シリーズ追跡 揺れるため池王国
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県内のため池1万4619個
大規模消失 30年で4000個
  おわんを伏せたような丸い山とその周辺に点在するため池は、地域の歴史から人となりまでを一目で語る香川の原風景と言われる。そのため池がピンチだ。この三十年間で四千の池が消えたという調査結果を県がまとめた。ため池密度日本一の座は堅持しているものの、消失の規模とスピードは、ため池を支えてきた香川の暮らしの在りようが激変していることを物語っている。水は環境の健康度を測る指標ともいう。ため池の周りで何が起きているのか。それは、私たちに何を突き付けているのか。今回は揺れる「王国」の裏側に迫る。

前回より1700減、水量は維持 県が15年ぶり調査

おわん形の山と点在するため池は、香川ならではの風景だ。その池が今、次々と消えている=丸亀市方面から飯野山を望む
おわん形の山と点在するため池は、香川ならではの風景だ。その池が今、次々と消えている=丸亀市方面から飯野山を望む

 「ため池王国」といわれる県内のため池数は一万四千六百十九で、昭和六十年に比べて約千七百カ所も減少していることが県の実態調査で分かった。山間部のため池の機能喪失や公共工事などによる埋め立てが主な原因。消えた約八割が貯水量千トン未満の小規模ため池で、県は「全体の貯水量はほとんど変わっておらず、影響は少ない」としているが、ため池は香川の風土や文化を象徴するものだけに早急な対策が求められている。
 県が編さん中の「讃岐のため池誌」に最新データを盛り込むため、十五年ぶりに市町を通じて実数を調査した。
 これまでにため池の調査数が残っているのは、昭和四十五年(二十七年の改定)と同六十年の二回。それによると四十五年が一万八千六百二十、六十年は一万六千三百四カ所。調査のたびに減少し、三十年間で四千ものため池が減っている。
 昭和六十年以降に消えたため池を貯水量別でみると、五百トン未満が全体の半分の八百四十二カ所。千トン未満を含めると約八割を占める。一方、五万トン以上の大きなため池は五カ所増加している。
 原因では、山間部のため池の機能喪失や放棄などがトップで千三百四十カ所。減反などで水田が減少したのに伴い、利用されなくなった小さなため池などが消えている現状がうかがえる。
 高速道路や工業団地など公共事業による埋め立ては二百九十四カ所。このほかゴルフ場や分譲住宅など民間の開発で百四十四のため池が埋め立てられたが、代わりに調整池など九十三の池が新設されている。
 ため池の総貯水量は一億四千六百五万四千トン。埋め立てられた池の貯水量は、新設池や周辺の池のしゅんせつなどで確保されており、減少は四十四万八千トンにとどまっている。
 「ため池の不足分」との位置付けだった香川用水分水時の経緯から、数の減少は徳島県への信義を欠く行為にも映るが、県土地改良課は「受益地内のため池の貯水量は変わっていない」と強調している。
 面積あたりのため池の数(ため池密度)は依然全国一位ながら、八・六九から七・七九に減少した。
 同課は「数が大きく減っているのはやはり問題」と話しており、三月に設置した「ため池保全対策検討委員会」などで保全策について協議する方針だ 。

 

山間部や小規模中心 減反、公共工事が後押し

実態
 つま先上がりの急な竹林を抜けると、目の前に小さな池が現れた。高瀬町下麻の山中。およそ二百平方メートルの池は周囲に雑草が生い茂り、土手が崩れて土砂が池の中に流れ込んでいた。
 「これがうちのため池。下の田んぼで稲作をやめてからは全く使わなくなってねえ。この辺りもずいぶんため池がなくなりましたよ」。案内してくれた山崎光子さん(77)は、周辺のため池事情を説明する。
 讃岐のため池のイメージとは異なるこんな池が、実は県内のため池の大半を占めている。

 ●機能失う
 今回の調査で最もため池が減少していたのは、同町の二百二十四カ所。次いで志度町の百十九、綾南町の百十四、綾上町百三の順。貯水量の減り方も三十二万二千トンの高瀬がトップで坂出市、三木町が二十万トン余で続いている。
 ため池が消えた原因といえば、すぐに埋め立てを思い浮かべるが、最も多いのは冒頭のような不用になったため池が放置されたケースだ。
 「山すその水田は手間が掛かり管理も大変。経済的にも合わないし、非効率的だから一番に減反の対象となる」と山崎さん。
 「四割減反」という厳しい米の生産調整、農業の後継者不足と高齢化。こうした要因が重なって水田が減少し、放置されたため池が土砂に埋もれるなどして機能を失う例が多いという。
 今回の調査で分かった一万四千六百十九カ所のうち、個人所有は六千余り。国有や市町有でも個人が水利権を持って管理する小さな池が多く、貯水量千トン未満が全体の六割弱を占めている。
 ため池に詳しい香川用水土地改良区の長町博事務局長は「減反が進めば、今後も小さな池が消えるかもしれないが、仕方ない面もある。水量的には全く影響はない」と指摘する。

