2013年8月6日(火)

世界が共感「はだしのゲン」

髙尾
「今日、8月6日は広島に原爆が投下されてから68年となる『原爆の日』です。」

黒木
「広島では、今年(2013年)も平和への誓いを新たにする祈りが続いています。」



平和記念式典は、爆心地に近い広島市の平和公園で行われ、およそ5万人が参列しました。





原爆が投下された午前8時15分。
平和の鐘が打ち鳴らされると、参列者全員が黙とうし、原爆で亡くなった人たちを追悼しました。




参列者の中には、アメリカによる原爆投下の正当化に疑問を投げかけるドキュメンタリーを制作したオリバー・ストーン監督や、アメリカのルース駐日大使の姿も見られました。






広島市 松井一実市長
「無差別に罪もない多くの市民の命を奪い、人々の人生をも一変させ、また、終生にわたり心身を苛み続ける原爆は、非人道兵器の極みであり、『絶対悪』です。」



広島は今日一日、平和を誓う祈りに包まれました。

被爆者
「今の私は犠牲者の人の上にあるので、一日もむだにせず生きます。」

被爆者
「被爆者の思いを語らせていただいて、受け継いで、日本が平和になるように。」



髙尾
「広島に原爆が投下されてから今年で68年。
今、再び注目されているのがこちらです。
マンガ『はだしのゲン』。
原爆で家族を失いながらも、広島で力強く生きる少年の姿が描かれています。」

黒木
「少年雑誌で連載が始まったのは、ちょうど40年前。
ヒーローものが人気を集める中で、当時としても異色のマンガでした。」



「はだしのゲン」の作者は、去年(2012年)12月に亡くなった、マンガ家の中沢啓治(なかざわ・けいじ)さんです。
原爆で、父、姉、弟を失い、みずからも被爆した体験をもとに描きました。
中沢さんがこだわったのは、被爆直後の悲惨な光景をありのままに表現することでした。


爆風で全身に突き刺さるガラス。
熱線で皮膚が垂れ下がった人々。
建物の下敷きになり、火にまかれて亡くなる、主人公・ゲンの家族。




しかし、ゲンは、戦後の混乱の中でも、仲間とともに悲しみや困難に打ち勝ち、力強く成長していきます。
その姿が、読者の心をつかみました。
時を越えて人々に支持される「はだしのゲン」。
その作者、中沢さんの名前は、今年、原爆死没者名簿に記載されました。


中沢啓治さん
「戦争と原爆だけは絶対にしちゃいかん。
原子雲の下にいた人間が、どういう風になったか、これが『はだしのゲン』でいいたいことです。」





髙尾
「『はだしのゲン』は、現在、英語やロシア語などに翻訳され、こちらの世界20か国で出版されています。
発行部数は、国内外で1,000万部以上にのぼり、今もファンを増やし続けています。」


黒木
「そしてこちらは先月(7月)イランで出版された、『はだしのゲン』です。
本の中を見てみますと、このように吹き出しの部分の文字がペルシャ語で書かれています。
さまざまな国の人たちが読めるようになった『はだしのゲン』。
海外では、どのように受け止められているのでしょうか。」

髙尾
「国際世論を無視する形で核開発を進めるイラン、そして世界で唯一原爆を投下した、アメリカを取材しました。」

“はだしのゲン” イランでも

核開発をめぐって、国際社会からその動向が注目されるイラン。

禰津記者
「2日前に印刷されたというペルシャ語の『はだしのゲン』。
先ほどこの書店にもやってきました。」




先月、首都テヘランなどで、ペルシャ語に訳された「はだしのゲン」の初版、500部が発売されました。
原爆の恐ろしさをありのままに描いたストーリーに、注目が集まり始めています。

翻訳したのは、広島に留学しているイラン人のサラ・アベディニさんです。
「はだしのゲン」を祖国の人にも読んでもらいたいと、翻訳をかって出ました。
多くの規制が存在するイランですが、当局にも粘り強く交渉しながら、2年の歳月を経て、出版に結びつけました。


イラン人 留学生 サラ・アベディニさん
「体の皮がむけたり、髪が抜けたり、そこまでは『はだしのゲン』を読むまでは知らなかった。
この悲しい気持ちを、できればイラン人にも伝えられれば、よい本になるのではと思った。」



イランでは、「はだしのゲン」の内容に衝撃を受け、原爆の悲惨さを広めようという人たちも出てきました。
ミナ・モエニさんもその1人です。
「はだしのゲン」を仲間たちにも知ってもらおうと、この日、読書会を開催しました。



