意見はさまざまで、子どもたちの知る権利を重視するのか、過激な表現から子どもたちを守るのかを天秤にかけ、悩んだ末の結論だったと明かしました。

要請は2度行われた

市教育委員会は、撤去の陳情の取り扱いを決めるに当たって直前の去年11月下旬に、図書館情報学が専門の県内の有識者に相談しました。相談を受けた島根県立大学短期大学部の石井大輔専任講師は、「教育委員会として書物に何らかの問題があっても、撤去のみならず要請に関しても好ましくない」と発言しています。このような助言があったにもかかわらず、要請の判断に至ったことについて松江市教育委員会は、「過激な表現から子どもたちを守るということを重視した結果だ」と説明しています。

また、要請は1度だけではありませんでした。1度目は去年12月に行いましたが、市教育委員会によりますと、閲覧の制限を行っていない学校が複数あったため、ことし1月にも同様の要請を全ての小中学校に出したということです。
2度目の要請を行ったのは、一部の学校から市教育委員会に「閲覧を制限していない学校もあり、現場が混乱しているので対応を統一してほしい」という要望があったためだということです。

閉架に広がった波紋

今月、この問題が、表面化してから松江市教育委員会には、全国から電話やメールなどでさまざまな意見が寄せられるようになり、職員は多くの時間をその対応に取られるようになりました。
この問題に対して「はだしのゲン」の作者、中沢啓治さんの妻のミサヨさん(70)は、「教育委員会が、はだしのゲンを自由に読めないようにしているという話はこれまで聞いたことがなく、大変驚いている。はだしのゲンは、子どもたちが読めるように、描写も抑えている。それでも一部の描写が過激だということだが、戦争や原爆の被害は決してきれい事ではないし、子どもたちに、本当の事を知らせなければ、戦争の悲惨さや平和の尊さについてきちんと伝えられない。松江市教育委員会には、はだしのゲンを子どもたちが自由に読めるようにしてほしい」と話していました。

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また、被爆地である広島市の松井市長は、松江市教育委員会の対応について21日、「いいとか、悪いとかいう立場にない」と述べたうえで、「子どもたちが作品に接する機会を排除することに重きを置きすぎた対応ではないか。広島市は『ゲン』の中から場面を選んで小学3年生に世界平和や家族の絆を伝える教材として活用している。ぜひ参考にしてほしい」と述べました。
一方、下村文部科学大臣は21日、「子どもの発達段階に応じた教育的配慮の必要性があり、それぞれの自治体の判断だ」と記者会見の中で述べて、松江市教育委員会の対応に一定の理解を示しました。

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その後、隣の鳥取県の鳥取市立中央図書館でも、「はだしのゲン」の閲覧制限があったことが分かりました。理由について図書館は、「女性を乱暴するなど性的な描写がある」と保護者から指摘を受けたためとしていて、希望する人の閲覧や貸し出しには応じていたということです。西尾肇館長は「どのような形での閲覧がよいのか議論を怠っていた。図書館として閲覧を制限したつもりはまったくなく、今後は一般書のコーナーに移して手にとって読めるようにしたい」と話しています。

約半数の校長が閉架を疑問視

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22日、市教育委員会は定例の教育委員会会議を開き、初めて教育委員も交えて「はだしのゲン」を学校図書としてどのように扱うべきか議論が行われました。
この要請は市教育委員会の事務局の判断で行っていたことから、市教育委員会は大学の名誉教授などで作る教育委員5人に対して、改めてこれまでの経緯を説明しました。
ことし5月に教育委員に就任した清水伸夫教育長は、「今回の事案では手続きに不備があったことをおわび申し上げます。必ずしも教育長の独自の判断をすることが適切ではなく教育委員の意見をまとめることが必要だった」と謝罪しました。
会議で委員からは、「教育委員会の要請の拘束力はどの程度あったのか」などの質問が出され、事務局は「校長にとってとらえ方はさまざまだったと思うが教育委員会としては拘束力はないと考えていた」と回答していました。
22日の会議では最終的な結論は出ず、今月26日に臨時の会議を行い、再び議論することを決めました。

会議では、教育委員会が今月19日に市内すべての小中学校の校長に行ったアンケートの結果も公表されました。
校長49人のうち制限を維持すべきと答えたのは、およそ1割の5人でした。
また、▽「閉架」の必要性がない、もしくは▽「閉架」の状態を再検討すべきと考えている学校は合わせて24校に上り、全体のおよそ半分を占めました。「はだしのゲン」の閲覧を制限することを疑問視する校長が多い実態が明らかになりました。
アンケートの意見記述の中には、市教育委員会の「要請」を、実際は「指示・命令」として受け取っていた校長がいたことも分かりました。アンケートからは、一部の校長の間で、市教育委員会への不信感がにじみ出ていることもうかがえました。

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知る権利と子どもへの配慮の間で

私(後藤記者)は今回、市教育委員会の幹部や松江市内の小中学校の校長などに取材をしてきましたが、このなかである小学校の校長が「小学校の低学年は、どうしても文字ではなく絵に頼って理解をしていくことが多いように思う。そういった子どもたちに過激な描写が強く印象に残り、『はだしのゲン』を読むことで私たち教師が子どもたちに学び取ってほしいと思う『原爆や戦争の悲惨さ』がこどもたちの中で残らないとするならば、それは不幸なことだ。だから、ある程度の制限は各学校の判断であってもいいと思う」と話していました。
今回の取材で現場の教育者のさまざまな考えに接して「子どもたちの知る権利を守ること」と「子どもたちを過激な表現から守ること」のどちらを優先させるのかは、非常に難しい問題だと感じました。 松江市教育委員会による閲覧制限の問題は、5人の教育委員の議論にゆだねられることになりましたが、教育委員には、今回実施したアンケートや全国からの意見なども参考にしながら、子どもたちのためになる結論を導き出してもらいたいと思います。