 ●徳島の視線
 「確かに、ため池の数は減ってますが、総貯水量はほとんど変わっていません」。県土地改良課は減少した四十五万トンは「全体からみれば誤差の範囲」と説明する。
 消えたのはほとんどが山間部の小さなため池で、水量的にはごくわずか。埋め立ての場合は、代替池の新設などによる水量の確保が前提で、「ため池の水を使わないところでも、貯水量を減らさないよう指導している」と同課。
 なぜ県はここまで水量にこだわるのか。理由は、徳島県の存在だ。
 昭和五十年に通水した香川用水。吉野川の水をもらう条件が「ため池の最大限の活用」であり、香川用水はその不足分を補うという位置付けだった。
 徳島県民には現在でも吉野川の水は自分たちのものとの意識が根強い。
 昭和六十年の前回調査後には、「香川はため池をつぶしている」と徳島県議会などで問題視され、県の担当者だった長町さんが実情を説明に出向いたという。
 平成六年の渇水時も、徳島県は緊急時の水を配分する際、ため池の活用など「自助努力」を香川県に強く求めた。
 それほど徳島県民にとって香川のため池は気になる存在だった。

 ●水量は実質減?
 香川用水の受益地内のため池数は約四千カ所、貯水量は八千万トン。同課は「この数字は変わっていない」とするが、水量については疑問視する声もある。
 「多くの池では長年にわたって、底泥のしゅんせつをしていない。たい積した土砂で実質水量はかなり減っているはず」。こう指摘するのは県土地改良事業団体連合会の猪熊薫常務理事。
 かつて池の底泥は、先を争って採取される栄養分の豊富な「肥料」だった。だが、化学肥料の普及など農業事情の変化により、住民の手で池がしゅんせつされることはほとんどなくなった。
 国や県が、しゅんせつ工事を順次進めているものの、全体からみればごく一部。たい積した土砂で「実際の水量が減っている可能性」は県も認めている。
 数が減り、実質的な水量も下がっているため池をどうすればいいのか。
 県も対策を打ち出してはいるが、まず私たち自身が、顧みなかったため池に目を向けることが再生の第一歩となる。

 

防災機能低下を懸念 安易な改変 バランス崩す

市町別ため池数と貯水量

影響
 農業用水源として田畑を潤すばかりでなく、洪水の調節や地下水のかん養、自然環境の保全など多面的な機能を持つといわれるため池。その減少は市民生活にどのような影響を及ぼすのだろうか。


 ●先人の遺産
 県内ため池研究の第一人者で香川用水土地改良区の長町博事務局長は、ため池の果たす役割として、池を中心に発達した「節水システムの保全継承」を挙げ、「システムに基づく農家の厳しい配水管理がなかったら六年の大渇水は乗り切れなかった」と強調する。
 このシステムとは、「走り水」や「番水」というかんがい配水技術。走り水とは、田に水をためるのではなく、表面に水を走らせて湿らせる程度にかんがいする伝統の技法。番水とは、限りある水を効果的に田に供給する配水の知恵だ。
 「こうした水利の仕組みは千年、二千年という長い生産活動を通じて先人が築いた壮大な水利遺産」と長町事務局長。ため池がつくりだす田園の景観や習俗も含めた「ため池文化」の継承はわれわれに課せられた義務だという。

 ●決壊の危機
 今回の調査でも分かるように、減少しているため池は香川用水から水を受ける比較的、大規模なものよりも、山間部にある小さなため池が多い。
 こうした状況について香川大工学部の角道弘文助教授(水システム工学)は「小さな池は県民の水源としての意味合いは薄い」としながらも、「防災面からみれば、ため池がなくなることよりも、水をたたえたまま管理されず、中途半端に放置されていることの方が問題」と指摘する。
 減反や高齢化で、ため池の受益農家が減少すると、次第に管理が行き届かなくなり堤防は荒廃する。混住化が進み、農家が減少している都市部のため池も抱える問題は同じで、事実、三年前に松山市内のため池で底樋(ひ)の漏水から堤防が決壊、三十を超える世帯に浸水被害が出たという。
 「洪水調節機能は、単に池があるだけでは十分に効果が発揮できない。池には水を管理する『池守さん』がいて放流、貯留を判断する豊かな経験が池や地域を守ってきた」と角道助教授。しかし、この池守さんも高齢化は否めず、後継者の育成が課題。「十年もしないうちに大変な状況になる」と危ぐする。

