2013/8/12〜8/18
ロンドンオリンピックのフェンシング男子フルーレ団体で銀メダルを獲得した太田雄貴選手、千田健太選手、三宅諒選手、淡路卓選手が5日、ロンドン中心部のジャパンハウスで会見を行い、メダル獲得の心境を語りました。
――今の心境は?
淡路選手 このロンドンオリンピックの舞台でメダルを取ることを目標にこのチームでがんばってきて、昨日の試合では銀メダルという結果に終わりました。昨日の時点では実感はあまりわかなかったのですが、今日の朝起きたときに自分の手元にメダルがあって実感がわいてきてうれしかったです。
三宅選手 メダルを獲得が決まった瞬間は、決勝に進めるということよりも試合に勝てたといううれしさがありました。その後、イタリア戦で負けてしましましたが、銀メダルをもらい、諸先輩方やコーチの方、学校の友人や両親から電話やメールをいただいて、初めて自分が成し遂げたというか、結果を出せたということを実感できましたので、非常にうれしいと思っています。
太田選手 北京オリンピックとはまた違う団体でのメダルということで、自分自身だけのことではないので、3人が喜んでいる姿を見て、個人戦から気持ちを切らすことなくがんばってよかったなと思いました。また、団体戦の時は力強いチームメートだったと思うので、この4人で組めたことを幸せに思いますし、本当に誇りに思っています。日本から多くのサポーターの方が会場に足を運んでくれて、大きな声援をくれたことが何よりもうれしかったです。
千田選手 今回のロンドンオリンピックを目標にずっとやってきて、本当に決勝で負けたことは悔しいですが、いままで苦しい時に支えてくれた周りの人たちに、感謝の気持ちでいっぱいです。
――決勝のイタリア戦に向けて、どんな気持ちで試合に臨んだか。
太田選手 イタリア戦に関しては中国戦同様に、前半に大きなリードを取れれば勝機があるが、接戦にもつれ込んだ時には少し分が悪いかなというのが全員の共通認識でした。最初の三宅選手がリードしてくれたのですが、僕が同点でうまく引き継げなくて、そこで3点なり4点離して千田選手に渡すことができていれば、また違う展開になったと思います。金メダルを目指してみんなでがんばって来たので、もちろん悔しいことは悔しいですが、ただ出せるものはすべて出せたと全員そう思っているので悔いはないと思っています。
――団体で初めてのメダル獲得となりましたが、その重みはいかがですか?
淡路選手 このメダルは僕たちだけでは絶対に取ることができなかったメダルで、ナショナルチームのみんなを初め、いろいろな人の応援があったからこそ取れたみんなの思いが詰まったメダルなのですごく重みを感じます。
三宅選手 僕と淡路選手は初めてのオリンピック出場ということもあり、まだオリンピックというものがどういうものか分かってなくて、その中で結果を出せて初出場でメダルを取れたというのがこれからの励みになるし、将来につながる重みのあるメダルだと思います。
太田選手 本当にいろいろな人の支えがあってこそのメダルだと思います。これからフェンシングが20年後か30年後か分かりませんが、柔道、レスリング、競泳のように日本の基幹種目になるように、フェンシング界全体が短期的なプランではなく、長期的なプランで考えたときに、この銀メダルはもっと(メダルを)頼られる競技団体になるためのスタートのメダルだと考えています。
千田選手 僕も北京からの4年間はけがで苦しんだので、そういった時に陰で支えてくれた方や応援してくれた方たちの思いが乗っかった重いメダルだと思います。
――競技キャリアが長い千田選手と太田選手に。今後、フェンシング環境をよくするために必要なことを教えてください。
太田選手 北京オリンピック以降フェンシング競技はたくさんのお金を集めていただき、JISS(国立スポーツ科学センター)という環境も提供していただきやってきた結果として、今回女子フルーレの入賞(団体と個人の菅原智恵子選手、池端花奈恵選手)と僕たちの銀メダルとなりました。
総括を僕がするわけではないですが、右も左も分からない中で一生懸命やってきたのが、今回の結果だと思います。今後、リオデジャネイロオリンピック、また2020年に東京にオリンピックが来たら、もちろん短期的な強化も必要ですが、まだまだイタリアだったり、韓国、中国、フランスに遅れを取っているのは紛れもない事実なので、日本の中で必ずメダルが期待できる種目になっていくためには、JISSに頼り切っている今の状況ではなく、競技団体がしっかりとした施設を持つことを始め、指導者の育成、普及活動の推進とまだまだやらなければいけないことはたくさんあると思います。
この役割分担を今後、誰がどうやっていくのかは分かりませんが、日本のフェンシング界の将来を僕自身がどこかで担っていくのは運命だと思っているので、何かの形で協力できればいいなと思っています。
千田選手 日本全体のフェンシングのレベルも確実に上がってきていると思いますので、僕はフェンシングの普及活動に努めていきたいと思います。
――千田選手に質問です。準決勝までチームの要としてご活躍されましたが、そこまでを振り返ってください。
千田選手 (出身地である宮城県の)気仙沼の方たちもかなり来てくれて、個人で不甲斐ない結果に終わってしまって自分自身すごく悔しかったし、このままでは帰れないと思って、気持ちを切り替えて試合にすべきことだけに集中して、剣先に気持ちを込めてがんばりました。
――準決勝のドイツ戦は厳しい勝負になりましたが、あまりに速くて素人には分からない状態だったのですが、ご自身ではどのように感じていたのですか?
