橘玲の世界投資見聞録 2013年8月8日

遠くシベリアの地に眠る
国家に見捨てられたひとびとの墓
[橘玲の世界投資見聞録]

ソ連の満州侵攻による悲惨な光景

 1945年8月8日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して日本に宣戦布告し、満州国境を越えて日本領深く侵入した。弱体化していた関東軍はソ連軍(赤軍)の近代兵器の前に総崩れとなり、旧満州国は大混乱に陥った。この撤退で起きた悲惨な出来事はすでに多くの手記や回顧録で語られているが、ここではソ連崩壊後に公開された赤軍の報告書から、彼らが見た光景を引用しておきたい。

日本軍が退却の際、大量に日本人婦女子を射殺した例をいくつも赤軍司令部はあげている。鶏寧-林口への道で、銃で撃たれ刀で斬られた日本人婦女子の集団がいくつか発見された。その最初の集団はオクシ市の南10キロの鉄道用地で発見され、自動車の中に250人いた。彼らは自動火器で射殺されていたが、一部の者は刀で腹を斬られていた。日本人に銃刀で殺された150人からなる第二の集団が適道駅付近で発見された。このようにして殺された日本人婦女子はすべて顔に白い布がかけられ、頭を東に向けられていた。
(中略)
 捕虜になった日本人は、この殺人は日本人が無条件降伏を受け入れる前に行われたとソ連兵に説明した。軍事捕虜が言うには、ソ連軍の急速な侵攻が婦女子大量殺人の理由である。結果的に、避難する日本人住民は関東軍の退却路で停滞した。関東軍は避難民を保護することも、円丘(小山)へ連れて行くこともできなかった。捕虜が言うには、婦女子の射殺は本人の同意の下に行われていた。ともかく日本人にとって、それが誰であれ、捕虜になることは恥なのだ。
(ヴィクトル・カルポフ『ソ連機密資料が語る全容 スターリンの捕虜たち』〈北海道新聞社〉)

 8月14日に日本がポツダム宣言を受諾し、翌15日に日本軍の降伏を告げる玉音放送が流れ、満州の関東軍も戦闘を停止し次々とソ連軍に投降していった。19日には国境に近いジャリコーヴォで極東方面軍総司令官ワシレフスキー元帥と関東軍参謀長秦彦三郎が会談し、すみやかな武装解除と捕虜収容に同意している。

 日本軍に対して無条件降伏を求めたポツダム宣言第9項には、「日本軍は武装解除された後、各自の家庭に帰り平和・生産的に生活出来る」とある。

 ナチスドイツの降伏で第二次世界大戦の帰趨が決まった後、アメリカ(トルーマン)、イギリス(チャーチル)、ソ連(スターリン)の3首脳がベルリン郊外のポツダムに集まり、戦後処理について話し合った(ポツダム会談)。この時点ではまだ日ソ中立条約は有効でソ連は日本軍と交戦状態にはなかったため、日本への降伏勧告であるポツダム宣言には名を連ねていないが(そのかわりに中華民国の蒋介石国民政府主席が加わった)、スターリンもこの条項に合意したと考えるのは当然だ。

 しかしスターリンはポツダム宣言の捕虜送還条項は一顧だにせず、捕獲した日本兵をシベリアに拉致し、鉄道建設や石炭採鉱などに使役した。これが、シベリア抑留だ。

シベリア抑留者は約65万人にものぼる

 ソ連軍の捕虜となり、強制労働に従事させられた日本兵は約65万人とされている。彼らはモスクワと日本海を結ぶ全長9297キロのシベリア鉄道に沿ってシベリア全域に移送され、日本人収容所はモンゴルやカザフスタン、さらにはカスピ海を越えて黒海に近いコーカサスにまで点在した。

 終戦当時のソ連の地域別配置計画によれば、日本人捕虜のうち15万人はバイカル湖の北を通って日本海へと至るバイカル・アムール鉄道(バム鉄道/第2シベリア鉄道)の建設に充てられた。それ以外は沿海地方(ウラジオストク)やハバロフスク、イルクーツクなどで石炭採鉱や鉱石採掘、木材調達のほか、工場・港湾の建設などに従事することになった。

 日本軍が捕虜になったのは8月で、彼らは夏服のままシベリアへと移送されることになった。だがソ連が旧満州国内にある工場や鉄道などの撤去と(ソ連国内への)輸送を優先したため、捕虜の移送計画は大幅に遅れた。紙の上では越冬するのにじゅうぶんな食糧の配給が指示されていたものの、マローズ(寒波)が到来する直前に収容所にたどり着いた捕虜は、食事も支給されず、冬用軍装品も寝具も持たず、餓死寸前のあり様だった。その収容所にも、越冬のための食糧として2週間分の穀物、1週間分の獣脂しか届かなかった。

 シベリアの冬は零下40度を下回り、ほとんどの交通は途絶える。とりわけツンドラ地帯に収容所が点在するバム鉄道の建設現場は凄惨で、飢えと寒さのため、最初の冬で収容者の半分が死亡するところもあった。



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<執筆・ 橘 玲(たちばな あきら)>

作家。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術 究極の資産運用編』『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術 至高の銀行・証券編』(以上ダイヤモンド社)などがある。ザイ・オンラインとの共同サイト『橘玲の海外投資の歩き方』にて、お金、投資についての考え方を連載中。

 

 

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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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