2013年08月21日

さて、公の場で私を「エセインテリ」と罵倒したはてなユーザーX氏と★をつけてたA氏、Y氏には、謝っていただかないと。

ほれ。



ほんとに頭に来てるから書くけどさ、この7月、わざわざ手間をかけてはてブの「コメント一覧」を非表示にしたのは、はてなユーザーX氏(イニシャルですら言及したくない)の意味不明な罵倒と、それにつけられたA氏、Y氏(こちらはイニシャルで)のスターが原因であった。X氏だけであれば「変な人」ということはわかっているので放置プレイあるのみだが、「はてなスター」を使ってそれが一番上に表示されるようにされてはたまったものではない。しかもX氏は当方の記述をまともに読んでもおらず、当方が述べていないことを述べたことにして「ブコメ」を創作、風評被害もいいところである。



……であるのだが、「エセインテリ」たるあたくしの読みが当たっていたことは、14日のラバア座り込み強制排除(武力行使)以降のエジプト情勢が示しているとおりである。おほほほ。エルバラダイは国外に逃げ、ムバラクは釈放されそうであるばかりか、こんなことになっている。




裏はやはり、これだろう。



ムスリム同胞団創設者の娘を母に、創設時幹部を父に持ち、今なおエジプトには出禁であるタリク・ラマダン。


posted by nofrills at 00:39 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/372555901
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック




記事を読んでくださってありがとうございます。
個別のご挨拶は控えさせていただいておりますが、
おひとりおひとりに感謝申し上げます。


【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む

EXPOSING WAR CRIMES IS NOT A CRIME!


詳細はてなダイアリでも少し。