「シローくん、最近キスとかしてくれないよね」
ガタン、と椅子に座っていたシローの姿勢が崩れる。
シローは驚愕の目で、黒板によりかかりながらそう言い放ったマリナを見つめていた。
「いや、でも、貞操帯があるし」
「エッ……チができないだけで、キスとかは普通にできると思うんだけど」
確かに、貞操帯は自動的に現れるが、バージンダーへの変身には合図が必要だったはずだ。
第1話で姉が勝手に変身させていたという不安はあるが、装着している本人が言うならそうなのだろう。
「でも、マリナからそんな風に言ってくれるなんて、意外だな」
「べ、別に欲求不満とかじゃないんだから。勘違いしないで?」
少し慌てた様子で取り繕うマリナ。だが、その微妙な機微をシローが気にするはずもなく。
「じゃあ……今しても、いいかな」
それでもベストな選択肢を選んでくるあたりは長年で培った以心伝心の賜物か。
ちょっと嬉しくなったマリナは、わざと焦らすことにした。
「学校じゃだーめ。うちに帰ってから、ね?」
「お、おう……」
拍子抜けした感はあるが、それでも強引に押し切ることはできないシローだった。
マリナとのやりとりを経て、こいつぁムラムラしてくるぞと予見したシローは彼女を先に帰しトイレに直行。
ズボンとパンツを下ろし、写真を準備。そして――
「勃たない」(>>136)
学校からの帰り道、マリナが一人で歩いていると、
「マリナ! マーリナぁー!」
用事で遅れる、と言っていたはずのシローが全速力で駆けてきた。
いじらしく追いかけてきたのだろうか……と思ったが、どうも様子がおかしい。
「どうしたの、シローくん?」
「ちょっと脱いでみて!」
「いやーっ!?」
出会い頭で剥かれそうになれば、いくら恋人といえど抵抗するに決まっている。
「ど、どどっどうしたの? 本当にどうしたの!?」
そんなこんなでフルボッコにされながらでも、シローは仕事を完遂した。
人目につかないよう、路地裏に連れ込んだことの是非は裁判所に委ねることにする。
「ううう……シローくんが完全に壊れちゃった……」
「壊れてない、むしろバージョンアップしたんだ」
「意味わかんないよっ!?」
「見ろマリナ、自分の股間を!」
え、と思わず視線を落とすと、毛がひとつも生えていない幼さを感じさせる恥丘が。
「パイパンだったのか」
「だからなにっ!?」
「ああ違う、そうじゃないそうじゃない! ほら、気付かないか?」
「何が!」
「貞操帯、出てないだろ?」
「――あっ!」
今更だが、彼らの言う貞操帯とは、趣味的な店で売っている一般のものを指すのではない。
妹の貞操を守るためという名目で、マリナの姉が取り付けた特製のハイテク貞操帯のことだ。
今までは、周囲に興奮状態にある男性がいれば自動的に出現していたはずなのだが……。
「もしかしてシローくん……」
「ああ。俺、勃たない!」
証拠を見せてやる、とベルトをカチャカチャさせるシローを制するマリナ。
「や、やめてー!絵面的にアウトすぎるよ!」
その懸命な説得も虚しく、アウトな絵面が完成してしまった。
顔を赤くして手で目を覆いながらも、指の隙間からシローの股間を注視したマリナの見たものとは。
「……本当だ、勃ってない……」
「ああ。俺は遂に、自分を律することに成功したんだ!」
「シローくん……それ、病気じゃない?」
「……ビョーキ?」
「だって、昨日まであんなに節操なくお勃ちになってたのに。もしかしてEDとかじゃ」
「ああ、それは心配ない。ほら」
と、シローが取り出したのは一枚の写真。マッパなのにどこに隠していたのだろう。
写真に写っているのはやはりマリナだったが、バージンダーの姿の方であった。
「こっちだと……」
垂れ下がっていたペニスの先端がムクリと起き上がる。
男の興奮を感知した貞操帯が出現する。
「はい、この通り!」
「誰かお医者様を! お医者様を呼んできて!」
「――なるほど、カクカクシカジカシカクイムーブで勃起しなくなってしまったと」
シローのことを姉に相談し、彼女の人脈で専門家がいるという場所を紹介してもらった。
小さな診療所で、冴えない容貌だが人の良さそうな痩躯の医師が一人でやっているのだという。
「はい。馬鹿馬鹿しい話かと思われるかもしれませんが……」
「いいえ、わかります。私もかつて、彼と同じ性癖を持っていたことがありますので」
そしてこの医師こそが、マリナの姉のいう専門家なのであった。
「人には興味が失せ、変身後の異形に執着する……あるモノに手を出してから、私はそうなってしまいました」
笑いながら、ひとさし指でこめかみを叩く医師。ヤバイ薬でもキメていたのだろうか。
「それで、直す方法はあるんですか」
「難しいところです。性癖は、一般論の通用しない極めて個人的な問題ですからね……本気で、直したいのですか?」
はい、と力強く答えるマリナ。
俺は別に、と言いかけたシローは物理的手段で言論封殺された。
「ならば、私が奨められる方法は一つしかありません。生身の女性を、愛することです」
「……そ、それができないので困っているのですが」
「もっともです。まずは、生身の女性の方から『愛してもらう』必要があるでしょうねえ」
ズキ、とマリナの胸が痛む。本当なら自分が、その愛し合う相手になりたい。いや、なるべきなのだ。
だが姉の合図ひとつでバージンダーになってしまうマリナに、その役目が相応しいとは言えない。
「私もある女性のおかげで克服できましたが、その彼女との『夜の診察』も初めは変身後でばかりでしてね」