 ●汚濁は7割
 受益農家が減少し、十分な管理ができない池は消滅した方がいいのかというと問題はそう単純ではない。
 一見、無秩序に点在しているように見えるため池の配置も、実は地理的な必然性を持っていると長町事務局長はいう。
 ため池は、過去にはんらんした水の通り道に沿って作られており、いわば下流の都市部を守る重要な砦(とりで)。「安易な改変は微妙な安全バランスを崩すことにもなりかねない」と警鐘を鳴らす。
 「地域の風土を構成する条件とため池は密接な関係にある」とは角道助教授。
 ため池の近くには神社がある場合が多く、そこには祭りがあり人々が集うコミュニティーの場でもある。「ゆる抜き」などの年中行事は地域の風物詩として親しまれ、水田や水路とともに造成された空間(ビオトープ)は豊かな生態系を育んでいるという。
 しかし、こうした機能にも赤信号が点滅している。家庭排水の流入などによる水質汚濁などがその原因。
 県環境保全課によると、県内の代表的なため池六十三カ所のうち、約七割で化学的酸素要求量(COD)が農業用水の水質基準を上回っており、約半数が天然湖沼において日常生活に不快感を感じる汚濁限度を超えている。
 「水稲障害が出るレベルではないが、汚れた水は人を遠ざける。ため池が市民生活に与える影響を考えると状況は深刻」という。
 今年三月、県はため池の保全対策を検討する委員会を設立した。設立経緯について、県は今回の調査結果とは無関係と主張するが、その引き金は香川の田園風景や市民生活に大きな影響を与える「ため池消失」への危機感にほかならない。
 「このままではため池は荒れ果ててしまう」と県土地改良課。農家以外の市民も巻き込んだ保全への取り組みが求められている。

 

 

 

インタビュー 南九州短期大学教授(水環境工学)・河野広さん

かわの・ひろし 宮崎大農学部卒。農水省九州農業試験場農地利用部長などを経て、3年から10年まで香川大農学部教授。同年4月から現職。宮崎市在住、63歳。
かわの・ひろし 宮崎大農学部卒。農水省九州農業試験場農地利用部長などを経て、3年から10年まで香川大農学部教授。同年4月から現職。宮崎市在住、63歳。

多目的利用へ総意形成を

 ―ため池が減っている。
 河野広教授 香川だけでなく、全国的な傾向だ。ため池の存在理由が、都市的土地利用などの動向を止めるほど強くなくなった。

 ―もう少し、具体的に。
 河野 河川からの水利用が生活用水を満たしたことやため池にかかわる人が減り、地域の関心が薄くなったのが大きい。管理が行き届かず、危険になったのも拍車をかけた。

 ―やむを得ないと。
 河野 小さい池が数多くあったのは、管理、利用する人側の行動能力の限界から。今は道路網の発達、車社会の進展など随分違う。水量を確保しながらの統合などはあっていい。

 ―しかし、点在するため池こそ香川の原風景だ。
 河野 景観も大切だが、むしろビオトープ(ため池や水田など農業生産のために造成された空間)が維持してきた生態系が崩れるのが心配だ。それを守るにはため池も数が要る。鳥や昆虫が移り住める回廊でないと。それを踏まえた統合ならやむを得ない。

 ―ある幅の中ならと。
 河野 原風景をいじるマイナスはあっても、放置され社会的に機能していないなら、それなりの処置が必要。機能を発揮させない保護は、保全とは言わない。

 ―このままでは歯止めが効かない。どうすれば。
 河野 水と土の複合環境の持つ生態的な意義や水本来の機能についての認識を高めることが大事だ。

 ―複合環境の意義とは。
 河野 土の斜面がなだらかに水に接する環境は、多様な生物群を育てる。そこに植生があれば、水中の汚れを吸収する浄化の仕組みも生まれる。池を守るだけでなく、コンクリート護岸も避けたい。

 ―水本来の機能とは。
 河野 河川水の利用は限界に近付いているし、香川には水不足恒常化の兆しもある。身近で安定した水量を確保できるため池は、香川の財産だ。公共事業などで一定の減少が避けられないなら、生かす工夫をしなければ。

 ―どんな方法が。
 河野 河川水の反復利用は難しいが、ため池は簡単だ。六年の渇水時に長尾町でやった。上の池から水田に水を流し、下の池に到達した水を上の池にポンプアップする。この反復循環。水はろ過され、有機汚濁は稲の肥料になる。環境は守れるし、余剰水を生活用水に回せる。こうした試みが農業者以外のため池理解を深め、保全につながる。

 ―子供たちにため池の魅力を伝えるのも重要だが、いつからか危ないなどと遠ざけてしまった。
 河野 考え直すべきだ。人もビオトープの一員。ため池の水を学校や公園にウ回させ、子供たちに水遊びや自然観察の場を与えるくらいやらないと。

 ―水も汚れ放題だ。
 河野 上流域の人の数と池の水質は、直線的関係にある。池の容積当たりの人口が多いと、水質は比例して悪くなる。汚れは家庭排水。生活の在り方、排水の仕方に尽きる。

 ―混住化が進んでいるのに、ため池は農業者だけのものという点を是正しないと、変わらない。
 河野 その通りだ。ダムは農業、発電などと必要性に応じて造られてきたが、ニーズの多様化を反映して今は多目的。それが地域社会の総意になっている。これをため池にもスライドできればいいのだが。

 ―香川はそれが可能な歴史を持つ。
 河野 そうだ。六年の渇水時も農業用水を大幅カット、生活用水に回したが、稲は最高の収量、品質になった。農業者が少ない水を徹夜して管理するなどの努力を重ねて。困難な状況に至った時、立場や利害を乗り越えて結集する香川の伝統が復活したと感じた。ため池の在り方についてもそれは生かせる。香川にはそれだけの伝統がある。

◇大西正明、古田忠弘、山下淳二が担当しました。

(2000年5月1日四国新聞掲載)

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