太田選手 残り1秒で追いついて、延長になった時に一つ目のビデオ判定がありました。(自分が)有効面を突いたのですが、相手も相手で勝ちだと思って1回目のビデオ判定になりました。これはお互いにビデオをコールするというよりは、フェンシングの場合、お互いにランプがついた時には審判はビデオを見に行くというルールがあって見に行きました。
2回目は相手が攻撃してきたのを僕が払いのけて突いたのですが、(相手に得点がついたので)マスクを下げたヘッドダウン(の反則)をアピールしたらそれが認められて、彼の得点は取り消されました。
そして3回目のやり直しですが、僕自身は下がったら彼のネームバリューもありますので少し厳しいかなと思っていたので、彼の出てくる瞬間に出て行ったのですが、彼は僕の攻撃を止めようとした後に合わせて突いてきました。肉眼で見ると僕たちが見てもヨピッヒ選手の勝ちのように見えますが、スローで見ると僕の勝ちだなと認識していましたし、審判がどう取るかは変な話ですが味付けもあるので、今回の審判は僕の攻撃権の方を好んでくれたかなというのが正直な感想です。
――ご自身としては勝利を確信したわけではなかったのですか?
太田選手 やはりヨピッヒ選手は世界選手権を4度優勝していまして、ベストフェンサーの一人だと思っているので、そういった点でいえば、僕のネームバリューでは負けてしまうので、逆に取られてしまうかなとは思っていました。やはりフェンシングはヨーロッパのスポーツですので、ヨーロッパびいきに取られることもあります。それを乗り越えていかなければと思っていたので、スローで流れる度に会場の方の声援があったおかげで、審判も人間なので「これは取っちゃまずいよな」という感じだったと思います。
――騎士道精神として、このオリンピックで学んだことは何ですか?
太田選手 北京の時、僕は22歳でこの会見に一人で立って、右も左も分からない状況でまだまだ人間として未熟だったと思います。この4年間、僕自身つらいこともありましたし、いいこともたくさんありました。多くの人の支えによって今、僕はこうやってここに立てていることを幸せに思っています。
北京と違って今回は、団体戦を組むことができたので、三宅選手、淡路選手は僕より年が若いですが最後は頼もしかったですし、フェンシングは個人スポーツですが、仲間を信じるというのは団体戦ならではのことで、自分の名誉を守ること、相手の名誉を守ること、騎士道精神にはいろんなことがありますが、日本人の持っている仲間を思いやる気持ちが団体戦で出て、彼らの思いが(ドイツ戦の)最後の1本を僕に取らせてくれたのかなと思います。
――今後の抱負を教えてください。
淡路選手 僕の年齢であればリオ、東京オリンピックも狙えるので、ここから心身ともに成長してがんばって行きたいと思いますが、今はこのオリンピックのメダルを噛みしめたいと思います。
三宅選手 今回、太田先輩の北京のメダルに引き続き、団体でメダルを取ることができたので、フェンシング界はまた違ったかたちで4年後に進んでいくと思いますが、まだ下の世代が出てくると思うので、そういった選手たちを引っ張っていける中心選手になることを目指したいと思います。
太田選手 僕は会社員なので、会社と話さないと何も決められないですが、ゆっくり考えたいと思います。
千田選手 僕もロンドンを集大成にしていたので、特に決めていないのですが、もっとフェンシングをメジャーにしたいので普及活動にも積極的に進めていきたいと思っています。(引退は)まったく考えていないです。
――自分の中で一番、記憶に残るプレーと、フェンシングの面白さを教えてください。
淡路選手 試合の面ではリザーブとしてこの団体に臨んで、決勝の最後の1試合だけを出場させてもらいましたが、相手が世界ランク1位のカッサーラ選手(イタリア)だったので気持ちで負けないという面と、自分の持ち味である運動量を生かして戦おうと決めていて、その戦術で善戦はできたので、試合内容としては満足しています。
フェンシングは対人競技なので駆け引きの面白さがあるので、もっといろんな人に知ってもらいたいと思います。
三宅選手 ドイツ戦の3試合が記憶に残っています。フェンシングは決まった型はなく、それぞれ思ったように構えて思ったように突く。僕は点取り屋ではないし、がんがん攻められる選手ではないので、1点1点を大切に取っていくということを意識しました。クライブリンク選手、ヨピッヒ選手、バッハマン選手には5点は取れませんでしたが、プラスで終わることができ、そういった役割分担が団体戦では大切なので、そういったところも見てほしいなと思います。
太田選手 記憶に残っているのは、自分の個人戦で金メダルを目指していたのに潰えたカッサーラ戦が何よりも一番印象に残っています。目標にしていたのはそこなので有言実行できなかったので、それは僕自身いろいろと思うところがあります。
フェンシングはルールが分かりにくく普及に苦しんできたのですが、この先、少子化が進んでいく中で、サッカーの人気が出てきて野球でさえも苦しんでいる状況なので、フェンシングはあくまで違う形で競技人口を増やしていくのがいいと思っています。
ほかの競技と同じステージで戦うのではなく、僕自身は騎士道であったり教育とスポーツの融合であったり、フェンシングらしいものを打ち出していければいいと思います。「あそこに行かないと食べられない豆腐屋」みたいな、そういう差別化を図っていく中で、フェンシングの競技人口を確保できると思っているので、協会と一緒に考えていければと思います。
千田選手 団体の1回戦の中国戦です。(中国は)みんな身長も大きくて、一昨年まで中国選手に勝ったことがなくて本当にコンプレックスを持っていて、こういう運命になるのかと思ったし、コーチと一生懸命対策をして思い切ってやり切れたので、その試合が印象に残っています。特にフルーレは一瞬でフレーズ(攻撃権)が移り変わるので、その激しい攻防を見ていただきたいです。