何だか生々しい話になってきた。
医師の性生活などどうでもいいので、さっさと帰ることにしたのだが。
「ところで……お話から察するに、変身するのはあなたですね?」
「え、ええまあ」
「ちょっと―― 診 せ て い た だ け ま せ ん か ?」ジュルペロリッ
だめだこの医師、性癖直ってねえ。
「わかりました。ただし、先生の彼女さんとのスワッピングということで――」
「シローくんコラああああああああああああああああああッ!?」
変態どもの手から命からがら逃げ出したマリナ。その隣を平然と歩くシロー(←変態)。
「いやー、同じ趣味の人を見たのは初めてだよ」ジュルペロリッ
「そのジュルペロリッて真似するのやめて」
仲間を見つけたことで晴れ晴れした表情のシローとは対照的に、マリナの面持ちは深く沈んでいた。
あの医師と同じ。それはつまり、人間への興味を失ってしまったということで。
つまるところ、マリナへの――
「シローくんの……」
「ん?」
「バカあああああああああああああああああああああ!」
「ひでぶ!?」
『そりゃ、怒られるよなあ』
人生相談という、いつもと違う状況でも相も変わらず姿を見せないマリナの姉。
マリナに謝ろうと彼女の家を訪ねたら、まだ帰っていないと言われ、なし崩しにこうなった。
『マリナにしてみれば、シローくんを寝取られたようなものだろう』
「寝取るも何も、バージンダー=マリナじゃないですか」
『そこだな。よりによって相手が、変身した自分……それが、問題をより複雑にしている』
「それ、原因はあんたですよね」
マリナにバージンダーへ変身できる貞操帯を(無断で)着けたのは、この人である。
どう考えても諸悪の根源なわけだが、彼女が悪びれている姿をついぞ見たことはない。
それ以前に、平時の姿すらここ数年見ていない。
『何を言う。こっちは妨害のつもりだったのに、勝手に変身ヒロインフェチになる君が悪いんだ』
これは言い返せない。
『まったく予想外だったよ。おまけに、遂には変身後にしか興味を持たなくなってしまうとは」
「返す言葉もございません」
『だがな、シローくん。私は――』
『この時を待っていた』
え、とシローが聞き返すのとほぼ同時。突如、床の一部が跳ね上がった。
最初からそう開くように細工してあったのだろう、そこから、「何か」が競りあがってくる。
その何かとは――シローの見慣れたものとは違う、鋼の乙女。
「こ、これは……」
『この子の名は鉄壁侍女メイデンダー。バージンダーの兄弟、いや、姉妹機といったところだ』
メイデンダーは、さすが姉妹というべきか、基本的にはバージンダーと同型だ。だが、やはり違いはある。
頭巾ではなくカチューシャのついた頭部やら、細部にあしらわれているフリルやら。
バージンダーが修道女なら、メイデンダーは(サブカル的な)メイドを思わせるゴシック調の装飾がされている。
『似ているだけではないぞ。そしてさらに――』
『転身!』
その合図で、まるで何かが乗り移ったかのように、メイデンダーは動き始める。
「……お姉さん?」
『そう、私だ。メイデンダーは私とリンクして、脳波コントロールで稼動する』
「何だか知らないけどまたロステクなモン造ったんですね」
これだから天才は。
「でも、何のために?」
『それはだね、シローくん』
ガシャ、とメイデンダーの足が動く。シローに向かって。
一方、シローを振り切ったあと、全力疾走を続けすっかりクールダウンしたマリナ。
頭痛と溜息に悩まされつつ、重々しい足取りで自宅へと向かっていた。
「これからどうしたらいいんだろう、本当に……」
シローがマリナに変態的な要求をするのは、彼女と本番ができない鬱憤晴らしだと思っていた。
本当にやりたいことができないのを、バージンダーで遊ぶことで気を紛らわせているのだ、と。
そう思っていたのに。
「バージンダーの方に夢中になっちゃうだなんて」
よりにもよって変身後の自分にこのような目に遭わせられるとは。この憤りをなんとせう。
――ぶつけるべき相手ならいる。マリナの姉だ。
こんな事態になったのも、もとを正せばすべて姉の責任。
「こうなったら、お姉ちゃんに責任とってもらうしかないよね」
口にしてから若干の躊躇を見せるも、「うん」と奮起するマリナ。
ある決意を胸に、諸悪の根源の待つ自宅へと足を踏み入れた。
『おかえり、マリナ』
マリナを出迎えたのは、彼女の姉の声。
しかし声を発した主は――
「……バージンダー?」
いや、違う。基本的な型は同じものだが、細部にいくつか差異が見られる。
「お姉ちゃん……それは、何?」
『メイデンダー。私の分身だ』
「分身って、お姉ちゃんが変身してるわけじゃないの?」
『ああ。インターフェース……まあ代理人やアバターのようなものと思ってくれればいい』
だろうな、とマリナは思った。きっと、姉は今も自宅の地下に引きこもっている。
出不精な姉のことだ。外出にはメイデンダーを使って、自分は一歩も外に出ないつもりだろう。
「そんなことよりお姉ちゃん。シローくんのビョーキを治す方法だけど――」
『その必要はない』
「……え?」
『シローくんは変身ヒロインフェチとして覚醒した。もはや、ただの人間に欲情などしない』
「で、でもそれじゃ」
『そしてこのメイデンダーは私の身体も同然……どうだ、これも一つの「変身」だと思わないか?』
「……お姉ちゃん?」
『マリナよ。シローくんは私が貰う』