遺骨返還活動:シベリア抑留91歳の終わらぬ戦後
毎日新聞 2013年08月14日 07時10分
◇坂井正男さん「仲間の無念に報いたい」
終戦後、シベリアに抑留され、望郷の願いがかなわないまま酷寒の地で果てた戦友らの遺骨を遺族に届けようと、返還活動を続ける元兵士がいる。戦後68年が経過し、自身や戦没者遺族の高齢化が進む中、「仲間の生きた証しが遺族の手に戻るまでは、戦後は終わらない」と話す。
遺族に身元照合のためのDNA鑑定を呼びかけている広島県福山市、会社社長、坂井正男さん(91)。坂井さんは1942年召集を受け入隊。45年8月15日、主に広島、島根県出身者からなる陸軍歩兵231連隊の曹長として旧満州(中国東北部)の新京(現長春)で終戦を迎えた。
数日後、旧ソ連軍の捕虜となり、約1500人が貨車に乗せられた。日本へ帰れると喜んだのもつかの間、チタ州カダラ村の収容所へ送られた。食事は朝と晩の2回。炭鉱で働く者には1日700グラム、兵舎建設やイモ掘りなどの軽作業者には350グラムのパンが支給されるだけだった。
冬に入り、軍隊経験の浅い新兵や老年兵を中心に、栄養失調やチフスに倒れ、多い日は10人近くが死亡した。ひと冬で約350人が異国の土となった。寒さをしのごうと、遺体がまとう毛糸のシャツをはぎ取る兵も出た。
栄養失調になった坂井さんは47年春、帰国が決まり、仲間から福山出身の2人の抑留兵の遺骨を託された。遺骨の持ち帰りは禁じられ、見つかれば帰国取り消しの危険を冒して下着にしのばせて帰還した。
坂井さんは経営していた特産のげた製造会社の実質的経営を息子に譲り、戦友3人と2004年に厚生労働省の収集団に参加。154人の遺骨を持ち帰った。連隊名簿などを手がかりに電話帳を調べ、100件以上の遺族に連絡、DNA鑑定を勧めた。「昔のこと」と渋る遺族を説得し、新潟や大分など30人以上の返還につなげた。「戦後届いた木箱には石が入っていた。やっと亡父を弔える」と涙を流す遺族もいるという。
その戦友3人も1人は亡くなり、2人は体が弱くなって活動できるのは坂井さんだけになった。坂井さんは足は弱っているがつえは不要で、自分が関わった遺骨が遺族に返還される際は、遠方でも新幹線を使ったり、自分で運転する車で駆け付けて立ち会っている。