ミナ・モエニさん
「今まで核問題について興味がなかったけど、『はだしのゲン』を読んでイメージがついたわ。
核兵器を使うのはひどすぎる。」


核兵器とどう向き合うべきか、率直な議論が行われました。

参加者
「私ならどうしただろうと思ったわ。
家族が焼け死ぬところは、心が痛かった。」

参加者
「それでも世界から核兵器をなくすのは理想に過ぎないと思う。
戦争はなくならないから。
私たち市民が、核兵器をなくすことができるのかしら。」

参加者
「核兵器をなくす方法があるとすれば、私たちが知識を身につけることだと思う。
核兵器の恐ろしさを、みんなに知ってもらうべきだわ。」

「はだしのゲン」と出会ったイランの人々は、核兵器に対する理解を深めはじめています。

ミナ・モエニさん
「私も友達もマンガを読んだのは初めてだったけど、とてもためになったわ。
核兵器の知識を得られて、今日の読書会は良かったと思います。」

“はだしのゲン” 米で広がる共感

原爆を投下したアメリカでも、「はだしのゲン」は共感を呼んでいます。
小学校から大学まで2,000以上の学校で、「はだしのゲン」が教材として使われています。
これまでは歴史のひとコマとしか受け止められなかった原爆について、学生たちが興味を持つようになったといいます。

学生
「前に歴史の授業で原爆について学んだけど、今回は、より身近に感じることができた。」

学生
「絵が生々しかった。
アメリカ人がこれを読むのは重要だと思う。」

「はだしのゲン」は、基地の街に暮らす人たちにも影響を与えています。
グレン・ミルナーさん、62歳です。
ミルナーさんの自宅は、海軍基地のすぐそばにあります。
基地には東西冷戦時代から、核ミサイルを搭載できる原子力潜水艦が配備されてきました。

グレン・ミルナーさん
「核戦争が起きたら、ここは最初に狙われるでしょう。」




核兵器への不安を感じてきたミルナーさん。
被爆者の実体験が描かれている『はだしのゲン』を読み、その真の恐ろしさを知ったと言います。

グレン・ミルナーさん
「実際にこれを読んだとき、自分の家がどのように倒れるのかを想像した。
『はだしのゲン』には、個人的な体験や苦しみが具体的に描かれている。
そういった個人の体験こそが、人を変えると思う。」

先月、仲間とともに基地の前に立つミルナーさんの姿がありました。
手にしているのは、「はだしのゲン」を紹介するビラ。
基地で働く人たちにも読んでもらいたいと考えたのです。

グレン・ミルナーさん
「興味がある人は多くないが、ここにいることが大切だと思う。」

核兵器の脅威が身近に存在する基地の街だからこそ、「はだしのゲン」のメッセージは人々の心に届くとミルナーさんは信じています。

グレン・ミルナーさん
「潜水艦で、ミサイルの発射ボタンを押す立場の人たちにビラを受け取ってもらいたい。
彼らだけを責めるのではない。
私たちの手も発射ボタンにかかっている。
核戦争が起きたら、責任は私たちにもあるのだ。
私たちはこの問題を学び、広く訴えていかなければならない。」

改めて見直される “はだしのゲン”

髙尾
「ここからは広島放送局と中継をつないで、取材にあたった、藤原ディレクターに聞きます。
中沢さんの遺書とも言える『はだしのゲン』が、改めて見直されているようですね。」

藤原ディレクター
「そうなんです。
今日は、中沢さんが亡くなってから初めて迎える原爆の日です。
家族を失い、みずからも被爆した中沢さんは、生涯をかけて原爆の悲惨さを訴え続けてきました。
その作品でもある『はだしのゲン』を改めて見直し、原爆を知らない若い人たちに伝えていこうと、マンガを原画で紹介する展覧会も、広島で開かれています。

原爆投下から68年がたち、被曝者の平均年齢は78歳を超えました。
被曝の体験を聞ける機会が年々少なくなる中で、中沢さんがマンガに込めたメッセージでもある原爆の恐ろしさをどう伝えていくかが、今後の課題となっています。
私は先日、中沢さんの妻・ミサヨさんからお話をお聞きすることができました。
印象に残ったのは、『はだしのゲン』を子どもの頃に読み、大人になったときに『ちょっと待てよ』と立ち止まって考えられるようになってほしい、という言葉でした。
ミサヨさんは、核兵器のない世界を目指して、これからも夫・中沢さんの思いを受け継いで『はだしのゲン』を広める活動を続けていきたいと話していました。」

黒木
「藤原さんは今回アメリカで取材されましたが、中沢さんのメッセージは、海外でもしっかりと受け止められていましたか?」

藤原ディレクター
「私が取材したアメリカでは、原爆を投下したことで戦争を早く終結することが出来たと、原爆を『平和の爆弾』として教える学校もあるほどで、いまだに原爆投下を正当化する声が多いのが現状です。
しかし今回取材した学生たちは、『はだしのゲン』を読むことで、原爆の恐ろしさを理解出来たと話していました。
『はだしのゲン』というマンガを入り口に、原爆がもたらす悲惨な現実、2度とくり返してはいけないという中沢さんの思いを、素直に受け入れられたんだと思います。
中沢さんは、『はだしのゲン』を出来るだけ多くの子どもたちに読んで欲しいと、著作権の対価を求めることなく翻訳を認めました。
そして、ゲンの物語に共感した日本や海外の読者が、ボランティアで翻訳を行い、世界中で読まれるようになっているんです。
これもゲンの共感力の高さだと言えると思います。
翻訳された『はだしのゲン』を通じて、ヒロシマのメッセージが世界に発信されていくことを、中沢さんの遺言を取材した一人として強く願わずにはいられません。」

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